ただいま
療養二日目。今日も相変わらず私は飽きていた。ロイが持ってきてくれた本は過去に目を通したことがあったからで、だからと目を滑らしながら別の考え事をする。
賢者についてだ。空間魔法により神出鬼没といえる移動を行える相手が、回避不可能であった謎の攻撃をしかけることができる。魔力量による移動距離の制限から流石にこの地までは来ることはないが、危険であったことには変わりなく、攻撃の対処を考えないわけにはいかない。
といっても対処どころか攻撃の実態も分かってはいない。『動くな』という言葉により、私は体の機能を停止させられた。魔力が込められていたわけでもなかったのに、ただの声でだ。
私が気付かなかっただけで魔力があったかもしれないが、それができるのは闇属性の領域である。そして、闇属性は人族である賢者には持ちえない。対の魔族が光属性を持ちえないように、そういう世の理なのである。
加えて光と闇の属性持ちが現われるのは極稀だ。その極稀が今の時代に私と魔王様と勇者になった添島君でいてしまっているが、魔王様はともかく私は人工的な勇者召喚による付与と思われる。添島君は光の精霊と契約して力を得ているに過ぎないので、自分自身の力とは言えない。勇者召喚組の例外を除くと、しっかり魔法様ただ一人となる。そして魔王様以外の者による属性持ちは、百年以上の単位で区切る形でちゃんと極稀に出現していた。
兎にも角にも、闇魔法ではない。が、魔法の線は消えないでいる。賢者は魔法に精通しているのだし、そう考えるのが自然なことだった。
私は魔法に自信はあるが、それは全ての魔法に詳しい訳でない。技術だって、重力魔法や精神魔法で苦戦している。そのせいで魔法の構築の知識は持っている空間魔法だって、未だに手を出せていない状況だった。
だが、それは私が賢者の攻撃を、謎と放置せざるを得ないことにはならない。私で分からないなら、知っている者に訊けばいい。都合よく、そんな機会に恵まれた状況に私はある。
「ベリュスヌースなら、最低手掛かりだけでも分かるはず」
パタンと本を閉じる。本の内容は全く入ってこなかったが、今はロイが洗濯やら掃除やらの家事にて席を外している。こっそり動けるチャンスだ。
昨日の二の舞にならぬよう、素早く換気がなされている窓に手をかける。見つかる前に行くのだ。
魔法に頼らぬ隠密に、圧倒的不利を感じながら庭の後の結界も通り抜ける。はずだった。
「結界を利用して脱出できないようにしてあるの、ずるいっ!」
元はただ魔物対策であったはずなのに。ベリュスヌースまで私の絶対安静を強いるのか。いやまあ、この地まで空間魔法で連れてきたのはかの龍だ。そして私に贔屓して古代魔法を教えてくれていたあたり、気を許してはくれているとは思っていたが、まさかこんなに想ってくれていたとは考えていなかった。
「やはりクレアならばそうすると思っていた」
結界に通せんぼされて立ち尽くす間抜けな私だったが、なんと会いたかった相手自ら来てくれた。
「丁度良かった! ベリュスヌースの知恵を借りたいんだけど、いい?」
「貪欲に努力をするのは好ましいが、今は大人しくするべきときよ。ほら、家にお帰り」
「勘違いしてない? 今回は魔法関係じゃないよ。いや、古代魔法じゃないだけで、魔法ではあるかもしれないけど」
「ああ、賢者の攻撃についてか。我は構わぬが、先に話を通すべき相手がいるのではないか?」
現状ベリュスヌースには心の内を読まれてしまうので、会話がスムーズである。視線を私の後ろに向けていたのを追うと、ジト目のロイがいた。とっても不機嫌そうである。
「い、いつからそこに……」
「最初から、です。ずっと私は耳を澄ましていたので、この家の範囲内だったら音は筒抜けですよ」
独り言も何も聞こえていたってことである。ならば窓から出ていったのも、見逃されていたのかなあ。
「ロイ……お願い。ね、いいでしょ。ちょっとぐらい体とか頭を動かすのも必要だよ。なまっちゃう」
「はあ…………いいですよ」
「え、ほんと?」
やけに呆気ない。
「ベリュスヌース様がついているのです。もし何かあっても、適切な対処をなさってくださるでしょうから」
「任せておれ。それと話ついでにスノエのところに連れて行って薬を貰ってこよう。クレアの言い分も筋は通っておるし、スノエはもう老体なのだから労わってやらんとな」
こうしてスノエおばあちゃんがいるセスティームの町までの道程を歩んでいくことになった。私はベリュスヌースの様子を横目で窺う。ううん、やっぱり美女だなあ。
「そういう風に化けているからの」
「じゃあ、他の姿にもなれるんだ」
「なれはするが、今になっては一番親しんだ姿がこれでだからの。今更変えたりはせん」
「それは残念」
