32. 制御不能の事態
東京都千代田区:首相官邸
「ううん、どうしてこうなったのだ?」
配布された資料に目を通すなり、加藤総理が思い切り怪訝な表情を浮かべた。
サイパン島上陸成功について喜んでいた矢先、国家安全保障会議に爆弾が落ちた。海外、特にアメリカの通信社を中心に、「日本軍、硫黄島にて化学兵器を使用」「海兵隊壊滅か!?」などと出鱈目な内容が報じられているのだ。
「日下君……この噂、自然消滅するはずじゃなかったの?」
「米軍の通信を見る限りでは、そうでした」
日下防衛相は苦しげに弁解し、
「ただホワイトハウスが出し抜けに、その可能性を含めて調査中などと言い出しまして」
「馬鹿な……いったい何を考えておるのだ」
「我々をスケープゴートにする気なのかもしれません」
武藤は頭をどうにか冴えさせながら、補佐官として見解を述べる。
「第58任務部隊の敗退については、既にアメリカ本国でも報じられてます。経緯はどうあれ、硫黄島侵攻部隊が行方不明になったことも変わりません。とすると批判がルーズベルト政権に向くのは必至です」
「武藤君、流石にそれくらい分かってるよ……」
加藤が神経質な渋面を浮かべて言う。
「とりあえず、どう対策したらいいかな?」
「その実、証言者が丸ごと消えてしまっていますからね……」
志村外相もまた途方に暮れたような口ぶりだった。
「在日米軍経由の交渉でその部分を重点的に説明する、停戦の呼び掛けに際してこの異常な災害についての説明を約束する、といった対応くらいしか思い浮かびません」
「まあ、そうなるな……全く、例のB-29搭乗員といい、ここに来て全てが狂ってきた」
加藤の大きな溜息が漏れ、全員が暗澹たる面持ちになる。
東京空襲に際して日本に降り立ってしまった陸軍大尉が、アマチュア無線局をジャックし、無茶苦茶な内容の交信を最悪のタイミングで実施してしまった。訂正させようにも、かの者は警官隊と撃ち合いの末意識不明の重体だ。
ある程度楽観視していたアメリカとのコンタクトに、突然暗雲が立ち込めてきていた。
「とりあえず、この件を皆じっくり検討してみてくれ。次の会議までに素案がほしい」
サイパン島:プンタン平原
廃兵院のようなバラックがあった。3月10日の爆撃で生き残ったB-29搭乗員の療養所だった。
地獄を見た彼等の報告を、誰もまともに取り合わなかった。客観的には、オバケや宇宙人を見たというのと同じだったためだ。結果として生き残り達はどんどんおかしくなってしまい、サイパン北端に仮設した療養所に厄介払いされたという訳だ。
そして彼等の狂気はピークに達していた。僚機を皆殺しにした飛行機が頭上に現れたのだ。
「悪魔だ、悪魔がきた!」
「母さん助けて!」
怯え切った搭乗員達が、大声で泣き叫んだり、部屋の片隅でガクガク震えたりする。
数少ない軍医や看護婦の手に負える状況ではなく、パニック症状はどんどん拡大していく。日本軍が上陸したなどという噂も広まっていて、バナデル飛行場から兵隊や整備員が逃げる様まで目撃された。
「いや、そんな……」
「ああっ、外に! 外に!」
錯乱した顔の誰かが窓の外を指さした。見たこともない装甲車がそこに停まった。
武装した兵隊達が次々と降りてくる。全員アジア系の顔立ちで、噂には根も葉もあったのだ。
「我々は日本陸軍だ。ただちに降伏せよ、捕虜としての待遇は保証する」
拡声器からそんな呼び掛けがなされるが、軍医と看護婦の耳に届いただけだった。
自分達は市街に焼夷弾を大量投下したのだと、搭乗員達は誰よりもよく知っていた。捕縛されたら確実に報復の対象となり、問答無用でタケヤリで滅多刺しにされるに違いない。
「空襲の罰が当たったんだ……!」
「絶対殺される……」
「うわぁ、もうダメだぁ!」
あまりの恐怖に気絶した者は幸運だった。再び目を醒ました時には、21世紀の精神医療があったからだ。
