126. 終着と始発
東京都新浜区:記念博物館
「どうやら自分は、立派な教え子に恵まれる運命らしい」
最近はサイボーグお爺ちゃんと呼ばれている杉山老人は、そう思って疑ったことがない。
宗方として生涯を全うしたもう1人の自分は、かの加藤総理の恩師であった。オクタイ博士については今更記すまでもないだろう。国家そのものが時空間移動するという現象から、従来にない超光速航行の概念を思案する向きは昔からあったが――重力波の観測結果から、実際にそれを高次元跳躍理論へと転換してしまったほどなのだから。
だが何より嬉しいのは、訪ねてきてくれる教え子が未だに途絶えぬことだ。傍らを歩むライアンというアングロサクソン系の老紳士もまた、半世紀ほど昔は中学校の暴れん坊だった。
「少しばかり、仕事が暇になったもので」
唐突にメッセージを送ってきたライアンから、あれこれ聞くのは実に楽しかった。
進んだ先の旅順工大で航空工学を専攻し、石川島播磨へと就職。カムチャッカから低軌道へと飛翔する核熱複合推進輸送機の、水素再燃焼装置の制御系を担当したという。結婚を機に生粋の町田市民となり、既に孫もいるというから驚きだ。
そんな彼は博物館入り口に飾られたF-2Aを始めとして、様々な翼について語り出す。
あの戦争を戦った令和日本の主力戦闘機は、だいたいあちら側の、本来は超大国であったアメリカの設計だ。特異的時空間災害などなければ、ライアンのような人間がそれを担当していたのかもしれない。
「それはまた、どうなんでしょうね」
ライアンはちょっとくすんだ笑みを浮かべ、
「僕がこの道に進んだのは、大連で零戦や隼を見たからなんです」
「ほう、そうだったのか」
「ええ」
ライアンの視線は移ろい、一応は動態保存された零戦へと留まる。
番号からして愛機とは異なるものの、大連のそれと同じく元山空の零戦に他ならない。かつて宗方海軍中尉として空を舞った杉山にとっては、何時見ても懐かしいものだった。
加えて源内プロジェクト館などとは対照的に、機体の周囲には人だかりができている。
見たところ"同胞"の方が、つまりはライアンのような新たな日本人の方が多いようだ。そこに違和感はない。真っ先に人種的な混淆を余儀なくされたのは、半ば世界の幕府と化した陸海軍に連なる者達であったし、外地系の子女や妙な日本化をした各地からの帰化人が増えた関係で、内地の小学校も生徒の4割が既に令和日本の系譜から外れているという。
結果、政治的な保守化と人種的多様化が同時進行するという出鱈目な現象が内地で起きているそうだが――彼等は些か不可思議な視線を、零戦へと送っているようだった。
「先生はあの後も零戦で戦われたと言っておられましたね」
「ああ。旧ソ連の爆撃機を追いかけたり、ウラジオを爆撃したりな」
杉山は壮絶なる苦痛をしみじみと思い出し、
「本当に辛い戦いだったよ。精一杯戦ったところで、勝ったところで、実のところ意味もない。必要なことは子孫達が「ジェット」で片付けてしまうし、軍機でもあったから、ただのママゴトだと仲間にも言えなかった。それでいて、戦わずにはいられないんだ」
「その戦果が私だと言ったら、先生は驚かれますか?」
穏やかなる独白に、杉山は言葉に窮した。
何と返したらいいのか分からず、呆気に取られたような相が浮かび上がる。
「あの時、先生方は真っ先に抗われたのですよ。極まりなく残酷な現実を目の当たりにしても尚、戦いを選ぶことによって、運命に翻弄されるだけの哀れな人形ではないと、全力で叫ばれました。純軍事的には全く無価値な戦い、それが"帝国"の新たなる礎となった。歴史のテキストにはそんな伝説が記されておりますが……この壊れた世界しか知らない私の一縷の光明となったのも、まさにそれでした。冗談のようですけど、零戦はかように神話的な存在なんですよ」
「何とな……」
