6. 小康状態
東京都葛飾区:柴又駅付近
「婆さん、怪我ねえか?」
とりあえず難を逃れた寝間着にジャケットの壮年男が、道端に座り込んでいる老婆に声を掛けた。
「この辺も多少焼かれたが、消防が頑張ってくれたぜ。だからもう安心だ」
「ああ、ありがとう……ちょっと腰が抜けちゃってねぇ」
「何ならおぶろっか? とりあえず一緒に避難所行こうぜ」
男は土木建設業の親方をやっていたから、老婆を軽々と担いで歩き出す。
道は同じく避難者で溢れていたが、少しばかりの安堵も見える。焼夷弾が降ってきたと思しき箇所もあったが、駆け付けた消防がささっと鎮火させたようだ。飛び散った火炎は恐ろしかったが、早い段階であれば家や店の消火器でも有効だ。
もっとも南の方はまだ赤々と燃えていて、どれほど酷い状況か分からない。でも今は、それについて考えない方が良さそうだ。復興の時は、俺も精一杯頑張ってやるから。
「ところで……ちょっと昔話をさせてもらってもいいかしらねぇ?」
「何だい、婆さん?」
「私ねぇ……大昔の今日、この辺で空襲に遭ったのよ。本当にちょうど、今くらいの時間に」
「へえ、そうだったん……」
男が相槌を打ちながら、歴史はさっぱりなんだと苦笑い。
それでも大昔、どっかの国――ドイツだっけ? スペインだったかな? と日本が戦争していた時、東京の下町に大きな空襲があり、大勢が死んだと教員が言っていた気がする。
「あれは女学生になりたての頃だったわ。怖い怖いB-29って爆撃機が空から焼夷弾をばら撒いて、この辺が全部、火の海。それを思い出しちゃって……でも不思議ねぇ、さっき飛んでった爆撃機の音も、B-29そっくりだったわ」
「そらまた、世にも奇妙だ」
男はそう言った直後、自分で発した単語を切っ掛けに首を捻った。
暫くして思い出されたのは、小学生の頃に見たテレビ番組。今でもやってる長寿シリーズの1エピソードだった。
「ああ、戦争中の飛行機が現代にタイムスリップしてくるって話、見たことあるよ。ドラマだけど」
「そんなものなのかしら。何だか、同じ体験をしてるみたいねぇ……ああでも、違うところもいっぱいあるのよ」
「どんなとこ?」
「さっき言った通りよ。昔はこの辺が全部火の海になったけど、今回はすぐ消してくれたわ。それに……あの時は皆逃げるのに必死で、あなたみたいに親切な人なんていなかったものよ」
東京都千代田区:首相官邸
「ん、ああ……了解した。よくやってくれたな」
三津谷統幕長は電話口で謝意を伝え、通話を切る。
「航空総隊の増冨空将からです。所属不明機が何機か、投降いたしました」
「おお、やったか」
加藤総理を始めとする全員が、作戦成功が顔を綻ばせる。これで少しは情報が得られるだろう。
生じた巨大な損害の賠償をさせようにも、あるいは報いを受けさせようにも、まず相手が誰かはっきりさせなければならない。
「とりあえず、成田に着陸させるとのことです。空いていますので」
「あそこが夜間運行してなくて良かったと思ったのは初めてだ」
「総理、所属不明機の搭乗員についてですが……」
日下防衛相が軽く挙手し、
「言語道断の行いは大変腹立たしいですが、ひとまず武力攻撃事態における捕虜等の取扱いに関する法律に基づき捕虜として扱うということでよろしいでしょうか?」
「何処の国の軍隊なんです、あれ?」
提言に対して松本国家公安委員長が口を挟む。
「まあそれをこれからはっきりさせにゃならんのですが……明らかに米軍でも、考え難いですが反乱部隊でもありませんでしたし、現状、米軍を装った超大型コスプレ集団による航空機を用いた大量殺人・放火事件と見做して捜査してもよいのでは?」
「民兵、義勇軍等であっても捕虜となる資格は有していますし、防衛出動も発令されています。ああでも言われてみれば、同組織が第三国の標識を剽窃・利用していた場合の扱いは……ちょっと確認取ってもらえますか?」
想定外を自乗し、更に狂気を掛け合わせたような確認事項を受け、連絡員が駆けていく。
「聞いていて頭痛がしてくるが、捕虜ってことでいいんじゃないか?」
加藤は頭を抱えながら仲裁し、
「捕虜でも官姓名くらい答える義務はあるんだろう?」
「はい。しかし我が国には軍事裁判所が存在しておらず……」
「ややこしい話は後にしよう。とりあえず担当者を成田に派遣してくれ。松本君、警備は警察でできるか?」
「可能です。成田には重装備の警備隊1000人がおります」
「よし、じゃあそれでいこう」
決裁し終えた加藤は大きく息を吐く。
「それと総理、警報については如何いたしますか?」
今度は総務大臣の津山千鶴が尋ねてくる。これから暫く、休む間もないのだろう。
「脅威の排除に成功したのであれば、解除を通達してもよいかと」
「防衛相、その点はどうだ?」
「所属不明機は何ら予兆なしに、日本の領空に侵入しています。これもあり得ない現象で、今後も同様の現象が発生する可能性があります。それを考えれば時期尚早ではないかと」
「ふむ……早く国民を安心させたいが……ああ、記者会見はやったほうがいいか」
それには全員が揃って肯き、連絡と準備のため何人かが退室した。
大規模通信障害も含めて分からないことだらけで、発表できる事実はさほど多くはない。それでも犠牲者に哀悼の意を表し、状況を鋭意調査中であることは伝えるべきだろう。
