20. 論争
東京都千代田区:首相官邸
何とかでっち上げた副本部長室で武藤がカレーを食べ終わった直後、国家安全保障局の大橋局長と飯田経済班長が訪ねてきた。
国家安全保障局の経済班は結局、班の全員が対策事務局員を兼任することになった。こんな状況下では、国内外の経済分析ができる人間は一か所に集め、情報を集約し、議論を戦わせた方がよさそうだからだ。国外は何処も大昔になってしまい、元とする統計量は大幅に変動したが、分析手法まで変わってしまう訳ではない。
それはともかく――武藤は大橋が送ってきたメールの内容が気になっていた。
「なあ大橋さん、飯田さん、あのアメリカ占領ってのはどういうことなんだ?」
武藤は挨拶が終わるなり、向かいのデスクに着いた2人に声量を抑制して質した。
大臣への就任その他でどたばたしていた時、そんな内容の文面が送られてきていた。あまりにも常軌を逸していて、何らかの冗談なのかとすら思った。しかし武藤の知る限り、大橋も飯田もそういうふざけ方をする人間ではない。
「正直、意図が掴みかねるよ」
「飯田君、説明を」
大橋に促され、飯田が完璧な平常心で静かに肯く。
「多少、誇張された部分はあるかもしれません。ですが、基本はそのままです」
その返答に武藤は言葉を失った。あなたは何を言っているのだ?
だが飯田はあくまで生真面目な、真に迫った表情で凝視してくる。刀を抜いた剣豪みたいなもので、本気で対峙しなければならないと武藤は確信した。
「武藤さん、本当にこれくらいしか道がないのです。恐らく対策本部でも同じ結論が出ているかと思いますが、この昭和20年3月の世界では、天然ガスがほとんど利用されておりません。原油も日本の需要量の倍ほどしか産出しません。そしてその2/3がアメリカに、特にテキサス州周辺に集中している……これがこの世界の紛れもない現実です」
「数値や分布はこちらでも概ね把握している。だがいきなりアメリカ占領というのは、話が飛躍し過ぎていないか? だいたいあんな広い、太平洋の向こう側の国をどう占領しろというんだ」
「ある意味において、アメリカ占領というのは言葉のあやです。今まさに日本やドイツに無条件降伏を強い、戦後の覇権を握らんとしているはずのアメリカに、国土の占領もしくは占領に等しい損害、あるいはその可能性を実感させ得るだけの脅威を与えない限り、日本の必要量の提供に同意することなどあり得ないという意味です。2億キロリットル、あるいはその半分の1億キロリットルだとしても、それほどに重大で困難な決断となります。ポツダム宣言の受諾並だと言えばいいでしょうか」
「つまり最低でも西海岸を占領するか、あるいはワシントンD.C.に核兵器でも落とすかしろということか?」
眉をひそめつつ武藤は尋ねる。
特に後者など、東京空襲に対する報復としてよいかもしれないとも一瞬思ったが、立場が立場であるからそれは打ち消した。だいたい核兵器とて現物がない。日本には核物質が大量にあり、核武装の準備ができているなんて評価もされているが、原始的なガンバレル式ウラン型原爆であっても製造に半年弱はかかるだろう。
いやしかし……その頃にはアメリカは核兵器を保有しているはずだ。これは早急に手を打たないとまずい。
「その、何だ……豊田有恒の小説じゃないんだぞ」
「あれは確か後者のパターン……核兵器使用の警告ビラを空から撒いた後、住民が避難して無人になったワシントンD.C.に核兵器を落とすという内容でしたね」
「飯田君、その前にハワイを占領して西海岸にも上陸していますから両方です」
鋭い表情で黙していた大橋が、そのように付け加える。ああ確か、47万トンの超大型タンカーを空母に改装してもいたか。
「皆、よく覚えてるもんだ」
「武藤さんこそ」
飯田は何かが抜けたような表情で、くすりと笑う。
どうでもいい話だが、件の著作は現在、電子書籍の売上ランキング1位に急浮上してしまっているらしかった。豊田有恒の名もSNSトレンドで断トツの首位だったし、まだまだ元気な本人もテレビ番組に引っ張りだこだ。
「まあ、それはともかくだ」
武藤は話題と思考を切り替え、
「今のところの内閣の論調は、空襲の損害賠償、それから交易の形で石油、石炭の取得ができないかといったものだ。技術管理には注意しなければならないが、100円ショップで売ってる電卓であっても、この時代の人間にとっては喉から手が出るほど欲しい製品のはずだろう。であるからさっさと戦争を終わらせた上で当面はアメリカおよびその他の国から年間1億キロリットルの原油、2億トンの石炭、食糧などを調達、同時並行で中東や東南アジアの権益を買収し、大急ぎで油田ガス田を開発する。掘る場所はもう分かっているから早いだろう。それでいいんじゃないか?」
