半魔の内情
「この花畑を越えた先に里はある」
ベラニーはとある方向を指差す。
「もしかしなくても、あの結界の中?」
「ああ」
流石に賢者のとき程の大きさではないにしろ、家屋を囲む巨大な結界がある。
「かつてはこのように自然豊かな場所ではなかったんだ。それをあの結界の大部分の供給源を担うおばばによって、結界外にまで影響を及ぶほどの安全地帯を築くことができている」
「おばば?」
「私を含め、皆はそう呼んでいるんだ。本当の名前はリンサだ」
彼女は柔らかな声色だった。
リンサさんは皆から愛されている方なのかな、と考えている内に結界の端まで到達する。私はその結界に意識を取られることになった。
「結界以外の魔法が組み合わされているんだね。風と氷属性を付与したことはあったけど、回復……いや、この場合は浄化が合ってるかな。へえ、とっても、とっても興味深いね。回復魔法を浄化の方向に強めるなんて、考えたことなかったなあ」
「おい。話はまだ終わっていないぞ。見るより聞け。お前が願ったことだろう」
「うん。でもね、凄いんだよ。ベラニーは魔法に詳しい? 結界が浄化機関になっていてね、多分空気中の負の要素を消し去っている。だから空気中の魔素は清浄された綺麗な状態で、魔物の発生を低下に繋がっていて――」
「長い! さっさと中に入るぞ」
「ああ、まだ仕組みを把握していないのに……」
「後でいいだろう、そんなもん」
そうだけど、そんなもんではない。魔素の浄化など、誰も試みたことはなかった。知らぬ場所であったかもしれないが、まず既存の魔法にはない。壮大で、複雑な魔法だ。
諦め悪く結界へと手を伸ばす私を、ベラニーはずるずると引きずっていく。なんだあれ、と周りの痛い目線もあり、私は取り成して自力で歩く。
「人型の半魔が多いね」
元々波旬の復讐の実行者であった半魔達もそうであったので、人族に扮しやすい人選故かと思っていたが、隠れ里にいた半魔も殆どが人型である。魔族の場合は異形が大半を占めていたので違和感があった。
ベラニーは帰還に喜ぶ同胞の応対をしつつ「人の血が濃いからだろう」と答える。
「半魔と言えど、魔族の血はとても薄れている。人族を攫い、母体又は種馬としているからな。ほら、あそこにいるのはその一人だ」
「……あの方は前回の復讐時に?」
「そう聞いている。なんだ、同情しているのか?」
心底不思議だと首を傾げていた。価値観の相違を悟り、不快な感情を抑える。
「それほど酷い待遇にしてはいない。丈夫な子孫をつくるのに、健康でいてもらった方がいいからな」
「…………そう」
なんとも言えない気持ちになった。ベラニーは同胞を一番に据えてしまっている。それが悪いとは言わないが、だからといってそれ以外を慮らなくていい訳ではないだろう。
とはいえ、私は何も言わなかった。同胞以外に目が入らない程に、過酷な生活をしているのは、全体的に痩せた体躯や古びた衣服から察せられる。
そもそも彼女達にとってはそれが当たり前なのだ。そんな環境で育てられ、私が何と言ったって意識はそう変えられるものではない。
人族を恨む中、衣食住を与えられているだけでもマシなのだろう。人族には同族であっても過酷な労働を強いる奴隷にしていたりするのだから。
べラニーと私は身動きが取れぬほどに半魔に囲まれたことから、断って人気のない場に移す。彼女だけでなく私までそうなったのは、見覚えのない半魔から容易に魔女と見破られてしまったからだ。
どうやら復讐するに当たって行われた偵察によって、私の噂まで入手されていたらしい。もうやだとなる反面、最初と比べてそこまで動じなくなった私である。開き直る境地まで至れそうだ。
「なぜ半魔が波旬の復讐を行うかは、言わずとも知っているな」
「うん。昔、人族に虐げれたからだよね」
「そうだ。だが、それだけではない」
ベラニーは「複雑な話になるが……」と前置きし、訥々と語る。私は彼女に対して意地っ張りなイメージを持っていたので、遠くの喧騒が聞こえる程静かに語る様は、口を挟むことなく聴きに徹することを促した。
「おばばは当事者なんだ」
話の中核はリンサさんだった。
