96. 連合国瓦解
ワシントンD.C.:ホワイトハウス
「西海岸がどうなっているかすら、未だに分からんというのか?」
「信じ難いことですが……偵察機が1機も戻らないのです」
愕然とするトルーマン大統領を前に、陸軍参謀総長のマーシャル元帥が震えた声で続ける。
彼の言葉に嘘はなかった。未だ万単位で揃っているはずの航空兵力は、飛行機の形をしたオブジェになろうとしていた。燃料庫が真っ先に標的となるからガス欠で飛べず、予備部品は何処にあるのか分からず、基地との連絡網が滅茶苦茶で命令も届かない。それでも何とか偵察機を出してみれば、目標の遥か手前でことごとく消息不明。未帰還率は驚異の100%だった。
「そのため僅かな目撃証言や写真等しか入手できておりません。またそれらの集約、分析に関しましても、現地司令部の壊滅や電話網の寸断のため、まともに行えていないのが現状で……」
「糞、何故なんだ」
「アレクサンドロス人の空軍力はあまりに圧倒的で……」
「そんなことを聞いているのではない!」
理不尽な怒鳴り声。誰も彼も打ちひしがれていて、言葉も継げなくなっていく。
ホワイトハウス地下防空壕の会議室には重苦しい沈黙が満ち、暫し後にそれが唐突に破られた。その瞬間、卓を囲む全員が身構えるような表情を浮かべる。ここ最近、悲報か凶報のどちらかしか齎されず、またそれが1つ増えたと思ったのだ。
そうして案の定と言うべきか、耳打ちされたステティニアス国務長官が真っ青になって硬直する。
「今度は何だね?」
「その、根性の腐ったブタ野郎の英国が、連合国離脱を決めたようです」
「何、確かか?」
「はい。まことに遺憾ながら、信頼できる筋からのもので……」
「ええい、あの恥知らずの恩知らずども!」
凄まじい形相でトルーマンは激昂し、卓上にあった様々なものを、床に叩き付けては粉砕する。
ソ連にしても英国にしても、フィラデルフィアで対日統一戦線樹立を確認してから1か月ちょっとで、この史上稀に見るほどの裏切りようだった。フランスやオランダなども、恐らくは追随するのだろう。人類が一致団結して戦わねばならないその時に、真っ先に逃げ出す奴等ばかりで、何のためにナチの暴威から守り、国土を解放してやったのか全く分からない。
だが猛烈なる憤怒の一方、トルーマンの恐らくは冷静なる部分は、被害局限に関する思考を始めていた。
「ああそうだ、メキシコの状況はどうだ?」
ひとしきり荒れ狂った後、真っ先に裏切った隣国についてトルーマンは尋ねる。
「カマチョの野郎は排除できたか?」
「現在、メキシコシティにて陸軍部隊が交戦中……間もなく政庁の制圧が完了するかと」
「分かった。カナダやキューバでは先手を打て。これ以上の勝手は許さん」
トルーマンは命じた。ステティニアスは何か言いたげだったが、睨みつけて黙らせる。
それからマーシャルが連絡員を走らせたのを確認すると、トルーマンは大きく息を吐き出した。数秒の病的な沈黙を経た後、おもむろに立ち上がる。
「大統領、どちらへ……?」
「散歩だ。少し外を散歩してくる」
危険ですと咎める者もなく、トルーマンは護衛を連れ、陰鬱な表情で会議室を後にする。
長官や将軍達は、仕えるべき大統領を見限った訳ではなかった。ただどうしようもない無力感を誰もが等しく抱いており、流石に気まぐれで外に出たところを爆撃機に狙われはしないだろうと、ぼんやりと思っていただけだった。
ストックホルム:ソ連大使館
「いったい何があったのかしらね?」
在スウェーデンソ連大使のアレクサンドラ・コロンタイ女史は、心底不思議そうに呟く。
元々はモスクワにいた日本の佐藤大使といえば、日ソ国交断絶から暫くは自棄酒を呷ってばかりいたが、日本が異常に勝ち始めた辺りから調子を取り戻し、最近は連合国加盟国の関係者を相手にいい気になっていた。
恋愛について一家言ある彼女の目には、急に美女にモテ出し、宝籤にも高額当選した冴えない男のように映った。
だが先程の和平会談では、佐藤は完璧に上の空になっていた。
というより、ロボトミー手術でも受けたのかと思ったほどだ。先程の例で言うと、美女の中身が混沌の具象の如き怪物や名状し難いアレクサンドロス人だったりしたならば、あんな態度となってしまうのかもしれない。
「どう、何か分かったことはあって?」
「申し訳ございません。正直、さっぱりです」
赤ら顔の書記官も首を傾げる。
「ただ、想像できる部分はございます」
「どんな内容かしら?」
「宇宙人か未来人かが日本に協力しているという話ですから……案外それら勢力が日本の政権をガッチリと掌握というか傀儡化していて、今になってその事実を知らされたといった事情があれば、筋は通るのかもしれません。あの予備交渉団にしても何処かおかしかったですし」
