幸福
12
机にちゃんと座り、下手な字で、まっさらなノートに頭の中のひらめきを書き連ねる。
人が読んだら何を書いているかわからないであろうノートを見ながら、涼太はうんうんと満足そうにうなずいた。我ながらいい考えだと、胸を張る。
自分がやるべきことを確認すると、ノートをパチンと閉じ、ベッドに仰向けになった。
涼太の頭の中は、明日の計画のことでいっぱいだ。
最高の夏の思い出をつくることが、せめてものみんなへの罪滅ぼしだ。
これまで付き合ってくれたお礼と感謝を示す。しかし、パジャマおじさん、おれ見たよなと、冷静になって記憶を呼び起こしてみても、やはり鮮明にその光景が頭に浮かんだ。
やっぱいたよな。
4年前に現れたパジャマおじさんとは、絶対ちがう。見つけられなかったのは、後悔が残るがしょうがない。パジャマおじさんにも都合があるのだ。
翌朝、涼太は朝早く起きて、学校に向かうと、職員室のドアを堂々と開けた。
やましいことがないと、職員室のドアは、軽い。部屋は閑散としていて、唯一、奥の方でパソコンに向かっていた丸顔が顔を上げる。
「珍しいな。どうした?」
わらびは、左手で扇子を仰ぎながら言った。
「クーラーいれないのかよ」
涼太は、わらびの方へ歩きながら言った。
「経費削減だ」
わらびは、もっともな理由を述べた。
「宿題を減らすことはしないぞ」
「そんなこと言うわけないだろ」
「いや、涼太なら言いかねない」
涼太には、よっぽど信頼がないらしい。
「今日はお願いがあって来たんだけど」
「お願い?なんだ、あらたまって」
「今日さ、かつきと過ごす最後の日なんだ。それで・・・」
わらびは、真剣に涼太の話を聞いてくれた。わらびはどういう反応をするだろう。もし断られたら、足にしがみついても涼太は説得するつもりだった。しかし、その心配は杞憂に終わった。涼太の願いをわらびは二つ返事で引き受け入れてくれたのだ。
「涼太も成長したな、友達のことを考えられるようになったんだな」
わらびは、目にうっすら涙を浮かべ、涼太の頭を乱暴に撫でた。涼太は口ではやめろと言っていたが、すこしうれしかった。
「ただし、わらびも一緒に行くぞ。それでいいな」
涼太は、もちろんとうなずいた。あとは、買い出しをして、集合時間に集まればオッケーだ。
♢♦♢♦
夕方の5時。
日差しは弱まったが、相変わらず蒸している。パジャマおじさん捜索隊の面々は、続々と涼太の家の前に集まった。
さえは、納得のいかない表情をしている。ヤマジはどこか間の抜けた顔で、マルは昨日のことを気に病んでいるのか、どこか暗い。そして、かつきは、なんだか静かだ。
「えぇ、みなみなさん、集まりましたでしょうか」
涼太は、パンパンになった買い物袋を片手に言った。
「今日どうすんだよ」
ヤマジの不満そうな声が飛んでくる。
「これから学校へ行こう」
涼太は、笑顔で言った。みんなは、ポカンとしている。
「パジャマおじさんは?」
さえが、涼太に尋ねる。
「まぁまぁ、とりあえずついてきて」
涼太は強引に押し切り、先頭に立ち、学校へ向かって歩き出した。何人かは納得いってないようだったが、涼太はお構いなしに歩いていく。
学校の門の前には、わらびが立っていて、涼太たちに手を振った。涼太以外の面々は、驚いたような顔で、手を振り返した。
「みんな久しぶりだな。ヤマジ見ないうち大きくなったんじゃないか」
わらびが、にやにやしながら言う。
「たった一週間で変わらないよ」
ヤマジがうれしそうにツッコむ。
「それもそうか」
わらびは満足そうに笑った。
「先生、なんでここにいるの?」
さえは、涼太以外が思っていたことを代弁する。
「うん?あぁ、今日はな、涼太に頼み込まれちゃってな。頼みを受けたかわりに、掃除当番二週間やってく
れるみたいだからな」
わらびは、冗談めかして言った。
「え?そんなこと言ってなかったじゃん」
涼太は、しどろもどろになって言った。
「嘘だよ。本気に取るな。じゃあ早速行くか」
わらびは、みんなを校内に招き入れ、階段をのぼっていく。誰もいない校舎は、外のうだるような暑さとは違い、ひんやりとした空気がただよっていた。
いつも騒がしい廊下にも、教室の机にも、いるべき人はいない。なんだか変な感じだ。
「わらび、夜とか恐くないの?」
