34. 連鎖反応
京都府京都市:宇治大学
歴史心理学を国の役に立てる。そんな使命を与えられた橋本准教授は、いきなり超弩級の難題を投げ付けられた。
サイパンに駐留していたこの時代の海兵隊が滅茶苦茶をやり、コミュニケーションの樹立が絶望的になったという。その大まかな経緯を聞くなり、頭を鈍器で殴打されるような衝撃に見舞われた。
見知った祖国の消滅を告げられる運命の将兵や在外邦人の対策を後回しにしてでも、急ぎ第二次大戦中のアメリカについての見解を示してほしいと要請されたのだ。
「結論から申し上げまして、この時代のアメリカ人について、認識が非常に甘かったのかもしれません」
国家安全保障局との臨時ビデオ会議で、橋本はそのように述べた。
「あくまで私見ですが、この時代のアメリカ社会は一種の狂騒状態にあったと言えます。それは現代人にとってあまりにも異質な精神状態であったため、知識としては把握していながら、無視されてしまっていた。それが今回の悲劇につながったと考えられます」
「橋本准教授、ありがとうございます」
ビデオ会議の向こう側、小柄で一見柔和な座長が礼を言う。国家安全保障局長の大橋という男だ。
「ご指摘にあった一種の狂騒状態、これについて詳しく伺いたい。例えばイラク戦争の過程で発生した民間人誤爆に対する世論の反応と、第二次大戦中の戦略爆撃に対するそれとを比較するような形で理解すればよろしいでしょうか?」
「ええ、そちらで問題ございません」
橋本は肯いた。相手は相当に理解の早い男だ。
それからベトナム戦争でナパーム弾攻撃から逃げる少女の写真、ピュリッツァー賞まで獲得したそれを例に、橋本は説明を続けていく。同じ光景は東京や大阪に幾らでもあったはずなのに、誰も見向きもしなかった。
そしてつい1週間とちょっと前、東京にて全く同じ空襲が繰り返されたばかりだった。
「更に申し上げますと、時折元海兵隊員の家族から、日本兵の遺骨が返還されるケースもございます。この遺骨が何故その家にあったのかは、言うまでもないかと思われます」
「ううむ……」
最初に連絡を寄越した山科が唸る。
「つまり忘れてしまいたい過去であったが故、本当にその時代のことを忘れてしまっていたと?」
「いえ、最初からまともに覚えてすらいなかったということでしょうね」
「大橋局長の仰る通りかと」
橋本は首肯し、大橋は微動だにしなかった。1と1を足して2になるのと同じ、常識として認識されているのだ。
もしかするとこの男、全く同じような思考を、どこかのタイミングでしたことがあるのではないだろうか。
「ともかくこの時代のアメリカ人につきましては、通常とは異なる精神状態モデルを確立することが必要です」
「モデルの確立はいいのだが……」
国家安全保障局政策第1班長の寺田という男が尋ねる。
「それほど精神状態が乖離しているとして、どうしろと言うのだね? 話を聞いていると、ニューヨークやワシントンD.C.を空襲しでもしない限り、どうにもならないという気分になってくる」
「ええと、何か問題がございますか?」
橋本はケロリと返した。
「東京がいきなり空襲されたのですもの、別に罰は当たらないと思いますわ」
東京都千代田区:高層ビル
「何、捕虜の殺害だと!?」
秘書官に耳打ちされるなり、加藤総理は思わず声を荒げた。
会議室に集まっていた大企業の重鎮達が目を見張る。特異的時空間災害という前代未聞の国難にあって、経済界の全面的な協力を仰ぐべく、会合に出席した矢先のことだった。
「事態急変につき、総理大臣挨拶は一時中断とさせていただきます」
アナウンスが流れ、経営者達がざわめく中、加藤は舞台裏へと急いだ。
手渡された緊急用のスマートフォン上には、既にテレビ会議がセットされており、日下防衛相と三津谷統幕長という防衛のツートップが、緊迫した面持ちで待機していた。
「いったいどういうことだ?」
「米軍が、ああ当然この時代の米軍がですが、サイパンの捕虜収容所で虐殺を始めました」
日下が焦燥した声で報告する。
「突然の事態にパニックを起こしているものと思われます」
「まさか……」
加藤は一瞬言葉を失った。全身に寒気が走る。
世界の悪意が目の前に具象化し、ケラケラと哄笑する様子が見えるようだった。
