仲直りの機会
5
涼太は、早くも後悔していた。
ここで、かつきとケンカして、このまま仲直りせず、気まずいままで、別かれることになったら、それこそ最悪だ。
いち早く謝らないといけない。けど、言うのは簡単だが、行動に移すのはなかなか骨が折れる。
このままだと、パジャマおじさん捜索の話も、無くなりそうだし。おれは、なにしてんだか。ふと窓の外を見ると、砂ぼこりが舞うほどの強い風が、ビュンビュン吹いていた。
ジャングルジムの近くに生えている大木が、飛ばされないように必死に耐えていた。
ホームルームが終わり、いち早く席を立とうとすると、さえが涼太の腕を掴む。
「今日、掃除当番だから。忘れずに」
ずいぶんと強い口調だった。それもそのはず、涼太は、さぼりの常連なのである。
「わかったよ」
素直に降参した涼太は、どこかホッとしていた。かつきの席に目をやると、もう空だった。ここで時間をつぶせば、帰り道でばったりかつきに会う心配もないだろう。
イスを逆さにして、机の上に置き、教室の後ろの方へと運んでいく。やたら重い机があるなと思ったら、自分の机だった。
黒板は、綺麗に消され、溝に溜まったチョークの粉も、ぞうきんでしっかりと拭き取られる。そして、日直の名前が書き換えられた。
涼太の番は、どうやら夏休み明けまで持ち越しのようだ。
涼太が、ほうきで、床を適当に掃いていると
「なんで、今日は逃げなかったの?」
と、さえが聞いてきた。涼太は、掃除をしている手を止め
「人聞き悪いな。おれだって、ルール守るときだってあるよ」
「ルールは、毎回ちゃん守らないと意味がないの」
涼太は、ぐうの音も出ない。
「はい、掃除の手が止まってる」とさえは、掃除モードに切り替えといった感じで、手をパンと叩いた。涼太は、「止めたのお前だろ」と、ぶつぶつ言いながら、しぶしぶほうきを動かし始めた。
「なんか言った?」
さえは、鋭い声を涼太に飛ばした。地獄耳まで備えているのか。
「ううん。何でもない」
涼太は、おとなしく返事をする。掃除当番のメンバーに目を光らせていたさえは、その進み具合に満足したのか、ぞうきんを片手に教室の外に出ていった。
涼太は、集めたゴミを普段なら、教室の四方にわからないように散らばせるが、チリトリでちゃんと集め、ごみ箱に入れた。そして、ほうきとチリトリを掃除箱に戻し、さえの後を追った。
いちおう、かつきのことをどう思っているか、それとなく聞いておこう。
水飲み場で、さえはぞうきんを絞っているところだった。
「なぁ、さえ」
遠慮がちに涼太は、声を掛ける。さえは、肩をビクッと震わせた。
「なんだ、涼太か。驚かせないでよ」
「ごめん」
「床掃除を終わった?」
「おう、もうばっちり」
「また、ゴミを適当に散らばらせてないよね?」
ギクッ。
ばれていたのか。本当、背中にも目がついてんじゃないかと、涼太はさえの背中を覗き込む。その視線に気づいたさえが、
「なに」
明らかに不快な声を、涼太に向けた。涼太は、あわてて首を振り、
「あのさ、かつきのことなんだけど」
それとなく、確信に迫るように。話し手のスキルが問われる。涼太の声のトーンに真剣さを読み取ったのか、さえは、絞ったぞうきんを端において涼太の方へと向き直る。
「率直にどうよ?」
センスのかけらもない聞き方だ。インタビュアーには、到底なれないだろう。
「どうって言われても。うーん。頭が良くて、礼儀正しくて、涼太とは正反対」
「おれは、関係ないだろう」
「でも、転校はがっかりだね。涼太となぜか仲良かったし」
「なぜかって、一言多いんだよ」
「なんで、急にかつきくんのこと聞いたの?」
涼太は、わかりやすくしどろもどろになる。
「えぇっと、まぁ、あれだよ、あれ」
「あっ、わかった」
わかった?
