41. さまよえる人々
群馬県太田市:工場寮
ブラジルはサンパウロからやってきたミゲルは、寮の自室でポーッとしていた。
曽祖父が日本出身だったため日本語が多少話すことができ、案外と要領もよかったことから、地球の裏側で自動車組立工としての職を得ることができた。故国の家族にも結構な額の仕送りができているのが自慢だった。
だが自動車工場は操業を停止して仕事にならない。家族とも連絡がつかない。全ては特異的時空間災害のせいだ。
(皆、どうしてるだろうか……)
ミゲルは大きく溜息をつく。家族や友人が心配だった。
とはいえ、どうすることもできない。今、故国に戻ったとしても、大昔の故国があるだけで家族は見つけられない。しかも一応日本とは交戦状態にあるらしいから、渡航がそもそも不可能だという。
(ううむ……)
ミゲルは数分ほど首を傾げ、それからマンガ単行本を手に取った。
最近人気のサッカーもので、言語の勉強がてら楽しんでいる。漢字と同音異義語が異常なほど多く、その習得が非常に難しい。それでもこの状況では、もっと言葉を覚えておいた方がいいだろう。
(ん……ああ、なるほど)
分からない表現があったら、スマートフォンのOCRアプリを起動する。分からない漢字表現を読み取らせると、すぐ辞書を引いてくれるからありがたい。読みからして分からない場合が結構あるのだ。
それにしても――ミゲルはちょっと微笑んだ。ことサッカーに関しては、ブラジルは超大国扱いだ。
「ん……」
マンガを読みながら、ミゲルは外の物々しい雰囲気に感づいた。
何かよからぬことでも起きたのではと不安になる。21世紀の世界に日本列島が戻ったといったニュースであれば嬉しいが、とてもそんな気配はしてこない。
「おいミゲル、いるか!?」
扉がドンドンと叩かれ、大声が響いた。隣のベルナルドだった。
「大変だ、俺等の配給が減らされるかもしれんらしいぞ!」
「どういうことだよ!?」
「分からん! だがそんな噂なんだ、お前もちょっと来いって!」
血の気が引いた。考えてみれば自分達には、後ろ盾になってくれる国がないのだ。
事実、ブラジルでも第二次大戦中は、アメリカの圧力もあって日系人は強制収容された。それと同じ運命が、今まさに降りかかろうとしているのではとミゲルは恐れた。
北海道ニセコ町:市街地
スキー場は全面閉鎖された。だがオーストラリア人のグリーンが経営するリゾートマンションは、今のところ稼働していた。
行き場を失った同胞、それから英連邦王国からの旅行客を、当面保護するよう町から要請されたためだ。彼等の不安を少しでも和らげ、また食わせていかねばならない。そのための食糧・物資の割当に関する折衝は、妻の千佳が頑張ってくれた。
だが今後どうなるか、どうするべきかは分からない。お先は真っ暗どころか異次元だ。
「とにかく、今は大人しくしている他ないだろう……」
リゾートマンションの応接室で、ジェームズ・ブランドンなる男が言った。
ブランドンはこの辺りのオーストラリア人社会の長老格で、グリーンよりも先輩だ。地元や近隣自治体にも利くその顔が、電力節減命令のため薄暗い室内であっても、相当に憔悴しているのがはっきりと見て取れる。
「大使館の様子はいかがでしたか?」
グリーンが尋ねる。ブランドンは先程まで、東京の大使館からかかってきた電話に対応していた。
「何か新しい情報は……」
「英連邦王国の各大使館は、共同して事に当たるそうだ」
ブランドンは力なく言い、
「収穫はそれだけ。相変わらず八方塞がりだよ」
「そうですか……」
グリーンもがっかりと項垂れる。とはいえ、予想されていた話ではあった。
誰もが祖国に帰りたいと願っていた。だが日本列島以外は大昔のままで、祖国に家族や友人の姿はない。更に言うならば戸籍もないので、帰り着くことができたとしても身元不明者という扱いになってしまう。
加えてこの1945年の世界では、オーストラリアもカナダも英国も、揃って日本と交戦状態にあった。
リスク覚悟の者を中立国の交換船で帰国させるという案も一度は俎上に上ったが、結局日本政府から否定されたらしい。交換船手配の困難さもさることながら、21世紀の日本を対外的に示すメリットより、技術や各種情報の漏洩といったデメリットを問題視するようになったのだろう。
そしてじっとしていることの対価か、日本政府は外国人に対しても公平な食糧・電力等の配分を公約した。
ただし法令に反するような行いをしたら、それも容易く吹っ飛んでしまうだろう。先日、群馬県で外国人労働者が食への不安から暴動を起こしかけたのだが、その際に「口減らし」「永久に心配をなくしてやれ」といった物騒な意見がネット上で頻出した。胃袋に不安を抱えた人間ほど恐ろしいものはない、それは人権なんかよりもずっと普遍的な世の理だ。
