8. 状況認識
東京都千代田区:首相官邸
「つまり世界が戦時中に逆戻りした、とでも言うのか?」
何杯目かのコーヒーを飲み、器に山盛りのチョコレートを抓みつつ、加藤総理は強烈な渋面を作る。
緊急事態を告げられて以来、想像の遥か斜め上な現実の連続だ。死者は1万人を下らないだろうという悲惨な被害予測と、当面の被害者支援指針の策定。その直後にまた、異常な報告が怒涛のように押し寄せてきていた。
「そんな馬鹿なことがあるはずがないだろう」
「しかし総理、これらは全て確定情報です」
防衛省・自衛隊を代表して日下防衛相が断じ、
「そうだな、三津谷君?」
「間違いありません」
「……分かった、説明を始めてくれ」
「それでは始めさせていただきます。まず事実として、所属不明機が着陸したテニアン島およびサイパン島には、お手持ちの資料11ページ画像4、5、6の通り、多数のB-29を中心とする各種航空機が確認されました。なお参考として掲載いたしました画像7、8はそれぞれ、昭和20年4月に米軍によって撮影されたテニアン島および同年3月に撮影されたサイパン島の空撮写真です」
「確かに、よく似ているな……」
三津谷統幕長が言及した画像をやつれ気味な目で見比べつつ、高野官房長官が諦めたような声を漏らす。
島の一角を占める、妙に現実感に欠ける飛行場群。列線を並べた何百というB-29。フルカラーか白黒かの違いはあったが、よく似ているどころかそっくりだ。
「また同島では極めて旧型の無線局の稼働が多数確認されております」
「あら、ロランまで含まれているの」
津山総務相がちょっと驚いたような、懐かしいような顔をする。
ロランはGPS以前の電波航法システムで、元も総務官僚だった彼女は入省したての頃、廃止業務に少しだけ携わっていた。
「あれは元々米軍が始めたものだったわね」
「その通りです。なおB-29と無線局との交信内容を傍受したところによると、東京空襲を意識した交信が頻繁になされています。その一部を抜粋したものが、14ページにございます」
「グアムにはアンダーセン基地や国際空港があったはずだが、そちらはどうだ?」
「いずれもテニアン島、サイパン島と同様の状況です。資料16ページ画像3、4および5をご確認ください。なお同島に対する偵察飛行を実施したC-2EBは、B-29とは異なる所属不明機とも接触しております。同機を撮影したものが画像6になります」
「おいおい、大丈夫だったのか?」
双胴戦闘機の画像を睨みながら加藤が尋ねる。
「総理、最小で10キロの距離を保たせました。所属不明機はC-2EBにまるで気付かなかったようです」
「ならいいんだが……」
「続きまして、硫黄島沖に出現した所属不明艦についてですが……」
困惑し切った大臣達を前に、表情を押し潰した三津谷が説明を続けていく。
東京を襲ったB-29とその策源地、所属不明艦以外にも、突然この世に出現したとしか思えぬものが山のようにあった。
世界中のあちこちで、突然発信され始めた怪電波。哨戒機が次々と捕捉している、これまた旧式過ぎる潜水艦群。驚くべきことに本物の零戦まで空を飛んでいて、日本に進入しようとしていたから、先程築城基地に着陸させたとのことだ。
それとは逆に、パタリと消えてしまったものも嫌になるほど多かった。
その中でも驚くべきは、周辺諸国の軍民を問わぬ活動の消滅だ。例えば対馬は海栗島のレーダーサイトは、韓国南部の航空機の活動も捉えているが、ここでも航空機の消滅が発生した。釜山の街並みもネットの噂通りだった。
「満洲国でもあったりしてな」
ポロっと出た台詞を切っ掛けに、スクランブル機でも上がってくれれば逆に儲けものと、これ見よがしに朝鮮半島や台湾、中国沿岸部に偵察機を飛ばしてもみた。
そうしたらスクランブルもレーダー照射もまるでなかった上、何処もかしこも日章旗が翻っていた。黄海を北上させてみれば、本当に満洲国旗が見つかる始末。ついでにロシアはソ連に戻っていて、世界地図では帰属未定地域に分類される千島や南樺太は、明確な日本領だった。
