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「う~~ん…」
腕を組み、普段からまともに使うことのない脳を酷使する。
ローテーブルに置いた一枚の紙を見ていたら、かれこれ一時間が経過してしまった。
「行かないのも勿体ないし、どうしようかな……」
ローテーブルに置いてあるのは、この間お母さんに渡された遊園地のペアチケットだ。朱音を誘おうと思ったら、男女ペアチケットだからといってフラれた例のチケットである。
渡されたときにはまだ一か月以上あると余裕ぶっていたら、もう期限が来週末に迫っていた。丁度期末テストが終わった直後までだ。
テスト勉強を放ってそんなことに悩むのに時間を費やすなというツッコみはスルーします。休憩時間だから、これは。
「生粋のヲタク女子に、一緒に遊園地に行く相手なんかいるかっての」
弟の遼以外でまともに話す相手といえば、夢の中で会う魔王さんことレイだけだ。レイと一緒に行くのはきっと楽しいだろうけど、寝ている時しか会えない異世界人だからな。無理ゲーにも程がある。
あ、でも、私はレイがいる世界に行けてるんだし、逆もまた然りだったりするのかな。座標が同じとかなんとか言ってたけど。
「よし、今夜レイに聞いてみよう」
休憩終了、とチケットを財布の中に戻し、天敵数学の問題集を開き、さっき以上に頭を酷使しながら演習問題に取り掛かった。
「――――ん」
相も変わらずふかふかなベッドの上で目を覚ます。名残惜しく思いつつも起き上がって部屋を見渡していると、レイがやたらと重厚な扉から部屋に入ってきた。さっきまでは他の部屋にいたらしい。
「リン、来ていたのか」
「今さっき来たとこ。レイは何してたの?」
「…少し外の空気を吸いに行っていただけだ」
「そっか」
わき目もふらずこっちに歩いてきたレイは、そのまま私の隣に座ると、小さくため息をついた。
「どうかしたの?」
「いや、何でもない」
「そう?疲れてるなら膝でも貸そうか?」
そう言いつつ適当に伸ばしていた足を折りたたんで正座する。優しい鈴ちゃんが特別に膝枕でもしてあげようじゃないか。
「…膝を貸す?」
レイは首を傾げながら私の顔を覗き込んだ。膝を貸そう!ってだけでは意味が伝わらなかったらしい。
「ほらほら、こうやって、鈴ちゃんのお膝で寝なさんな」
全く意味が分からなそうなレイの腕を無理やり引っ張り、レイの頭を膝に乗せた。おお、人の頭って結構重いんだな。下がふかふかのベッドじゃなかったら足が死んでたわ。
下を向くと呆然としているレイの顔がすぐ近くにあった。未だに状況を理解していないのか、微動だにしていない。
「……リン」
「なに?レイ」
「これは、どういう……というか、なぜ…?」
「レイが疲れてると思ったから膝枕でもどうかなって思ったんだけど」
「ひざ、まくら…」
「あ、でもレイのベッドふかふかだし、普通にベッドで寝た方が疲れもとれるかな」
超高級(想像)ベッドに直に寝た方が疲れも飛ぶよな、うん。
「――いや、このままでいい」
「え、そう?」
「ああ。このままが――いい」
そう言ってふわりと微笑んだレイに、一瞬ドキッとした。なんだその笑顔。ギャップ萌えで私を殺す気か?
推しの新たな一面を見てしまったかのような気持ちになってしまった。ヲタクはこういうのに弱いんだよホントに。
そんなことを思いつつレイの顔を見ながら、ハッとする。今日聞こうと思っていたことを唐突に思い出した。
「ねえねえレイ」
「なんだ、リン」
「私は何でかわからないけどこっちの世界に来れるわけだけどさ、逆にレイが私のいる世界に来れたりしないのかな」
「―――リンの世界に?」
「うん。そもそも同じ座標がどうこう言ってた割にどうして私がこっちに来れるかも、具体的な理由がわからないんだけどさ。私がこっちに来れるなら、レイも同じなんじゃないかなって思ったんだ」
今更だけど、この状況ってどういう仕組みになってるのかがまったく不明だ。
初めてここに来た日も、何か特別なことはない、いつも通りの日だった。元気にヲタ活をして普通に寝ただけだったはず。
「…そういえば、位置関係的にリンがここに来れることはおかしくないとはわかっていたが、明確にこちらに転移してきている理由がわからないな」
「そっか、レイにもわからないのか…私としては、何の変哲もないいつもの日だったし、そういう意味で私の方に理由があるとは思わないしな~」
「あの日、か……」
ずっと覗き込んでいたレイの顔が少し曇る。さっきまでの柔らかい雰囲気も鳴りを潜めてしまった。
「レイは何かあったの?あの日」
「何かあったというか―――何もかも諦めた日だったな」
「―――え?」
諦めた?何を?