「まあ、あれだ。配給のクジラ肉に文句を言ったら、翌日から一粒のコメも出なくなるだろう」
「パンが懐かしいですね」
「全くだ。ああそれとなエド、今度うちでTRPG大会をやろうと思う。D&Dとかな。宿泊客に奮って参加するよう伝えてくれ」
「こんな状況でですか?」
「こんな状況だからだ、エド。辛い時ほど皆でワイワイやるのが重要だ。それに昔英国で配られた核戦争時の行動マニュアルには、核シェルターには何かかしらボードゲームを持ち込めと書いてあった。それと同じだよ」
ブランドンは皮肉な表情で笑った。実際、日本列島そのものが巨大な核シェルターも同然なのかもしれなかった。
とすれば日本がイカレたコンピュータの統治する国にならなきゃいいが。グリーンはそんなことを思った。
東京都大田区:羽田空港ターミナル隣接ホテル
陸海軍の将官や外地の高級官僚をやっていた人間達が、ホテルの大会議室に缶詰のスシ詰めにされていた。
内地との縁が突然一刀両断されてしまった彼等は当初、呆然自失の半狂乱といったありさまだった。あちらで朝鮮総督府の局長が真っ青になり、こちらで満洲国の参議がムンクの絵みたいに叫ぶ。鼻息の荒い関東軍のジャジャ馬参謀がワーワー喚いた末に切腹を目論み、叩き割ったプラスチック食器で腹を切ろうとしたため事なきを得た――などという騒動まであった。
そうしたハチャメチャな混乱は、3月も下旬半ばとなった今、多少は終息しつつあった。
現に朝鮮や台湾、満洲国などは存在していて、行政を回さねばならなかった。フィリピンやビルマでは連合国軍との死闘が続いてもいた。何でこんな異常な現象が発生したのか、家族や親戚はどうなったのか。そんな懐疑や不安を無理矢理に抑制し、特異的時空間災害という狂気的現実から逃避するかのように、プロフェッショナル達は仕事に打ち込んでいる。
「南方航路啓開作戦か、大変結構。しかし米軍は依然、比島沖に戦艦6隻及び特設空母20隻を中核とする艦隊を……」
「1隻残らず撃破いたします。提督、ご安心ください」
「な、何だって……」
海上自衛隊の一佐に自信満々に回答され、第十方面艦隊司令官の福留繁海軍中将が顔色を失う。
「そんなことが……いや、あの飛行爆弾があれば可能か。しかし潜水艦も遊弋しているのではないか?」
「同様に1隻残らず沈めます。脅威となる航空基地も全て破壊します」
「ううん……」
「なお比島への救援についても……」
そんな調子であれやこれやが、トントン拍子に決められていく。
南方航路啓開作戦は、日本国民のささやかな希望となりそうだった。東南アジアとの連絡は重要であったし、まだ現地に残留しているタンカーが原油を運んでくるとなれば、数十万キロリットルやそこらでも大変にありがたい。既知の海底油田に採掘リグを投入すれば、再来年くらいには本格稼働する可能性も出てきた。
他にも大連の周水子飛行場を自衛隊専用基地として増強する案や現地陸海軍への補給物資の供給計画、穀物や大豆、石炭の日本本土への輸送など、大会議室のパーティションで区切られたあちこちで、時空を超えた協議が進んでいく。
「全く、想像を絶するよなァ……」
支那派遣軍総司令官の岡村陸軍大将は喧噪の中、会議室の隅で一服ながら呟いた。
頭上には「禁煙」と書かれたプレートがあって、粘着テープで斜線が引かれている。陸海軍、それから文官達が合力して一大作戦を実施した成果だった。令和の時代にも幾分慣れてはきたが、喫煙に関する風潮だけはいただけない。
「まさか陸軍大将相手に、喫煙はあちらで、などと抜かしおるとは」
「ほんと、何とかしたいね」
関東軍司令官の山田乙三陸軍大将も、恩賜の煙草を吸いながらしみじみと言う。
なお恩賜の煙草は20年近く前に製造が止まり、代わりに恩賜の金平糖だというから驚きだ。
「閑話休題。岡村大将は見たかね、供与予定の決戦戦車を」
煙草を楽しみ終えた山田は、ちょっと気を取り戻し、
「皇紀2674年制式化の新型だ。主砲は105mmとスターリン重戦車の122mm砲より口径こそ小さいが、装甲を400mmも貫通するそうだ。とんでもない化け物だぞ」
「74式という型番、あれ恐らく皇紀2674年でなくて西暦1974年の意味ですよ」
「ええ……」
「こっそり聞き耳立てたらね、最新装備が16式だとか、23式だとかいうんだもの。あれも令和の人間にとってはオンボロ戦車。だから気前よく寄越したんでしょう」
「はぁ、なんともはや」
山田がアングリと口を開けて唖然とし、つい最近まで自分もそうだったと岡村も思い出す。
