勇者招喚 前編 ※真希視点
「いつからこの世界に?」
彼女の声は心に沁み込んでいくような性質を持っていた。
今となっては彼方にある記憶を探ると四年前であることが分かる。僕は高校二年生で招喚された。順当にいけば大学生になっていたかもしれないんだろうな。
具体的になりたいものはなかったものの、漠然とそう考えていた。だが、あったかもしれない未来は違えた。
「話を聞きたいの。私が知らないこと、あなたが言いたいこと全部受け止めるから」
彼女に会いに来た目的も忘れて衝動に駆られた。堰を切って、想いが流れていく。
唐突に、理不尽な形で人生が丸っ切り変わったんだ。
身の置き所から見つけないといけなくて、その後もずっと苦悩が続いた。
想いは膨大で、だからこそ言葉にするには何一つできない。話そうとすれば別の言葉が次々と頭に過ってしまう。
まごつく僕に彼女は慈悲の籠った視線を湛えながら待ってくれる。彼女自身は亡霊と称したが、元来から保有していた静謐さがあるだけで他に亡霊らしさはない。
鍛え上げられた視力は実体であることを告げている。例え脳が生前のままの姿にありえないと叫んでいても、アンデットではないなと冷静でいる僕がいる。
この世界はファンタジーで、地球の常識とは全く異なる。僕にはない光魔法の可能性を、その反応を感じられないながらも考え始める当たり、勇者とあり続けた結果が如実に表れていた。
*
紫木静奈を一言で表すとするならば『儚さ』だ。一風変わった特異な雰囲気を持っており、物思いに耽る様は消えてしまいそうな淡さがある。
話しかけられれば応じるが必要以上には他者とは関わらず一線を置いていたのも、それを助長していた。
雰囲気も然る事ならば、容姿端麗であることも影響して人目を引いていた。だから同学年であった彼女を僕が一方的ながらにも知っていたのは、そんな訳である。
高校で共に過ごした一年間で噂は流れ、実際にも家の方向が同じなのか幾度か姿を目にした。春の晴れやかな日もその内の一回で、同時に厄災が身に訪れた日でもある。
覚束ない足取りの男がいた。何かしら呟きながら引き攣った声で笑っている様は、全身黒服もあって明らかに不審人物である。
僕にとってまだ幸運だったのは男との距離があったことだ。気付かないでいた男だけでなく来た道にも意識を向けると、道の中央に何かがある。コンクリートの上だと映える肌を認識したとき、僕の心臓はドクリと大きな音を立てた。
見間違いであればよかった。だが、恐る恐る近づけば近づく程、確信する。
遅まきながらにも「大丈夫ですか!」と全速力で倒れている方に奔る。そして、飛び込んできた悲惨な光景に息を呑むことになった。
仰向けになっている彼女は大量の赤で彩られていた。腹部に置かれた手なんかは肌の色を塗りつぶされている程で、見慣れない濃密すぎる真紅に意識が一瞬、現実と乖離した。
「紫木さん!?」
落ちている包丁が全てを物語っていた。大量の血に頭がぐらぐらとしながらスマホを取り出す。震えて番号を押すどころか、手を滑らして地面に落下した。
その先に僕とは別のスマホがあった。またしても赤が付着していて、彼女が瀕しながらも既に助けをかけていたことを察する。そこから声が発されていることにようやく気付き、「助けてください!」とそのスマホを取った。
電話相手の指示は的確だった。通報する以外にどうすればいいか分からず仕舞いの僕に、彼女の状況を順当に把握させていく。だが、そのことが僕に彼女の死の近づきを知らしめる。
出血が大量過ぎた。顔色は青白く、呼吸は絶え絶えである。
言われるがままに包丁で刺された箇所を布で押さえる。苦悶の表情や涙の跡に何度かの心が痛んだ。彼女の口がはくりと動く。
力弱く、音は発するまでは至らなかった。殆ど動きはしない唇だったが、何を言ったのかは分かった。死にたくない、だ。
僕は足掻いた。といってもたかが高校生である僕に今以上にできることはなく、声をかけ続け、祈る。
眩い光が生じたときは奇跡が起きたのかと思った。あまりの輝かしさに思わず目を閉じる。ただ脳裏に不安が過り、彼女の体を掻く。
途端に頭が割れんばかりの頭痛が生じた。感覚が全てなくなった。僕が僕でいられなくなり、抵抗する暇なく意識さえ保てなくなる。
「ようこそお越しくださいました、勇者様」
そして感覚が機能する。頭痛は跡形もなく消え去っていた。
恐る恐る瞼を上げると、そこには奇妙な人達がいた。僕同様、彼女らも驚く。
「たすけてください」
コスプレイヤーの集団であっても何でもよかった。自らの身に起こった状況などより、それよりも人の命だ。
その場は叫騒が鳴り響いた。頭の処理が追い付かなくてぼうっとしながら、近づいてくる老爺を見つめる。
「その御方は既に死んでおります」
「……?」
意味が分からなかった。僕は視線を下げ、彼女を見遣る。
「まだ、たすかります」
「……失礼」
老爺は片膝をつき、僕から彼女をそっと引き剥がす。そして手に持つ杖を掲げると、彼女に光が灯って見る見るうちに傷が塞がっていく。
ほら、やっぱり助かるじゃないか。
「死んでおります。よく見てくだされ」
見た。白魚のような肌、以前閉じられたままの瞼、動かない唇、涙と血の跡、そして上下しない胸部。
呼吸をしていないのが不思議で、触れてみた体のその冷たさに驚くことになった。「紫木さん、」と呼んでも勿論反応はない。
「賢者よ」
「魔法自体は成功しております。あちらの世界で何か大事が起きていたのでしょう」
「そうか。其方、少々よろしいか」
僕へと投げかけられた言葉に体をびくりと揺らす。
「お兄様、怯えさせてはだめよ」
「そうよ、そうよ。もっと優しくね。私が代わるわ」
ドレスを纏った華麗な少女が、花のように綻んだ表情を向けてくる。この状況に笑顔は似つかわしくなく、感覚が尚麻痺することになった。
「混乱しているでしょう。辛いことでしょう。ですが、御身に生じた出来事をお話しくださいませんか? さすれば、わたくしどもが何かお役に立てるかもしれません」
滔々と語る少女を筆頭に、その場にいるものが僕に視線を集中する。
十人程の老若男女に囲まれていた。僕は僕自身について考えさせられるを得なかった。




