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令和時獄変  作者: 青井孔雀
第2章 特異的時空間災害
21/126

21. 交渉準備

東京都千代田区:総合商社



 船や飛行機は消え、海外支社とも音信不通。昨日から社内はてんやわんやの大騒ぎとなっていた。

 そんな中、唐突に人が集まり始めていたのが史料室だった。かつての、それも齢70も半ばの会長すら生まれていない頃の海外との取引記録が、書庫から次々と持ち出されていた。


「石油石炭と非鉄金属系は最優先ね」


「えっと、オランダ領インドネシア……これ国コード何番?」


「あ、エジプトとの岩塩取引、こっちにありました」


 大会議室にぶちまけられた史料を大急ぎで分類し、内容を整理していく。

 電子化など当然されていなかったから、社員がそれらを大急ぎでスキャンしていく。その画像をOCRで読み取り、あからさまな誤字を修正、片っ端から即席のデータベースに放り込んでいく。OCRに関して言えば、シェアトップの製品はあまり役に立たず、それよりは大学の歴史学部向けに開発されたものの方が効率的だった。


「上坂の奴、大丈夫だろうかな……」


 親友の身を案じ、係長の太田は溜息を吐く。

 外語大学の同期で一緒にロシア語を専攻した上坂は、サンクトペテルブルクの支社に出向していた。そのため連絡がまるで取れず、今後も取れそうな気配がない。会社を見渡しても、そんなことになった社員が割単位でいる。

 そしてそんな状況下で、カビの生えた史料の整理だ。それが会社に、ひいては日本にとって死活的に重要なことは分かっていたが、特異的時空間災害が恨めしくて仕方ない。


「全く、どうなってるんだ」


 太田はぼやきながら缶コーヒーを凝視し、一口味わう。

 日本ではコーヒー豆なんて栽培されていないから、これもそのうち統制品になるかもしれない。いや、ベトナムは仏印と呼ばれていた頃からコーヒーの栽培が盛んで、かつ昭和20年3月なら日本軍が現地政庁の解体を始めた頃だから、何とか輸入できるだろうか? そこでうちが噛めれば儲けものだが――そんなことを思っていたら呼び出しがかかった。


「ああ太田君、史料はもう誰かに任せて、15時に第三研修室に来てくれ」


 スマートフォンの通話ボタンを押すなり、課長が早口で命令してきた。


「分かりました。何事ですか?」


「この時代の商習慣に関する勉強だ。数か国と連絡が取れたらしい。消えちまった社員も多いが、とにかく俺達の出番だ」


「なるほど。であれば今は仕事に集中ですね」


「そうだ。ちなみに俺は満洲班、君はソ連班の予定だ。お互い頑張ろう」


「はい!」


 太田は快く返事しつつ、どちらもとっくに消滅した国名だと気付いた。自分は過去の世界へ足を踏み入れ、取引をまとめるのだ。

 

 



京都府京都市:宇治大学

 

 

 歴史心理学というあまり耳慣れない学問を、准教授の橋本雅子は専攻していた。

 史料を総合商社並の幅広さで集め、体系的に分析していくことで、ある時代の人々の心的傾向や思考形態を解き明かしていくというものだ。更にはそれを応用することで、自分達を知る一助にもなると考えられた。

 そんな橋本は特異的時空間災害に関して、フィールドワークの場ができるかもくらいに思っていた。

 

「はい。宇治大学文学部橋本研究室、橋本です」


「あ、橋本准教授でいらっしゃいますか? 初めまして。私、国家安全保障局情報班の山科と申します」


 夕刻。何の前触れもなくかかってきた電話に出ると、驚きの自己紹介をされた。


「突然のお電話で申し訳ございません」


「政府の方が……何のご用でしょうか?」


「准教授にお願いがあってお電話させていただきました。ご存知の通り、現在我が国は未曾有の事態に直面しております。そのため是非、准教授にお力添えいただけないかと……具体的に申しますと、国家安全保障局の顧問としてご活動いただきたいのです」


