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パジャマおじさん  作者: 土方悠旗
2/12

突然の



朝、学校へ行くと、タンクが校門でやたら大きな声で、登校する児童に挨拶をしていた。



タンクは3組の担任で、そのあだ名の由来は、運動会のときにタンクトップを着て、筋肉をこれみよがしにアピールしていたところからきている。シャツの上からもわかるくらい、今日もムキムキである。今日もというか、ずっとムキムキである。



みんな律儀にタンクに挨拶する。



それもそのはず。すこしでも元気がない様子をみせたら最後、「声が小さいぞ」といって、その子の腹に手を当て、腹から声を出すんだと、朝から熱血指導が始まるからだ。捕まってしまえば、登校するみんなの前で、大声で挨拶するまで、離さない。その恥ずかしさったらない。



タンクの頭のなかでは、子どもは元気であるべきという古くさい固定概念がはびこっているらしい。しかし、涼太は、それは元気の押し売りであると、と常々思っていた。先生たちはなんとも思わないのだろうか。子どもだって、元気がないときはあるものだ。



また、今日もひとり捕まっている。



犠牲者はどんどん増えていく。今月ではや十人目の犠牲者である。お気の毒に。涼太は、気配をなるべく消し、校舎の中に入っていった。



すみやかに上履きを履き、涼太は、教室に走っていった。



「廊下を走るな」と背中の方から聞こえたが、そんなことはお構いなしだ。まず、かつきに昨日の出来事を話さなければ。どうしても記憶が新しいうちに、摩訶不思議な体験を共有したかった。



教室に入ると、かつきはまだ来ていないようだった。いつも朝一番に来るかつきがいないなんて何かあったのだろうか。



「めずらしい」



バカにしたような声が、背中から聞こえたので振り向くと、さえが、目を丸くして立っている。日に焼けているため、歯の白さが異常に目立つ。



「遅刻しないなんて、今日、雨降るかも?」



さえは、いつも挑発するかのように涼太に突っかかってくる。



「いつも先生来る前には、教室にいます」



涼太も負けずに言い返す。チャイムが鳴る前に、ギリギリ教室に滑り込むことが涼太の毎朝の光景だ。



「よく言うよ。ほとんど遅刻しているようなもんじゃん。5年生にもなって。余裕をもって家を出るってことを知らないの?」



「おれはね、毎日学校まで走ることで、鍛えてんの」



と、涼太は屁理屈を並べ、自分の机に向かった。



さえと話すときは、どうも意地悪なやりとりになってしまう。



さえは、このクラスの学級委員だ。その正義感の強い性格はまさに学級委員になるために生まれてきたかのようだった。女子たちの頼もしい味方であり、男子たちにとっては、天敵のような存在だ。



教室の窓際では、お調子者兼クラスの人気者ヤマジが、机に腰かけ、周りの集まった聴衆になにやら演説を垂れている。



身振り手振りが大きく、声も大きい。主に、昨日のテレビやマンガの話、そこから得た情報を自分のことのように話す。ヤマジは聴き手の心をつかむ話し方をすでに心得ていた。人気が出るのも当然である。それにモノマネが抜群にうまい。人気のテレビタレント、芸人、そして先生たちのモノマネである。先生のモノマネができれば、学校では、すぐに英雄になれるのだ。



そのにぎやかな輪の外で途方に暮れていたおかっぱ頭の肩を涼太は、同情の念を込めて叩いた。マルと呼ばれている背の低い男子は、パッと振り向き、涼太に「おはよう」と小さな声で言った。



マルは、おとなしくて、存在感があまりない。涼太がマㇽと仲良くなったのは最近のことだ。涼太も、マルってどんなやつと聞かれたら、おとなしくて無口、つい最近までだったら、そう答えるほかなかったが、ある出来事をきっかけにマルに一目置くようになった。



マルは、休み時間になると、スケッチブックを取り出し、みんなに見えないように背中を丸め、前かがみで、周りのざわつきなど気にせず、一心不乱に何かを描いていた。



涼太は、そのノートをたまたま、ちらっとのぞいたことがある。その絵には、ここではないどこか不思議な街が描かれていた。あきらかに小学生レベルではない緻密なデッサン力に涼太は驚いた。能ある鷹は爪を隠すとはこのことだろうか。



涼太は、素直に「すげー」と声を漏らした。マルは、肩をビクッと震わせ、涼太を見て、悪い奴ではなさそうだと感じてくれたかどうかはわからないが、無言でそのスケッチブックを涼太に手渡した。



そんなことがきっかけで、マルは涼太に、たまに描いたものを見せてくれるようになった。最初の頃は、あまり心を開いてくれず、しゃべってくれなかったが、今は普通に話してくれる。



