優しさ
「報告書を送ったのですよ。初めてだったのですが、キシシェさんに教えてもらいながら逐一に漏れなく書いたつもりです。ですのに、なんで私は……」
着の身着のままであったせいで寒さに、そして感情で私はふるふると震える。
空は群青に染まり、見事な景色である。地上の景色もまた同様に。
私は空高く、ハーピーのウルさんの背にいた。突然魔王様に直接報告に来い、と一時帰還命令が下ったからだ。
闇夜色の魔物という調教し飼い馴らした野禽に報告書を依託し、魔王城にまで届けてもらったにもだ。空を行き交う役目を担うウルさんは、「まあまあ」と私を宥める。
「誰かの下につくという者はそんなものですよ」
「私、一応魔王様とは対等な協力関係なのですが」
「それは失礼しました。ですが、魔王様相手ではきっと同じですよ」
「……ウルさんも大変ですね。副官であるでしょうに」
前回一度運んではくれたが、それは魔国から人国という魔物が多い難所を大人数で目をつけられやすい故なはずだ。後は顔なじみであることもだろうか。
魔国では強さ順で地位が決まると言っていいほどの中で副官にいるウルさんが、意図が窺えぬ命令に付き合わされるとは。私は同情を向ける。
「勇者が逗留する町に、直接下り立たないとはいえ付近までは往かなくてはなりませんでしたからね。まあ、魔王様は私を便利だと思っている節があるので、それも関係しているでしょうが」
そういえば、以前ウルさんは魔王様の声を風魔法で拡声器のように増幅していた。私を捕まえるための余興に発展したので、これも魔王様に振り回されたと言える。
「お互い大変ですね」
「ええ、本当に」
彼女は命令されたとはいえ謝罪してくれた。戦闘好きの魔族では異質な、人としては普通の感性の気持ちを共有できる貴重な人物である。
これからも付き合いを続けていきたいものだ。主に私の精神安定的に。
「でもクレディアは諜報員としてだけでなく、冒険者である兼ね合いもあるでしょう? そちらは大丈夫でしたか?」
「元々、勇者関係で諜報に専念することになるのは分かっていましたので、暫く休暇にしていました。だからハルノートとロイはいいのですけど、ただリュークが……」
「そういえば、今は珍しく一緒にいないのですね。喧嘩したのですか?」
「うーん。そうではないのですけど、ちょっと拗ねられてしまって」
最近は諜報につきっきりで、リュークとは別行動をせざるを得なかった。だが、リュークはそれがずっとお気に召さなかったようで「一緒に行く?」と訊いたが拒否されてしまったのだ。
「今度は私が寂しい思いをすることになってます」
「仲直りしておくのですよ。同じ気持ちでいるのにずっとその状態では悲しいだけですから」
「はい。帰還したら時間をとろうと思います。リュークだけでなく、他の仲間とも」
話をしなくてはならない故に。勇者と会って、前世の私について話す勇気は多少は湧いて来た。
この機会から逃げればずっと言えないままになるだろう。ハルノートには「またね」とまで言ったのに、それはあまりに不誠実だ。
だからもう約束をしてきた。
二人は一言、「ああ」「はい」と顔を綻ばしていた。
*
「こちらよ」
魔王城に到着し、魔王様の補佐官であるビナツュリーナさんにて案内されたのは応接室だった。
いつもは玉座の間で話をし、その流れで為合うことが多々だ。不思議に思いながらも一人入室すると、目を瞬くことになった。
「お父さん? それにお母さんまで。なんで?」
魔王様以外のメンバーに予想外でその場で棒立ちになっていると、長椅子に座る母に「こっちにいらっしゃい」と手招きされる。素直に従うが、疑問は疑問のままだ。
「久しぶりだな、クレア」
「ええっと、はい。魔王様におかれましてはお壮健そうで何よりと存じます」
母に抱きしめられているので一揖しかできない。諜報員の皆から過去の母の行いを聞いた後であるから、例え魔王様の前でもお母さんはお母さんのままだなあ、と感慨深くなる。
「俺様はいつだって元気だぞ。昔腐肉を食って腹を下したとき以来、ずっとー―」
「くどい。何度その話をすれば気が済む。クレア、元気だったか」
「うん」
「はあ!? くどくないだろう。おい、そうだろう?」
「私はもう四度目ですね」
「はっきり言ってやれ。うざいとな」
「あはは……」
父と魔王様はいわゆる腐れ縁である。私にはできない。苦笑いして誤魔化し、今度こそ疑問に答えてもらう。
「クレアの姿を見たかったからよ。私がお願いしたの」