機械化国防協会なんてものを主催している吉田豊彦退役陸軍大将ならあるいは、超兵器を見て狂喜乱舞したかもしれない。だがどれほどの科学的頭脳を結集したら、令和時代の科学体系に到達できるのかまるで分からなかった。
「釈迦の掌で雀躍としておった孫悟空の気分だよ。米英軍こそ如意棒で一撃なのかもしれんがね」
「ならば如意棒や金斗雲に驕るべからず」
岡村は少しばかり厳かな口調で言い、
「そのうち日本も昭和に戻るから、それまでに科学技術を吸収し、知見を蓄えないと」
「だよね。でもいつ戻るんだろうかな」
「皆目見当がつかないなァ。だけどそこは、令和の人の言うことを信じる他ないよ」
「ただまあ戦争が片付いて兵を復員させる頃には、どうにかなってもらいたいものだ」
2人の陸軍大将は乾いた笑顔で肯き合うと、再び煙草を嗜み始めた。
当然、特異的時空間災害終息の目途など立っていなかった。その事実に岡村も山田も薄々勘付いてもいた。だがそれでも、いつかは元通りになると信じる他なかったのだ。
東京都福生市:横田基地
「レイの奴、このまま目を覚まさない方が幸せかもな」
第七艦隊司令のトロスト海軍中将が、画面の向こうで無気力なぼやきを漏らした。
第3遠征軍の将兵を率いてサイパンに降り立ち、銃撃を受けたノックス海兵隊中将は、今も沖縄はキャンプ・フォスターにある米軍病院の集中治療室で、ただただ眠り続けている。昏睡状態から回復しないままなのだ。
そしてノックスのような生粋のアメリカ人にとって、状況は残酷に過ぎた。誰もが口ごもってしまったのはそのためだ。
「我々は上手くやれなかった。その事実は変えようがない」
在日米軍司令官のファーゴ空軍中将は実に苦しげに言った。実際、胃の激痛が止まらない。
「だがレイが目を醒ました時、最悪を見ないで済むようにすることはできるはずだ」
「具体的にどうするんです?」
第1軍団のハディントン陸軍中将もまたすっかり消沈していて、
「率直に言って、何もいい案が思いつきません……サイパンにおいてすら、未だに交渉になってないというのに」
「どんな手も考えるんだ……例えば、我々がホワイトハウスを占領しに行くような案であってもだ」
「それが……最悪ではないのですか?」
ハディントンが目を剥き、トロストもまた頭を抱える。
「チャーリー、前に君が言っていただろう、日本はステイツの都市という都市を焼き払うまで止まらないかもしれんと。実際、日本政府は既に核武装の検討に入っている。世論もそれを落とせと言い出した。本当にどうしようもなくなりつつあるんだ」
「サイパンの次は本土……畜生、どうかしてる」
トロストが吐き捨てる。自暴自棄になりかけていた。
「目と耳を閉じ、口を噤んだ人間になった方がマシかもしれん」
「実際、それも選択肢の1つなんだろう……どれほど祖国の過去の姿に酷似していようと、我々とは無関係の国家であり、その命運がどうなろうと知ったことではないと。我々だけがアメリカ合衆国なのだと」
「残念ですが、そう考え始めた将兵も少なくありません」
「チャーリー、私にはそれを責める資格がない。ただそれでも……我等の先祖を1人でも多く救いたい。その一心なのだ」
ファーゴはまるで懺悔か何かをするような口調で、光を失った眼で言った。
その直後、彼はスマートフォンに重要連絡が入ったことに気付く。その内容を一瞥するや、より暗澹たる気分に襲われた。
「中国大使館の何名かがペルソナ・ノン・グラータを発動されたよ。満洲国や台湾の扱いに関して、何かやらかした連中だそうだ」
「帰る国もないのに、馬鹿な奴等だ。映画みたいに空港で暮らす気か」
トロストがまたも捨て鉢に毒を吐く。いつ自分達に降りかかるか分からない、危なげな悪態だった。
そしてファーゴもまた、改めて思い知った。自分達には選択肢も、時間も、まともに残されていないということを。
第41話には、故郷や親族と無理矢理に切り離されてしまった人々の視点を盛り込んでみました。もし海外旅行中、旅行先の国ごと異世界に飛んでしまったら……? そんな想像もしていただければ幸いです。
第42話は2月28日(金)更新予定の予定です。
読者の皆様、いつも感想やブックマーク、評価等、ありがとうございます。ブックマーク数が1000を超えました。大変うれしく思っております。
なお核シェルターに非電源系ゲームを持ち込めという話は、ゲーム「DEFCON」同封のマニュアルにも書いてあったりしますが、精神の安定のためには結構重要なのかもしれません。どんな苛酷な状況であっても、何らかの楽しみを見つけることは、サバイバルの秘訣です。