「何もかも諦めて、訪れる運命に身を任せようと思っていたら――お前が現れたんだ、リン」
切なそうに、少し苦しそうにそう告げるレイの声はひどく震えていた。
―――そう思った時には、身体が勝手に動いていた。
「…リン?」
突然頭を抱き込まれたレイが戸惑った声で私を呼ぶ。その声を聴いて、更に抱きしめる腕の力を強めた。
「レイに、これまで何があったかは聞かない。…ううん、聞けない。多分だけど、そんな軽々しく聞いていいことじゃないと思うから」
「―――…」
「でもさ、今までのことをどうにかするのは無理でも、今は私がいるじゃん。楽しかったことも、悲しかったことも、今なら私に話してくれればいいじゃん。どんなにくだらないことだって、ちゃんと聞くから」
「…リン」
「だから、もう、間違っても、そんなこと言わないでよ。レイがつらいと、私もつらいよ」
きっと、出会った時から今までのレイの話を聞いてる限り、いい人生じゃなかったんだと思う。
つらいことばかりだったのかもしれない。でも、それでも今まで一緒に過ごす中で見せてくれた笑顔は、間違いなく本物だと思うから。
「―――だからか」
「…え?」
「俺は何もかも諦めて、誰にも必要とされず、惜しまれることもなく消えていくものだと思っていた。だがそう思いつつ、諦めきれてなかったのかもしれない。だから―――お前が俺の前に現れたんだな、リン」
「レイ……」
レイの温かい手が私の頬に添えられる。思わず腕の力を弱めると、レイが親指で私の目元を拭う。その指は濡れていて、そこで初めて自分が泣いていることに気が付いた。
「リンは、きっと、俺の希望だったんだな」
「き、ぼう…?」
「ああ。ずっと真っ暗な闇の中にいた俺が願った希望が、きっとリンだったんだ。だから俺の前に現れてくれた」
そう告げるとレイは私の膝から身体を起こし、真正面から私を抱きしめてきた。さっきから止まらない涙がレイの肩口を濡らす。
「ありがとう、リン。俺と出逢ってくれて」
「―――レイ」
「詳しいことはわからないが、俺が願ったからリンがここにいるのなら、俺が願えば、リンの世界に行くことができるのかもな」
レイの温かい指が優しく髪を梳く。壊れ物を扱うかのように、優しく、何度も。
「…ほんとかな」
「わからない。今までリンに会いたいとは思っていたが、リンの世界に行きたいと願ったことはないからな」
「…じゃあ、試してみようよ」
「そうだな」
レイが私を抱きしめたまま、ベッドの上に横たわる。そして、お互いゆっくり目を閉じた。
ゆっくりと意識が浮上する。さっきまでのふかふかベッドの感触は消え、慣れ親しんだ自分のベッドのマットレスの寝心地に戻っていた。
ああ、今日も戻ってきたんだ。そう思って目を開けると、優しい笑顔がすぐ目の前にあった。
「――レイ」
「おはよう、リン。……ここが、リンのいる世界か」
「……えっと」
あのキングサイズベッドとは比べ物にならないくらい小さいシングルベッドから起き上がり、部屋の中を見渡す。積み上がった漫画に、ローテーブルに置きっぱなしのゲーム機。うん、間違いなく私の部屋だ。
ふと視線をベッドに戻すと、レイが興味深そうに部屋の中を見渡していた。
「レ―――」
「鈴ーー!!いつまで寝てるの、早く起きなさい!」
レイに声をかけようとした瞬間、ドアの向こうからお母さんの声が聞こえた。
まずい、部屋に入ってこられたら恐ろしく面倒なことになる。
「お、起きた!起きてるから!!」
「あら、珍しいこともあるのね。早く降りてきなさい」
「は、は~~い……」
お母さんの足音が遠ざかるのを確認し、念のためドアの外も確認した後、ようやくため息をついた。
「……油断した、私が寝坊常習犯なの忘れてた」
週の半分以上起こされてようやく起きている自分を初めて呪った。いや、逆に部屋の中に入ってこられなかったのが奇跡だと安心するべきか。
「ご、ごめんねレイ。朝からこんなに騒がしくて」
「いいや、問題ない」
「ていうかこっちに来てもらっといて何なんだけど、私これから普通に学校なんだった…」
自分のアホさ加減を見誤りすぎていたな。私ってホントバカ。
「もう一回寝たら戻れるのかな?」
「どうだろうか、試してみるか」
「うん。なんかホントにもうごめん…」
「気にするな」
レイが優しい笑顔で頭をなでてくれた。ホントにレイの優しさに甘えすぎなんじゃないか自分。
レイが再びベッドに横になったので、私はとりあえずベッドから降りた。
「今日の夜そっち行ったら、またこのことについて話そうね」
「ああ、わかった」
「おやすみ、レイ」
「おやすみ、リン」
瞼を閉じてしばらくすると、かすかに寝息が聞こえてきた。それと同時にレイの周りに光の靄みたいなものが溢れ出して、だんだんとレイの身体が消えていった。
そして光の靄が消えると、レイの姿はどこにもなくなっていた。レイが寝ていたあたりに手をついても、マットレスの感触しかない。
私も毎日こんな感じで戻ってきているんだろうかと、そんなことを考えてたら。
「鈴!!あんた二度寝してるの!?」
「うわあ!!」
起きたにもかかわらず下に降りてくる気配も見せない私のもとに、二度目の雷が落ちたのであった。