母はぎゅーっときつく締め付けてくる。腕の力はいいのだが、我が母ながら豊かな胸のせいで苦しい。私の成長度具合と比べてみじめにもなり、どうにかして解放してもらう。
いいもん、遺伝的にいずれは豊かになるよ。きっと。
「お父さんも同じ理由?」
「ああ」
髪を梳かすように頭を撫でられる。父も長椅子に座っており、両親に挟まれている形の私は愛情が至り尽くせりである。心が温まってくる。
ウォーデン王国ではどのように過ごしていたか、困ったことはないかというていで、両親に諜報について尋ねられていく。魔王様はその様を見守っていて、口を挟むことはしない。
話は勇者関係にまで移り、ここで魔王様から色々疑問に思ったことを訊かれることになる。
「現状はクレディアとしてパーティーごと見張られている感じですね。私は前々から聖女の予言にある容姿とか完全に一致していますから、疑いの段階は過ぎているでしょう。様子見で、ただ今は見逃されているだけだと思います」
「ならまだ手出しはされていないんだな」
「はい」
「接触は?」
「ありません。勇者の行動範囲からは離れた場所に宿をとっているので、顔を合わせることもないです。こちらから勇者一行を見張るときも私以外の者で回しています」
「ふうん」
「ただ裏では互いに暗部同士、搗ち合うとまではいかないものの牽制する状況です」
敵味方同様、動きは活発になっている。私は対面することはなかったが、気配的に暗部と思わしき者に一度警告された。
殺意を発され、顔を合わせていたらきっと戦闘に至ったと思う。偽装の魔道具にて半魔とは確証を持ちはしなかっただろうが、相手は察していたはずだ。
この状況下に裏で探り合う者は、他国側の諜報員だと異変を感じて控えている。彼らは何が起きているのか探りたいだろうが、それほどまでにシャラード神教の暗部は過敏になっている。
「なるほどな」
魔王様は深く考え込む。その様に『優しい』という諜報員同士で話題に上がった言が頭に過った。
「魔王様は人族のことをどう思っていますか?」
「なんだ、急に」
「魔族と人族の共生したい意向は以前聴きましたが、それ以上は語られていなかったと思いまして。不快になられましたか?」
諜報員から疑問するに至ったことはそのときの諍いもあり、正直には言わない。
用意していた回答に魔王様は「別に構わん」と片肘をつく。
「特別、何も思っていない。魔力に乏しい種族ぐらいだ」
「種族間の差だけですか?」
人族である母をちらりと視線だけ向ける。
「差別はしていない。個々に比べたら魔族の方が優れているが、数は劣っているからな」
対等に見ている、と結論を出すにはまだ早計だろうか。
「お前は何を考えている。悩んでいるなら直截に言え」
「睨むな」
「睨んでない。ったく、ゼノは俺様に当たりが強すぎる……」
「クレア、安心して言っていいのよ。大丈夫、もしものことがあればお父さんが守ってくれるわ。勿論私もよ」
腕に力を入れ、既にやる気十分になっている母に、余計言いずらいとは言う雰囲気ではない。視線が集まる中、おずおずと物申す。
「勇者を害する、という判断はしないのですか?」
「なんだ、殺りたいのか? ようやく魔族の本能が出てきたか」
「違います! ただ、その方が不安の芽はつめるでしょう」
勇者という存在は魔族が総じて脅威的になる。魔のものに光は弱い。
それを闇に属性がある魔王様は監視以外に対処はしなくていいのか。敵なしが大言壮語でないぐらいに強い魔王様にとって、唯一命を奪える相手だろう。
「醜聞になるからな」
「その、勇者を恐れているからと?」
「違う。人国にだ」
「関係が悪化するからでしょうか」
「そうだ。その様子じゃ知っていただろう。答えはあるのに聞く意味あったかのか? いや、それ以上は聞かされなかったから、こうなったのか」
私は他国と関係性を持っている以外に何も知らないことに気付く。
え、凄い。これが話術なのかな。その情報だけに納得し、その内容について疑問には思わなかった。
味方とはいえ詳細を話す訳にはいかなかった事情に理解していると、魔王様がビナツュリーナさんに命じ、内情を説明される。
ウォーデン王国やレセムル聖国を除いた他国――ファンディオナ大公国やライオネーテ獣王国、遠く離れた母国のヘンリッタ王国など、大陸中の国全てに使節を派遣したらしい。魔族の常識は凶暴で残酷、また感覚が鋭いものには魔物が祖である故に存在感が嫌悪の感情を持つ。だから国を治める上層部にのみ内密に、大大的に派遣するためにかけられる金はないという理由もあるそうだが、国同士の交流を図って協定を結ぼうとしたという。
