18話 守れ、生きろ、そして頼れ
霧の中に妖魔が視える。
妖魔と言える物なのか、甚だ疑問ではあるが、少なくとも人型ではないから妖魔だろう。
凹凸のある形をした二足歩行の蛙頭。二又の尾をゆらゆらと揺らす猫又。ギチギチと狭苦しそうに音を鳴らす大蜘蛛。
視認できる限りは三体の異形達が出現する。
およそ人間が飼い慣らせる代物ではないことは明白だ。あの鬼坊主が、召喚術か何かで出したヤツらだろう。
「さぁお前達。骨も残さず食らいなさい」
坊主が言うと、妖魔達は動き出す。
アキラが作成した土塊達には感情がない。その妖魔達が持つ悍ましさにも屈さずに突貫していく。
「ニードル」
土塊と妖魔達が激突する傍ら、土塊だけでは足りないと踏んだアキラは次の行動を開始する。
「ドリル」
先端の尖った釘のような突起物が、アキラの足元から隆起する。
土で出来た突起物が大地から隆起し、アキラの膝下あたりまで出て来るとキュインと音を立て回転し始める。
「これは――?」
「少し離れてね、柏原さん。ちょっと……いやかなり危ないよ」
そろそろ土塊達が砕け始める頃だろう。
あの土塊達は、強い衝撃に耐え得るほどの質量を持って作っていない。あくまでも時間稼ぎ。戦闘意欲さえ欠ければ良いのだ。
「開砲」
妖魔達の目が此方を見る。
土塊達が砕けていくところが見えた。
対象は上手いこと固まっている。
路地が狭いこともあるが、一箇所に固まっていたら撃ち放題だ。
「鳥銃」
一斉掃射。
アキラの足元で待機していた回転物が、妖魔達に向けて牙を剥いた。
武士の形をした土塊とは打って変わって、密度高く固めた土を、なんとかアキラの頭で理解できる回転速度で回し続けたドリルだ。
妖魔達の脳天に直撃すると同時。
風前に晒された灰のように、その異様な見た目とは裏腹に呆気なく夜闇の中へと散って行った。
「……なんと。壊滅ですか」
「次はテメェの脳天にぶち込んでやるよ」
「死にたくないので遠慮しておきましょう」
パッ、と坊主が長い袖を振るう。
再度の魔力増幅を確認。また召喚魔法か。一回で諦めてくれたらありがたかったんだが……まぁ仕方ないか。
「『百鬼夜行』」
「は? 詠唱破棄?」
油断してたぞふざけんな。
「操術式展開」
急いで再構築。
間に合うか? いや無理だ。少し出力を落として守備力を減らせば展開できるが、それだとやはり防御力に陰りが――
「出でよ、牛鬼」
「ふざっけんな!」
頭は牛。胴体は大蜘蛛。
古今東西『剛力の牛』と称され、その実態は移動可能な魂にあり、実質的に不死身を体現した妖魔。最強妖怪の一角とも名高い牛鬼。
最強妖怪をポンポン出すな。
詠唱破棄のデメリットで弱い妖怪限定召喚かと思ったが、そんな嬉しい誤算は一切なしなのね。厳しいなぁ。
「アキラくん、私に任せて」
「……柏原さん?」
「理解はできてないけど、状況はわかったから。相手が悪霊なら私の出番だよ」
「いや妖怪だと思うけど……」
どっちなんだろこれ。
実体のある心霊なのだろうか。実体のある心霊ってなんだよ。それただのゾンビだろ。
「いや、え? 大丈夫なの?」
「大丈夫! 私はこれでも勇者だよ?」
「ああ……そうだったね」
守るだけで忘れていた。
彼女は勇者。本来ならば一介の操術師であるアキラよりも、遥かに強い存在なのだ。
「うん。任せた」
アキラはアキラで、この状況を作り出したクソ坊主に突貫する準備を始める。
「守られてばかりなんかじゃない。私だって勇者なんだから!」
優梨が言い終えると同時。
周囲の空気が変わる。さながら天地がひっくり返るかのような、肌に触れる魔力の質が変わったような気がした。