「ええと……私に何かできるのかしら?」


「この昭和20年3月の世界には、朝鮮、台湾等の旧領土およびアジア各地に在外邦人および軍人が存在しております」


 山科の言葉は事実に違いなかった。

 橋本の記憶では、その総数は700万人近いはずだった。軍人の当時の日本といえば、まだまだ人口爆発と飢餓の恐怖が市井に蔓延していた時代で、それが海外への移民や権益獲得を求める動きにつながったのだ。

 ああでも、飢餓の恐怖は今また突然やってきたと言えるのかも。あの訳の分からないタイムスリップで。


「こうした方々とどう向き合うかが……個々の人々から軍組織に至るまでの全てとどう対話をしていくかが、現在喫緊の課題として挙がっております」


「確かに、それは大変な問題ね。特に兵隊さん、家族や親戚が突然いなくなったと伝えられることになるわ」


「まさしくその通りです。そのため有識者からなる研究チームを国家安全保障局内に設けたいと考えている次第で……あ、予科練志願者の心的傾向に関する論文、私も拝見させていただきましたがお見事でした」


「褒めても何も出せませんよ」


「むしろ我々が出します。資金でも史料でも何でも。ですので是非、研究チームに加わっていただければと。その、ビデオ通話等ございますから、特段必要がない場合、永田町までお越しいただかなくとも大丈夫ですので」


「分かりました。私でよければ力になります」


「ありがとうございます。では詳細の方はメールでお送りいたしますので、失礼いたします」


 山科は慌ただしく謝意を述べ、電話を切った。きっと連絡する相手が多過ぎるのだろう。

 それから橋本はちょっと微笑んだ。専攻している学問が本当に直接的な形で世の中に還元されるという、歴史学者が望むべくもない状況に、これから自分は飛び込むのだ。こんな学者冥利に尽きること、他にないんじゃないかしら。





東京都千代田区:首相官邸



 1に会議、2に会議、3、4がなくて5に会議。内閣はこのところずっとそんな調子だった。

 変化といえば、新たに外務大臣に志村優介という男が就任したことだ。前任者はニューデリー訪問中に蒸発してしまったので、実のところ先程まで加藤総理が兼任していたのだ。志村はさほど外交に明るい人間でないと危惧する向きもあったが、現代の常識も人脈も軒並み吹っ飛んでしまっていたから、その点はまあいいんじゃないかで済んだ。

 それでもって一応、今催されている大臣会合は主に外交に関するものだった。アメリカを筆頭とする連合国と交渉するに当たり、こちらからの提案をいかがするかが話し合われていた。


「思ったより、外地の扱いが厄介だな……」


 加藤は寝不足で痛い頭を悩ませ、低い声で唸った。

 朝鮮や台湾、満洲国などの扱い以外の内容は、とんとん拍子で決まった。言語道断の犯罪行為である東京空襲については昨晩の演説通りで、化石燃料や鉱物資源、食糧についても現物賠償および必要量の輸出を求めるというものだ。

 ただそこまでの内容だけでは、突然市街地を焼いてきた外道に譲歩など不要と言いたくもなるが、状況が状況だけに一方的要求や侮辱と解釈される可能性が極めて高い。そのため海外領土や権益の放棄を対価とする案が出たのだが、そこで在外邦人や各方面に展開している過去の軍部隊という暗礁にぶつかってしまった。

 未だまるで掌握できていないが、大昔に手放した事業所が突然また転がり込んできた。言ってみればそんな状態で、もはや縁もゆかりも感じないそれらを適当に処分することを考えていたら、大問題が浮上したという訳だ。


「流石に、今の日本に受け入れるという訳にはいかんよな?」


「彼等が日本人であり、日本国籍を得る資格を有していることは……間違いありません」


 官房長官の高野はそう前置きし、


「ですが、その場合に何が起こるか全く予想がつきません」


「まあ、大変なことになるのだけは間違いないか」

 