「とにかく、何とかしよう。同じ日本人なのだろう」
「現場には既に、捕虜収容所解放作戦を急ぎ立案するよう指示してあります」
三津谷が明快で鋭利な口調で言う。
「先日報告いたしました通り、こちらは既に検討済みです。総理のご指示があれば、すぐにでも始められるかと」
「分かった。どんな手を使っても構わん、急ぎやってくれ」
「了解いたしました」
緊急会議は終了し、画面の向こう側で三津谷が指示を飛ばす。
加藤はそこで猛烈な疲労を覚え、崩れ落ちそうになった。コミュニケーションの確立は大失敗で、更には現地の海兵隊が捕虜の殺害まで始めるなど、想像だにできない現実に違いなかった。
「同じアメリカ人同士じゃなかったのか……」
臨時大統領のパターソン女史の和やかな笑顔が、脳裏で滅茶苦茶にゲシュタルト崩壊した。
サイパン島:ススペ捕虜収容所
収容所はあっという間に阿鼻叫喚の巷へと変わった。
奥へ奥へと逃げる捕虜を追って、目をぎらつかせた海兵隊員が駆け回る。小銃を構えては銃撃し、短機関銃の弾をあちこちにばら撒く。更には粗末な小屋に手榴弾を投げ込み、逃げ遅れた者を誰彼構わず殺傷する。地面に転げて泣き叫ぶ子供を蹴り飛ばし、必死に命乞いをする母親まで撃ち殺す始末だ。
銃を持って戦えそうなのは撃ち殺せという命令だったが、いつの間にか捕虜は皆殺しという内容にすり替わっていた。
「こん畜生!」
UH-60JAの射手が咆哮しながら、ミニミ機関銃の引き金を絞る。
放たれた銃弾は海兵隊員の背を射抜き、パッと赤い鮮血の花が咲いた。少なくとも無力化したと判断した射手は、すぐさま銃口を別の者に向け、再び射撃を実施する。もう1人がもんどりを打って倒れた。
収容所の上空には多くのヘリコプターが集まり、残虐な海兵隊員を撃ちまくっていた。更には増援が入り込まぬよう、鉄条網の向こう側をAH-1Sが20㎜機関砲で掃討し、更に遠くには5インチ砲弾が着弾していた。
だが厄介なのは、捕虜と海兵隊員とが入り乱れてしまった結果、容易には撃てない状況が多発したことだ。
「この卑怯者め……」
回転翼の爆音の中に、苦虫を噛み潰したような呻きが漏れる。
それからカンカンと、何かが機体にぶつかる音が響く。幼子を盾にした人非人が、短機関銃でUH-60JAを撃ってきていた。
ゴクリと唾を飲み、射手はミニミ機関銃を強く握った。
下手をすれば子供を巻き添えにしてしまうかもしれないが、高度が徐々に下がる中、リスクを承知で彼は射撃した。己の技量を信じた。5.56mm弾は上手い具合に飛翔し、見事仇敵の頭だけを撃ち抜く。
「よっしゃ!」
「着陸するぞッ!」
機長の叫び声が届く。UH-60JAは既に地表近かった。
「行け行け行け!」
その叫びとともに、屈強な空挺がダウンウォッシュ吹き荒ぶ地面へと降りていく。
彼等はすぐさま遮蔽物に取り付き、迅速かつ的確に射撃を実施する。ヘリボーンという概念がなかったのか、状況が理解できないといった顔色の海兵隊員は次々と倒れていった。
「このまま収容所の制圧にかかれ」
サイパン島:タッポーチョ山麓
「いったい何なのだ、これは……」
ガラパンの市街があった辺りへと視線をやるや否や、大場栄陸軍大尉は驚愕した。
最後の総攻撃から苦節8か月。遂に連合艦隊がサイパン奪還に現れたのだと彼は喜んでいたのだが、視界に飛び込んできたのはこの世のものとは思えない戦争だった。
「あんなオバケ戦車、見たことがない」
「しかも……滅法強いようですな」
傍らの木谷軍曹もまた、何と形容したらいいのか分からないような顔をしていた。
彼等の視線の先では、巨大な砲塔を備えた超重戦車が、濛々たる砂煙を巻き上げながら米軍陣地を蹂躙していた。速度も時速50キロ以上と見積もられたし、速射砲並の速度で大口径主砲弾を放ちもする。恐ろしいM4中戦車が一瞬で奇妙なガラクタに変わり、対戦車砲が踏み潰され、バズーカを構えたアメリカ人がそのまま生き埋めになった。
超重戦車の数はたった4両。後ろに続いて大口径機関砲をドカドカ撃っている別の戦闘車両を含めても、僅か8両の小部隊でしかない。にもかかわらず、米軍の抵抗線を障子紙でも破るかのように突破し、しかも全く勢いが衰えなかった。
