30. 嵐の高まり
太平洋:硫黄島南方150キロ
「一番、二番、魚雷発射用意。目標、敵一番艦」
潜水艦『うんりゅう』艦長の梅本次郎二佐は攻撃準備を命じた。
頭上を大型艦6隻を中核とする艦隊が、28ノットという速度で驀進していた。先頭の3隻などは、教育隊の資料庫にあったカセットテープとほぼ同じ音を撒き散らしている。言うまでもなくアイオワ級で、後ろに続くのがサウスダコタ級だろう。
魚雷を全て用いていいなら、これら戦艦を全て撃沈してもお釣りが出る。
それでも現状では、先頭の1隻を沈めて様子を見ろとの命令だった。人命尊重だか、在日米軍への配慮だかで、硫黄島にそれ以上接近する場合のみ、全力攻撃を実施することになっていた。
何とも悠長な気配もあるが、元々能力差があり過ぎるため、こんなことも可能なのだ。
「よし……撃てえっ!」
号令と同時に、『うんりゅう』は2発の89式魚雷を放った。
ソナーも効かなければ爆雷が届きもしない深深度から海中へと押し出されたそれらは、55ノットという速度まで一気に加速しながらも、驚くほど静かに目標へと駛走していった。
それから数分して、それらは目標艦底の真下に潜り込んで轟然と爆発した。
「魚雷、一番二番とも命中」
水測員が報告する。当然の結果だった。
艦隊の先頭をひた走っていた戦艦『ミズーリ』は、水中衝撃波と膨張・収縮を繰り返す泡、最後に生じた強烈な噴流により、最も脆弱な艦底部に致命的な損害を受けた。
そして旗艦を吹き飛ばされた艦隊は、浮かぶスクラップとなった『ミズーリ』を尻目に、這う這うの体で逃げ出した。その際に駆逐艦がありったけの爆雷を散布していったが、当然何の成果も得られなかった。
ウルシー環礁:工作艦『エイジャックス』
軍隊は仕事がない方が幸福だ。そんな格言もあるが、工作艦は特にそうに違いない。
だが第10使役艦隊所属の各艦は、大急ぎで仕事の準備を始めていた。つい数日前に環礁を出撃していったばかりの大艦隊が、明日にも戻ってくるからだ。それも誰も想像し得なかったほどの損害を負った状態で。
「空母が5隻も沈んだらしい」
「残りも酷い損害だそうだ」
浮足立った工員達が、そんな噂を口にする。割と内容は正確だった。
「お前等、お喋りしてる暇があったら支度しろ。次の作戦は俺等の腕次第なんだ」
工作班長は仕事の段取りを頭の中でしつつ、元気のいい声で部下を窘める。
ただ航空母艦はどれも、相当に厄介な個所に被害が出たらしいと工作部長は言っていた。そうするとウルシーの工作艦だけでは間に合わず、真珠湾やサンディエゴの工廠に回航せざるを得ない艦もあるのかもしれない。
(しかしどうしたらそれだけの損害が出るのだ?)
工作班長は首を捻り、少し考えようとした。その数秒後、突然のサイレンに彼の思考は搔き乱された。
「何事だ!?」
「空襲、空襲!」
誰かが大声で叫び、聞いていた誰もが青ざめる。
ウルシーへの航空攻撃は封殺したのではなかったのか? 工作班長もまた狼狽えながら、おぼつかない視線をあちこちに向ける。
「あッ、『ジェイソン』がやられた!」
その方を見てみれば、同じくバルカン級工作艦の『ジェイソン』が炎に包まれた。
小島の向こうではタンカーが黒煙を吐き、きのこ雲も上がって猛烈な爆発音まで響いてきた。弾薬輸送船が被弾し、積荷の高性能爆薬が誘爆したに違いない。
「馬鹿な……」
見渡せる範囲だけでも酷い損害で、工作部長は言葉を失った。
直後、彼は永久に二の句が継げなくなった。異様な精度の爆弾に直撃され、彼の肉体は『エイジャックス』の区画ごと木っ端微塵に消し飛んでしまったのだ。
サイパン島:チャランカノア
「海軍は何をやっておるのだ、全く」
第2海兵師団の長たるトーマス・ワトソン海兵隊少将は、忌々しげに唸った。
本来であれば今頃、日本本土をコテンパンに叩きのめしているはずの大艦隊は、硫黄島沖で大損害を被り撤退してしまった。しかもウルシーまで爆撃を受けたため、アドミラリティ諸島で態勢を立て直すという。
「加えて君等陸軍航空隊も、このところ酷い体たらくだ」
「申し訳ございません」
