83. 錯誤
ワシントンD.C.:ホワイトハウス
どんよりと曇った空が晴れ、パッと光が差し込んだかのように思えた。
実際、齎された報告は啓示的だった。アレクサンドロス人の支援を失ったのか、あるいは元々大した量を入手できていなかったのかは分からないが、日本軍は鹵獲兵器に頼り始めている。
爆撃は相変わらず熾烈で、ここ数日でシカゴやボストンが大被害を受けもした。しかし反撃の時は近いに違いない。
「神は言っている、ここで引き下がるべき定めではないと」
居並ぶ将軍達を前に、トルーマン大統領は厳かな口調で宣った。
地下壕を照らすは人工の白熱電球の光だが、今日ほどそれが神性に満ちたものと思えた日はない。朝のコーヒーがこれほど美味く感じられた日はない。
「ともかくも諸君、早急にハワイを救援する必要がある。ここで奴等を海に叩き落せば、再び太平洋は我等のものとなろう」
「日本軍が攻勢限界に達した、その可能性は確かに高そうです」
大統領付参謀長のリーヒ海軍元帥が口を開き、
「アラスカを占領し、本土侵攻の構えを見せながら、オアフ島への上陸を実施した。確かにリチャードソン中将の報告通り、これ以上の侵攻能力を有していないことの証明かもしれません。実際アラスカでの戦闘と異なり、オアフ島でのそれに関する情報は、こうして我々が入手することもできております」
「ならば善は急げではないかね?」
「残念ながら大統領、太平洋艦隊再建の目途が立っておりません」
苦虫を噛み潰したような面持ちで、キング海軍長官が言う。
「我が海軍で主力艦と呼べるものは、数隻のエセックス級空母と旧式戦艦、慣熟航海を始めたばかりの元英国艦が少しあるといった程度です。ジープ空母ならまだ何十とありはしますが、まともな艦隊戦力にはなり得ないでしょう」
「それは……ああいや、何でもない」
トルーマンはどうにか言葉を呑み込む。
アラスカ沖で何百という艦艇を失ったのは誰のせいだと怒鳴ろうとしたが、合衆国軍最高指揮官は他ならぬ自分で、しかも手遅れにならぬうちに手を打てと命令していたことを思い出したのだ。
「ううむ……」
ともかくも深呼吸し、コーヒーを一口飲み、暫し沈思黙考する。
この間見た報告書では、ほぼ全ての産業分野において、生産効率が致命的なまでに低下しているとあった。工場そのものは無事であっても、企業の重鎮や高度技術者、政府の監督官などが集中的に爆殺されたり物流や金融が滅茶苦茶になったりしたため、必要な部品や資材が届かないというあり様なのだ。
とすれば艦隊再建には年単位の時間がかかるのも道理だった。それに高度人材や経営機構、官僚機構の物理的消失は、最終的に勝利が得られるとしても、今後数十年に亘って合衆国経済に暗い影を落とすだろう。
(だが、今はその勝利を勝ち取らねばならぬ)
自身にも言い聞かせるように、トルーマンは強く念じた。
状況は八方塞がりのようだが、敵の攻勢限界が近いのであれば、何かしら打つ手があるはずだった。そうして思考を研ぎ澄ませ、何か名案はないかとスティムソン陸軍長官へと視線を向けた際、全てが一本に繋がった。
「そうだ、陸軍航空隊なら奴等を攻撃できるだろう」
「えっ……?」
スティムソンは驚異に目を見開き、周囲が騒然となる。
「大統領、西海岸とハワイの間は2500マイルもあります。B-29でも困難な作戦かと」
「大丈夫だ、問題などない」
トルーマンは断言する。
「爆撃任務を終えたらハワイ島に降りればよい。とにかく、真珠湾の部隊を全力で救援するのだ」
アラスカ準州アンカレッジ:エルメンドルフ航空基地
「新たな電波輻射を確認、発信源はミズーリ州東部」
「サンフランシスコ付近に応答電と思しき電波輻射」
米本土に新たに生起した無線交信に、エルメンドルフ仮設通信所の面々がすぐさま反応する。
その意味するところは、わざわざ暗号を破って確認するまでもない。ミズーリからカリフォルニアまで重爆撃隊が向かうから、受け入れの準備よろしく頼むと連絡しているのだ。
実際、既に幾つかの重爆撃隊が米中東部の基地を離陸し、西海岸へと移動し始めている。輸送機隊も同様だ。
