40. 戦時体制
東京都千代田区:首相官邸
「このように運用中の国内36原子力発電所につきましては、目標稼働率を8割として運転していく見込みで……」
経済産業省から出向してきた蔭山なる男が、対策本部の面々が集う会議室で、滑らかな口調で説明していく。
中長期的には何らかの方法でウランを確保する必要があるが、少なくとも短期的には燃料枯渇の心配のない原子力発電所は、最低限の経済活動や国民生活を維持する上で不可欠だった。そのため検査を大幅に簡略化し、準備が整い次第臨界させる予定だ。
「各発電所につきましては、負荷追従運転の実施等を含めて運転の効率化を図ります。また女川、福島第二など現在廃止中のものにつきましても、順次再稼働に向けた工事を実施する方針であり、最終的に原子力、水力、再生可能エネルギーといった非化石燃料電力のミックスにより従来の47-51%程度の電力を確保可能と試算されております」
「福島県知事が首を縦に振ったのか」
「ええ、どうにか同意の内諾を得られました」
蔭山はちょっと安堵した素振りを見せる。
「言ってみれば、道端に落ちている未開封のコンビニおにぎりみたいなものですね」
蔭山が所属するタスクフォースの長、要は飯田経済班長がそんな喩えを持ち出す。
「普段はそんなもの誰も拾いませんが、本当に食べ物がない状況なら奪い合いになります」
「なるほど、確かにな」
会議の座長を務める対策本部副部長の武藤は、説明を聞きながら軽く鼻を鳴らす。
東日本大震災の後は、代替となる天然ガスをあちこちから購入できたから――毎年数兆円もの追加燃料費を考えれば正直馬鹿らしくもなるが――脱原発なんて言っていられたのだ。その前提が根底から覆ってしまった以上、こうなるのも当然だろう。
更に言うなら、福島第一原子力発電所周辺の帰宅困難地域においても、今後はサツマイモか何かを栽培する予定だった。
数十年後に1万人に1人ガンに罹るリスクなど、1年先の飢餓に比べたら何ともないという訳だ。だいたいが1日に数本の喫煙や月60時間の残業ができるのに、帰宅困難地域の放射線が怖くて仕方ないというのは、それこそ非科学的態度以外の何物でもないのだ。
その部分がもう少し何とかなっていれば……いや、今そんな反実仮想をしても仕方がない。
「ともかくもこれにより、各種電力需要低減策と併せまして、発電用化石燃料の枯渇は1年半から2年後まで先延ばしが可能です。その間に夕張など国内炭鉱を再稼働させ、また満洲国や朝鮮、旧日本軍占領地域からの石炭、原油の輸入・移入が可能となれば、更に状況は改善します。その場合のシミュレーションといたしましては、図表25の通りで……」
蔭山が尚も説明を続けていく。
「特に満洲は撫順の露天掘り炭鉱などは、現代の機材を投じれば相当な増産が可能と推定されます。また図表26の通り、撫順では石炭と合わせてシェールオイルも産出し、既に製油も行われています。無論、こちらも我々の支援によって増産が可能でしょう。ただシェールオイルにつきましては、現在の必要量からするとないよりはマシといった程度でしかありません」
「ふむ。国外の生産については正直不確定要素が大きそうだが……少なくとも電力に関しては、辛うじて踏み止まれそうか」
「副本部長、これが原子力発電所に巨大な負担をかける内容であることに、是非ご留意いただきたく」
原子力規制庁出身の宮田が口を挟み、
「本当の緊急措置です。炉心の安全性を鑑みますと、可能な限り早急に発電用化石燃料を確保し、運転・点検整備のシフトに余裕を持たせることが望ましいと言わざるを得ません」
「ああ、重々承知している。早いところ火力を動かせるようにしないとな」
武藤はそう応じてから、前回宮田が出したリスク評価を思い出す。
事故があった場合の被害の出し方が、"道端に落ちたコンビニおにぎり"を誰も拾わない環境を基準にしていないだろうか? 無論事故など起こす訳にはいかないが、議論の前提とする評価は現状に即しているべきだ。
とはいえ、それはまだ本題ではない。後で修正を指示すればいいだろう。
「ところで副本部長」
飯田が挙手し、呼び掛けてくる。
「そろそろ"NEET"についての報告を始めさせていただければ」
「そうだな……だがなあ飯田さん、その略称何とかならないか?」
「現状にぴったりではないでしょうか?」
「正直、皮肉が効き過ぎてると思うよ」
武藤はちょっと苦笑いし、会議の参加者達もクスリとする。
