洞窟に住まうもの
目覚めは悪かった。体はだるく、意識ははっきりとしない。ぼんやりと岩の天井を見ていると、ロイの顔が覗き込んできた。
「主……っ!」
なんでそんなに悲しんだ顔をしていたのだろう。ぎゅうぎゅうと抱きしめてくるのをされるがままになっていると、ハルノートも顔を出してくる。
「体調はどうだ。折れた骨は癒えているはずだが」
「おれ……?」
「胸骨圧迫でな。お前、溺れたんだよ。覚えてねえのか……?」
働かぬ頭で、ああ、と思い出す。確か、そうだ。賢者の攻撃で湖に沈み、そして。
「ハルノートが助けてくれたの?」
「まあな」
「ありがとう。ごめんね、ちょっとしくじっちゃった」
「ちょっとどころじゃねえよ」
怒気が帯びた、真剣な声だった。
「ごめんなさい」
「……そう言わせたかった訳じゃねえ。とにかく、死ななくて何よりだ」
「うん。ロイ、起きたいから離れてもらっていい?」
「はい゛」
「わあ、ハンカチ……は濡れちゃてるよね」
涙と鼻水で大変なことになっていたが、ロイの手持ちにはあったようで直ぐになかったことになる。赤い目元は残ったままだった。
それにしても、と私は自分の服を見る。制服姿だったのが、白の長衣の一枚となっている。毛布があるので寒くはないが、生足だったのでそのまま覆っておく。
「これ……」
「着替えさせたんだよ。濡れたまんまじゃ冷えるし、気持ち悪いだろう」
「それは分かるけど、」
その言い方じゃあ、もしかしてハルノートがやったの?
私はぷるぷると羞恥で震える。
「ロイがやったに決まってんだろ!? 俺はなんも……なんも見てねえよッ」
「ほんとのほんと? じゃあなんでそんなに慌ててるの……?」
「これは……………………なんでもねえよっ。変なこと言うからだろっ」
「ロイぃ」
「だ、大丈夫です。私が着替えさせていただきました。あれは救命処置、救命処置っ」
絶対、何かあったっ。着替え以外みたいだけど、私は確信してしまう。
「胸骨圧迫って言ってたよね」
その際に胸を触られたとか? 私はぺたりと胸の真ん中に手をやって、空しくなる。いや、まだ発展途中だから、私まだ十五だし。ないわけではないし、お母さんはおっきいしっ。
ならばと考えて、私は顔に熱が集まる。胸骨圧迫とセットになるのは人工呼吸である。溺れたからにはしない訳にはいかないだろうし、私はぱくぱくと口を開閉する。
「あ、あう……」
「あれは救命処置なんですっ。救命処置だから、救命処置なのですっ!」
「そ、そうだよね。したくてしたんじゃないし、ハルノートも私なんかにごめんね!?」
「救命処置は救命処置!」
「ロイは落ち着け。……クレアも、体調が悪化するぞ」
眉を顰めつつ、手を伸ばしてくる。なんか、今はそれは駄目だった。
「ひえっ」と私は立ち上がって逃げ出そうとする。だが、力が入らなくてすぐに転んで失敗してしまった。
「うぅ」
『……何を、やっている?』
「っ!?」
威圧まじりの声に私は魔法を展開しようとして、溺れた影響でか魔力の流れが滞って失敗する。とにもかくにも相手を確認しようとして、出す声を失った。
巨体は膝を折ってなお見上げる高さはあり、半分以上は鱗に覆われていた。長い尾をぺたりと地面につけているこの龍は、私に顔を近づける。
「…………っ?」
『何を、やっているのだ?』
「ええと、とても驚いてしまって?」
『そうか。安静にしていなさい』
遠ざかっていく顔に安堵する。敵ではないようだが、迫力が凄かった。
「大丈夫か?」
「腰、抜けたかも。後魔力器官がおかしいみたい」
「なんだと?」
「でも一生魔法が使えなくなった訳じゃないから、多分なんとかなるかな。それより、あの龍は?」
「ガウウ、ウ!」
「リューク! え、なに。……お父さん?」
「ガウ!」
新事実にリュークとかの龍を交互に見比べる。思わぬ初対面に私は挨拶せねばとまた立とうとして、ハルノートに抑えられる。
「安静にしてろと言われただろ」
『安静にしていなさい』
「あ、はい」
彼とは人一人分距離を置くことにして、毛布にくるまる。皆が私の動向を見張っていて居心地が悪かった。
『エードゥアルトだ』
「私はクレディアです。貴方様はこの洞窟にずっと住んでいたのですか?」
外に通じる穴があることで、湖前で見た洞窟内と当たりを付けていた。炎が浮かんでいるのはここにはいないが、サラマンダーの力なんだろうな。
『お前たちが来るまではここは静かな場所だった。だから、いつからは覚えていないが、好んでここにいる』
「そ、そうでしたか。私のせいでご迷惑を」
『別に、たまには悪くはない。息子を連れていたことだしな』
つまり、リュークがいなければ駄目だったのだろう。
リュークが丁度良く助けに来てくれてよかったと心の底から感謝する。そういえばその辺りや気を失っていた間のことを私は詳しく知らないでいる。そして、エードゥアルトに会ったからには、リュークのことに関係して色々訊きたいことがある。
人間と違って龍の習性があるので責めるつもりはないが、自分の息子の誕生を知っていたのか。知っていたなら会いにこようとは思わなかったのか。過去に寂しがるリュークは見たことはないので、単純な疑問を持つ。