「武藤さん、まずこの頃のアメリカの原油輸出は全体の1割未満です」
飯田はスマートフォンの画面を提示した。
そこに映されていたのは、連邦エネルギー情報局のページをスクショした内容だ。ページ自体は特異的時空間災害の関係でもう参照不可能なはずだが、よくこんなものを保存してたものだと武藤は感心した。
「つまり1億、2億キロリットルという数値は、体中の血の4割、8割を寄越せというに等しい内容です。更にはこの時代、現代のような国際石油市場は存在せず、各国との個別の交渉により輸出入が決定されるため、我が国がどれほど優れた製品を提供できたとしても、国家のエネルギー安全保障の観点から取引を拒絶する可能性もあります。ついでにアメリカは現代日本の製品というものを理解しておりません。見たこともないでしょうから」
「見せる方法は考えてある」
「えっ、今は戦争中ですよ?」
「いや、戦争中だからこそだ。見せるのは自動車でもコンピュータでもない、ミサイルだ」
「ああ!」
鋭利な眼光で武藤は告げ、飯田がはっとなったのを見届けた。
アメリカ占領などと言い出し、その必要性を数値を挙げて滔々と説明しまくれる割に、妙なところが抜けている。ある意味、補い合える関係なのだろう。補い合えるのはいいことだ、その相手が突然消滅したから、今の日本の苦境があるのだから。
なお大橋は何か思うところがあったのか、額に右の人差し指を当てている。
「実のところな、先刻アメリカ海軍の第58任務部隊が出撃命令を受領したそうだ」
「無線の傍受ですね?」
「そういうことだ。この第58任務部隊というのは当時並ぶもののない最強の空母機動部隊で、沖縄上陸作戦前に日本本土の航空戦力を叩くのが目的だ。これを日本本土近海に到達する前に返り討ちにする。攻撃の意図が明白である以上、憲法上の議論も不要だ」
「確かに……成算はあるかもしれません」
「だろう。全く対抗手段のない攻撃で空母機動部隊が大損害を被れば、工業水準どころか文明水準が別次元の相手と戦っていると、かつての日本とはまるで異なる相手と戦っていると、さしものアメリカも気付くだろう。そうなれば戦争継続など不可能で、かつ未来の国が有する技術や製品への興味が大きくなるはずだ」
「武藤補佐官、その案でしたら第58任務部隊を全滅させてください」
前触れもなく大橋が口を開く。
「無論、そうする予定だが……」
「武藤補佐官、ただの全滅ではありません。文字通りの全滅です」
大橋は怜悧な響きの声で言い、今にも刺さんばかりの眼光を浮かべる。
「1隻も残らず……ああいえ、数隻の小型艦は残して撮影や証言をさせた方が効率的かもしれませんが、他は必ず沈めなければなりません。死者が何万人人道とか必要最低限を超えるとかいった考慮をせず、一切合切を容赦なく沈めることが、この場合は重要です」
「そこまでする必要があるのか?」
「はい。何故なら人間の想像力は非常に豊かであるためです。故に甚大といった程度の中途半端な損害では、何らかのラッキーヒット、まぐれ当たりといったものと解釈される可能性が濃厚です。停戦を目指すのでしたら、不思議な力で全滅したと思うくらいに理不尽な損害を与えなければなりません。なお、最終的な犠牲も一番小さくなります」
「非常によく理解できた。それで大橋さん、この場合の成算はどれくらいある?」
「五分五分……といったところと考えます。先程うちの飯田が申し上げました通り、原油1億キロリットルは確実に過大な要求と映るでしょうし、アメリカには連合国の盟主という立場もあります」
「立場か……実際容易には捨てられないものだよな、立場って」
「歴史を省みれば、そのため倒産した大企業、滅亡した国など枚挙に暇がありません」
「そうだな……まあ、よく分かった。俺も安全保障担当の補佐官だ、総理に話しておこう」
「ありがとうございます」
大橋と飯田は揃って混じり気のない感謝をし、それから多少の雑談をした後、副本部長室を辞していった。
(しかし、それでも五分か……)
武藤は首を傾げ、先程までの会話を独り振り返った。
多少、大橋や飯田は悲観的な見方をしているのかもしれない。だが仮にそれが七分三分や八分二分だったとしても、決して見逃せない割合だ。だとすれば――本当に"アメリカ占領"計画についても検討の必要があるのかもしれなかった。
かなり極端な議論が飛び交う第20話でした。しかし実のところどうするのが正解か、なかなか難しい局面です。
なお「タイムスリップ大戦争」の豊田有恒大先生、この通りまだまだお元気なようです。
https://www.sankei.com/politics/news/191211/plt1912110020-n1.html