(冗談抜きで、タイムスリップと考えるべきかもしれない。それも豊田有恒流の)
セントレア空港に降り立った後、各務原からの便に飛び乗って永田町に舞い戻った武藤補佐官。彼は資料にまとめられた状況証拠を凝視しつつ、そう思わざるを得なかった。
無論、物理的にあり得る話ではない。しかし実際に事が起こってしまった後に、そのおかしさを幾ら論じたところで、いったい何になるというのだろう? それよりもむしろ、当面の危険を回避することを優先して考えるべきではなかろうか? 今の日本は恐らく過去の米軍の攻撃に晒されている状況で、昨晩大空襲があったばかりなのだ。
「ということで、総務省といたしましては……」
いつの間にか話者は津山になっていて、
「早急にGPS代替としての電波航法システム、休眠中の長距離無線通信システムの再稼働および必要となる周波数の割り当て状況等の調査を実施すると同時に、防衛省情報本部と合同で通信方式等を解析、各無線局との交信手段の確立を目指したいと思います」
「うん、そうしてくれ。それにしても頭がこんがらがる話ばかりだが……とりあえずは、こんなところか? まずとにかく情報収集と分析、コミュニケーションがなければ始まらん」
一同が首肯しようとしたところで、武藤は意を決した。
「総理、よろしいでしょうか?」
「ん、何だね武藤君?」
「テニアン、サイパン、グアムのB-29策源地に対し、反撃を実施すべきではないかと考えます」
千葉県成田市:成田国際空港
恐る恐る機体を降りると、未来世界だった。
自分達の乗っていたB-29よりも、計画中って噂のB-36よりも遥かに巨大な飛行機の化け物が並んでいた。しかもそれだけ巨大であるにもかかわらず、エンジンが2基しかなかったり、プロペラが付いていなかったりといった具合だ。
「これでアメリカ本土を攻撃する気なのか?」
護送用の自動車――機械って感じがしないほど滑らかな形状で、静かでまるで揺れず、エンジンが一発でかかる――の車中で尋ねてみたら、超小型無線機らしきもので何処かと交信中だった日本陸軍の法務官だとかいう中佐が、
「全て旅客機か貨物機ですよ?」
と心底不思議そうな顔で回答した。
これだけの数の巨人旅客機や貨物機があるとすると、爆撃機はもっと多くあるのではないだろうか。何故そんな大量の超兵器がありながら、今まで戦場に現れなかったのか、それどころかパイロットを爆弾の誘導装置にするような真似までしていたのか、とにかく訳が分からない。
ついでに航空基地そのものが異様な規模で、一大要塞みたいな建造物が並んでいた。それまた例の中佐によると、旅客ターミナルだという。本当に頭が沸騰してしまいそうだった。
「ねえ、機長」
後部機銃員のボブ――ロバート・ヘッジス軍曹が、収容所の朝食として出された小さなパンを食べながら尋ねてきた。
B-29の機長だったライアン大尉は物思いを止め、彼の方を見た。ちょうどその方向には窓があって、暢気なボブの背後では、副操縦士のダニーことダニエル・ハンソン中尉が、窓の外の巨人機を一心不乱に眺めている。捕虜にそんなものを見せているのだ。
「食事を摂られませんか? ドクミ完了ですよ」
「ボブ、味の方はどうだ?」
「ちょっと甘いですね。でもいけますよ」
「そうか、ありがとう」
礼を言ってパンを手に取る。確かにそれはパンだったが、気体が封入された透明で薄い謎の袋に入っていたのが不気味だった。
しかもよく見ると、日本語と英語で何やら細かく書かれている。100グラム――ああ、0.22ポンドか――当たりの熱量とか、炭水化物含有量とかの情報。モールス符号みたいな白黒線。兵隊にちゃんと栄養を摂取させ、万全の状態で戦えるようにするための配慮なのだろうか? でもそれなら英語で書く必要もなさそうだし、そもそも日本兵ってパン食うのか?