『息子に関しての知らせは受けていた。とてつもなく低い確率を引き当て子をなした、と』
あ、これ心の内を読まれている。
ここらはエードゥアルツ自身の魔力で満たされた空間だ。体調が万全でないから抵抗はできず、筒抜けの多くの疑問が知れてしまった。
『それらを説明するのは、面倒だ。少し、待て』
とてつもない魔力が魔法へと消費されていく。リューク以外の皆で顔を引き攣らせて、様子を見守るしかなかった。空間が揺らぎ、時間が経つ。
どうなるの、と顔を見合わせている内に空間の先から人が現れる。姿が人であっても、実体は龍だった。
「久しぶりであるの。元気にしておったか?」
「ベリュスヌース!?」
「ガウ!」
「こやつが迷惑かけたようだな。あまりの面倒くさがりな性格は、十数年ぽっちでは変わっておらぬようだ」
古代魔法の教授で数年前に会った以来だった。ベリュスヌースも変わらず、人化した姿は傾国の美女である。
ほう、と息を漏らしている間に、ベリュスヌースはがみがみとエードゥアルトに叱り始める。代わりに説明してくれる存在を呼んだつもりであろうが、逆に手間がかかることになっているのではないか。
といっても呑気に首を休めているので、そんなことはないらしい。ふわあと欠伸をして、グーで殴られていた。小さな体によって巨体は飛ばされていったものだから、凄い光景だ。
エードゥアルトは上下逆さまになった状態で人化する。垂れ目の気弱そうな雰囲気の男性になって、リュークは父に似たのだと分かった。
「痛い。洞窟が崩れるところだった」
「こうでもせんと人化しないからの。龍の姿は人に畏怖させてしまうから、暫くはそうしておれ」
「はあ。そうなのか」
「……次元が違うな」
「ええ、本当です」
ハルノートは特に空間魔法より説明する方が面倒くさくないことにショックを受けていた。一国を跨ぐ距離はあったのに、なんてことはないと自然体だから同感できる。
「待たせたな」
「いえ。とんでもないデス」
「急に改めおって。今更儂に恐れおののいたのか? それより随分と酷い目にあったようだ」
「うん。今でも理解できない方法で体の動きを止められてしまって。ベリュスヌースなら分かるのかな?」
「まずは先に治療よ。一応エードゥアルトが治療したようだが、不安だからの」
毛布を引っぺがされて触診される。服の上からでもできるようで、暖かな熱が私の体に灯る。
「脳は無事であるようだな。体の不調は幾分かよくなったであろう。魔力器官だけは時間を要するから、暫くの間は魔法を使わぬように」
「さっき使おうとしていたが、それは平気なのか?」
「血液と同じで魔力器官も大事な部分よ。クレアは半魔といえど魔族と同様に魔石を核にしておるのだから、その分悪化しただろうな」
「むう」
「唸っても魔法は使ってはならぬ。なによりもそなたの体のために」
「分かってる。ねえ、リュークのお父さんとはどんな馴初め?」
「恋愛関係はないぞ。子が欲しいと思ったから、子種だけもらっただけの関係よ。居場所は知っていたし、話の通じる部類だったからな」
「それは理性的じゃない龍がいるってこと? 本能のままの魔物みたいな?」
「そうとも。エードゥアルトは環境を自分好みにして、ここら一帯は生物のいないものとしただけの程度だった。だから協力してもらったが、リュークのことを言っても時間の感覚が狂っているからな。結局会いに来てもらう形で、邂逅がなったようであるの」
「なるほど」
「龍は出生が乏しいから、子が生まれたなら大事にする。儂もあやつも言えたものではないが、リュークは遠慮なく甘えてくるがよい。すんなりと受け入れておるようだしな」
「ガウウ!」
「儂も共にか。ならよし。この機会に人化して並びあってみようか。中々おぬしとあやつは似ておる」
「ウ~!」
リュークは両親の話にはあまり興味を示していなかったが今が楽しければいいらしく、かつてないほどにはしゃいでいた。家族水入らずの光景に、私は嬉しくなる。
「主はこっちですからね」
「私はちゃんと座ってるよ」
甲斐甲斐しいロイは、それでも心配らしい。無事なのを確認したいのか、ベリュスヌースを真似するようにペタペタと触ってくる。くすぐったくて仕方なかった。
「ふふふ。ちょ、も、やめっ。ロイ、お触り禁止!」
「そんなあ!?」
だって、どんどん際どいところにいくんだもん。
さっきので外傷はないことは分かっただろうし、もういいだろう。
必死にすがりつくロイを笑いをこらえつつ引き離していると、「クレア」とハルノートが言う。
「なあに?」
彼も不安なのかなって、安心させるように微笑む。珍しいことにぼうっとした様子で、彼はそれを言い放った。
「好きだ」
「……え?」
突然なことに私は固まってしまった。それはどう意味なのだろう。
ハルノートはみるみる顔を真っ赤にさせていた。ばっと手で口を覆ったことに、彼自身意図していなかったこと。恥ずかしがりながらも私の反応を窺い見るその熱に、私は。
彼は異性として好きなんだって、エブスキーとの経験もあって理解してしまったのだった。