涼太は、夜はもっと静かでひんやりとしているのを想像してしまい、ブルっと震えた。
「最初の頃は恐かったこともあったけど、今はもう慣れたかな」
前を歩くわらびは、そう言った。
すこしわらびが大人に見える。当たり前だけど。わらびはどんどん階段をのぼっていき、とうとう屋上まで来てしまった。わらびは、ズボンのポケットから鍵を取り出すと、開かずの屋上の扉を開けた。
外の生ぬるい風が涼太の横をすり抜ける。わらびは、屋上に出ると、扉が閉まらないように、ストッパーをし、みんなを手招きした。
屋上の扉は、あっけなく開かれた。
「どうした、入らないのか」
わらびが、丸い顔をこちらに向けた。
「だって、いつも閉まっているのに、こんなに簡単に開いちゃったから」
涼太が、真剣な顔で答えた。
「なんだそれ。早く入らないと、閉めちゃうぞ」
わらびが、ドアを閉めるような仕草をしたので、涼太たちは慌てて屋上になだれ込んだ。初めて入る屋上
は、どこか別の世界に来たかのように、よそよそしい。
「先生、屋上、開けてもいいんですか」
かつきは、心配になって尋ねる。みんなも不安な顔で、わらびを見上げる。
「まぁ、今日は特別だ。内緒だからな」
ポケットに手を突っ込んだまま、わらびは胸を張った。
「じゃあ、ここからあそこまで競争しようぜ」
遠慮することないということがわかると、テンションのあがったヤマジはみんなに提案する。
「よーいどん」
涼太は、最初の一歩を踏み出しながら、いきなり叫んだ。わらびがドアの近くで、「あんまりはしゃぎすぎて、ケガするなよ」と注意しているが、そんなことは誰も聞いていなかった。
涼太たちは、なにかに解放されたかのように、夕方の赤く染まる空を、ときおり吹く涼しい風を顔に受けながら、走った。
順位なんて、どうでもよくて、目いっぱい走ることが目的かのように、がむしゃらに走った。
涼太たちが、満足げに顔を赤らめて、屋上の中央を振り返ると、いつの間にか6人分のパイプ椅子が置いてあり、わらびは並べられたイスの端にちょこんと座っていた。
「わらび、これ何?」
ヤマジが、弾む息を整えながら尋ねる。
「まぁ、いいから座れ」
わらびは、どこか顔がにやついている。涼太たちは、言われた通りイスに座った。ギシッとパイプ椅子が音を上げる。わらびは、腕時計に目をやり、「そろそろかな」とつぶやいた。空は、次第に暗くなり、夜はもうすぐそこまで迫ってきていた。
一瞬の沈黙ののち、突然、前方から、何かが打ちあがるような音がした。
そしてすぐに、バンッと音をたて、夜空に大きな花を咲かせた。みんなは、はっと息を飲む。一つ目の花火が上がり、間髪入れずに二発目が打ち上がる。
ヒュー、ドッカン。
みんなは、また息を飲んだ。
近くで毎年やっている花火大会。
みんなの驚いた顔を見た、首謀者の涼太は満足そうにニマニマと笑っていた。屋上だから、視界を遮るものもなく、花火の全体像がくっきり見える。
花火が上がったときにわずかに照らされるクラスメイトの顔を涼太は横目で見た。みんな、いい顔をしている。
さえは、うっとりと夜空を見つめ、花火が上がるたびにその大きな目に小さな花火を映した。ヤマジは、嬉しそうにウォーと小さな雄たけびをあげている。
マルは、そのきれいな光景を心に焼き付けるように微動だにしない。たぶん、この光景を頭に刻み込んで、スケッチブックに絵を描くんだろう。かつきは、いつものクールな表情を崩さず、すこし口元を緩め、夜空を見上げていた。
涼太の作戦は、大成功だ。
これでいい思い出になる。パジャマおじさんが見れなかったのは残念だけど。終わりよければすべてよしだ。隣に座ったわらびは、「こりゃいい」とタプタプのお腹を揺らしていた。
実際、こんな特等席はない。花火をこんなに落ち着いて、見るなんて初めてだ。涼太は、家から持ってきたビニール袋を取り出し、その中から自分チョイスのお菓子を広げた。
「これ、おれのおごり」
屋上に歓声が沸いた。涼太に、大量のお菓子を買える理由などもちろんなく、母親にねだって、家の手伝いをすることを条件に、もらったお金で買ったものだ。
「気が利くな」
ヤマジは、早速ポテトチップスの袋に手を伸ばした。みんなも思い思いに好きなお菓子を手に取る。
わらびが、おもむろに立ち上がり、ちょっと待ってろと言って、ドアの向こうに消えていった。
