15話 「おもい」
「初めまして、嘉瀬アキラです」
「熊蔵に御座います」
アキラの前で頭を下げる子供……否、この時代の価値観からしたら恐らく大人なのであろう11歳の少年。
「えっと、熊蔵くん。キミ11歳だよね?」
寺子屋とは6歳くらいの子供が入塾し、将来のために勉学へ励む場であるはずだ。だのに見た目は明らかに歳が高い。
「はい。齢11になります」
「そっかぁ。……そうだよねぇ」
資料を読み返す。
何度見ても年齢の欄に『11歳』と綺麗な文字で書かれている。
いや別に入塾することが悪いと言うわけではない。なんなら意欲があってよろしいと思う。
だが恥ずかしくないのか?
今の状況を簡単に言ってしまえば、小学生の輪の中に中学生が混じって同じ授業を受けると言うことになる。
対話している感じ、そこまで教養がないわけではなさそうだし、今の彼は少し異様である。何が目的で入塾しようと思ったんだ……?
「ちなみになんで入塾しようと思ったの?」
「今の三河には寺子屋がありません。なので此方で勉学に励もうかと思い、尾張へやって来たのです」
「え、ないの? なんで?」
「三河の寺子屋は本願寺直轄の上宮寺に御座いますれば。いまは一向宗が場所を独占しているのです」
「あー……そっち側は大変そうだもんなぁ」
現在松平家が治める西三河では、松平元康に不満を持つ一向宗が点在しているようだ。
それだけでも大変そうであるが、その被害を被ってるのは寺子屋に通う子供達に他ならない。
松平家と一向宗との対決のせいで寺子屋を経営する余力がなく、今や子供達にさえ「三河のために元康を叩き出せ」とまで言われているとか。
「なるほどなぁ。意欲がある子が被害を受けるのは可哀想だなぁ」
「他がどうかは知る気もありませんが、少なくとも私は勉学に励みとう御座います」
言ってしまえば国を挙げての学事放棄だ。
他国のことに首を出すつもりはないが、此方に避難してくるのなら受け入れるのもまぁ、いいか。
「宗教って大変だね。一向宗以外に異変とかはない?」
「異変ですか? ……特にはないですね」
……収穫はなさそうかな。
「そっか。わかった。やってることが違うだろうから、馴染むには時間がかかるかも知れないけど。それでいいなら受け入れるよ」
「はい。よろしくお願いします、お師匠様」
新たに最年長の子供が入塾する運びとなった。
ーーー
「熊蔵くん、どうだった?」
「当たり障りのない、良い子だったよ」
「そっかぁ……。にしても一向一揆って大変だね」
「うん。子供に悪影響与えてるって言うなら、ちょっと見過ごせないかなぁ」
「だねぇ。……でも行く気はないんでしょ?」
「もちろん」
関東の異変ならまだしも、他国のことに首を突っ込む気なんざない。
三河一向一揆は史実でもあった出来事だ。宗教関係のことは気になるが、わざわざ出向かなくても片付く問題だろう。
「死にに行くようなもんだしね」
「うん。……でもアキラくん、私の知らないところで色々やってるんでしょ?」
「……え? なんの話?」
「アグノスさんが言ってた『終末論』の話」
……切り出されたか。
「うーん、いまはこれと言って進展がないかなぁ」
「嘘でしょ?」
「……なんで?」
「熊蔵くんの出身地を見た時、アキラくんの目が違ったもん」
「…………」
やらかしてたかぁ。そりゃ疑念抱かせるよなぁ。
一度でも疑念を抱かせたら、隠し通すのは間違いなく無理だ。どうやら隠し事が向いていないらしい。
「俺はキミを巻き込みたくない」
「私はあなたを支えたいの」
「キミが死んでしまうかも知れないんだぞ」
「死なないよ。あなたの隣なら絶対に」
「……重い期待だよ」
腹が痛い。頭が重い。
――無理だ無理。
この娘を守れる自信がない。この人を頼れる気がしない。
「どうしても、言いたくないの?」
「…………ごめん」
言って頼ったら死んでしまう気がした。
そんなことはないはずなのに。そんな勇気もないはずなのに。彼女が目の前で死んでしまう気がしたのだ。
「――わかった。ごめんね、言いたくないこと聞いて」
謝らせる気なんかなかった。それでもアキラは声を震わせることが出来なかった。
いま俺は、情けない姿を晒している。目の前の子は、唯一俺が情けない姿を見せたくなかった相手なのだ。
「…………」
声にならない悔しさを押し殺し、アキラは段々と溜まっていく苛立ちを拳という形に変える。
握りこんだ拳の隙間からは、さながら悔し涙のように血がダラダラと滴っていた。