ただ最も目を見張ったのは製造年月日で、何と来世紀になっている。
(馬鹿な……いや、ここは本当に未来世界なのかもしれないな……)
ライアンはそんな気がしてきた。背筋に猛烈な寒気が走る。
それでもまずはボブの言う通り腹ごしらえだと、パンの袋を開封し、一口かじる。確かに甘めだったが、美味かった。
大阪府豊中市:住宅街
江田美佐子は息子の弁当を作りながら、ニュースに耳を澄ませていた。
東京が突然爆撃されたって話ばかりだった。それはとても大変な事態に違いなかったが、彼女にとってはそれ以上に、飛行機が片端から行方不明になったらしい事の方が重大だった。
(大丈夫なのかしら……?)
オーストラリアに出張していた夫は、早朝便で関西国際空港に降り立つはずだったが、美佐子は心配でならなかった。
もしかするともう二度と会えないのでは――そんな恐怖がとめどなく溢れてくる。関西国際空港の電話窓口はパンクしていて繋がらず、重たいWebページには「現在確認中です」としか書かれていない。嫌な予感しかしなかった。
「あ、もしもし……江田です」
呼び出し音が鳴ったので、美佐子はタコさんウインナーを作るのを止める。相手は夫の同僚の妻で、全く同じ境遇にあった。
「冬木さん、何か分かりました……?」
「うち夫が飛行機マニアで……その筋から聞いてみたの。関空、国際便の着陸がほぼ0だそうなの」
「ええっ……」
視界が真っ暗になり、血の気が引いていくのが分かった。
美佐子はよろよろと、その場にへたり込んだ。嫌な予感が極限まで増幅される。自分のささやかでかけがえのない日常が、ガラガラと音を立てて崩れているような気がした。
「あなた……今どこにいるの……?」
サイパン島:イズリー飛行場
いよいよ明日は空襲、東京を焼き払うんだ。
東京を破壊しつくせば戦局打開して敵生産力も激減、英雄も沢山生まれて、軍の士気も上がって覇権はアメリカに移る。
消耗はしないで色々な作戦ができて、作戦失敗の心配もなくて、昇進もできるんだ!
俺がそう言ってるんだから間違いない。早く明日にならないかなー!
昨晩はルンルン気分だったカーチス・ルメイ少将は、"明日"を迎えるなり、眼球が飛び出るほどの衝撃を受けた。
無線封止されているはずのB-29爆撃隊から、緊急事態を意味する符号が洪水のように届いた。東京にはとてつもなく強力な迎撃態勢が敷かれ、前代未聞の損害が発生したらしかった。
(まさか半数ほどもやられたのだろうか……あるいは本当に75%!?)