涼太たちは、お菓子を食べながら、花火を見ていた。
まるで、自分たちだけのためにあげてくれているような、そんな錯覚を起してしまいそうだ。ヤマジは、地べたに座り、足を伸ばして夜空を見上げている。
「なぁ、おれたちって、パジャマおじさん知らないうちにどこかで見たのかもな」
誰に言うわけでもなくつぶやく。互いの顔は、花火の明かりに照らされないと、暗くて、もうよく見えない。
「どういうこと?」
かつきが聞き返す。
「だって、結構、いま幸せじゃん」
ヤマジは恥ずかしそうに言う。それは涼太も同意見だった。
「そうかもね」
かつきも、同意した。さえもマルも同意を示すようにうなずく。
そのとき、屋上のドアが開き、わらびが帰ってきた。
胸に、たくさんのジュースを抱えて。
「誰か手伝ってくれ。落ちそうだ」そうわらびは、助けを求めたので、笑いながら、かつきとさえがわらびのもとに駆け寄った。
それから花火大会が終わるまで、お菓子を食べ、ジュースを飲みながら、たくさんしゃべった。こんなに楽しいことは、将来、訪れないんじゃないかと、心配になるくらいのぜいたくな時間だった。
最後の花火は、ダッダッダッとマシンガンのように豪快な音をたて、儚く散っていた。
楽しい時間は、あっという間に過ぎる。
余韻に浸るように、涼太たちは、しばらく黙って夜空を見上げた。みんな、何を考えているんだろう、涼太にはちっともわからない。楽しいことのあとには、かならず静かな時間が訪れる。その時間は、涼太たちに何かを考えさせる。
沈黙を破るように、ひざに手をやりながら、わらびが重い体を持ち上げると
「お前ら、ここから思いのたけを叫べ」
と、急に言った。わらびの突然の提案に、みんなは戸惑った。
「昔、先生が見ていたテレビにそういうのがあったんだ。全校生徒の前で屋上から叫ぶやつ。今日は、生徒いないけど記念にどうだ?」
わらびは、みんなの顔をうかがった。
涼太たちは、互いに目を合わせ、苦笑いをした。そんな恥ずかしいことできない、そうみんなの目が語っていた。
涼太は、「じゃあ、わらびから」とお茶を濁そうと思い、声を発しかけた瞬間、ヤマジがばっと前に出て、夜空に向かい、
「両親が仲良くなりますように」
と、大声で叫んだ。
ヤマジの声が遠くに飛んでいく。どこまでも飛んでいく。
すこしの間を置いて、ヤマジは振り返り、鼻をしきりに触り、恥ずかしさをごまかそうとしていた。しかし、戻ってきたその顔は、ひどく晴れやかで、すっきりとしているように見えた。
こうなったら、全員が叫ぶしかない、そんな空気が屋上にできてしまった。続いて、さえがばっと立ち上がり、
「好きな人が振り向いてくれますように」
と女の子らしい願い事を夜空に託した。
さえは、涼太と目が合うと、すぐに目をそらした。
涼太は、その告白にこっちまで恥ずかしくなった。かつきは、涼太と目が合うと、親指を立てて笑った。
おれは、とんだ勘違いをしていたのだろうか。さえは、かつきのことが好きなんじゃないのか。椅子に戻ったさえの横顔を涼太はちらっと見たが、暗くてよく表情は見えない。そんなわけないよな、と涼太の心がかき乱され、混乱しているうちに、マルがそろそろと前に出て、何かを叫んだ。
マルは大きな声をだしたつもりだろうが、まったく聞こえない。
「マル、聞こえないぞ」
わらびが励ますように言う。マルは、肩で大きく一回深呼吸すると、
「画家になりたい」
と、叫んだ。
マルは、叫んだ後もしばらく前を見つめたまま動かなかった。恥ずかしくて、後ろを振り返れないのだろう。マルの画力をもってすれば、必ず夢を叶えるはずだ。疑いようない。足りないものがあるとすれば、自信だけだ。ようやく、マルは後ろを振り返り、控えめな笑顔を見せた。
「どうだ、すっきりするだろう」
わらびは、満足そうに笑った。確かに叫んだ3人はどこか晴れやかだ。
自分の内側にあった想いを口に出すことで、より自分の想いに気付ける、そんな効能があるのだろうか。
いまや、叫んでないのは、涼太とかつきだけだ。
涼太は、かつきと顔を見合わせ、どっちが先に行くのかと、目で話した。涼太は、最後は嫌だなと思っていたが、かつきがすっと立ち上がり、前に進んだ。
「転校したくない」
と、かつきは、凛とした声で叫んだ。