「どうも連中、どうやらハワイ空襲を企図しているようです」
傍受班長がそう報告し、
「それも恐らく片道攻撃かと」
「おいおい、トチ狂いでもしたのか?」
通信所の所長が思い切り首を捻る。
オアフ島には依然として数万もの米軍が存在しているが、東部山岳地帯に追い詰められつつある状況だった。爆撃でもって支援をしたところでどうにかなる気配はなく、そもそも爆撃は絶対に成功しない。火力支援艦はVALSを搭載しているし、重巡洋艦『羽黒』は対空仕様の20.3cm砲弾を撃つことが可能だ。
しかも『神武』作戦は近く発動する予定で、上陸に際して西海岸全域に徹底した砲爆撃が加えられる。
無論米軍がそれを把握しているはずもないだろうが、サンフランシスコ沖での戦いを見る限り、彼等なりに全力を尽くしているといった具合だった。それが何故、本土防衛にまるで資さない行動に出始めたのか分からない。
「案外、陽動が効き過ぎたとか」
傍受班長が肩を竦めながら言い、
「西海岸に来ると思ったらハワイで、実際あちらも結構な規模ですし」
「ううん……あり得るのはその辺りかもしれんな」
所長はそれから少し考え、案外とすんなりと納得した。
現代日本の実質的な船腹保有量は2億重量トンを超えており、そのかなりの割合が特異的時空間災害で消滅したとはいえ、輸出入の強制的断絶から凄まじい規模の余剰船舶が存在している。一方で米国の想像にあるのは、通商破壊戦によって打ち据えられた昭和20年の日の丸商船隊の姿に違いない。
「とりあえず、本部に情報を上げよう」
所長は衛星電話機を手にし、情報本部電波部長に状況を伝達した。
ハワイ上陸はこの時代に取り残された旧軍との関係が故に行われた、非常に政治色の強い作戦に違いなかった。とはいえそれがきちんと軍事的な意味合いも持ったのなら、感謝する以外ないというものだ。
オアフ島:スコフィールドバラック
鳴り響く銃声は耳に覚えがないもので、その音量は戦場が近いことを如実に示していた。
上陸早々、凶暴な日本軍機甲部隊がホノウリウリ収容所までの打通を成功させ、余勢を駆って突っ込んできたのだ。本来ならばもっと早期に司令部を移動させるべきだったのだろうが、敵の速度は予想以上で、まるで間に合わなかった。
朗報といえば敵超戦車1両を航空爆弾転用地雷で撃破したことくらいで、それを本国に伝える術はもはやない。
「かくなる上は、一兵卒として戦う他あるまいな」
リチャードソン中将は拳銃の安全装置を外しながら覚悟を決めた。
優秀なる参謀達も、態度でもって同意を示す。半地下化された鉄筋コンクリート造りの施設のあちこちから、喊声や悲鳴、断末魔が聞こえてくる。指揮所の扉が破られるのも時間の問題で、ならば1人でも多くの敵を撃ち殺してやろうと意気込む。
「恐らく、飛行艇は本国に着いたかと」
緊張と戦場交響曲の中、参謀長が微笑む。
「ハワイ島からの報告では、飛行艇はちゃんと飛んでいけたようですから」
「ならば、戦った甲斐があったというものだ」
リチャードソンは従容とした面持ちで肯く。
きっといつの日か、勢いを盛り返した味方が、この地を奪還してくれるに違いない。それまで生きていられそうにもないのが残念だが、黄金よりも貴重な情報を伝えることができたのだから、それで満足するべきだろう。
そして感傷に浸っている間もなく、扉の外からドタドタと足音が響いてくる。運命の時がやってきたのだ。
「帝国陸軍のツジ大佐だ。抵抗は無意味だ、降伏されよ」
「糞食らえ!」
下手糞でしかも偉そうな降伏勧告に対し、異口同音な回答。
すぐさま扉が吹き飛ばされ、続いて手榴弾が投擲される。猛烈な閃光と轟音に大勢が視聴覚を喪失し、しかしリチャードソンは眩んだ視界とぐらつく意識の中、どうにか敵を見つけ出した。
「死ね、卑怯者!」
リチャードソンは変な眼鏡をしたハゲ頭軍人に銃口を向け、こいつがツジ大佐とやらだと信じて1発撃った。
それは見事に目標の左胸を捉えた。しかしハゲ頭軍人は呻いただけで、すぐさま周囲の兵が反撃してきた。身体のあちこちに焼けるような激痛が走り、そのままバタリと床に倒れ伏す。