だが――正気を失いながらも意識まで失わなかった者達の運命は悲惨という他なかった。赤ん坊のように泣き喚きながら、バラックから蜘蛛の子みたいに散っていった彼等の目の前には、断崖絶壁が待ち構えていたのだ。
「神様ァーッ!」
誰かが絶叫しながら身を投げた。
それにつられるように1人、また1人と、B-29の搭乗員達はレミングめいて飛び降りていく。陸上自衛隊の将兵は唖然とし、すぐに彼等を引き留めようとしたが、投身自殺を加速させるだけに終わった。
「バンザイクリフ……」
誰かが漏らした。皮肉なことに、地図上にそう記載された場所だった。
サイパン島:サンローク付近
「な、何が起きたのだ……?」
予定より早く戻ってきた威力偵察隊を見るなり、第2海兵連隊長のジョージ・ポラード大佐は目を剥いた。
一緒に戦う戦車大隊長も、「信じられない」と頭を抱えてしまっている。いったいどこの誰が、M4中戦車がことごとく砲身をポッキリ折られた状態で戻ってくると思うだろう。
「申し訳ございません、大佐」
威力偵察隊指揮官の熱血漢な少佐は、顔色を完全に失っていた。
「気付いた時には、全ての戦車の砲身だけが折られていました」
「それで戻ってきたという訳か」
「はい。戦車火力を喪失した状況では危険と判断いたしました」
「うん……正しい判断だとは思う」
ポラードは青ざめた顔で肯定した。実際、戦車そのものを狙い、吹き飛ばすこともできたはずだ。
実際、状況は不可解そのものだった。飛行場と師団砲兵を吹き飛ばした謎の航空機も、対空火力を狙い撃ちした沖の巡洋艦も、今は不気味な沈黙を保っている。
人的損害がないのは幸いだが、どうにも馬鹿にし腐ったような戦い方をされているのが癪で仕方ない。
「こんなの絶対おかしいですよ……」
焦点の定まらない戦車大隊長がうわ言のように呟き、
「対戦車砲でウィリアム・テルの真似事をしたとでも」
「東洋の邪悪な黒魔術だ。絶対そうに違いない……」
ポラードはそう言いつつ、我ながら出鱈目を吹聴していると思う。
だが現状はそうとでも考えないと説明がつかず、しかも人外魔境を避けて通れそうにもない。午後一で大規模な反撃を仕掛ける予定だからだ。それまでに敵の手品を見破らねばならなかった。
「ともかく、敵陣を探らぬ訳にはいかん。30分後にもう1回だ」
ウラジオストク:金角湾
「おーいミーチャ、酒を調達してきたぞ」
駆逐艦『レシーテリヌィ』の甲板で釣り竿を垂らしていたドミトリーに、酒瓶を持ったグレゴリーが呼びかける。
「そっちはどうだ?」
「ああ、今日はさっぱりだね」
ドミトリーはしけた面で応じる。実際、バケツには海水しか入っていない。
「何だ、ちったぁ飯が豪華になるかと思ったのに」
そう文句を垂れながら、グレゴリーは酒瓶を置いた。密貿易で入ってきたコウリャン酒のようだった。
揃って二等兵曹の彼等は、ドイツが攻め込んできてから今に至るまで、太平洋艦隊に配属されたきりだった。普段の素行があまりよくなかったからか、苛烈なヨーロッパ戦線に送られずに済んでいたのだ。
しかも若い男が大勢戦死したから、戦争が終わったら女は入れ食いだと、馬鹿でスケベな想像を膨らませる始末である。
「で、その代わりと言っちゃ何だが」
妙にもったいぶった感じでドミトリーは切り出す。
「変な噂が流れてきた。何でも俺等、近いうちに北海道へ出撃するらしいぜ?」
「本当かよそれ?」
「何でも北海道の、イシカリ湾ってとこを偵察するらしい」
「ふーん。まあナチとかいう屑も、春には雪みてえに消えてるだろうしな」
グレゴリーはラジオの内容を思い出し、ちょっと考える。
ナチスドイツがいなくなれば、後はこれまた青息吐息な日本だけだ。中立条約とかいうものがあるらしいが、そんなの知ったことではないだろう。満洲や朝鮮を分捕るという、簡単な割に成果の大きい戦争が待っていて、俺達はその先鋒となれるかもしれない。