「轟々たる、古びたエンジンの音を聞きながら考えました。未来という力は、人類史を捻じ曲げて余りあるほど圧倒的。正面から当たって勝ち目などなく、その機会すらない。そんな中で夢を叶えたくば……いっそ先生方のようになって、八紘一宇の精神で頑張ればいい。そう思って"帝国"の予備海軍士官にもなりましたし、ちょうど時空間災害の脅威が遠のいた時期だったので、帰化もすんなり通りましたから――不思議ですよね、鉄壁の布陣で世界を睥睨し、再転移への恐怖から内に籠っていた国が、いざ蓋を開けてみたらそこだけザルだったなんて」
そう笑いながら、ライアンは画像や映像、擬験を幾つか送ってくる。
日本の何処にでもありそうな、しかし何かを成した者に特有の余裕に満ちた人生のアルバム。
「まあともかく、私はこうして色々と夢を叶えました。今日は勝利報告という訳です」
ライアンが莞爾と微笑み、改めて向き直る。
「それから、ありがとうございました。私がここにあるのは、先生方が戦ってくれたお陰です」
「礼には及ばんよ」
杉山は気取った口調で返した。
予備学生であったとはいえ、杉山はスマートをもって良しとされる海軍将校だった。涙腺が緩み易い歳となってもう何十年か分からないが、見栄は幾つになっても張るものに違いない。
「とはいえ……自分はとことん、立派な教え子に恵まれる運命にあるらしい。そしてこの世は本当に面白い」
杉山もまた穏やかな笑みを浮かべ、周囲をさっと見渡した。
文字通り新と旧が混然一体となった社会の姿。全てが不可逆変化を起こしたようで、かつてと変わらぬ佇まいを保った祖国。恐ろしく変テコで矛盾しつつも、何故か統一性を帯びてしまっている風景。そこで真っ先に思い出されたのが、腕とガタイのいい黒人板前がいるロシア系寿司屋の軍艦『足柄』定食で、訳の分からなさに思わず苦笑してしまう。
ただそんな無茶苦茶さを呑み込みながら、"日本"という語の定義すら微妙に曖昧にしながら、人々は宇宙へと足を伸ばし始めている。
きっとそこには懐かしくも新しい神話や伝説が芽吹くのだろう。それが如何なるものとなるかは想像もできないが、恐らくは眼前に静かに佇む零戦に何処かで通じているに違いない。
千葉県勝浦市:養護施設
普段はもっと早く寝るものだけど、今日ばかりは特別だ。
望遠鏡を覗き込んでいたら、見えているはずの火星が見えなくなった。気付いたら月も消えていた。ちょうどその瞬間に、時が戻ろうとしているからだ。
「あの時はたまげたわよね」
「そうね。あの後、いきなり空襲だったもの」
すっかり老け込んでしまった智慧に、同じく皺だらけになった智子は相槌を打つ。
聞いたことのない轟音と、夜を切り裂いたミサイルの閃光。墜落していく爆撃機に、おどろおどろしく鳴り響くサイレンの音。ここからそう遠くないキャンプ場で目にした、何もかもが変わった直後の光景は、昨日のことのように思い出される。
ただ当然だけど、それらはみんな80年も前の記憶だ。
智慧と助け合いながら乗り切った、時空を超えた戦争の時期。何とか混乱が治まり始めた頃に揃って大学院を出て、それぞれの道に進んで――結局自分は三谷姓な智慧の従姉に、智慧は本当に義姉になった。それから子供達の面倒を見たり、宇宙に夢と資材を届ける仕事に関わったりしているうちに、すっかりおばあちゃんになっていた。
そして揃って夫に先立たれてしまったものだから、また昔みたいに一緒に暮らし、孫や曾孫の成長を見守っている。生きた時代は数奇だったけど、ほんと、なんて素敵なのだろう。
「ねえ婆ちゃん、また大昔に戻ったりしないよね?」
一番下の孫で高校2年生の亜蘭。その灰色の瞳には、少し不安が浮かんでいる。
時空間災害の脅威は過去のものとなった。そう発表されてからもう何十年にもなるし、あれから日本も世界も随分様変わりしたものだけど、変な噂は何時の時代にもあるようだ。
「そうやって怖がれることは、滅多に起きないものなのよ」
智慧がゆっくりと諭し、
「本当に恐ろしいことは、何の前触れもなく、誰も想像できないような形で起きるの。ちょうど、あの時みたいにね」
「そういうものかな」
「心配なら、自分の眼で確かめればいいでしょう」
智子は懐かしげに言った。
「擬験や配信じゃなくてね」