「謨オ蟆??∬ィ弱■蜿悶▲縺溘j」
先のツジ大佐と名乗ったのと同じ声が、何とも誇らしげに木霊する。
しかしリチャードソンの聴覚にはそれは届かず、程なく彼の意識はこの世から消失した。少なくとも主観的には、軍人らしい栄光に満ちた最期だった。
東京都千代田区:首相官邸
「ううむ、どう効いてくるかなこれは」
報告を受けた加藤総理は、少々怪訝そうな顔をして唸る。
オアフ島攻略を目的とする『須佐之男』作戦は、一応陽動という意味も持ってはいたが、ほぼ旧陸海軍に花を持たせるために実施したようなものだった。だがその結果、特異的時空間災害そのものを秘匿していることを踏まえれば当然の帰結かもしれないが、米軍がとんでもない勘違いをし始めたらしい。
「総理、北米大陸内陸部に分散配置された長距離爆撃機は、着上陸作戦を遂行する上での脅威と言えます」
武藤補佐官がすかさず発言し、
「それが自ら西海岸に集結してくれているのですから、一網打尽にすればよいかと」
「それは間違いないのだろうが、何と言ったらよいかな……」
加藤はチョコレートを抓んで熱量を補給すると、宙を見上げて暫しの間考え込む。
一般論として、何らかの希望を抱かせた末にそれを木っ端微塵に打ち砕いた方が、相手を御し易くはなるとは言えるだろう。しかし下手に依怙地になって抵抗を続けられるいう面倒なパターンも、可能性として考慮する必要がありそうだ。
その上で最も厄介なルートは何か。加藤はそれを探索し、どうにか言語化する。
「例えばヒトラーは、最後まで七年戦争のような奇跡的逆転を信じていたと聞いたことがある」
「この世界においては、猶更そうだったかもしれませんね」
志村外相がそんなことを言い、場に苦笑が漏れる。
歴史上の人物がつい数か月前まで生存していたという状況には、どうあっても容易に慣れ難い。
「まあともかく……ありもしない奇跡を信じる方向にばかり、今回の件が作用してしまわぬか、注意を払っておく必要があると思う。それでも軍事的には勝てはするのだろうが、何かの拍子にテキサスやオクラホマの油田に火を点けられでもしたら、国民経済再建という大目標が遠のいてしまうだろうからな」
「確かにそれは要注意ですね……」
総理の言葉を受け、武藤もまた思案する。
得られている各種偵察情報を総合するに、油田奪取が最大の目的であることに、米国が勘付いた気配は今のところない。しかし間もなく発動する『神武』作戦ではカーン郡油田の制圧が最優先であるし、一度は打診した講和条件において原油の供給を要求してもいる。そこが落とし穴となる可能性は否定できない。
加えて敵が予想外の動きをすることは、今回の一件を見ても往々にしてある話だ。
これまでは相手がどう動こうが関係なく結果を出せるよう、全力で対処してきた心算だったが、こと焦土戦的なやり方を採られると、そうもいかなくなる局面も発生し得る。まさに油断大敵だった。
「まあそういう訳だ、戦争には相手がいるということを、各自、改めて肝に銘じておいていただきたい」
「了解いたしました」
「うむ」
閣僚達の返答に肯きつつ、加藤は腕時計を一瞥する。
アラスカに展開している航空部隊や東太平洋を航行中の艦隊などが、一斉に作戦行動を開始する時刻が迫ってきていた。
「さて諸君、いよいよ『神武』作戦発動だ。ここからが正念場だぞ」
勘違いからあらぬ方向へと進んでしまう第83話でした。前提がおかしいと、どれほどの思案も容易に崩れてしまいます。
第84話は7月6日(月)更新予定の予定です。読者の皆様、いつも感想やブックマーク、評価等、ありがとうございます。
第6章は次回で一旦区切りとし、いよいよ『神武』作戦に入っていきたいと思います。
とはいえ少々仕事等の関係で忙しくなってきており、また話数のストックが枯渇してしまっていることから、第7章に入るまでの間に少々お休み(1~2週間程度?)をいただくかもしれず、また4-5日間隔での連載となるかもしれません。それでも必ず完結させますので、何卒よろしくお願いいたします。