こんなに上手ければ人に見せればいいのにと、マルに言ったことがあるが、「これはぼくだけの世界だから」そういって、拒んだ。マルなりの考えがあるのだろう。涼太は無理強いをしなかった。



「また、席、占領されてんのか」



マルは、ちいさくうなずく。



ヤマジは、基本誰かの机の上で、話を始める。おとなしいマルは、まさか「ぼくの席だからどいて」とは言えず、立ちすくむほかなかった。先生が来るまで、マルは我慢する。



「おれも何回か言っているんだけどな。あいつ全然話聞かないんだよな」



そのとき、担任のわらびが教室に入ってきて



「おーい、始めるぞ」



と、教室全体に声を響かした。



バラバラにおしゃべりしていた固まりは、ちりぢりになって、おとなしく席に着き始める。マルはようやく自分の席に座れて、一安心といった表情だった。ヤマジは自分の席に戻りながら、早速「おーい、始めるぞ」とわらびの真似をして、ひと笑いをかっさらっていった。



わらびとは、もちろんあだ名だ。



クラスのお調子者のヤマジが、そう名付けた。その由来は、わらび餅みたいな腹をしているところから来ているらしい。確かにわらびの腹は、ポコッと出ていて、触ると餅のような柔らかさがある。しかし、なぜ、わらびもちなのかは、いまだに不明だ。



くずもちでも、かしわもちでも、信玄もちでも、もしくはストレートにもちでもいいじゃないか。でも結果的に、わらびで良かったのかもしれない。もちではなく、わらびという部分が残ったことを考えると、呼び名として、くずでは不憫すぎるし、かしわなんて普通に苗字だし、信玄だとあまりに格が違いすぎる。



当のわらび本人も「わらび」という呼び名は気に入っているらしく、どういう理由でつけられたかも知らずに、親近感を演出したいのか一人称は「俺」でも「僕」、「先生」でもなく「わらびは」を積極的に用いた。



涼太の席は、窓際の席の一番後ろだ。



かつきは、涼太の席の対角線上にある廊下側の一番前の席だ。チャイムが鳴っても、その席は空席のままだった。すこし前までは、涼太の前にかつきの席があったが、席替えでだいぶ離れてしまったのだ。



わらびが、名前順にひとりずつ名前を呼んでいく。かつきの番に来ると、



「かつきは、風邪を引いて休みだ。みんなも風邪流行っているらしいから、手洗い、うがいはしっかりするように」



と訓示を垂れた。



涼太はがっかりした。なんだ、かつきは休みか。今日、学校に来た意味がないじゃないかと心の中で毒づく。パジャマおじさんの話したかったのにな。涼太は、昨日見たおじさんをそう勝手に名付けていた。



「涼太」



急に、わらびに呼ばれて、涼太はびっくりした。怒られるようなことを何かしたっけと頭をすばやく回転させる。



涼太にとって、先生から名指しされることは、注意されるか怒られるかのどっちかだった。



「ちゃんとテスト勉強してるか?」



教室のところどころで、失笑が漏れる。涼太の勉強嫌いは、クラスどころか学年の共通認識になっていた。



「してません」



涼太は、正直に答える。



「そんな堂々と答えられてもな」



わらびは、頭をかきながら言った。またクラスメイトの失笑が漏れる。



「今回のテストの目標はどうだ。何点取る?」



「30点とれるように頑張ります」



今度は、教室がどっと沸いた。



「30点もいいけど、もっと目標は高く持て。じゃあ、授業始めるぞ。えっ・・・と、教科書の45ページを開いて」



30点でもだいぶ高い目標なんだけどなと思いつつ、とりあえず涼太は教科書を開いた。その日は、もう出鼻をくじかれたので、いつも以上に授業のことは何一つ頭に入らなかった。



かつきに、パジャマおじさんの話をしたくて、学校に来たのだから、当たり前だと涼太は、自分を正当化した。



授業中、何回もうとうとしてしまい、1日で、先生に6回も注意された。著しい集中力の欠如だ。これまでは、5回が最高だったから記録更新。どうして、学校の授業はこんなに眠くなるのだろう。家では、ちゃんと寝てきているのに。



授業中にわらびが催眠術をひそかに施しているのでは、と疑いたくなる。ちなみに、隣の席のさえには、3回ほど足を蹴られた。そのたびに、パッと起きるが、すぐに二度寝に入った。



その日、覚えていることといえば、給食に揚げパンがでたことと、かつきが休んだことで余った牛乳をかけたじゃんけんで、ヤマジに負けたことだけだった。2つも覚えていれば、上出来だ。