「そうだな、そのために皆が集まったんだからな。さて、そろそろ観に行こう」
亜蘭の父で次男の健次が切り出し、親戚一同が動き出す。
百寿も間近な智子や智慧は、流石に身体の自由が利かなくなってきたので、可愛らしくて力持ちな施設のお人形さん達に介助してもらう形だ。不気味の谷を乗り越えたその顔立ちを見る度、学生時代が懐かしくなってくる。
(ソシャゲなんてとっくに死語だけど)
地学サークルの部長一派があの頃に熱中していた、"エキメイ"だったかに登場した美少女ロボットも、何時の間にか現実になった。ほんと、なんて面白いんだろう。
「ええと、この辺りでいいんだったかな」
徒歩10分ほどのところにある森林公園の、ちょっとばかり拓けた辺り。
目的を同じくする同年代や、歴史漫才に興じる若者達、断食明けみたいな調子でワイワイやってる"同胞"達の一団。それらの間をどうにか縫って進み、電脳で予約しておいた場所に近付くにつれ、胸に色々な想いが込み上げてくる。
まだまだ肌寒い空気の中、おもむろに天を仰いだら、そこにはあの日と変わらぬ星空があった。
「私達、戻ってきちゃったのね」
「そうよ。戻ってきちゃったの」
曇るところのない視線を絡ませながら、智子と智慧はそっと手を重ねる。
令月の優しい光のように和やかな、あるいは煌く星々のように賑やかな、それぞれが抱いてきた人生。その結果と言うべきは、視界いっぱいに広がっていて、何もかもが滲み合い、溶け合っていくかのよう。
そうしている間にも、運命の時は近付いてきて、誰かに言われてという訳でもなく皆が沈黙し始める。
不思議な静寂の中、刻々と時計の針は進んでいき、遂に23時40分を過ぎ去った。しかし電脳ネットにも目立った異常はなく、普段と変わらぬ輝きを湛えた月や星の下、穏やかで満ち足りた空気ばかりが広がっていく。この場に集った事実を確かめ合うように、隣り合った他人同士が言葉や空間チャットを交わしたりもする。
きっとそんな中からも、かけがえのない縁が生まれ、未来を作り上げていったりもするのだろう。智子がそう思いながら見上げた星空は、先程とほぼ変わらない、しかし誰も見たことのない景色となっていた。
「時刻は、午前0時をお知らせします」
時獄とすら言われた再帰的な時代。その終わりが告げられるや、歓声が場を包み込んでいく。
「おめでとう、おめでとう」
「こんにちは、新しい世界」
沸き返った人々、肩を寄せ合うカップル、万歳三唱する一団。
そうした者達全てを、いや世界70億弱の人々全てを祝福するかのように、夜空には探すまでもないほうき星が流れ始める。今や宇宙最大手の1つとなった、かつて勤めていたオービタリアン。その低軌道基地から放たれた無数のアートサットが、皆の願いを叶えるため、大気圏に飛び込んでいるのだ。
「やっぱり大丈夫だったね、これで一安心」
祈りを終えた亜蘭が言う。
「だから、流れ星にきちんと願い事しておいた」
「あら、どんなのかしら?」
「宇宙船に乗って、他の恒星に行ってみたい。そんな夢が叶いますように」
「信じていれば、夢は叶うものよ」
智子は朗らかに、心の底からそう答えた。
ちょっと野暮だったと思ったのは、智慧の孫で亜蘭より2つ年上の早苗が、そのためには数学と物理の成績を上げなきゃと付け加えたところだろうか。
でも一番凄いのは、それはもう単なる空想ではないことかもしれない。
日本中や連合諸邦にごまんと存在する、文武両道の英才達。亜蘭が彼等に競り勝つには、今以上の努力が必要かもしれないけど、既に夢を実現する具体的な方法は確かに存在する。
「アポロ11号が月に行ったのは、僕等が生まれるずっと前」
そんな感じの歌詞が書かれたのは、私達が生まれる5年くらい前だったりするらしい。
だけど――この世界にはアポロ100号は存在しないけど、輝夜100号ならこの間、月の裏側に大きな宇宙港を築いた。どっかの大風呂敷な起業家のその後だって、私達には決して分かりはしないけど、こちらの火星には新しいドーム都市が建設されつつある。
つまりは選ばれた宇宙飛行士でなくとも、地球の外で活躍できるようになり始めているのだ。
