16話 独占欲
「……まじですか?」
「うむ。お市を其方の寺子屋に入れようと思うてな」
「何を言ってるのかわかります? ……え、まじの本気ですか?」
「何度も言わせるな。お市を其方の嘉瀬塾に入れる」
それは、なんの意図があって?
いや別に不満があるわけではないのだ。ただ、確かお市様って――
「お市様には言ってるのです?」
「無論である。お市も嘉瀬塾に入ることを望んでおる。無駄に我が妹を行き遅れにさせるわけなかろう」
「でしょうね」
お市様は14歳。
一般的に見たら翌年に元服、そして結婚適齢期だ。なんなら熊蔵くんよりも年上。そんな忙しい時期に入塾とか、婚期を逃すんじゃないか? 馬鹿じゃねえの?
「で、その無駄ではない理由ってのは?」
「其方の知恵の一片でも吸収する。其方が我が織田家に従わないであれば、其方の知恵、力を我が物とするのだ。異論はあるまい、先生?」
「まぁそれは別に良いですけど、やってること簡単なことばっかですし。……で、真意は?」
信長は驚いたように眉を吊り上げた。
「わかってきておるではないか、アキラ」
「嫌でも覚えますよ。何回同じ目をするんです?」
「我は今、どんな目をしておる?」
「失礼ながら――獰猛な狼の如き鋭い目をしてますね」
さながら獲物を狙う肉食動物。
狙った物を殺してでも掴み、転がし、奪い取るような恐ろしい目をしている。
信長がこの目をするときは、決まって何かを為そうとしている時だ。美濃調略の時もそうだった。確実に自分の有利を獲得しに来るつもりだろう。
この魔王様、まじ怖え……
「アキラよ」
「はい」
「おぬし、お市をおぬしの室に加えんか?」
「……はい?」
何を言ってるんだ魔王様。
まじで何を言ってるんだ魔王様!?
「いやいや大名でも、ましてや家臣でもないただの寺子屋の先生ですよ俺!?」
「それがどうした、織田の参謀だろうが貴様。有能な者を取り込むのが女の役目であろう」
「マズイですってまじでマズイですって! 家臣の御歴々に睨まれますよ俺!」
「なに、心配するな。其方ならば赤子の手を捻るような物であろう。杞憂である」
「全部こっちに丸投げじゃないですかそれ! それに俺には嫁がいます! まさかもう一人嫁を取るなんて……」
そこで思い出す。
この時代には側室とかいう、今のアキラにとっては面倒極まりない制度があるということを。
いやいやそんなのは大家族を支えられる経済を持つ者にのみ許された特権であるはずだ。アキラが何人も娶れるわけがない。
……そういやおもくそ大金渡されてるんだった!
(やべえよ歴史を変えかねない……!)
お市の方は浅井長政との間に三人の子供を残す。
秀吉に嫁ぎ淀殿とも呼ばれ、大阪城にて華々しく散った戦国乱世最後の女傑。長女の茶々。
落ちぶれた名門京極家に嫁ぎ、戦国乱世の終結まで支え続けた次女の初姫。
2代目の徳川将軍秀忠に嫁ぎ、アキラの知る天皇家に血筋を残した三女の江姫。
この三人の女傑は、長政とお市の血が混ざって生まれる子供達だ。この女性達が生まれないとなると、後の世にどんなバタフライエフェクトを起こすか分かったものではない。
俺は歴史を変えに来たんじゃない。
歴史を、この国を守りに来たんだ。
だってのに、まさか自ら歴史を変えるようなことが出来るわけが……!
「無論、其方の奥方に確認を取ってからの返答で良い。期限は明後日までだ」
「…………あい」
あたまが痛ぇ……
ーーー
「ふーん……そうなんだぁ……」
「誠に申し訳御座いませんでした」
帰宅早々、アキラは土下座をかます。
最初の方こそアキラの土下座に困惑していた優梨も、アキラから話を聞いていくうちに表情が暗く変わっていった。
「なんで謝るの?」
「いや、ほら、なんか色々とやってはいけないことをやってるような気がして……しかも、ほら、怒ってるじゃん優梨」
すごい表情が薄暗い。
高校、マグナデアからの付き合いがあるアキラにはわかる。すっごい怒ってるこの人。
まぁやっぱり怒るよなぁ。
かなり勝手なことしてるもんな俺なぁ。いや勝手なことをしてるのは信長の方ではあるのだが。
いや別にお市様を娶ることが確定しているわけではないのだが、それでもこの時代最大クラスの重要人物の嫁ぎ先に指定され、それを断ることも出来ていないのである。
「いいじゃねえか、優梨殿。目出てえことだろ。今一番勢いのある大名家の一門だぜ?」
「旦那様。恐らく優梨様の怒りは、結婚云々から来ている物ではないと思いますよ……」
最近優梨には謝ってばっかな気がする。
どんだけ悪業を積み重ねれば気が済むんだ俺。そろそろ自戒して寺子屋経営に専念しようぜ俺。
いやそれも可笑しいけれども。早いところ『終末論』を倒さないといけないはずなんだけども。
というか前田夫妻はなぜここにいる。
おいこら孫四郎。他人の家で酒樽を開けるな。というかそれ、俺が子供達の親御さんから貰った物では?
「アキラくん」
「はい」
「アキラくんは、お市様と結婚して幸せになれる?」
「……結婚することになったら幸せにするさ。それが責任だと思うし、与えられた役目はこなすつもり――」
「お市様の幸せじゃなくて、アキラくんの幸せだよ。そもそも私がポッと出の恋敵の幸せを願うと思う?」
「……へ?」
恋敵? 誰が? 誰の?
アキラの混乱をそのままに、優梨はつらつらとさらに言葉を続ける。
「私は聖人じゃないの。会ったこともないお嫁さん候補なんかに、今の幸せを奪われるなんて許せないの」
「……? いや、別に正式に嫁取りすることが決まったわけじゃないよ……なんなら嘉瀬塾入りの方が本題だったし……」
「そういうことじゃなくてっ! ……ごめん、頭冷やしてくる……」
「あ……いま夜だから危ないって! ……行っちまった」
怒る理由はわかる。
この戦国日本に居続ける気なのか。マグナデアに帰らないのか。前田夫妻の前だからこそ口には出さない想いが、きっと彼女の胸中に渦巻いているのだろう。
『終末論』討伐から脱線したことをし続けているアキラは、何も言えずに頭を抱えて立ち止まった。
「反省点だな、こりゃ」
「ンだな。なんで優梨殿があそこまで怒んのか理解出来ねえが、まぁ彼女にも色々あるんだろうよ」
「アキラ様、追いかけてあげてください。お天道様のない夜道は優梨様には危ないですよ」
「…………だね。ちょっと連れ戻してくる」
「おう、留守番は任せろ」
急いで優梨を追いかけるアキラ。
その背中を見送って、孫四郎とまつは開けた酒樽から酒を掬った。
「すごく初々しいですね」
「だな。微笑ましいことこの上ない。……しっかしなんだって優梨殿はあんな怒ってたんだ?」
「頭で理解しても心が許さない。――乙女心というものは、同性から見てもほとほと面倒なので御座います」
ーーー
「あーもう……」
今宵は月明かりもない曇天。
提灯も持たずに飛び出した優梨は、真っ暗な夜道の片隅で蹲るしかなかった。
「おや、お嬢さん。こんな夜更けにどうしたんだい?」
背後から声を掛けられる。
少し後ろを流し見すると、笠を被った僧侶が声を掛けてきているのがわかった。
「貴方は――?」
「私は日業。近くの寺で坊主をしている者ですよ」