♦♢♦♢



パジャマおじさんを見てからというもの、調子がいい。涼太の日常は、パジャマおじさんを見る前と、見た後ではずいぶん景色が違う。



簡単に言えば、幸運が舞い込んできたのだ。



まず、たいして勉強していない、試験のヤマ勘がことごとく当たった。かつきのノートのおかげでもあるが、今までこんなことはなかったのだ。ノートを借りても、全部写すわけでもないし、見やすいノートだなとただ感心して勉強しないことも結構あったし、たまたま目についたところを覚えていた程度だった。



そのなんとなしに覚えた項目が、テスト用紙を表に裏返したとき、並んでいることに涼太は、目を丸くした。テスト用紙の空欄が、みるみるうちに埋まっていく快感は、なにものにも代えがたいものがあった。かつきは、テストの時、いつもこんな感じなのか。



ほかにも給食じゃんけんでは、ヤマジに負けて以降、全勝だし、先生やお母さんにも、最近、怒られていない。まさしく快挙だった。運が良すぎてこわいくらいだ。



パジャマおじさんは、天使だったのかもしれない。涼太は、本気でそう考えた。とても天使の風貌ではなかったが、地上に降りるときは、姿を変えるとなんかの本で読んだことがある。



絵とかでよく見る、子どもの背中に二枚の羽が生え、頭には天使の輪っか、というスタンダードな天使ばかりではないのかもしれない。とにかく涼太のもとには幸運が、舞い込んできている。偶然かもしれないが、偶然でもうれしいものだ。



唯一の気がかりといえば、まだかつきにパジャマおじさんのことを話せていないことだ。



廊下側の一番前の席には、いるべき主の姿がない。かつきが休みはじめて、もう一週間くらいになる。風邪が長引いているようだった。それともインフルエンザなんだろうか。でもそれだったら、わらびが言うはずだし、それにいつもなら、誰かが休んだら、仲が良い子だったり、家が近かったりする子が、宿題やプリントなどをその子の家に届けるはずなのに、かつきと仲良くて、家も近い涼太にその依頼は来ていない。



すこし気にはなるが、考えても仕方ない。放課後にかつきの家に行ってみるか。ノートも返さないといけないし。



「おい、涼太」



机の上に肩ひじをつきながら、窓の外を見ていた涼太は、振り向いた。



そこには、ヤマジがすこし怒った顔で突っ立ていた。ヤマジ軍団と呼ばれるコバンザメたちを引き連れて。ちらっと、時計を見ると、昼休みが終わる十分前くらいだった。



「なんだよ」



涼太は、図らずもケンカ腰に返す。理不尽なことを言われそうだ、そういう勘は鋭いので、先手を打つ。ヤマジはすこしひるんだようだった。



「お前、テストでズルしたろう?」



すこし声が裏返る。



「は?」



「お前が、あんな点取るのおかしいじゃん」



涼太の快挙は、現在進行形で、クラスの話題の中心になっていた。わらびからも「やればできるじゃない

か」と、褒められるし、常に学年のビリを争い、できの悪い涼太が、一気に学年の中位まで順位を上げた。その奇跡がみんなの目には新鮮に映ったんだろう。



ヤマジは、いついかなるときも、自分が中心でいたいと思う男だ。クラスの涼太への注目が気に食わないらしい。



「するわけないだろう。実力、実力」



涼太は、軽く受け流す。



「カンニングしただろ」

ヤマジは、なおもしつこく聞いてくる。この場で、涼太に対する評価を急降下させる腹積もりらしかった。



「どこにそんな証拠があるんだよ」



涼太は、ちょっとムッとして言った。一方的に疑われているのだ、気分がいいわけない。



「じゃ、なんで急にそんな成績良くなったんだよ」



ヤマジはすこしほほを赤く染め、興奮気味に早口でまくし立てた。その大声に、教室にいた何人かが、一斉に涼太たちの方に目を向けた。子分どもが後ろに控えているため、弱い姿を見せられないのだろう。ヤマジは、やたら自分をおおきく見せようとしている。



涼太は、ケンカだったら、おれが絶対勝つぞと思いながら、勢いよく立ち上がった瞬間、昼休みの終わりを告げるチャイムが鳴り響いた。ヤマジは、納得のいかない表情で、自分の席に戻っていった。教室は、不穏な空気に包まれたが、外でサッカーをしていた男子がゾロゾロと帰ってくると、そのバタバタとした足音とさわやかな明るさに教室の重い空気は和んだ。



その数時間後のことだった。




かつきは2学期の始まりを待たずに転校すると、わらびがホームルームで重々しく発表した。


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