59. サイエンス・フィクション
東京都千代田区:内閣府庁舎別館
「飯田君、貴方は確か、SFを好んでいましたね?」
首相官邸の対策本部から戻るなり、国家安全保障局長の大橋が尋ねてきた。
唐突なそれに、飯田経済班長は一瞬首を傾げる。上司である大橋は、真面目さと可笑しさを顔の左右に塗り分けたような顔をして、手にしたレポートを眺めている。
「まあ多少読みますが……どうかなされましたか?」
「これを見てみてください」
手渡されたレポートは、一瞥しただけで吹き出しそうな内容だった。
米国首脳部の動向に関するものなのだが、地球外生命体とのコンタクトを目的とした多国間プロジェクトへの参加を、英国やソ連に対して呼び掛けているというのだ。
「ええと……何の冗談でしょうか?」
「我が国が異星人との接触に成功し、技術供与を受けたと、米国首脳部は本気で考えているようです」
「あれまあ」
呆れと驚嘆とを混ぜたような声を漏らしつつ、飯田はレポートを読み進める。
人工衛星を打ち上げた辺りから、米国ではこの説が有力視されるようになり、遂には大統領の肝入りプロジェクトとなったとのこと。しかも米本土空襲を受け、予算が一気に拡大したらしい。
「とはいえ……特異的時空間災害など、あまりにも想像の埒外ですか」
「ええ。異星人という発想に行き着くのはそれほど不自然でもありません」
大橋は少しばかり嗜虐的な笑みを浮かべ、
「ですので、この勘違いを助長させてみてはどうかと考えました」
「なるほど、頭脳の無駄遣いを強いるという訳ですね。その上で短波放送を用いて我が国が宇宙人との接触に成功した旨を放送するとか、あるいは小磯元総理と異星人使節団とが会談している捏造写真をCGで作り、空中から散布するとかすると」
「理解が早くて助かります。どんな内容がいいでしょうかね?」
「そうですね……」
飯田は数秒ほど頭を捻り、すぐに結論を出した。
ほぼ勝利が確定したと思われたところで、日本の古称を冠した宇宙戦艦1隻に戦局を覆され、遂には亡国に至った架空の帝国を思い出したのだ。
「我が国は惑星アレクサンドロスとの国交を樹立、相互援助協定を締結した……とかでいかがでしょうか?」
ダラット:南方軍司令部
「ううん……さっぱり解せぬ」
作戦会議のため南方軍司令部までやってきた第33軍高級参謀の辻大佐は、ここ数か月かの戦況に改めて首を傾げていた。
サイパン島奪還やソ連極東軍撃滅など、異常な勝ち戦が続いていた。しかも昨日付けの隊内新聞には、何と炎上するワシントンD.C.の空撮写真が掲載されてすらいた。それがインチキでないことは、敵国のBBCラジオを傍受してみれば明白。米本土空襲さるも損害軽微、そんな具合の報道がなされているのだ。
無敵皇軍とは言ったものだが、本当に無敵になってしまったらしい。全く訳が分からない。
「それに……どうにも腹立たしい」
辻は歯を軋ませた。自分の与り知らぬところで戦局回天の策がなされている、それが何より腹立たしかったのだ。
例の新型輸送機を用いた空挺斬り込みで捕縛するはずだった蒋介石にしても、既に南京政府に使者を送り、恭順の姿勢を見せているという。レド公路が吹き飛ばされ、スティルウェル将軍の後任も爆死ともなればそれも当然かもしれないが、ともかくも自分も一連の超作戦に参画し、戦果を挙げたいところだ。
そのためには一刻も早く大本営へと戻らねばならない。その上で誰とどう談判すべきか――辻は全力で思案する。
「おう、辻参謀」
唐突に声がかかった。南方軍総司令官の寺内寿一元帥だった。
「さては焦っておるか、焦っておるな?」
「閣下、皇軍大勝の秘訣を探っております」
「そうかそうか、結構結構」
寺内は妙に好々爺然とし、また見たことのない煙草をプカプカ吹かしていて、辻は大いに訝しむ。
内地に戻った際、変な病気をもらってきたのではないか。そんな噂すら司令部内に流れているほどで、なお悪いことに参謀の何名かにもアーパー病は伝染しているようだ。全く、軍規の紊乱も著しい。
「それと辻参謀、一旦内地に戻れとのことだ」
「ほお……!」
渡りに船とはこのことかと辻の表情に光明が差す。
「確かに、ビルマ戦の報告がしないといけませんな」
「うん。それともう1つ、重要な話があるとのことだよ」
「何でしょうな?」
「まあ、戻れば分かるんだろうね。それと……」
寺内は鞄の中を漁り、妙な文庫を取り出す。「時空大戦争」とか題されていた。
「餞別代わりにこれをやろう。最近内地で流行ってる小説だ。軍艦『足柄』が横須賀に戻ったら、何とそこは30年後の世界だった、なんていう内容だ。面白いぞ」
「は、はぁ……空想科学小説にうつつを抜かしている場合とも思えませんが?」
「まあいいから機内で読みたまえ。頭をうんと柔らかくしてな」
何とも暢気な調子で寺内は強引に文庫を押し付けてくる。
ただ辻はその瞬間、手触りに違和感を覚えた。紙の質が違っていて、パラパラと捲ってみるとその差が歴然。この危急存亡の時で何たる贅沢かとの憤りも湧いたが、同時に妙な胸騒ぎがし始める。
(まさか30年後の未来人が、この戦争に加担し始めたとでも……?)
