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今日は散々だった。
英語の課題の範囲を間違えてやってしまった上に、古典の小テストの範囲も間違えて勉強してて、更にはお弁当を家に忘れてきて、購買で何か買おうとしたら財布の中身も空っぽだった。
午後はめちゃくちゃ怖いことで有名な先生の授業で居眠りしちゃって怒られて、掃除の時間には自分の机の中身を盛大にぶちまけ、帰ろうとしたらサッカー部の人が蹴ったボールが背中にクリティカルヒットした。
何かに呪われているのではないかと疑うくらい不運な一日だった。私がいったい何をしたっていうんだろう。
家に帰ると同時にHPがゼロになり、フラフラとリビングのソファに倒れ込む。なんか今日はもう何をする気も起きない。
「ちょっと、鈴!制服で寝転んだら皺になるでしょ!ちゃんと着替えなさい!」
いつの間にか近くにいたらしいお母さんに怒られる。生返事をして寝てしまいたいが、そうすると後が怖いので、大人しく従うことにする。
冷蔵庫にあるペットボトルの紅茶を拝借し、部屋に戻ってジャージに着替えた。
「はぁ……」
さすがに今日ばかりはため息もつきたくなる。絶対に今日は厄日だ。ちょっとこれは推しを見たからといってどうこうなるアレじゃない。
「もういいや……夕飯まで寝ちゃおう……」
紅茶を一気に煽ってその辺に転がすと、今日の嫌なことを全部振り払えるように、きつく目を閉じた。
「……リン?」
「……うーん……」
名前を呼ばれた気がして、ぱち、と目を開ける。声がした方に視線を向けると、少し驚いた表情の魔王さんが私の顔を覗き込んでいた。
「今日は、随分とやって来るのが早いな」
「……ふて寝したので」
「……リン、どうしたのだ?」
いつもとだいぶテンションが違う私の様子に、ベッドに腰かけながら心配そうに尋ねてくる。やっぱり魔王さんは優しいな、なんて思いながらも、理由を説明するのすら億劫で、そのまま黙り込んでしまう。
「……」
顔を見ていなくても、明らかに困ってますオーラがこっちに漂ってくる。ごめんね魔王さん、困らせたいわけじゃないんだ。
その気持ちを示すために、魔王さんの近くまでにじり寄り、その腰にめがけて抱きついた。
「っリン!?」
あからさまに動揺した声を気にせず、ぐりぐりと魔王さんの腰に頬ずりする。香水なのかわからないけど、微かに香る甘い匂いに、荒んだ心が少し落ち着いてきた。
「今日一日、ずっとついてなかったんです」
「あ、ああ」
「だから、魔王さん。慰めてください」
ちょっと頭を撫でてくれるくらいでいいので、なんて思いながら、そのまま抱きついた状態で動かずにいる。
しばらくそうしていると、魔王さんが遠慮がちに、私の身体に両腕をまわして、あやすように背中を撫で始めた。しかし無言である。
しばらくそうして黙って撫でられているも、だんだん落ち着かなくなってきた。
「……慰め方下手くそですね、魔王さん」
「―――今まで一人だったからな。人の慰め方なんぞ知らん」
「ですよねー…」
「…だが」
そこで言葉を切ると、魔王さんは背中を撫でるのをやめて、代わりにその手を優しく頭にのせてきた。
「リンに元気がないのは、俺も嫌だな」
「……」
「話したくないのなら何も聞かない。辛いことは言葉にしたくなければしなくていいと言ったのはリンだからな。だが、話を聞いてほしいのなら、黙って聞いてやることくらいは、俺もできる」
そう言いながら、ぎこちなく頭を撫でてくれる。やっぱり、魔王さんは優しい人だ。
「嫌なことが立て続けにあったんです」
「そうか」
「一つ一つは大したことなくて、普段ならすぐに立ち直れるようなことばかりっだったんですけど、今日はそれが何回もあって」
「そうか」
「なんか、今日は何やってても嫌な方向に考えそうで、それで現実逃避してふて寝したんです」
「そうか」
「……魔王さんからしたら、くだらないでしょ」
「そんなことはない」
壊れ物を扱うように、優しく優しく頭を撫でてくれる魔王さんに、思わず涙が出そうになる。
「きっと、明日はその分いいことがあるんじゃないか。俺はリンの世界のことはよくわからないが、ずっと嫌なことが続くような場所だとは感じないからな」