国家緊急経済移行、National Emergency Economic Transitionを略して"NEET"。化石燃料供給源がなくなった状況では、如何に上手に資源を節約していくかに未来がかかっているから、国を挙げて省エネモードに移行するという一応真面目な内容だ。
発端は災害対策本部での議論の結果、人手が圧倒的に余ると判明したことだった。
輸出産業は販売先が消失してしまったし、小売業も物資の流通規制のため売り物がない。不要不急の事業も中断されるため建設業すら停滞。概ね予想されていたことだが、そうした状況では雇用の半分が実質的に消失すると見積もられていた。
一番の問題は、そうした構造的失業が永続化しそうな点にあった。
例えば新規の農林水産業従事者や炭鉱労働者などは、新たに募集が始められている。だが現代日本では1.6%の第一次産業人口が総カロリーの4割を供給していることからも分かる通り、農民や漁師、炭鉱夫を最大まで増やすとしても、精々が500万程度の雇用にしかならない。必要以上の動員は、単純に無駄なエネルギーを食うだけになる。
そうした事情は、自衛隊や警察消防などでも変わらない。サプライチェーンの再編で発生する分もたかが知れている。どう足掻いても、2000万以上の実質的失業が不可避だったのだ。
「であればいっそ家でぐうたらと寝て、ソシャゲをやったり電子書籍を読んだりして過ごしてもらえばいいのではありませんか? 一昔前に言われた……ええと、ニートみたいに。仕事もないのに交通機関を使って出勤し、オフィスの照明を点けていては、それこそエネルギーの無駄遣いに他なりませんよ」
以前の会議では、出席者からそんな無茶苦茶な爆弾発言が飛び出したほどだった。
だが家でじっとしている方が圧倒的に省エネなのは紛れもない事実だったから、根本的なところは誰にも否定できなかった。精々ソーシャルゲームが学習教材、電子書籍が参考書に変わる程度でしかない。
そして慎重な検討を重ねた結果、誰もが自棄っぱちに"NEET"と略すようになった計画は、国の方針にまでなってしまった。
「働いたら負けなんて酷い言葉が昔あったけど……」
武藤は嘆息するようにつぶやき、
「本当に働いたら国が負けかねないとはね」
「副本部長、いつの世も常識とは人が思っているほど強固なものではないものです」
飯田が大真面目な顔をして言い、
「20世紀の2つの世界大戦も、その後の冷戦も、当事者にとっては予想外の出来事でした。まあ特異的時空間災害はそれどころの騒ぎではありませんが、逆に考えればもはや何があっても不思議はないということでしょう」
「全くだな。それで、進捗の方はどんな具合だ?」
「予算については都合がつきましたので」
総務省の巨漢が口を開く。野田という人物だ。
なお予算という概念自体、電子ネットワーク上を行き交う数量という以上の意味を失い始めている。既存の紙幣や硬貨についても、近いうちに流通停止措置が採られ、かなり強引な電子化がなされる予定だ。
「映像コンテンツ、電子書籍などについてはユーザー数、ダウンロード数、閲覧数等に応じた支払いを各事業者に約束いたしました。そのため順次、これらコンテンツにつきましては国民全員に無料開放される予定です。各種オンラインゲームにつきましても基本は同様です。特に店舗型アミューズメント施設の閉鎖に伴い、流動化する遊戯人口の吸収という面もございますので、従来の景品表示法の規制を一部緩和し……」
野田がペラペラと喋っていき、武藤はちょっと頭痛を覚えた。災害対策本部の議題としてはやはり違和感があったのだ。
だが、これも大変に重要なことなのだと思い直す。突然の大規模失業は、社会不安を引き起こす要因としては強烈に過ぎる。国民不満度を画面上の怪物や女の子の絵などで緩和できるのであれば、幾らでも盛り上げてやるべきではないだろうか。
大真面目に働いたら負け(国が)という珍妙な事態になる第40話でした。なお原子炉はフルパワーで運転です。第41話は2月25日(火)更新予定の予定です。
読者の皆様、いつも感想やブックマーク、評価等、ありがとうございます。
ちなみに財務省、シン・ゴジラにも全然出てきませんでしたが、多分本作にもあまり出てこないのではないかと思います。実質失業中であっても給与が振り込まれるなどしてはいますが、それで買える「モノ」がほぼ皆無という、共産主義ジョークみたいなことが起こっています。
事態が何とかなったらそれを実体経済に適合させるという大仕事が待っているのかもしれませんが……。