荒唐無稽な思考が脳裏を過ぎり、そんな狂人の戯言みたいな話があってたまるかと、辻はすぐに切り捨てた。
とはいえ、事実は小説よりも奇怪だった。
書簡:宛先、差出人不明
親愛なるE.Sへ
やあ、調子はどうだい?
こちらは何とかやれている。ラジオで報じられている通り、ベル研究所は瓦礫になってしまったが――分散疎開が始まったお陰で人的被害だけは局限できた。日本軍機が、それも凄まじく巨大で高速な奴が爆弾を落としてきたこと自体、正直未だに信じられない。とはいえその正体を含め、何が起こったのかを調べるのが僕等の仕事だから、泣き言を並べている場合ではないだろうな。
それで本題だが、日本が宇宙文明――惑星アレクサンドロスだっけ――と接触したという発表、ちょっと信じ難いところがある。
というのも宇宙文明との接触があった割には、宇宙空間の利用状況が低調ではないかと考えられるのだ。惑星アレクサンドロスというのが火星あるいは金星だったとしても、地球との往来には莫大なエネルギーが必要なことは言うまでもないだろう。
そこで僕はあちこちの天文台に問い合わせてみたのだけど、宇宙空間で大量の熱や光が突然放出された痕跡は、新たには見つからなかった。今のところ捕捉できているのは、静止軌道に乗ってしまっている例の人工衛星と、低軌道を飛び回る小型衛星くらいで――といってもこいつらも何をしでかすか分からない、ろくでもない脅威には違いないのだが――宇宙人あるいは日本人が第二宇宙速度を超えてどこかへ飛んで行ったという例はないんだ。無論、全ての人工衛星も、有人であるとするには小型過ぎるとのこと。
とりあえずこれが、僕があの発表を懐疑的に見ている理由の1つ目だ。
2つ目については、日本が現在用いている兵器からの分析だ。
宇宙文明との国交が開かれたとしても、その高度な技術水準に一朝一夕にキャッチアップできるとは思えない。特に日本なんて工業力という意味では列強の端くれってくらいだから、より苦労するのではないだろうか?
とすると連中が最近投入してきた新兵器は、ほぼ宇宙文明から供与されたものと考えられるはずだ。だがその割には――あの超大型爆撃機なんて本当に恐怖でしかないとはいえ――大気圏内での使用を前提とした兵器ばかりであるのが気にかかる。こんなのキリスト相手に聖書を説くようなものだろうけど、第一宇宙速度は秒速7.9キロで、ちょっと減速させれば地表に落下する。つまり軌道上にあるものならば、耐熱材か何かに包んだ石ころであっても、戦艦の主砲弾の10倍っていうとてつもない速度で飛来するウルトラ高速爆弾になるはずだ。このあからさまに対処不能な兵器もまた、幸か不幸か未だに確認されていない。
それから惑星の名前についても、正直言って冗談としか思えない。
何でまた、アレクサンドロスなんて古代ギリシャ人みたいな名前をしているのだろうか? かつてのマケドニア帝国は、実は宇宙文明の傀儡国家だった。そんな馬鹿みたいな説も僕の周りで出てきてはいるけど、そうだったら何故マケドニアやギリシャではなく、真っ先に日本と国交を開き、軍事支援まで始めてしまっているのかが分からなくなる。
以上が、僕が日本の発表を懐疑的に見ている理由だ。
だが厄介なのは、宇宙文明でなかったら何かという問いに、今のところ明確な根拠をもって解答できないという点だ。これに無理に答えようとすると、日本が伝説のムー大陸の遺産を偶然発見し、そこに転がっていた兵器を投入してきたとかそんな馬鹿げたものになってしまう。あるいは一部で言われているような、未来人がタイムスリップしてきているという説の方がまだ妥当かもしれないが、いずれにしても決定打となり得るものはまるでない。
ともかくこの奇妙奇天烈な現状を、貴殿はどう解釈しているだろうか? 状況を科学的、体系的に説明し得るアイデアがあったら、是非知恵を拝借したい。恐らくそれが、大勢の合衆国市民を日本の暴威から守ることに繋がるはずだから。
何卒、よろしくお願いしたい。
貴殿の親友たるE.Hより
東京都千代田区:首相官邸
対策本部副本部長室にて、武藤は独り作戦計画書に目を通していた。