剣と魔法の異世界にいたからこそわかる。
これはただの魔法じゃない。頼もしくもあり、恐ろしくもある勇者の権能だ。
流れる魔力は小川のような細流を奏でながら。闇を切り裂き、妖魔を祓う。その魔法の銘は――
「――【天の墓標】!」
優梨の頭上に天輪が現れる。
さながら天使の輪っかのような、しかし巨人の冠かと思うほどの大きさを誇る光輪だ。
癒術師とは。
人を癒す異世界の職業であり、同時に善き魂に安楽を齎す職業である。
悪しき魂……つまりこの世に留まり続ける悪霊などのゴーストを除霊する役割も兼ねており、その癒術師の力を持った勇者であれば、魔法の効果は並の術師の比ではない。
「アキラくんの邪魔をするなら許さないよ」
牛鬼を見ると優梨の光輪に包まれて苦しそうに悶え、足をバタバタと暴れさせている。すごいな効いてる。
ただ街を壊さなきゃいいけどと思うのも束の間、牛鬼の巨体が近くの家にあたり瓦礫が飛ぶ。
「最悪だ……」
ちょっと暴れすぎだ。壊れたもんは簡単には直せないのである。直せるのはウ◯トラ◯ンの世界だけだ。
「病は気から……魔法で召喚された魔物は、召喚者を倒せば消え失せる……」
今回の場合はあのクソ坊主だ。
優梨が牛鬼を抑えている間に肉薄する。
「操術式展開」
「おや、もうここまで」
此方を無視して牛鬼の動向を伺っていた坊主が、魔力を探知したのか驚いた様子でアキラを見る。
「鳥銃!」
坊主は既に射程圏内。
アキラの攻撃を阻止することは不可能だ。
「ふむ」
しかし驚くが、慌てない。
対抗する手段があるかのような振る舞い。そんな坊主の様子にアキラは背筋を凍らせる。
直感が、最大級の危険信号を発する。
「『人喰』」
坊主の頭が巨大化した。
「――っ」
何を言ってるのかわからないとは思うが、俺も何を言っているのかわからない。
ただ一つわかることは、巨大化した口という名の大穴は、人を一口で飲み込める大きさを誇るということだけだ。
まさに異形。
妖魔を従えるに相応しいほどに、人の見た目をしていない。
「ドリル……!」
回転する鋭利な土が異形となった坊主へと発射される。
的を間違えることなく貫いたが、一切のダメージを負っていないようだ。どころか土をも喰らう勢いで近づいてきている。
「やば……!」
こんなところで死ねない。
死ぬわけにはいかないのだ。
優梨をマグナデアに帰し、再び家族に会うまでは俺は死ぬことが出来ない。
「無理矢理にでも……ッ!」
勝機は左目『楽園郷』にしかない。
頭にも響く痛みがアキラを襲うが、こんな痛みに構っている暇なんかない。
守らなければ。生きなければ。俺の存在定義を、今一度――!
ーーー
『――ふぅ。なんとか間に合った』
『今のアキラじゃ、絶対に勝てない』
『なら、どうやって勝つか』
『援軍を要請するしかないよね』
ーーー
死んだ。
そう思ったのは数えて2秒程前のことである。2秒、と早くも長い時間があれば、食われ意識を失うことは容易い。
だがアキラの意識は未だに健在であり、それどころか夜闇の凍えそうなほどの冷気を肌に感じる。生気を感じさせる。
……生きてる?
「――よくぞ耐えたな、若人よ」
痛みに耐えるアキラの視界を、雲の間から差し込む月光に照らされた大きな背中が塞いだ。
牡丹の描かれた山吹色の和服に身を包み、身体よりも大きな長弓を片手で持つ巨躯の武人。
さながら豪傑と呼ぶに相応しい風格と威厳を彷彿とさせるその有り様は、山よりも大きく何者よりも頼もしく見えた。
「ここから先は、この藤原秀郷が引き受ける。後事は案ずるな。我が破魔の同胞よ」