7. 夜明け
硫黄島:硫黄島航空基地
日本本土での異変、東京への突然の空襲。一連の情報は硫黄島にも届いていた。
絶海の孤島に赴任中の自衛官達は、齎される報に気をもんでいた。かなりの被害が出たらしい上、国外との連絡も途絶。基地に滞在していたアメリカ海軍の軍曹が、大写しにされたB-29に仰天したりもしていた。彼の曽祖父はB-29の後部機銃員で、硫黄島に不時着したことがあるらしかった。
だがそれと同じくらい、不可解な現象も起きていた。何もなかった周辺海域から、怪電波が輻射され始めたのだ。
「平文で……英語で呼び掛けてますね」
該当の周波数を耳にしつつ、無線員が首を傾げて報告した。
怪電波は何の暗号もかかっていない、えらく単純なモールス信号だった。「第56任務部隊、応答せよ」とか「第5水陸両用軍団、いずこにあらん」とかそんな内容の通信が、概ね十数海里沖から盛んに発せられていた。
第56任務部隊や第5水陸両用軍団といったら、戦争中に硫黄島を巡って日米が激戦を繰り広げた時の、海兵隊軍団のことじゃないか。司令官は猛将ホランド・スミス中将だ。
「電波源周辺海域に1隻を確認しました」
島中部の大阪山へと駆けていった三曹もまた、ナイトビジョンで何かを発見し、無線で連絡を入れる。
「あッ、更にもう1隻確認……フリゲート艦に見えます!」
「種別分かりますか?」
「確認します……え、フレッチャー級!?」
三曹は目を疑った。しかし5門の単装砲や魚雷発射管の配置、艦橋の形などからして間違いない。入ったのは艦艇擬人化ゲームからだが、ちゃんと模型も結構な数作ったのだ。
でも何故目の前にいるのだろう? メキシコ海軍に譲渡された『ジョン・ロジャース』だって、2001年には退役したのに。
太平洋:マリアナ諸島沖上空
航空自衛隊の電子偵察機C-2EBは、明け方の成層圏から眼下を見下ろしていた。
無論、主に活用されるのは強力な電波の目だ。広域を隈なく見通すその目でもって、全速力で逃走するB-29を追いかけていたら、マリアナ諸島上空にまでやってきてしまっていた。
なおB-29の全速力といっても、C-2EBの巡航速度の6割ちょっとでしかなく、経済飛行できないのが厄介だった。ついでにもう一つ、GPSが機能していない。信号が全く受信できないのだ。
(どうしてしまったのだろう、この辺りは)
機の電子戦闘を担当する中西和人一尉は、端末画面を眺めつつ訝しむ。
サイパンやテニアン、グアムの国際空港、それから米軍の一大拠点たるアンダーセン空軍基地は、どこかに消してしまったらしい。電波の目で見た空港は、監視レーダー設備や各種航法支援施設の発する電波で、遠くからでも色鮮やかで十人十色だ。しかし現状、それらしき電波が何一つ見つからなくなっていた。
それに代わって、やたら原始的なレーダー波や誘導用のビーコン、無線電話や無線電信が、マリアナ諸島一帯に満ちていた。しかも機載の最新鋭分析装置が、それらは第二次大戦中に米軍が使用していた機材の特性に一致すると抜かす始末。
「あ……目標、送話始めました」
耳を澄ませていた機上無線員が報告する。B-29の通信士が無線電話を始めたのだ。
「送話先特定……完了。テニアン島、送話先の名称はウェストフィールド基地」
「テニアン国際空港の昔の名だな。傍受お願いします」
「傍受中……酷い内容です」
中西もそれに耳を傾けると、機上無線員が苦笑した理由がすぐ分かった。
母親との生殖や神聖な排泄物についての言及が猛烈になされた後、かなり聞き取り難い英語で、「東京上空で宇宙人に攻撃された」「部隊は全滅した」といった報告がなされる。管制員も、戻ってきた機数の少なさに仰天しているようだ。
「あ、詳細は着陸したら詳しく話すと言っています。テニアンに降りるようです」
「とすると、こいつの拠点はテニアンで決まりか」
中西はとりあえず最優先目標が達成されたと判断し、別の機上無線員にその旨を報告するよう命じた。
ただ、情報収集は燃料が危なくなるまで行った方がよいだろうと中西は思った。他の島に着陸する機もあるかもしれないし、この異常極まる状況は、米軍の悪ふざけの産物とか、そんなチャチなものでは断じてなさそうだった。
茨城県つくば市:筑波追跡管制センター
「相変わらず駄目なのか?」