「二国だけでも厄介極まりないからな。また戦争に発展した際に支援だったり果てには援軍でもされたら構わん」
以前の戦争ではまだ食糧や武器などの支援物資に留まっていたが、勇者が旗印となればそうはいかない。
「協定は成立したのですか?」
「未だ交渉継続中にいるわ。これまでの魔族の行いがどうしても影響して、決断できないでいるのよ」
「今代の魔王は狡猾だと言われる始末だ。世界征服だとか人類滅亡だとか、散々に言っている姿は想像に易いな」
「俺様に対しお前は本当にあっけらかんだな……」
「するつもりはないですよね」
「戦争沙汰はごめんだ。俺様がそんな面倒なことするはずないだろう」
「だから共生ですか?」
「まあな。好んで戦争なんかして、これ以上国民を死なせてたまるものか。勇者を殺さないことで相手にする数を減らせるもんなら、現状は見張っていればいい。隣国や聖国だけじゃなく、他にも厄介というか変人はいるからな……」
それは魔国ファラント外の部族だろう。魔王様には劣るが幹部相当のヴァンパイアやネクロマンサーが欲のままに行動していると噂に聞いたことがある。
兎にも角にも、今度はうわっぺらだけでなく納得できた。つまり信頼を得るためなのだろう。
勇者を殺さないのはその一環で、従来の魔王とは異なると示し、他国には仮想敵国に助力しぬよう手を回しているのだ。
確認すれば正だと返答される。
「じゃあ優しいってことではなかったんだね」
「んな訳あるか。もしそうだとしたら、お前やフランとチルンを諜報員にはやっていない」
ほうほうと満足して油断し、口から考えが溢れ落ちたのに魔王様が不機嫌そうに反応する。取り成す暇なく憐れな目で見られた。酷い、私が最初に考えたことではないのに。
「ですが、こうまで国の内情を話しても良かったのですか?」
「お前だからいい。他の者には言わんから安心しろ」
「あら、私はいいのかしら」
「どうせ聞こうとすればゼノが話すからな。だが、内密にしておけよ。勿論クレアもだからな」
「……私が誰かに話すとは考えないのですか? 契約をしておいた方がいいのでは?」
「はっ! 馬鹿馬鹿しい。うっかり口を滑らしさえしなければ、確実にお前は話しはしないだろうに」
なぜそこまで私を信じているのだと心底思う。私は勇者と同郷だったのだ。そのよしみで裏切りは考えられる可能性のはずなのに、なんで。
「ゼノとメリンダの娘だからな。俺様は友が選び、そして溺愛する娘に疑いはもたん。それに、」
魔王様はニヤリとあくどく頬を吊り上げる。
「なんせお前の夢は俺様のよりもでかいもんだ。その内容からして裏切るなどあり得ん。それにお前の力は絶大だ。手放しはしないよう、こうして内密なことまで話しておけばお前の性格だ。察して何かと助力してくれるだろう?」
「打算ありき、ですか」
その方が安心してしまい、ちょっと笑ってしまう。
そんな私に母はまたしても抱きついてきた。昔からの抱きつき癖は相変わらずだね。
「寂しいわ。もう立派に一人立ちして。私の心配なんかいらないぐらいに強くなって……」
母は涙ぐんでいる。心配するにしても大袈裟なぐらいの有り様に、私は正鵠を射る。
「もしかして、私のこと知ってる?」
何が、とは言わなかったが、思いっきり逸らされた視線は正解だろう。父を見遣ると、こちらは意図的に視線を逸らされる。その先は偉大なる御方である。
「魔王様……」
「メリンダに関しては不可抗力だ! ゼノは元々お前に勇者だと問う前から相談し、知っていた!」
「魔王様が母におっしゃったのですね」
てっきり父から伝え聞いたと思っていたから、魔力による威圧で脅した甲斐があった。
「許してちょうだい、クレア。私が我が儘したのよ。我が子が抱える重みは一緒に背負ってあげたかったの」
「……いつ知ったの?」
「最近よ。あなたがここを本格的に旅立ってから。苦しそうな様は薄れていたけど、深刻な様は変わっていなかったから」
そうなったのが復讐から魔王城に往った後だったから、魔王様に当たりをつけ突撃したらしい。
「勇者とはけりはついたの?」
「うん」
「抱え込まず話してくれればよかったのに。そうしたら長く苦しまないでいれたわ。あなたが別の生を授かり生きていたとしても、今世ではあなたの私の子である事実は変わりないのだから。もっと、ずっと早くにお母さんは話して欲しかったわ」