更迭されたルメイの代理でやってきた陸軍中佐が詫びる。彼より上級の将校が、全員揃って戦死した結果だった。
しかも1週間前の空襲では、滑走路がことごとく破壊された上、弾薬庫と燃料タンクが爆発四散してしまった。今では戦略爆撃どころか、まともに哨戒機を飛ばす余裕もないという。
こうなるとサイパン島は丸裸に等しく、ワトソンは会議室中央の卓上に広げられたマリアナ諸島一帯の地図を睨みつける。
「それで、裏切り者どもがこの島に向かっているとかいう与太話だが……」
「少なくとも、テーラー大尉にはそう信じるに足る相当の理由があったと思われます」
陸軍航空隊の通信参謀がそう答えた。これまた爆死した前任者に代わって就任した新顔だった。
「例の交信は爆撃隊のジェフリー・テーラー大尉のものに間違いありません。彼は認識番号と一緒に確認用の符号も送信しており、適当に割り振ったものですから、日本人がそれを知っている可能性は皆無です」
「ふむ……」
報告書を眺めながら、裏切り者の軍隊についてワトソンは考えてみる。
確かにアンドレイ・ウラソフというソ連の将軍が、ドイツの協力者となってロシア解放軍なんてものを組織したという例はある。しかし自由と民主主義を愛するアメリカ人に限って、そんなことをするとは思えなかった。加えてソ連は大勢の捕虜を出したが、アメリカ人の捕虜はそう多くはない。戦争の初期、バターンで降伏した部隊があった程度だ。
ただ黒人については分からなかった。アメリカが敗れた方が自分達の待遇がよくなると考えそうではあるが、元々が無気力極まりない連中だし、どうやって日本に渡ったのかが全く定かではない。
「参謀長、君はどう考えるかね?」
「正直に申しまして、やはり信憑性に欠けるかと」
妙にのっぽな参謀長はそう言うも、
「ただ上陸が近いというのは事実である可能性が高そうです」
「確かに絶好の機会だろうが、それだけの輸送船があるのかね?」
ワトソンは船腹量を概算しながら尋ねる。
「今の日本は、既に必要最低限の物資を輸入する余力すら失いつつあるはずだ。そんな状況で、数個師団を揚陸させるなどという芸当ができるとは思えん」
「目標が違うとすれば如何でしょうか?」
「うん、どういうことだね?」
「滑走路を徹底的に破壊するために、全滅覚悟のカミカゼ上陸作戦を仕掛けてこないとも限りません。最近はどうか知りませんが、この島は対日爆撃の一大拠点です」
「なるほど、蓋然性のありそうな話だ」
陸軍航空隊の面々が舌打ちするのを無視して、ワトソンは参謀長の意見を妥当と評した。
改めて地図を一瞥する。サイパン島の上陸適地は南西部の浜辺だし、B-29の拠点たるイズリー飛行場は島の南部にあるから、上陸してくるとしたらその辺りだろう。
「よし……ジャップどもが南西の浜から上がってくる想定で、水際での撃滅を目指すとしよう」
ワトソンは作戦方針をそのように定めた。
「あいつらはバンザイ突撃くらいしかできなかったが、我々には野砲や強力な戦車がある。すぐに片付くだろう」
硫黄島:硫黄島航空基地
急に人口が増えると、飯炊きも一苦労だ。
特に明日、未知の戦場へと赴く連中が何百といるとなると、食堂はそちらを優先せざるを得なくなる。実際、第3飛行隊の面々は、陸上自衛隊が持ち込んだ野外炊具の列に並び、夕食のカレーを受け取ることとなった。
「俺等も明日、出撃なんだけどな」
仮設食堂でそんなことをぼやきながら、川越一尉は大盛のカレーを平らげていく。
「といっても、俺等は降り立つ訳じゃないか」
「空挺はこの時代の国外に、武装して出てく訳だし」
久保田一尉もそう応じつつ、ふと視線を滑走路脇に視線をやる。
陸上自衛隊のV-22Bオスプレイやら、UH-60JAブラックホークやらがエプロンに並んでいた。空挺はそれらに便乗し、着上陸第一波としてサイパン島北部に降着、パナデル飛行場を確保する予定だ。
純軍事的には、リスクのほぼない作戦だった。事前偵察の結果、パナデル飛行場周辺にはまともな地上部隊は配置されていないと分かっていた。厄介な野戦砲、高射砲も陣地も位置を特定済みで、久保田はそれを吹き飛ばす役目だ。
(だが……)
流石に地上戦ともなると、死傷者なしで済むかは分からない。