見てみたかったが、他の姿にされたらされたで目が慣れなくなってしまうだろうな。きっと変わらず美形なのは違いない。
「それよりも話したいことはこれではないであろう。ちんたらしておったらもう町についてしまうぞ」
「でも、ベリュスヌースも何か言いたいことあるよね」
「ほう。なぜそう思う?」
「だって、あんまりにも私にとって都合の良すぎるもん。結界に細工までしていたのに言動が合ってない」
「我は一人で行動するのをよく思っていないだけよ。魔法を使えないというのに、そなたは楽観視しすぎているからな」
「……魔法以外にも、棒術を身に付けているもん」
「魔物の脅威に対してだけではない。体をもっと大切にしろということよ。そなたは我に匹敵するか、それ以上の魔力を持っているのに、本来ならば体内で巡っている魔力が滞っている状態にある。エードゥアルトの応急処置があったにしろ、魔力器官以外に不調は出ていないのが不思議なほどよ」
お説教には頭が痛くなる。ベリュスヌースが正論なのは分かっているから、余計にだ。
「とまあ言葉を並べ立てたが、我が言いたいことがあるというのは合っているぞ」
「大切な話?」
「ああ。それに賢者の攻撃について、通じるところがあるかもしれん。だからこそ、話はスノエに会った後にさせてもらおうとしようかの。スノエには常々そなたのことを言われておった。スノエ以外にも、仲の良い者に姿を見せてやるといい。心配しているはずだ」
「うん。そうするよ」
様々な思惑を持っていたベリュスヌースの思うとおりに、私は従う。皆に会うのは長年連絡を途絶えさせたことで後ろめたいところがあるが、文句は黙って受け入れるつもりだ。ただ昨日会ったスノエおばあちゃんがしてきたように、拳骨をしてくるのは避けさせてもらう。
私の後遺症に合う薬を作ってもらうために家にまで出向いてくれたスノエおばあちゃんだが、全くの容赦はなかった。
セスティームの町に入るには、衛兵のいる門を通る必要がある。私は半魔の証である紫紺の色を魔法で隠せない状態にあるのでフードを被っているが、ベリュスヌースは確実に人の目を引く容姿を一切隠さないでいた。
「目立たない?」
「今回に限ってはそれで困ることはないからの」
衛兵に何かを見せると仰天されていた。そして私の身分証明を待つことなく、町の中へと通される。
「なにそれ」
「公爵の小僧に貰った」
軽々しく貸された何かは、この地を治めるスゼーリ公爵家の徽章である。うわあ、と思わず声が漏れる。
「ワットスキバー様からなんだよね」
「常ならば見せた途端、衛兵が公爵邸にまですっ飛んで行って小僧自ら挨拶しにくる。今はこの地におらぬから、その面倒がないがの」
「ふうん」
ならこの機会に手紙でも出しておこうかな、と画策する。かつての私のやらかしについて後始末してくれたお礼の気持ちを書き出しておこう。
いずれの日か恩返しを求められることだが、お礼を言わないままでいるのは人としてどうかとは思う。今ならば直接会うことなくそれができる。本来ならば口頭でしたかったのだと言い訳もできるし……なんだか今日の私は運が向いてる?
圧倒的美形の前ではするすると人で塞がっていたはずの道は開けてしまう。あっという間に薬屋に到着して、かららんと懐かしの鈴の音が鳴る。
「いらっしゃいませ。あ、ベリュスヌース様でしたか。薬できてますよ」
子どもらしさがなくなった、穏やかさのある女性らしい声だった。私はちゃんと心構えしていないでいたことを後悔する。
どう声を掛ければいいんだろう。ベリュスヌースの影になってしまったせいで、私は存在からして気付かれておらず、そんなことから考えなくてはならない。
混乱して言葉が見つからないので、取り敢えず姿を現してみる。それでも「ええと?」と首を傾げられてたことで、ちょっぴり泣きそうになった。店内に客がいないことを確認して、フードを少しだけ持ち上げる。これで顔は見えたはず。
「エリス……私だよ。覚えてる?」
「っ!」
目を見張り、小走りで駆け寄ってくる。心臓を弾ませながら待っていると、ぎりぎりと頬をつねられた。
「私がクレアのこと、忘れるわけないでしょ?」
「いひゃい!?」
「どれだけ心配させたか分かってる? 一時期は死んじゃったんじゃないかって思ってたんだよ」
「ごめんなひゃいっ。もうしないよ!」
「……仕方ないなあ」
エリスがスノエおばあちゃんよりは可愛らしい痛みとはいえ、暴力を振るってくるとは思いもしなかった。別の意味に変わってしまった涙をこっそり拭っていると、大きくなったエリスが抱擁してくる。
「お帰りなさい。クレア」
「……ただいま。遅くなって、本当にごめんね」
ここにも私の帰るべき場所があって、残っていた。両親のいる魔国とは別の郷里は、厳しいながらも暖かく私を迎えてくれた。