「…そう、ですかね」
「ああ」
撫でてくれる手が心地よくて、思わずもっとってねだるように頭をぐりぐり押し付けると、魔王さんは一瞬だけ撫でる手を止めて、また優しく撫でてくれた。
しばらくそうしていると、いつものように意識が薄れ始めた。
「……まおうさん」
「なんだ?」
「よる、またきますから、そのときは、たのしいおはなし、しましょー…ね」
「ああ。待っている」
見上げた魔王さんの顔に、できる限りの笑みを浮かべ、薄れる意識に身を投じた。
ふ、と目を開けると、部屋の中が薄暗くなっている。スマホを取り出して時間を見ると、六時十五分だった。
むくりと重たい身体を起こし、腕を伸ばして凝り固まった筋肉をほぐす。
気分は、だいぶ良くなっていた。
「ありがとう、魔王さん」
聞こえるはずのないお礼をそっとつぶやく。また今夜、魔王さんに会うのが楽しみになった。
夜ご飯を食べ終えて、お風呂も入った後にリビングでのんびりしていると、お母さんが声をかけてきた。
「鈴、あんた、遊園地行く気ない?」
「遊園地?なんでまた」
「お父さんがお得意さんに貰ったらしいのよ、ペアチケット」
うちはひいおじいちゃんの代から酒屋をやっている。といっても、大きいお店じゃなくて、地域密着型の地元民向けの酒屋だ。お得意さんって言っても、ほとんどがご近所さんである。
お母さんが手渡してきたのは、最近リニューアルオープンした某人気遊園地のペアチケットだった。絶叫系アトラクションが大幅改良され、また数も増えたらしく、正直気にはなっていた。
「朱音ちゃんでも誘って行ってきな」
「でも、私だけもらっていいの?遼が怒るんじゃない?」
遼は二個下の弟だ。中学三年生で、昔から生意気だった性格が最近更に磨きがかかっている。
「二枚くれたのよ。これで家族四人で遊びに行きなってね。鈴も遼も大きくなって、家族で遊園地行くような年じゃないってのに」
確かに、この年で家族とご飯食べに行ったり、買い物に行ったりはしても、遊園地に行くのはなんかちょっと躊躇いがある。
「じゃあもらう」
「あ、そうそう。そのチケット有効期限あるみたいだから、気を付けるのよ」
そう言い残すとお母さんはさっさとリビングを出て行ってしまった。
チケットの裏面を見てみると、有効期限は来月末だった。まだ少し余裕がある。後で朱音に連絡してみよう。遊園地なんて久しくいってないし、絶叫系大好き人間としては心が躍る。
チケットを片手に、私もリビングを後にした。
乙女ゲームを進めたりイラスト投稿サイトを眺めたりしていると、あっという間に夜も更けてしまう。
明日は休みだけど、あまり夜更かししすぎると、生活リズムが狂って月曜日死ぬ羽目になるので、ほどほどにする。
それに、あんまり魔王さんを待たせるのも気が引ける。多分、魔王さんは私に会うのを楽しみにしてくれているし、私もそうだ。
布団に潜り込んで眠気が来るのを待ちつつ、魔王さんと何を話そうか考え始めた。
ぱちり、と目を覚ます。そして、固まる。
魔王さんの顔が、私のすぐ目の前にあった。
「~~~~~~っ!!?」
声にならない叫びをあげて飛び起きる。息を整えながら魔王さんを伺い見ると、すやすやと寝息を立てていた。
「な、なんだ……寝てただけか」
これは魔王さんのベッドなのだから、当然といえば当然である。
少し顔を近づけて寝顔を見る。思ったよりも子供みたいな寝顔だ。あと、意外とまつげが長い。なんか女子として負けた気がする。
じっと見ていても起きないので、ちょっと悪戯がしたくなってしまうのは、人間として仕方ない性だと思う。
とりあえず、ほっぺをつついてみた。
「…………」
見事に反応なしである。ほっぺも柔らかくないので、つついていてもあんまり楽しくない。
なんとなく眉間をつついてみると、しわが寄った。反応はあったけど、求めてるのはそういうのじゃない。
「……そうだ」
夕方に魔王さんに頭を撫でてもらったのだから、同じことをしてみよう。
恐る恐る魔王さんの頭に触れてみる。硬そうに見えた髪は案外サラサラしていて、撫で心地がよかった。