アラスカの要衝アンカレッジを奇襲的に占領し、北米大陸における策源地とするという内容だ。既に護衛艦『かが』、『いずも』以下10隻に護衛された揚陸艦隊が北太平洋を驀進しており、明後日にはカムチャッカ半島はエリゾヴォ基地を拠点とする航空隊の援護の下、水陸機動団が一気呵成に着上陸を行う手筈となっている。
まあ、全て上手くいくだろう。武藤はそう確信して計画書を置き、私用端末を手に取った。
「拓、待たせたな」
ビデオ通話を起動させ、武藤は満面の笑みを浮かべた。
相手は長男の拓也だった。小学3年生の腕白な顔が画面上で綻び、歓声が届いてくる。特異的時空間災害が始まって以来、全く家に戻れていないことを詫び、それからVRゴーグルを取り出す。一緒に映画を見る約束なのだ。
「さて、どれ見るんだ?」
「パパ、これがいい!」
「よーし、オーケー」
長男が指差したコンテンツを選択し、電子決済を済ませる。
もはや完全に物理経済と分離された、いや自ら率先して分離させた日本円が電子ネットワーク上を移動すると、長編アニメ映画が始まった。世界一有名な猫型ロボットが活躍する、最近リメイクされた作品らしい。
「ありゃ、声変わってたのか」
「ん、前からこうだよ?」
「パパが小さい時に見たのだと、もっと渋い声だったな」
「へえ、昔からやってたんだ」
長男はそんな風にはしゃぎながら、どんどん見入っていく。
武藤もまた、この時ばかりは仕事を忘れ、映画に集中せんとした。子供達が小遣いを出し合って未来の道具を購入し、株式王国なんてものを雲の上に作り出す辺りは、何ともワクワクする感じだ。そうして遊んでいるうちに、超技術で隠された天上世界文明を見つけてしまうという展開にも心が躍る。
だが――映画だから当然の成り行きではあるのだが、次第に雲行きが怪しくなっていく。
(な、何だこの連中は……?)
天上世界の住人であるらしい、一昔前に欧州で妙に持ち上げられた癇癪系環境少女みたいなゲストキャラクターが、地上文明を大洪水で全滅させるなどと、あまりにも残虐かつ支離滅裂なことを言い出したのだ。
怯えた表情の長男と顔を合わせつつ、武藤も正直面食らっていた。しかもゲストキャラクターの母国には更に無茶苦茶な連中ばかりが住んでいて、一方的絶滅戦争の必要性をしたり顔で説いたり拉致した子供相手に人民裁判もどきをやったりと、あまりにも理不尽なのでたまげてしまう。
(だが……待てよ!?)
武藤は直観を得た。驚くほど巧妙な何かがそこには仕組まれているのだ。
視聴覚情報を受け止めながら、その正体を突き止めるべく、思考をフル回転させる。当初は靄がかかり、姿形が判然としなかったそれは、映画がクライマックスを迎える辺りでようやく言語化可能となった。
そして武藤はそのあまりの自然的明快さに戦慄し、かつその可用性に身震いした。
「パパ、どうかしたの?」
「ああ、凄い映画だなって思っただけだよ」
サイエンス・フィクションが鍵となる第59話でした。本作の源流たる「タイムスリップ大戦争」でも、異常事態に対して最も的確な回答をしたのがSF作家だったという描写があったりします。そして皆大好きなあの人が遂に現代へ。
第60話は4月22日(日)更新予定の予定です。読者の皆様、いつも感想やブックマーク、評価等、ありがとうございます。
宇宙戦艦ヤマト、大好きなのですが、やはり250年以上前の船に超エンジンを載せて戦局回天の兵器としてしまう辺りがぶっ飛んでいるなと思ってしまいます。今の感覚ですと、核融合炉搭載の、X線レーザー砲を主武装とし、更には弾道飛行or軌道に乗ったりするような安宅船、千石船のイメージになるのではないでしょうか?
なお、何らかの超技術を得た帝国海軍が戦艦大和を宇宙戦艦に改装しようとしたところ、手違いで初代大和(なお当時は刑務所として利用されていました)の方を改装してしまった……という馬鹿ネタを考えたことがあります。初代の方はスループ艦ですので、宇宙戦艦大和ではなく宇宙スループ艦大和。こんな気の抜ける話もそのうち書きたいと思っています。