「ええ、まるで駄目です。日本のも、外国のも、全滅です」
センター所長の問いかけに、管制主任が何度目かの回答をする。
「他所の局にも問い合わせましたが、何処も同じでした」
「外部からシステムに悪意的な攻撃を仕掛けられた可能性は……さっき調べたな」
「もう一度やらせましょう。光学でも衛星が捉えられなかったのは事実ですが、それが一番あり得そうなので」
「よろしく頼む。しかしこの異常事態はいつまで続くんだ……?」
管制主任はもう何時間も頭を抱えていた。国外との通信が不可能になったのと同時に、24時間体制で追い掛けていた人工衛星が、突然消えてしまったのだ。
それも制御不能や機能停止、衝突といった類のものですらないようだった。仮に人工衛星が何らかの攻撃で破壊されたとしても、その残骸や破片は地上のレーダーで追尾できる。だが現状は、最初から存在していなかったかのように、何千という人工衛星が文字通り消滅してしまっていた。
「それにしても……スプートニク以前の宇宙を見てるみたいですね」
「今は21世紀だぞ?」
「そのはずなんですけど……ほんと、軌道上が真っ白なキャンバスみたいだ」
対馬海峡:西水道上空
「司令、このまま対馬海峡を渡ります」
「ああ、安全に頼むよ」
「お任せください!」
宗方敏夫海軍中尉は元気よく返答した。飛行中の零式練習機はうるさいから、大声でないと聞こえないのだ。
ただやかましいエンジン音も、今日はいい感じだ。無事に海峡を渡り、鹿屋までたどり着けるだろう。所属する元山海軍航空隊は北朝鮮にある訓練部隊で、来るべき沖縄決戦では予備兵力として扱われる。司令の青木泰二郎大佐は作戦の調整会議に出席する予定で、自分はその間、半年ぶりの内地で骨休めという訳だ。
ちょっと不思議だったのは、鹿屋との交信ができなくなったらしいことだが……まあそんな日もあるだろう。
「それで中尉、練習生達はどうだ? 上達しとるか?」
「はい、目を見張る上達ぶりです!」
「そうか……中尉、貴官も飛行時間はまだ200とかだったな? 自分がまだまだ未熟である故、練習生の問題点に気付けていないのもしれない。そういう心構えが必要だぞ?」
「はい……心得ました!」
宗方はゴクリと唾を飲み込む。実際その通りかもしれない。
本来教官というのは、1000時間とか飛んだ、神様のようなパイロットのやる仕事だ。一方自分は……海軍予備学生上がりで、課程と実施部隊での多少の勤務を終えたら、すぐ教官配置になってしまった。風雲急を告げる戦局故だが、ならばこそ練習生達をきちんと育ててやらねばならない。
(そうだ。必要なのは員数じゃない、戦力なんだ)
強く己に言い聞かせる。たとえそれが特別攻撃であったとしても、きちんと敵母艦に突っ込めるようにしてやらねば。
宗方は暫くの間、熾烈な空をきつく睨め付け――内地の方角に見慣れない飛行機を発見した。そいつはぐんぐん大きくなっていき、異形が露になる。プロペラのない飛行機だった。
この辺りまで進出できる敵機は、今のところB-29の偵察機型だけだ。とすると味方機だろうか? 宗方は翼の標識を確認しようとしたが、その時には既に見失っていた。相手が速過ぎるのだ。
「中尉、どうかしたかな?」
「先程、プロペラのない大型機がおりまして……」
「ふむ……噂に聞く噴進式、ジェットかな? 燃焼ガスを噴射して、その反動で進む方式だ」
「なるほど、そんなものが……えっ!?」
宗方は目を剥いた。すさまじく巨大な紙飛行機みたいな機体が、真横で翼を翻していたからだ。運動性も超良好らしい。
濃紺塗装された三角形のどでかい翼には――ささやかな日の丸が描かれていた。ピンと立った垂直尾翼の下には、青木が言った通りのエンジンが据え付けられていて、轟々とガスを噴いている。味方のものではあるようだが、航空の常識とはあまりにかけ離れていて、ゾッとするくらいだった。
「司令……あれがその、ジェットですか?」
「分からん……あんなの見たことも聞いたこともない」
「でもあれが配備されれば、特攻なんていりませんよね?」
あまりにも異常な夜が明け始める第7話でした。明日も更新します。
多分お分かりかと思われますが、最後に出てきた海軍中尉のモデルは土方元海軍大尉です。「海軍予備学生零戦空戦記―ある十三期予備学生の太平洋戦争」という書籍が光人NFから出ています。