涼太は、驚いた。弁護士になりたいみたいな夢を叫ぶかと思ったら、まるで駄々をこねる子どもみたいな願いだったからだ。
かつきの本音に、みんなは、はっとした表情をしている。
普段クールなかつきからは、考えられない言葉だったのだろう。かつきも、みんなと同じ小学校5年生なのだ。みんなは息を飲んでかつきの背中を見つめる。しばらく沈黙が続いた。
かつきは、夜空から、願いをかなえてやると、言われるのを待っているかのようだった。涼太は静かに立ち上がり、かつきの隣に立ち、
「おれもかつきに転校してほしくない」
と、大声で叫んだ。
心の奥底に隠してきた、言わないつもりだった想いを涼太は、思いっきり叫んだ。
本音には、本音で応えるのが礼儀だ。
ずっと言いたかったことをやっと言えた。胸のつっかえが取れて、すっきりした。
涼太は、転校という子どもだけではどうやっても抗えない運命に、納得したふりをしていた。それが、かつきのためだと思っていた。かつきを温かく送り出すために必要なことだと思っていた。けど、かつきも転校なんてしたくないんだ。
かつきの本音が最後に聞けて良かった。
人生には、どうしようもないときがある。本音を語ったところで、何も変わらないかもしれない。けど、心の折り合いをつけて、前に進まないといけない。ふたりは顔を合わせ、思いっきり笑った。
涼太は、かつきにようやくお別れを言えたような気がしていた。涼太とかつきの間には、よくあるようなお別れの言葉はいらないのだ。
「おれたち、ずっと友達だよな」
涼太は、かつきに言う。
「友達だよ」
かつきも笑顔で答えた。
パイプ椅子を片付け、お菓子の食べかすもきれいに掃除し、ゴミはすべて持ってきたレジ袋につめた。屋上にいた痕跡を残さないように、というのは、わらびからの指令だった。
どうやら学校の規則的には、やってはいけないことらしい。怒られるのは、わらびだ。ここまでしてもらって、わらびが怒られるのは、涼太たちの本意ではなかったので、真面目にゴミひとつ残さないように掃除した。
もう暗闇は一段と濃さを増している。
子どもたちだけで帰るのは、危険だということで、わらびがそれぞれの家まで送ってくれることになった。
学校の門を出ると、通りには誰もおらず、街灯の白いぼんやりとした明かりが、道路を照らしていた。体は、まだ興奮冷めやらぬといったかたちで、ほてっている。
涼太は、先頭にたち、かつきと横並びで歩く。
祭りの後の余韻を楽しんでいる感じで、すこしだけセンチメンタルな気分で歩く。
さくら公園が近づいてくる。夜の公園は姿を変えてしまったみたいに、昼間の公園とはまったく違うものに見える。駄菓子屋はすでに閉まっている。公園を過ぎ、右に曲がろうとした瞬間だった。
前方から、フラフラと自転車に乗った人がやってくる。涼太は、その姿を目の端でとらえて足を止めた。その人は、上下青いチェックのパジャマを着ていた。
パジャマおじさんだ。
涼太とかつきは立ち止まったまま、パジャマおじさんを呆然としながら見つめた。
さえとヤマジとマルも、涼太たちに遅れて、パジャマおじさんの存在に気付き、驚いた表情で固まっていた。ただ一人、事情を知らないわらびは、パジャマおじさんが不審者ではないかと疑い、子どもたちを歩道に寄せ、自分が盾になろうとした。
街灯に照らされたパジャマおじさんは、フラフラと涼太たちの前を通り過ぎていき、学校の方に向かうと、駅の方へ右折して、消えていった。
わらびは、緊張の面持ちだったが、涼太たちは、あまりの驚きに地面に根が生えたように立ち尽くしていた。
間違いない。パジャマおじさんだ。
時間差で、心の底から、今まで感じたことがない喜びが湧き上がってきた。静かだけど、大きな感動がさっき見た花火みたいに、胸いっぱいにひろがっていく。
涼太たちは、目を大きく見開き、互いの顔をみやった。自然とみんなの顔から笑みがこぼれる。
おれらが、やってきたこと、信じてきたことは間違いじゃなかったんだ。
パジャマおじさんが、通り過ぎると、わらびは、ほっとしたような表情で、子どもたちを振り返った。
みんなの安全を確かめようと思ったのだ。けど、それぞれの顔に浮かぶのは、恐怖などではなくて、むしろ花が咲いたような笑顔だった。
ずっと欲しかったものをもらったときのような輝きがそこにはあった。