静止軌道やラグランジュ点のコロニーでお寿司を食べたり、月のマスドライバー整備の仕事をしたり、火星の宇宙港で誰かと恋に落ちたりする。亜蘭や早苗にとってみれば、それもほんの少し先の日常でしかないのだ。
そして更にその先についても、理論だったものが実験段階へと入ろうとしている。
「ほんと、今の子供達が羨ましいわ」
「そうね。ああ智子、そろそろよ」
智慧に促され、親戚達や他の大勢と同じように、智子も空の一点へと視線を移ろわせた。
間もなくアルファ・ケンタウリ星系への航海に出る無人恒星間探査艦『まほろば』が、その彼方に浮かんでいるはずだった。未だ国家原理体については分からないことだらけだけど、40年前に『やまと』、『むさし』の両艦が特異な重力波形を観測したことを切っ掛けに、人類は星々の世界にすら至ろうとしている。
「3……2……1……ゼロ」
カウントダウン終了から1秒と少し後、新たな煌きが地表へと到達する。
「行ってらっしゃい」
先程とは別種の熱狂の中、智子と智慧は声を合わせて『まほろば』を見送った。
レーザー核融合推進で光速の約10%まで加速し、超光速航行に必要な恒星間航路情報を収集する。そうした壮大なる任務のため、久遠の孤独な旅に出た彼女には、随分と古い望遠鏡の接眼レンズがひっそりと積み込まれていた。
それから45年後の6月12日、『まほろば』はアルファ・ケンタウリ星系へと到達。半世紀ほど後に始まる新時代の礎が築かれた。
理解し難い天災によって過去へと放り出され、変わらぬ明日を願いながら、阿修羅の如く戦った国。地球上に絶対の支配を打ち立てた末、奇妙な形で同化し始めた諸国民により、文化的紐帯を維持しながらもある種の自己喪失的状況に陥った文明。ねじ切れた時代の果てにあったのは、全く奇怪極まりない"日本"の姿だった。
ただそれすらも「まあいいか」といい加減に済ませつつ、星々の世界へと漕ぎ出していく人々の姿があった。
彼等の進む先に何が待ち構えているかは、未だ全く分からない。それでも新たに紡がれ出した宇宙の歴史は、決して退屈なものになどならないだろう。
完
「令和時獄変」本編はこれにて完結となります。
無茶苦茶な前提の荒唐無稽シミュレーション小説でしたが、一応は「考えられないことを考え」てみた心算で、それを楽しんでいただけたのなら何よりです。
流石に少しばかり疲れました。同時に無事に完結させることができ、少しほっとしました。
2019年の9月から極めて軽いノリで書き始めた本作ですが、馬鹿さ加減の割に、思った以上に難産だったり調べたり考察・思索したりする時間が必要だったりで、仕事以外の脳味噌をほぼ執筆に使っていたのでは? という気もしています(なお執筆期間中のStellarisのプレイ時間)。
当初はもっと簡潔な話になるはずだったのですが……どうしてこうなった? この辺はまた改めて、ちょっと休息を取った後くらいに、何らかの形で書ければと思っております。
さて、最終回ですが、これは本当に極まりなく荒唐無稽な展開としてみました。
ある意味で現代の私達よりも日本化してしまった外国出身者が流入という形で、ある意味物凄い恐怖体験とも言えます。それでも、何だかんだで上手くやっていける、ハッピーエンドにできたのではないかと思っています。大好きな某作品の地球帝国めいてますし、2200年くらいから超光速航行で星々の世界へ……というところで色々お察しいただければ。
なおStellaris的な発想ですと、何かの拍子に自惑星内のアノマリーを発見(遭遇?)したPre-FTL文明が、その解明によってFTL文明に進化した……という風にも解釈できる展開かもしれません。
まあその辺も含めて、私達は何者で、何処へ行くのか? といった話になってしまった気がします。
ともかくも読者の皆様、1年半にわたってお付き合いいただき、本当に、本当にありがとうございました。
近いうちに次回作(多分宇宙SFものです)の執筆へと入る予定ですので、よろしければまた。




