波旬の復讐
『ノエのような者をこれ以上生み出さないためにも、己の身は大切になさい』
ヴィオナによって忠告はなされていた。この意味はノエによって知ることになる。
『薬の原料、魔族のだよ』
ドーピングの原料となった魔石は、魔物から採取されたものではなかった。その事実に、人国で活動する諜報員はより一層自衛を求められる。
半魔の私も、魔石を体内に保有しているため例外ではない。
魔物のでは代用できない。あまりに効力が強すぎて人族の体ではもたないという。そうして身体が崩壊し、死した者は何人も見てきたとノエが語る。
魔王様が人国へ移動制限をかけているので、原料の確保は困難を極めていたらしい。だから、ノエのような境遇者は他にいない。新たに作らせないためにも、死して亡骸を素材として扱われる訳にはいかない。
仮眠を取れば、薄暮から燭光が灯された頃であった。
二人のお貴族様が立ち塞がり、私は顔を引き攣らせる。
「帰るんじゃないの?」
「私達がいつそんなこと言った?」
いや、私に会う目的を達成したのなら、こんな危険な地なんて離れるに限るだろう。
「私を帰らせようだなんて、そうはいきませんわよ」
「お遊び感覚でいると怪我するよ?」
半魔の脅威は勿論、警邏は強化されているものの治安がいいわけではないのだ。行き交う数々の武芸者は腕がよくとも道理的でなかったりする。衣服からして明らかに貴族だと醸し出している二人はいい鴨になってしまう。
「危険は承知しているわ」
「親の許可は?」
「娘を戦場に送り出すような父なんだから不要よ。それに婚約者と共にいるよう言われているもの」
「アイゼント……」
「私の父は快くこの地に送り出した。この言い合う時間は無駄なだけだぞ、クレア」
「なんか私が聞き様のない子どもみたいになってる……」
溜息を吐き、護衛を含めその場全員に認識阻害の魔法をかける。存在する以上の考えをさせない効能がある。
例えば私とリュークがその場にいても、武芸者からは人として認識するぐらい。幼い子どもがいて不自然とは思わない。夜に出歩くため、私自身と共に行動するリュークには既にかけてあった。
「魔法が付与されているとは感じ取れないな」
「闇魔法は便利だから」
一番応用が利く。どんな武芸者から見ても、看破されないだろう。私は偽装の魔道具でそうして半魔だと気付かれなかった。
私に付いていくつもりだという二人の意向に、またもや溜息を漏らしつつ足を進める。
「何がしたいのかは知らないけど、見つけた半魔は誰であっても渡すつもりはないからね」
「誤解しているようだけど、私達は貴方がなすことに興味があるからこうして共にいるのよ」
「野次馬?」
「酷い言い草だな。否定はしないが」
「しないんだ」
「私はそれ以外にもあるわよ。……と、友達なんだから、助けてさしあげようって訳!」
顔を赤く染め上げるチェイニー。手の甲の口付けと反応する場所が違わない?
ありがたいことには変わりはないので、余計な胸中は留めておく。
「そっか。頼りにしているね、チェイニー」
「おいおい、私だって助けぐらいするぞ」
「えぇ……」
「貸し借り関係なく、ただのアイゼントとしてだ。私は父みたく収集癖に執心していないからな」
ワットスキバー・スゼーリの冒険者の収集癖である。その一環で騎士を務めるミーアさんを私は見遣る。
「私は満足してるよ。クレアは向いてないみたいだけど」
「旅はしたいからなあ」
元々、冒険者を志したのは旅の目的である世界を見て回るのに丁度良かったからからである。今は成し遂げたい夢を中心に、魔王様に与し奔走しているが、元々はそうだ。
「そういえば、先程からどこかへと歩いているが、当てがあるのか?」
「ううん、全く。根気よく相手の色と気配で探さなければならないのは、私も同じだからね。顔とか知っているわけでもないし」
髪と両眼の紫色と、人族には持ちえない魔族特有の気配だけが頼りだ。同族であるからと、相対した際に直観で分かりあえることは起きない。
「核の魔石を頼りに魔力探知はしたんだけどね」
「こんな市街では困難だろうな」
「うん。なんとかなるかなって楽観視してたけど、魔力が多い人ばっかりだから逆に混乱する。まず、人の魔力と魔物の魔石の区別だって、パッと分かるようなものじゃないし。だからとにかく歩いて、たくさん人と会って気配を探してる。でもこれで見つけ出すのも難しいね」