「なるほど。状況からしてあり得る話ね」
「もっともあんな高圧的でふざけた要求をしてくるくらいです。未来人か宇宙人かではあっても共産主義者ではないのでしょう、文明進歩の最終段階として共産主義があるはずなのですが」
「そんな風に一言多いから出世コースから外されるのよ」
発想の豊かさについては見直した書記官に、コロンタイは諧謔めいた口調で笑う。
かく言う自分など、党批判が過ぎるとの理由で海外に実質追放中ではあるが、粛清の対象とならなかっただけマシな部類なのだろう。その意味では彼も、最低限の運は備えているのかもしれない。
「とはいえまあ、少しは腹の虫がおさまる仮説ではないかと」
「確かにそうね」
佐藤の絶望する様を想像すると、実際気分がよくなった。
ただそうだとすると、現時点ではかなり癪ではあったが、日本人もまた超越的存在の被害者と言えそうだった。将来、世界人民がそうした者を打倒する闘争を始めるに当たっては、この意識は重要かもしれないとコロンタイは思った。
ロンドン:首相官邸
選挙中止のため、未だ首相の座にあるチャーチル。彼は王立協会のまとめた報告書を読むなり不機嫌になった。
未来からの支援を受けているらしい日本との関わり方について、長期的な展望をまず得る必要がある。そのため可及的速やかなる研究を指示したのだが、ひたすらに絶望的な内容ばかりが連ねられることとなった。とにもかくにも理不尽に襲われ続けるが、勝ち目は天文学的に低いので、それに黙って耐え続ける他ない。結論を端的に述べるならば、そんな具合になるだろう。
しかも何より恐るべきは、そんな暗黒時代が最短でも数十年は続くと想定されていることだった。
「彼等の提示した和平条件には……率直に言って、嫌悪感以外の感想を抱くことは困難だ」
チャーチルはにわかには信じ難いとの顔色で、
「だが残念ながら、国際法的に見て非常識極まりないという程でもない。イーデン君、そうだな?」
「ええ。これまでの例から考えますと、ポーツマス条約とヴェルサイユ条約の中間といった程度と思われます」
イーデン外相は別紙を参照しつつ、そのように回答する。
ストックホルムにやってきた予備交渉団と接触した限りでは、中東の油田を始めとする権益の譲渡や莫大な量の石炭・各種鉱物資源の輸出、植民地各地での採掘権など、過酷な条件は飛んできはした。ただ賠償金は皆無、領土にしてもビルマ以東の現状承認という形となっていて、概ね3対7の講和といったものに見える。
原子力・ロケットの制約は気になりはするが、それでも現在進行形で新大陸を解体しつつある国の要求としては、かなり控え目にも思えた。米国への債務が消滅すると考えれば、お釣りがくるかもしれない。
「とするとだ、デール博士」
チャーチルは葉巻を少しばかり味わい、王立協会会長たるヘンリー・デールに尋ねる。
「これは矛盾になるだろう。植民地人を易々と叩き潰せるほどの実力を有しながらも、我々にはこの程度の要求しか送りつけてきていない。君が考えているほどに日本とその共犯者たる未来人が恐ろしいのであれば、我々にはヴェルサイユ条約すら裸足で逃げ出すような脅迫文が届いているはずだが、そうではない。とすれば前提に何らかの瑕疵がある、違うかね?」
「その部分に関しましては、確かに説明し難い点も多々ございます」
デールは正直かつ慇懃に認めつつ、居並ぶ閣僚に反駁する。
「しかし首相閣下、未来との接触に伴う甚大な影響と比べますと、その程度は誤差と断定できるかもしれません」
「どういうことだね?」
「付録Ⅱをご覧ください……日本の未来接触に関する詳細は、その真偽を含め、未だ全く解明できておりません。しかし相当に荒唐無稽ではございますが、その影響について評価するため、今現在の英本土が1905年の世界に存在するものと仮定した想定研究を、協会員および各界の著名人を集めて実施いたしました。その結果導出された国家戦略について、まとめたものがこちらになります」
「ほう……」
非現実的な仮定だが、興味深くはあった。デールの説明を受けつつ、内閣の面々はそれを読み進める。
まず第一の可能性として、世界征服が公然と挙げられた。1905年といえばライト兄弟が世界初の飛行機を飛ばして間もない頃であるから、当時の軍は戦えば何が起こっているのかすら分からないうちに壊滅。地上戦においてのみ多少の犠牲は生じるものの、海空においてはそもそも戦闘すら成立しないレベルで、僅か数年で遍く地球にユニオンジャックが翻る。