まずい、バレたか。
「かつきくんのお別れ会を開こうってことでしょ」
「はぁ?」
「もうすぐ夏休みは入っちゃうからね。早めにやらないとね。先生とも相談しないと」
さえは勘が鋭いけど、たまに変なほうに勘が働いてしまう。今に限っては、ありがたいが。さえは、新たな目標に目を輝かせ、頭の中でいろんなシミュレーションをしているようだった。こういう誰かのために、迷いなく行動に移す能力は抜群なんだよな。
涼太は、さえの興味がほかに移ったことに、ほっと胸をなでおろした。
♢♦♢♦
帰り道に駄菓子屋がある。
腰の曲がった白髪交じりのおばあちゃんが、ひとりで切り盛りしている。
学校からは、寄り道は禁止というルールが課されていたが、学校帰り、涼太は毎日のように、この駄菓子屋に出入りしていた。
駄菓子屋の引き戸を開けると、奥の居間から相撲中継の実況が聞こえてくる。いつもの見慣れた光景だ。ややあって、おばあちゃんがまるで亀のようにゆっくりと歩いてくる。扉には、鈴がついており、そのチリンチリンという音は、子どもたちが来た合図なのだ。
「来たね、やんちゃ坊主」
何を買おうかと吟味している涼太に、おばあちゃんは、嬉しそうに声をかける。涼太は、この駄菓子屋の常連であり、すっかりおばあちゃんに顔を覚えられていた。涼太は、悪さをする子が少なくなったけど、あんたは違うというお墨付きをもらっている。うれしいんだか、うれしくないんだか。
それにしても、こんだけお菓子が目の前にあると、目移りしてしまう。ふがしにラスク、きなこ棒に水を入れると甘いジュースになる魔法の粉。アイスもあるし、近頃流行りのゲームキャラクターのシール。
どれにしようか。予算は、わずか50円である。やはり決まらない。せめて100円あればと、思うが、お小遣いが増える見込みはまったくない。
「やんちゃ坊主、今日は元気がないね」
しわだらけの顔が、涼太を覗き込む。女っていうのは、みんな勘が鋭いのか。
「そう?そんなことないけど」
涼太は、なんとかごまかそうと、
「ガムもいいな。いや、えびせんって手もある」
とわざと声に出して、悩んでいるふりをした。お菓子を選びながら、おばあちゃんをちらっと見たが、その丸メガネの奥の光は、ごまかせそうにない。涼太は、すぐに観念した。
実は、こんなふうに涼太が心を見透かされたのは、初めてのことではない。悩んでいると、顔に出やすいのか、すぐにバレてしまう。
おばあちゃんには、人の心を緩ませる不思議な力があった。おばあちゃんに話を聞いてもらうと、悩んでいたことがたちまち解決してしまう。
「親友とケンカしちゃって。しかもその親友がもうすぐ転校するから、早めに仲直りしたいんだけど・・・」
涼太は、率直に打ち明けた。
「どういう理由でケンカしたんだい?」
「えっと、パジャマおじさんって」
「パジャマおじさん?」
おばあちゃんは、涼太の話をさえぎり、不思議そうな顔をした。
「えっと、パジャマおじさんっていうのは、おれも一回しか見たことないんだけど、その人、見たらなんか幸運が舞い込んできて、それを証明するためにみんなで捜索しようってことになった」
おばあちゃんは、それでといった顔で続きを促す。
「で、その仲間が問題で・・・。いまケンカしているやつがいて、そいつを仲間にしようって言ってきたから怒った」
おばあちゃんは、ふむふむと言いながら、天井を見上げた。
来るぞ。
こうなったら、いつも確信をつくような言葉を涼太の胸に突き刺すのだ。涼太は、ラスクのフタを開けて、一枚取り出して、口に放り込む。おばあちゃんは、こっちを見ていないから、バレていないかもしれない。
「あんたが、そのケンカしている子と一緒になりたくないのもあるけど。本当の怒りの矛先は、その親友の子があまりにも大人の対応をしたからだろ?」
「・・・・」
かつきは、涼太にとってもちろん一番の親友で、なんでも話せるし、一緒にいて楽しい。
けど、涼太は心のどこかで、かつきに勝てるところがないんじゃないかと不安に思っていた。無意識に、かつきと自分を比べて、嫌な気持ちになることがたまにある。
いわゆる劣等感ってやつだ。
涼太は、たぶん嫉妬をした。大人なかつきに、なんでも知っているかつきに嫉妬した。そして、あまりに子どもな自分に腹が立った。
やはりおばあちゃんは、ただものではない。絡まった糸を解きほぐす魔法を持っているかのようだった。鮮やかに悩みの本質を探り出す。これでもうちょっと気前がよかったらな。駄菓子をおまけしてくれるとか。
「人は、だいたいちゃんと向き合って話せば、大抵のことは解決するもんさ。ただ、人はそう簡単にはできていないんだね。残念なことに。いろんな感情が邪魔して、素直になれないのさ」
おばあちゃんは、説教するわけでもなく、自分に言い聞かせるように淡々とつぶやいた。
「その親友の子も、今悩んでいるかもね。両方とも謝りたいけど、意地を張っちゃって、謝れない」
「どうすればいい?」
「あんたは、謝りたいんだろう?」
涼太は、うなずく。
「だったら、先に謝ることだ」
涼太は、おばあちゃんの目を真正面から見た。
「それと、自分の気持ちもその子と別れる前に言わないとね」
「自分の気持ち?」
「そうだよ。言わないと伝わらないんだ。言っても現実は変わらないかもしれない。けど言うんだ。本当のことを隠して生きていくのは辛いもんだよ」
おばあちゃんは、そういうとどこか遠くを見る目つきになった。おばあちゃんも、親友が突然転校した過去があったのだろうか。その言葉は、実感がこもっていてずしりとくる重みがあった。
涼太はお菓子を買いに来たという目的をつい忘れそうになった。けど、ここに来たのは、話を聞いてもらいたかったからなのかもしれない。涼太が、50円分のお菓子をふたたび選んでいると、
「あと、40円ね」
と、おばあちゃんが言った。
「なんでよ?」
「さっきラスク食べたろ?」
気付いていたのか。これも、女の勘ってやつか。
「いいじゃん。話を聞いてあげたんだから」
「あんたの話を聞いたんだよ。けど、なかなか面白いこと言うね」
「じゃあ、その面白さに免じて」
「あと、40円ぶんね」
おばあちゃんは、断固とした態度で言い放った。