「うん、ミーチャ、そいつは酒が旨くなる話だぞ」
「海に出て仕事しなきゃいけないのにか?」
「馬鹿だな、お前さんは」
グレゴリーは極上のウォッカを口にしたような表情で笑い、
「ここでちょっと戦うだけで、女の子に自慢できるいい材料になるだろうがよ」
サイパン島:バナデル飛行場
強襲揚陸艦『アメリカ』にあったノックス中将は、海兵隊第一陣とともにサイパン島へ降り立った。
屈強な海兵隊員達が天幕を作り、機材を持ち込み、星条旗と隊旗を掲げていく。その様子を一瞥し、前を向き直る。第3海兵師団の中でも特に頭の回転が速い精鋭が、そこに綺麗な一文字を形成した。
敬礼、それからおもむろに返礼。彼等こそ『メイカー』作戦の鍵、軍使としてコンタクトを図る部隊だった。
「まず一言、諸君に礼を言わせてほしい。この任務に志願してくれたことを、心より感謝する」
ノックスは心の底からの謝意を、峻険な表情にちりばめた。
「それから誇りに思ってほしい。志願者が多過ぎて困ったくらいだからな」
「はい閣下、光栄であります!」
軍使として選ばれたジェリー・レーガン少佐が声を張り上げる。
彼の助手や運転手、旗手として選ばれた者達も、爛々と目を輝かせる。なお、彼等は全員が所謂白人だ。ただでさえこの時代の海兵隊には、変な噂が撒き散らされたようだから、余計な刺激を与える訳にはいかないのだ。
「考えてみれば、我々海兵隊は、多くの橋を架けてきた。ノルマンディーや仁川において橋頭保を築き、味方部隊の通路を確保してきた。そればかりではない。2011年のトモダチ作戦では、海兵隊はすぐさま被災現場に急行し、津波の惨禍から大勢を救った。つまりは日本とアメリカの間に橋を架けたのだ。私も当時、気仙沼にあった。復旧作業を終えて基地に戻る際、小さな男の子がプレゼントしてくれた絵は、どんな勲章よりも誇らしい宝物だ」
ノックスはクレヨンで描かれたLCACの絵を広げ、誰もが息を呑む。
「そして今また、橋を架けることが必要になった。今のアメリカと、かつてのアメリカとの間に架かる橋だ。その橋が架かるか否かは、諸君らの双肩にかかっている。諸君、何としてでもこの重大な任務を成し遂げてほしい。人や時代が変わっても、我等が同じく星条旗の下にあることを、同じアメリカ人であることを示してきてほしい。以上だ」
厳粛な沈黙。ノックスは一瞬瞑目し、カッと目を見開いた。全員の顔が脳裏に焼き付く。
「常に忠誠!」
「常に……」
復唱の途中で、1発の銃声が木霊した。
サイパン着上陸が進行する中、事態があらぬ方向へと捻じれていく第32話でした。そうした中でどう対応していくか……第33話は明後日、2月6日(木)更新予定です。
読者の皆様、いつも感想やブックマーク、評価等、ありがとうございます。
本作におけるコミュニケーション樹立は、ある意味で宇宙人とのコンタクト以上に難しいかもしれません。宇宙人の場合、円盤や宇宙船が降りてくるなど、一目で地球外文明からやってきた連中だと分るでしょうし、必ずしも敵対的関係にならないかもしれません(結構希望的観測)。
一方、それが交戦相手国が突然別のものに入れ替わっていたという状況では、あらゆる誤解や認識のずれ、混乱、無理解、流言飛語が押し寄せてきます。それまでと同じように戦い、どちらにとっても理不尽極まりない損害が発生します。
真実があまりにも信じ難いところにあったら場合、人々はどう反応し、どう判断してしまうか。その部分を考えていただければ幸いです。
なお、第2海兵連隊のジョージ・ポラード大佐。小説『タッポーチョ「敵ながら天晴」大場隊の勇戦512日』や映画『太平洋の奇跡−フォックスと呼ばれた男−』でお馴染みのあの人です。