しかし現実はルメイの想像以上に悪そうだった。
今のところ帰還したのは僅か5機、しかも搭乗員が揃って発狂してしまっていた。東京はマンハッタンより凄い都市で、ウルトラ長距離ロケット弾に僚機は次々と撃墜された。火星人と手を組んだに違いない。日本はカミになった――そんな出鱈目で滅茶苦茶な証言ばかり飛び出して、軍医が鎮静剤を処方したほどだ。
しかし待てど暮らせど、残りの300機以上はいつまで経っても帰還しない。
「司令、もはや全滅としか考えられません」
司令室に現れた参謀が、天井のシミを見つめるような目で言った。
ミーティングハウス2号作戦について、彼は「こんな作戦で部隊の75%が失われる」と反対した。だが5機以外が全滅というのなら、損耗率は何と98.5%にも上る。意味が分からない数字だった。
魂の抜け殻みたいな参謀に対し、ルメイはくわえた葉巻を噛み千切って、
「あの5機以外が全滅だというのか!? そんな馬鹿なことがあるか!」
「ですが司令……既に燃料が尽きる時刻を過ぎています」
時計を一瞥すると、参謀の言う通りだった。
その残酷な事実に、全身がガタガタと震え出したのをルメイも感じた。視界がぼやけ、写真みたいにモノクロになっていく。
「未だに……何処にも不時着したという報告がありません」
「嘘だそんなこと!」
顔面蒼白で叫んだルメイは、もしやこれは夢なのではと思った。
そうだ、これは夢なんだ。俺は今、夢をみているんだ……ルメイの思考回路はそこでショートした。
東京都福生市:横田基地
アメリカ軍人は狼狽えないと言うが、在日米軍司令官のダニエル・ファーゴ中将の表情は、見るからに苦しかった。
いかなる手を講じても本国との連絡が回復しない中、米軍機にしか見えないヴィンテージ爆撃機が300機以上も現れ、東京を焼いていった。そんな状況では正気を保つだけで精一杯だ。
しかもアジア一帯に日章旗が翻っていたり、ソ連がまだあったり。アンダーセン基地は存在はしていたが、音信不通な上にこれまた80年くらい昔の姿をしていた。全面核戦争で日本以外が滅んだという方がまだ理解できる状況だった。
「中将、調査への協力ありがとうございます」
航空総隊の増冨啓二空将は当たり障りのない感謝を口にする。着陸させたB-29と、そのクルーの調査について、日本政府は要員を送るよう在日米軍に要請していた。
「これで色々と捗ります」
「ああ、当然のことだ……とはいえ空将、あれが我が軍に所属する航空機ではないことだけは確かだ。我が軍と無関係とは言えそうにもないがな……」
そう言うと、ファーゴは呆然と天井を見上げ、
「我が軍は、我が国はどうなっちまったんだろう」
「もうじき、貴国本土の状況も分かるはずです」
増冨はウイングマーク取得と同時に購入した腕時計を一瞥し、あと4時間ほどかと概算した。
手段が他にまるでなかったため、C-2EBを用いた偵察は、マリアナやアジア方面だけでなく、北米に対しても実施されることとなった。ただ空中給油必須な距離で、未だアリューシャン列島上空を飛行中だ。なおアラスカのエルメンドルフ空軍基地が、グアムと似たような状況であるらしいことは、電波情報から既に分かっている。
「それから中将」
増冨は意を決して口を開き、
「先程マリアナ諸島への反撃を検討するよう、統幕長より指示がありました」
「何っ……!?」
ファーゴはそれを聞いて目を剥いた。しかし、すぐ元の状態に戻る。
「我が国に非道な武力攻撃を行った、貴国領を不法占拠する武装集団に対する航空反撃作戦です。現在、彼の集団は大型爆撃機を多数運用していると見られ……貴国の領土を戦場とするのは心苦しい限りですが、何卒、ご理解いただきたく。これ以上の空襲は阻止せねばならないのです」
「いや……致し方、あるまいな」
「ありがとうございます」
ファーゴは大きく溜息をつき、増冨も済まなそうに礼を言う。
アメリカ本土はきっと無事だと励ませればどれだけ良いかと思った。だが4時間後には、あまりも奇怪で残酷、絶望的な現実が彼等を襲うだろう。そんな確信があった。
そうした中、ファーゴが少し凛とした顔を取り戻す。
「日米合同作戦としたい。大統領命令が届いていない以上、こちらは情報収集名目だが……やる価値はあるはずだ」
それぞれが訳の分からない状況を認識し、考え、判断していく第8話でした。
アメリカ人視点多めで、ちょっと長くなってしまったかもしれません。
まあでもこんな状況、信じられませんよね。私もウソダドンドコドーン! すると思います。