全てを見てきたという。魔族と人族が手を取り、共存していたことも。争いが勃発し、半魔は見捨てられ奴隷に落ちたことも。反逆を翻し、復讐を行うに至ったことも。
「だから、人族への憎悪は途方もなく深い。体が衰え、寝所から動けなくなった今もそれは変わらない」
ベラニーが見遣る先は結界の中央部、一棟の家屋だ。市街のような、農村よりも粗末な家屋の中では一番よい骨格が作られた丈夫なものである。
あそこにリンサさんがいる。
言わずとも知れたことであった。
その件の家屋から幼子が出てきて、迷いなく私達の方を見遣ったことで丁度視線が絡む。ベラニーの強い意向により二人っきりで話がしたいからと断っただけで、今の居場所は知られていた。
一目散に駆け出してきた幼子にどうしたものか、と思うがベラニーは構わず話を続けた。
「おばばが復讐を願っている。だから私達はそうせざるおえない。例えおばば一人だけに復讐心があろうとも、結界を維持し続けてもらうために、逆らえない」
「そんなの、」
脅しだ。思わず出た言葉は、最後まで口にはできなかった。
ベラニーは憂いを帯びていた。それはおそらく復讐するのが辛いとか苦しいとか、そういうものではない。
半魔にとって安息の地と知らしめている結界の維持を盾にされている。だが、そんなリンサさんはおばば、と皆から親愛を込めて呼ばれている。
私は状況の不穏さを感じた。
「……ねえ。私への頼みって、何?」
「おばばの願いを叶えて欲しい。私にはできないことなんだ」
そして、駆け寄ってきた幼子によって私はリンサさんの家屋に行くことになった。他ならぬリンサさんの意向であり、ベラニーはそのことを予期していたようだった。
私は寝所に力なく横たわる老婆を前にする。
顔は包帯で半分を覆い尽くされて、それでもはみ出るのは爛れた火傷の痕だ。布のない見える範囲から判断すると、容姿は腕が獣毛であったりする以外は人族を基本としている。ただその腕は加齢だけではなさそうな要因により、抜け落ちた獣毛によって所々肌が見えてしまっていた。
「よく、おいでなさった」
もはや呼吸するのと同義な程に自然に、そう感じてしまう程にか細く弱々しい声であった。
私は声を遮ってしまうのを恐れて「はい」とだけ短く返事をする。
「我が同胞を窮地から救ってくれたこと、ありがとうございます。半魔と同じ種族に身を置くものの、他人といって差し支えのない我等を貴方様は……けほっけほっ」
続く咳に私を連れてきた幼子が対応する。私も魔法で何とかならないかと駆け寄ったが、負担を軽くする程度にしかできない。
根本的解決を図るには、老化相手ではどうにもできなかった。薬師としての腕も、役に立ちはしない。
人は必ず死ぬ。人族でも魔族でも、勿論半魔も変わりはしない。寿命の差はあれ、死は訪れる。
リンサさんに死相が現れていた。誰の目にも分かるぐらいにはっきりなものだ。
咳は一度は止まったが再発する。
「無理をなさらないでください。時間を改め、また参りますので」
「けほっ…………いいえ。これでも、調子は良い方なのです。お手数をかける訳にはいきませぬ。といっても、ご恩を返していない上での頼みがあるので、卑賤であることに変わりはないのですが」
聴きたくない。そのために私はここに来たのに、思わずにはいられない。
「魔女と名高き貴方様ならば、事をなすだけであれば容易なのでしょう」
私はその言葉を鵜呑みにはしない。
リンサさんは見るも耐えかねる弱々しい姿だ。
だが、その身に不似合いな、なんと力強き眼光。儚く消え行く命に燃料を注ぐ精神力であるからには、容易だなんてあるはずがない。
そんなリンサさんにさえ、できないことなのだから。
途方もない恐れを抱いた。体が異常をきたし、くらくらとした揺れや浮遊感を体験する。確かに足は床についているはずなのに、ついていない。
「この私の代わりと、なって欲しいのです」
「は……」
無理だ。
短く吐き出た息は、拒絶と混乱が混じったものだ。
相手からすれば嘲笑とも取れるが、その場では私は気付けない。どう答えたらいいのかと導き出せないでいる脳では、私は立ち尽くすしかできなかった。