ゆっくりと、左右に撫でる。子供のころにお母さんやお父さんにしてもらったように優しく優しく撫でていると、目の前の魔王さんが段々可愛く見えてきた。もしや、これが母性本能というやつだろうか。
無意識に拒否されないのをいいことに、目を閉じながらずっと撫でていた。
しばらくしてふと目を開けてみると、私を見ていた魔王さんとばっちり目が合ってしまった。
「…………」
「…………」
「……いつから起きてたんです?」
「……今だ」
「嘘」
「…………」
沈黙は肯定ということだろうか。むっつりと黙り込んでしまった魔王さんを、半目で見る。
起きているとわかったら、途端に恥ずかしくなって手を離すと、その手を魔王さんに取られてしまった。
「……やめないでくれ」
「え?」
「リンの手で撫でられるのは、心地がいい」
「……そう、ですか?」
「さっきのお前も、こんな気持ちだったのだな」
あまりにも幸せそうな声色で言うので、やめてしまうのはなんだか気が引けてしまう。
大人しく手を魔王さんの頭に戻すと、再び撫で始める。ゆっくり撫でていると、眠くなってきたのか、うとうとし始めた。
「…お喋りするんじゃないんですかー」
思いのほか拗ねたような口調になってしまった。さっき自分は撫でられながらフェードアウトしたくせに、ずいぶん自分勝手だと思う。でも、このまま魔王さんが寝てしまうのはなんだか寂しかった。
「…すまない、あまりにも心地よくてな」
「別に、いいですけど」
「拗ねるな」
「拗ねてませんっ!」
拗ねてはいない。断じて。ただちょっと寂しくなっただけだ。
魔王さんから目を背けていると、温かいものが頭に乗った。視線を戻すと、いつのまにか起き上がっていたらしい魔王さんが、私の頭を撫でていた。
「…なんか、わがまま言った子供があやされてるみたい」
「お前はまだ子供だろう?」
「今年十七になるんですけど」
ぴたり、と魔王さんの手の動きが止まる。その顔は驚愕の色に染まっていた。
確かに私は同年代の子に比べて童顔だし、背も平均より少し低い。だけど、立派な大人とまではいかなくても、年端もいかない子供扱いされるのは心外だ。
「…嘘だろう」
「本当ですよ」
でもまあ日本人は外見年齢が若く見られがちだからな。私からしたら外国人の、特に女の子の成長が早すぎると思うけど。
「そういう魔王さんはいくつなんですかー」
「……二十五だ」
あれ、思ったよりも若い。
「魔王なんて言ってるくらいだから、何百歳とかなのかと思ってました」
「そんなわけあるか。魔力は多いが、俺は人間だ」
「まあ、それもそうですよね」
この世界の人はみんな魔力を持ってるって言ってたし。人間が魔力を持ってるだけなら、恐ろしく長生きしてるみたいなことはないわけだ。
「…十七なら、そろそろ身を固めることなどを考える頃じゃないのか」
「身を固める……って、結婚ですか?」
「そうだ。年齢を見ても適齢期だろう」
うわあ、この世界の人ってそんなに早く結婚しちゃうものなんだ。晩婚化が進んでる現代日本人としてはあり得ない早さだ。
「確かに法律的に結婚できる歳ではありますけど、私くらいの歳で結婚してる子なんて、全然いませんよ」
「…そうなのか?」
「そうです。親に決められた許嫁とか、必要に迫られて結婚することになった人以外は、ほとんど結婚してないんじゃないですかね。前にも言いましたけど、学生ですし」
大学生が学生結婚するのすら珍しいのだ。ましてや高校生なんて、一番遊びたい時期だし。
ちなみに私はすでに結婚を諦めてる陣営だ。結婚を機にヲタクをやめたりなんてできないだろうし。
「もしリンにそういった相手がいるならば、寝ている間とはいえ、会うのをやめようかとも考えたんだがな」
「いませんいません。できる予定もありません。勝手に変な想像するのやめてくださいよ、私も魔王さんと話すの楽しみにしてるって言ったじゃないですか」
「…そうか、そうだったな」
さっきよりも表情が柔らかくなった魔王さんが、ずっと乗せたままだった手を下ろす。そして私の隣に座りなおすと、改めて私の顔を見つめてきた。
「さて、では何を話そうか」
「そうですねー」
私の学校のこと、魔王さんが読んでいる本のこと。
話し始めたらとまらなくて、いつもよりずっと長い時間、魔王さんとのお喋りを楽しんだのだった。