東京都港区:新橋駅
残業だったり、飲みだったり。この場に取り残された理由は人によって様々だ。
だが皆同じように様々なテレビを凝視し、会見する総理大臣の言葉に耳を澄まし、一挙手一投足を固唾を呑んで見つめていた。情報の不足こそ何よりの恐怖だと、この場の誰もが痛感していた。
「関東地方に侵入した敵性の所属不明機約300機につきましては、既に自衛隊がその大部分を撃墜、当面の脅威は排除できたものと考えられます。また残存する所属不明機につきましても、既に相当数が自衛隊機による降伏勧告を受諾した模様で、自衛隊はこれらを成田空港に強制着陸させ……」
安堵の声があちこちで唱和する。少なくとも、この辺りが戦場になることはなさそうだ。
「しかしながら……事態発生時、これら所属不明機群が極めて特異な出現のし方をしたという報告があります。それを踏まえ、政府といたしましては、引き続き自衛隊の防衛出動態勢を維持し、警戒監視に万全を期したいと……」
「ありゃ、となるとまだ帰れないか……」
「電車動かないし、タクシーはあるだろうか?」
「家族が心配だ」
疲れ切ったサラリーマン達が口々に感想を漏らし、場がざわめく。
総理大臣の発表はそんな中で終了し、記者達が一斉に手を挙げる。質問されたのは所属不明機がB-29に見えることや、空襲被害への対応、今後の見通しなどで、回答は概ね「現在調査中」や「全力を挙げて取り組む」といったものになる。
そうした中、一人の記者が指名された。普段から常識外れの質問ばかりする奴だった。
「総理、タイムスリップという可能性は考えられますか?」
伊勢湾:セントレア空港上空
「武藤さん、タイムスリップというのはきっと何かの冗談ですよ」
緊急着陸態勢の機内で、武藤補佐官と飯田経済班長は光明の見えぬ問答を続けていた。
そうした中で流していた総理大臣記者会見。そこで飛び出してきた馬鹿馬鹿しい限りの質問に、武藤が妙に反応し、やたら真剣な表情を浮かべ始めていた。
「あまり上手い冗談でもありませんでしたが……現実にあり得ません」
「俺もそう思いたい。だがあり得ないことならもう起きた後だろう?」
武藤はスマートフォンに視線を向ける。アナウンサーの後ろに銀色の飛行機が映っていた。
記者会見で言及された、降伏したB-29だ。機体から降り立った搭乗員達は、やはり大昔の飛行服を着た白人ばかりの集団で、成田空港の警官隊に睨まれながら、大都会に出てきた田舎っぺみたいに周囲を見回している。
「こんな古い飛行機、もう博物館にしかないはずだ。だがそんなものが300機も飛んできた、しかも焼夷弾を積んで」
「どっかの金持ちか何かが、それだけの数をレストアしたとか……? いや、これはこれで無茶苦茶か」
「おかしさを2通りに分類してみてはどうだろう? まず1つ目は、物理的におかしいもの。タイムスリップはこちらに当たる。一方、80年前の飛行機を300機生産し、東京を空襲するというのは……恐らく物理的には可能だ」
「……ですね」
「それで2つ目は、人・組織の行動としておかしいものだ。例えば高速道路上の何千という自動車が一斉に急ハンドルを切り、重大事故を起こす。これは物理的にはあり得るかもしれないが、そんな集団発狂が起こると思えない。当然、NEXCOや国土交通省もそんな想定はしていない。金持ちや博物館がB-29を300機レストアして自殺的な空襲をさせるのは、こちらに該当すると思う」
「なるほど……タイムスリップの場合は、例えば300機のB-29が作戦中に揃ってタイムスリップしたのであれば、事前の命令がそのまま生き、作戦が遂行させる……こちらの点での不自然さはないということですね。つまりこの2つを同時に解消させられなければ、解にはなり得ないと」
「ああ。逆に言えばその解が見つかるまでは、おかしさが片方だけのものは可能性として残す必要がある。それに空襲の前から起きている大規模通信障害も、タイムスリップとすると何らかの関連を見出せるかもしれない……例えば極端な例だが、かなり広域にわたってタイムスリップのような現象が発生したら……豊田有恒にそんな作品があったな」
「ええと、『タイムスリップ大戦争』でしたっけ、日本列島だけどんどん過去に漂流していくっていう……」
飯田は笑ってそう答えていたが、次第に顔が青くなっていく。
もし日本列島だけ突然現代と切り離され、例えば昭和20年3月9日の夜に放り込まれてしまったら……当然この昭和20年にはインターネット回線も通信衛星もありはしないから、通信なんて繋がるはずもないのだ。物理的にはやはりおかしいが、それ以外の辻褄は寒気がするほど合ってしまう。
「まさか、そんな……」
あり得ない。飯田はそう断じようとしたが、声はまるで出なかった。
とりあえず小康状態の第6話でした。明日も更新です。「タイムスリップ大戦争」いいですよね。
捕虜の扱い、この場合どうなるんだろう? というのは結構疑問でした。実際昔の軍隊の格好した連中が超大規模犯罪を起こした、とも考えられそうで。この辺詳しい方、おられましたら是非、知見等いただければ。
土建のおじさんが昔見ていたドラマは、世にも奇妙な物語(2001)の「太平洋は燃えているか」です。