「うちら、夢でも見てるんでしょうかねぇ……」
「分からん……だが連合艦隊が現れ、味方が上陸を始めたことだけは確かだ」
大場は逸る気持ちを抑え、島を改めて俯瞰する。
真上にプロペラを付けた妙な航空機がススペの辺りに着陸し、剽悍な兵を続々と吐き出していた。空の神兵だ。何ともありがたいことに、彼等は収容所の解放に動いているのだろう。
ただ、ここに飛び込むと同士討ちの危険がある。別の戦術を考えるべきだった。
「よし……!」
大場は覚悟を決めた。命を懸けていい時だ。
「敵司令部を奇襲する。木谷、部隊を集めてくれ」
サイパン島:チャランカノア
ブローニングM2重機関銃やイスパノ・スイザ20㎜機関砲が、大急ぎで運搬されていた。
元々は戦闘機や爆撃機の武装だったものだ。滑走路が全部爆破されてしまって飛べもしないので、火器だけでも剥いで役立てるという寸法だ。ともかくもジープに積み込み、あるいは台車などに乗せて運んでいく。
もっとも前線に到着した傍から、あるいは運搬中のどこかで、それらは兵ごとスクラップになっていく。ススペ上空のヘリコプターや沖の巡洋艦が、驚愕の曲芸射撃を惜しげもなく披露してきていた。
「糞ッ……!」
ワトソン少将は周章狼狽していた。こんなのありかと思った。
チェスの対局中に本物の槍兵や騎士に殴り込まれ、盤面を机ごと蹴り倒されたようなものだった。それくらい戦況は滅茶苦茶で、どうしたらいいのか全く分からなかった。
(ジャップども、まさか本当に火星人と手を組んだのか……?)
あまりに空恐ろしい想像に、ワトソンは思わず息を呑む。
火星人がいるとしたら、そいつらは確実に高度な科学文明の持ち主だ。地球と火星を往復するには第二宇宙速度、秒速11.2キロ以上で飛べる宇宙船が必要だからだ。日本が火星のタコと同盟したなら、今の異常な苦戦が説明できる。ノコノコ現れた裏切り者の軍隊も、火星産の脳味噌改造マシンの犠牲者なのかもしれない。
「伝令、伝令!」
三脚戦闘兵器が突っ込んでくるのではと震えていたワトソンの許へ、伝令が駆け寄ってきた。
「ススペが空挺攻撃を受けております!」
「何……ッ!?」
ワトソンは恐怖を押し殺し、その報告を心中で反芻した。
空挺ということは、三脚戦闘兵器ではなく生身の人間が降りてきたのだ。実際、ヘリコプターを使った作戦は本国で研究されている。ジャップどもが何故こうも早く実践してきたのかは分からないが、きっと火星人のせいに違いない。
それはともかく、死中に活路を見出せそうだ。あの曲芸射撃が厄介だが、全力でかかれば白兵戦に持ち込めるだろう。
「全員、傾注!」
ワトソンは戦意に満ちた顔で、凛然たる声色で、仮設司令部の鬱々とした空気を吹き飛ばす。
「これより我が師団の総力をもって、ススペ捕虜収容所に突撃する!」
連鎖的に事態が動き出す第34話でした。サイパン編もいよいよ佳境に突入していきます。混乱の中、指揮官は決断し、ススペ捕虜収容所に焦点が移っていきます。第35話は明後日、2月10日(月)更新予定です。
読者の皆様、いつも感想やブックマーク、評価等、ありがとうございます。
冒頭のアメリカ人の認識については、少々トンデモが入っておりますが、「100年予測」内の記述を参考にさせていただきました。要約すると「アメリカは若い国であるからちょっとしたことで激昂し、とてつもない行動に出て、数年もするときれいさっぱり忘れている」というものです。またそのため、アメリカ人と当該国人の間には埋めようのない認識のギャップが生じるとしています。
この説がどれほど正しいかはわかりません。ただ、少なくとも第二次大戦中の都市爆撃に関する認識については、これが当てはまるのではないかと考えました。アメリカは1945年と現代とが政治的に連綿と続いている国ですが、東京大空襲への全くの無関心と中東での誤爆で大騒ぎする様は、同じ国の反応となかなか思い難い部分があります。
あるいは、80年ほどという時間は、それほどまでに認識を変えてしまうものなのかもしれません。そして現代から見ればあまりにも凄惨な現実に直面した現代人が、どのような方向に思考するかも、想像していただければ幸いです。