読み物としては痛快無比だが、一方で強烈な空恐ろしさに満ちていた。連合国――間もなく離脱の予定だが――の異常な苦境は、この物語の主役を日本に置き換え、年代を40年ほど未来に寄せたならば、当然のように再現されるからだ。
「何かね、我々は未来の日本を相手にしているとでも?」
「大臣閣下、あくまでこれはあり得ない前提の上の想定研究です。その点、ご留意いただきたく」
「ううむ……」
目を白黒させて唸る閣僚を尻目に、デールは説明を継続する。
次の間接アプローチ的な案とされる章は、より悍ましく狡猾な内容となっていた。軍事力もオプションの1つではあるが、何より現代では当然に存在する製品、普及している技術、知られている概念や情報そのものが、1905年の世界においては並べて破壊的なまでの奇襲性を有するとされていた。
「想像してみてください。競馬の結果や宝籤の当選番、採掘されていない油田の在処、将来出願される特許などを事前に把握している者が、どれほどの投資効率を得られるかを。またそうした者が組織として動いた場合、どれほどの圧倒的存在となり得るかを」
その台詞を耳にした全員が、時を同じくして息を呑む。
「先程、未来の日本が現れたという説はあり得ないと申し上げましたが、この未来人組織――研究に参画いただいたある作家の言葉を借りて、ビッグブラザーと命名いたしました――は間違いなく存在すると考えられます。和戦どちらであっても世界を容易に操縦可能で、狂気的なまでに資本や権力、その他あらゆる力を独占し、世界に絶対的強者として君臨するビッグブラザーが、我々の目の前に立ち塞がっているのです」
「それ故講和条件が甘かろうと、問題など生じ得ない……むしろ罠となると」
チャーチルは一気に老け込んだような声で呻き、デールは黙って首肯する。
パンドラの箱の底には何も残っていないようで、部屋に居合わせた全員が、信じ難い絶望感を共有していた。加えて未来人の存在について報告を受けていながら、その根源的脅威に今の今まで気付かなかった迂闊さを、自殺衝動を伴うほど呪わしく感じもした。
「なおこうした事情を踏まえますと、異常かつ残虐な戦争を日本が継続していることの方が、不可解と言えるかもしれません」
「最も強き者を惨殺することで、その暴威を示しているのだろう……植民地人の前大統領といえば、我々に全く相談もなしに日本を国ごと消滅させると言い放ち、しかも直後に頓死したほどだからな」
呆れ果てたような溜息を、チャーチルは実に弱々しく吐き出した。
思い出す限り、宣教師と弁護士を足して二乗したような人物で、あらゆる意味で散々に振り回された。挙句、最期に特大級の爆弾を遺していくのだから、全くたまったものではない。
とはいえルーズベルトへの呪詛を幾ら並べても、状況が改善するはずもなく、何とかそれらを思考の片隅へと追い払う。
「まあ、それも詮無き話。和戦いずれも致死性の罠で、しかしそれでも亡国や絶滅は免れねばならぬため、我々はこの世全ての悪徳が注ぎ込まれたような平和を選択するしかない。要するにそういうことなのだな?」
「まことに残念ながら、その通りでございます、首相閣下」
デールもまた自らの言葉によって首を絞められていた。
「我々は今まさに牢獄の中にいます。捻じ曲げられた時間で作られた、想像し得る限り最悪の牢獄に」
「であれば牢獄から逃れるための、史上最も長く苦しい戦いを、これより始めねばならぬな」
チャーチルは辛うじて宣った。とはいえそえれがどれほど長引くか、想像もつかなかった。
かつて彼は首相就任直後、迫りくるドイツ空軍の脅威を前に、1000年後の人々をしてこの時こそ大英帝国最良の時と言わしめたいと演説した。もしかするとその切なる願いは、意味合いを悪意的に捻じ曲げられて叶ってしまうのかもしれない。
第96話では連合国が様々な意味で崩れ始めます。
第97話は9月22日(火)更新予定の予定です。読者の皆様、いつも感想やブックマーク、評価等、ありがとうございます。それから微妙に更新時間がズレ気味になってしまい、申し訳ございません。
さて、タイトルにある"時獄"の一端が明らかになりました。
作中世界では、あり得ない仮定の方が正しい訳ですが、未来情報を集団的に扱い、それに従って行動できる組織が実在するだけでも、本当にとんでもないことになりそうです。とはいえこれは逆に考えると、そこまで凄まじい現象が起こっていないが故、某SERNみたいな陰謀論的組織は存在しないということにもなるのかもしれません。
また実はこれを書いていて、艦隊シリーズの荒巻先生の凄さを微妙に感じたりもしました。トンデモ兵器、トンデモ技術大量投入な世界観ですが、未来知識を有した人間が後世世界にはゴロゴロ存在している訳ですから、ああなるのがむしろ合理的なんですね。