それにサイパン島北部を占領しているうちに、日本がまた特異的時空間災害に見舞われ、置いてきぼりを食らうかもしれない。飛行機で何時間か飛んでいる間ですら、時折そんな気がするくらいなのだ。
「ただまあそれならさ」
川越は暢気な口振りで言い、福神漬をボリボリと咀嚼する。
「俺達だって、そのうち外国のどっか遠くに派遣されるかもだぜ?」
「どっか遠くって?」
「さあ……アメリカとか?」
「何でだよ」
「戦争中なんだろ、一応?在日米軍は味方だけどさ」
「それはそうだが、アメリカまで行く余裕なんてないだろ。ただでさえ燃料が枯渇するかもって話なのに」
久保田は呆れた表情をしつつも、昔読んだコンビニ漫画をふと思い出す。
偶発的核戦争で世界の主要国が壊滅した世界で、東京以外はほぼ無傷だった日本が、石油確保のためカリフォルニアに出兵するなんて内容のものだ。石油がないのは今も同じだから、和平がまとまらなければ案外そうなるのかもしれない。
「ま、明日の作戦が上手くいくことを祈ろうぜ」
「そうだな。でさ、"鋼鉄魔法少女くるみ"の話だけど……」
自分達の手に余る話はそこまで。川越が最近ハマっているソーシャルゲームの話をし始めた。
通信衛星が消失した影響で、硫黄島ではさっぱり遊べないが、日本本土ではサービスが続いているはずだった。
太平洋:サイパン島北方400キロ
厳重な電波輻射管制下にある日米連合艦隊から、1機の無人機が発進した。
サイパンに向かうそれが抱えるは、マリアナ諸島の地図に大量の×印を描いた耐水印刷紙。どれだけ効果があるか不明ではあるが、攻撃目標からの避難を呼びかける伝単で、現代の印刷技術を見せつける狙いもあった。
砲兵陣地の上にも×印は描かれていたから、もしかしたら野戦砲の一部が陣地転換するかもしれない。だがそうなったとしても、作戦遂行の支障にはならない。全てお見通しなのだ。
「これが効いてくれればいいが……」
海兵隊第3遠征軍司令官のノックス中将は、強襲揚陸艦『アメリカ』の艦橋から、遠ざかる無人機を見送りつつ呟く。
そうでなければ、明日の夜明け前に行われる予備空襲で大勢が死ぬ。上陸する部下への攻撃を防ぐためには必要なことだが、サイパンにいる大先輩達も同様に、守られ尊重されるべき存在だった。
だが――ノックスは少し顔を曇らせる。海兵隊は精強で、頑強なのだ。こういうやり方自体、侮辱と捉えるかもしれない。
「司令、そろそろ休まれては如何ですか?」
参謀長が後ろから声をかけてくる。
「あと6時間ほどは、何もない予定です。今のうちに休んでいただかないと」
「そうだな」
腕時計を一瞥し、ノックスも応じる。明日からは不確実性の連続で、地獄の忙しさだろう。
「一応聞くが、牧師の手は空いているか?」
「いえ、今日も大行列です」
「だと思ったよ」
ノックスは苦笑した。誰もがこのあり得ない世界で、救いを必要としていた。
在日米軍だけで、自殺者がここ1週間の間に数十人は出た。精神に変調を来した者はその10倍だ。むしろ精神科医や聖職者がカロウシしてしまわないよう、業務を調整してやらないといけない。
「実際、最前線に赴く彼等にこそ、神の恩寵が必要だ」
ノックスはしみじみと言い、試練ならば耐えてみせますと主に誓った。
第30話にしてサイパン上陸前夜です。誰もが戦いの行く末を案じつつも、なすべきことをなそうとしていきます。第31話は明後日、2月2日(日)更新予定です。
読者の皆様、いつも感想やブックマーク、評価等、ありがとうございます。
久保田一尉が読んでいた漫画は「地球0年」です。
かなり昔、コンビニコミック版が出ていました。令和X年に一尉だと発売当時赤ん坊か何かな気がしますが、古本屋かなんかで見かけたものと思っていただければ。
なおあの作品、中国原潜の核攻撃で東京、横浜が破壊されてしまうのですが(ツァーリボンバ並の威力の弾頭だったのか? と思うほど破壊的な描写がされています)、何故か怒り狂った日本人の報復の矛先がアメリカ人に向いてしまうんですよね。いや、それはおかしいだろう……と読んでいて思った覚えがあります。