「まず出歩いているとは限らないわよね」
「そうなの。衛兵とか聖騎士が住宅を尋ねて、匿ったり脅されたりしていないか訪ね回っている時点で、一歩遅れを取っているし。もうこうなったら一番に接触するのは諦めて、捉えられた端から奪還していった方が簡単に思えてきたぐらい」
「できなくなさそうなのがクレアよね」
好戦的だが、懸賞金を目当てにしていないので人とのトラブルを起こして支障はない。
「こうして歩いていれば、いつか誰か一人ぐらい遭遇してもおかしくはなさそうだけど」
そうなれば私以外の者も気付くことにはなろうが。件の半魔は複数いる。少なくとも一人ではなく、仲間と共に人族に復讐を狙う。
過去に半魔を捕らえたという例は何度かある。それが半魔の居住地の判明に繋がっていないことから、半魔の結束力は格外と分かる。
「そういえば官邸で予告がなされたとは聞いたけど、詳細は掴んでいるの?」
酒場では予告が捻じに捻じ曲がった噂に成り果てたが、この地では御触れで注意喚起された。波旬の復讐が来襲することだけ住民に伝えられたが、ヒューより詳細は得ている。
「噂では物騒な予告になっていたけど、実際は書状で体裁を整えられた綺麗な形らしいよ。内容はただ復讐を行うだけじゃなくて、要求を呑むなら取りやめるって述べられていた」
「それは……意外だな」
「今回初めてのことなんだって。普段は唐突に始めるみたい」
「じゃあ、その要求っていうのはなによ。話しぶりからして、内容も変わっていないのでしょう?」
「うん。この地から全員が出ていき、半魔に受け渡せって」
「官僚側が頷けない訳ね。復讐を承知で住まう者はできるものならとっくに他方に移しているし、また国の威信に関わるもの。とても現実的ではないわね」
「まあ、裏付けは取れてないんだけどね」
一回官邸に忍び込んで情報を集めたいところだが、私と同じように考える者や元々官僚は復讐対象として狙われやすい上予告での要求もあり、隙間なく警備を固めてしまっている。
この地には昨日来たばっかりで手が付けられていない事情もあるが、予告のお陰で復讐の実行には間に合えたのだ。
官僚側がどのように対策を打っているか、と新たに調べたい情報はあるのでなるべく速く乗り込みはしたい。だが半魔を先に捕らえられていない以上、まだ隙を見定める時間は取れるだけありがたかった。
それにハルノートとロイ、そしてアイゼントとチェイニー達の助けも加わった。これは人員が足りなく、人手が欲しいかったところに丁度良かった。
持ち得る情報を提供し終わったところで、纏まって行動するには効率が悪いと別行動を考える。
当面は担当区域を決めて巡回する予定なので、手が及ばず回りきれないと諦めていた区域を頼もう。
そう開口するところで、私と手を繋いだ状態にあるリュークが引っ張ってきた。
「う!」
「……血の香りがしたって。行こう」
獣人のような嗅覚が鋭い者により、行き交う人々には流れができ始めていた。出遅れていることから、「先に行くよ」と声をかけて風魔法を用いて先行する。リュークの先導に基づき、ときには人の頭上を飛び越えながら血の香りの根源に到着した。
人が一人、無残に血の池に伏して死に絶えている。だが人だかりはその者ではなく、民家の壁に集っていた。注視するのは壁に血染めで書かれた文字である。
『官僚どもの愚かな判断により復讐は始まる』
淡々と人族を殺してきたのとは異なる復讐に、ざわめきが広がる。衛兵が駆けつけ、その場から離れるように規制をかける。その中に気になる者がいた。
顔を青ざめながらも、衛兵に何かを訴える男だ。言を聞き、聴取を行われるに至った男は今朝見かけていた。空にあった影は竜種を操り、飛行していた姿である。そんな配達員であるズソウさんの話を魔法にて盗み聞きする。だが、同じように考える者はそれなりにいたようで、眉を顰める衛兵によって場所を移された。ただその間に大体の内容は把握している。
半魔を見た、ね……。
その場に居合わせる者の英気盛んな様を横目に、私は見も知らぬ亡骸の冥福を祈る。
波旬の復讐と同時に、半魔争奪戦も幕を切る。私はアイゼント達と合流し、行動に移す。深夜であっても騒然とした市街ではあったが、暁となっても誰一人半魔は見つけることもできなかった。