「育ってきた環境、文化、価値観が80年前のもので、しかも半数が軍人という歪な構成、更には全員が浦島太郎状態な訳ですから……人口学、政治学、社会学、心理学、宗教学と、あらゆる文科系学問における悪夢となるでしょう」


 新任の志村はよどみなく続け、


「それ故、最低でも満洲国への移住だけはできるようにしておくべきかと……元々移民が多くいますし、五族共和の王道楽土だそうですから、一番それが穏当と考えられます。その上で統治機構の改革を行いつつ落ち着いた頃に現代日本を訪問していただくなどして、互いを理解し合い、ゆっくりと打ち解けていく他ないのではないでしょうか?」


「志村君、君はあんまり外務大臣っぽい感じがしないな。まあ拉致被害者を北朝鮮に帰国させろだとか、その家族は北朝鮮籍だなどと意味不明な供述をするウルトラ級の馬鹿に外務大臣やられても困るんだけど」


 加藤は四半世紀ほど前に有名だった誰かを念頭に、口酸っぱく糾弾する。

 とはいえその後微妙な表情になったのは、昭和20年3月の世界に現代日本があっては、拉致被害者を救助しようがないためだ。全く、明日起きたら世界が全て元に戻っていてくれないだろうか。


「と、今は満洲国の話だな」


「はい。とりあえず満洲国に関しては、何らかの形で存続させることが現状最も望ましいと考えられます。加えて穀物、大豆等の輸入は即効性のある飢餓対策になりますし、大慶油田および撫順の油母頁岩は将来的な燃料事情の改善に寄与します」


「でしたらいっそ、アメリカに対する全面的な市場開放を約束しては如何でしょう?」


 割合口数が少なかった日下防衛相が提案する。


「あそこが拗れる切っ掛けも、桂ハリマン協定を英露との関係から破棄せねばならなかったためです」


「おお、妙案かもしれないぞ」


 高野の称賛が聞こえた。皮算用だが、希望が見えてきた気がした。

 実際、市場に関する考え方や国際的な制度は、第二次世界大戦を契機に大きく変わった。特に21世紀に入ってからの日本など、たいていの工業製品が市場開放されている。とするとこちらは実質何の譲歩もしていないのに、相手からすれば大変な譲歩と映る。詐欺のようだが有効な手口に違いない。

 更に言うなら、市場参入したところで売れるのが牛肉やオレンジだけなんてオチまで付くはずだ。


「よし、じゃあこんなところでいいだろう」


 異論はなく、外交提案に関する議論を加藤は締め括った。

 あとは来航する第58任務部隊を散々な目に遭わせる前後で交渉を始め、さっさと戦争を終わらせてしまうのが得策だ。そうすれば空襲被害を受けた地域の復興にも、特異的時空間災害の原因究明にも、本腰を入れられるというものだ。


(第58任務部隊といえば……さっき武藤君が少々物騒な主張してたっけな)


 加藤は会合の前のことをちょっとだけ思い出し、それから腕時計へと目をやった。もう次の予定が迫っていた。

日本側が交渉の準備に入る第21話でした。第22話は明後日17日(金)の18時に更新予定です。


国や自衛隊だけでなく、商社や大学なども力を合わせ、国家規模のタイムスリップという事態に対処していきます。とはいえ、実際戦時中やそれ以前の取引資料とかどれくらい残っているのでしょうね?

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― 新着の感想 ―
[良い点] 良いですね。 軍事方面に限らず多種多様な大問題で頭を悩ませる。 下手に帰国させれば紛争必須です
[一言] 感じ的にシンゴジラの時の状況みたいですね。 タイムリミットまでに官民一体して生き残りをかけて動くしかないですね。
[一言] 国鉄の大赤字の原因も、もとは復員兵の就職先の確保のための大量雇用とかですし、敗戦後は荒れ地を戦後開拓してようやく食料を確保したりとかもしていましたから外地にいる人達に関しての扱いは悩ましいで…
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