側にいたいから ※ロイ視点
コトリという音で、ぼんやりしていた意識が明瞭となる。
「どうぞ」
紅茶が湯気を立てていた。
ウル様は微笑みを浮かべ、もてなされた私はあわあわと慌てる。
お構い無く、と言うには既に遅しだ。
魔族は丁寧に接待してくれる。狂暴で残虐という噂は壮大に誇張されたものだったのだと、魔国に来てから何度も痛感することになっていた。
私は一先ず落ち着きを取り戻し、感謝を述べた。
「いえ。大切なお客人に対し、当然のことですから。リュークもどうぞ。クッキーなら容易に召されますよね?」
「ガウ!」
次々と消費していくリュークに促され、私も紅茶を手にとる。
風味が高く、スッキリとした喉通りだった。
価値ある茶葉だとは従者教育の賜物ですぐに分かった。
私のような者なんかに提供するなんて。
厚意もあるだろうが、おそらく主の立場を慮ってのことだろう。
謁見に臨む主の偉大さを再認識し、待機所として案内された部屋でぎゅっと手に力を入れる。
「気を抜いてもよろしいのですよ。謁見は長引くと聞いています。くたびれさせてしまった一因の私が言うのもなんですが、体を休まれた方が宜しいかと」
「そう、ですね」
だが、持ち前故中々肩の荷は下りなかった。
ここにはいないと分かっているのに、主を探してしまう。
それは従者の性か、眠りの内に消え去ってしまったあのときのことを恐れてか。多分、両方だ。
そんな私に対し、ウル様は眉を下げていた。
己がいるから休めないのだ、と席を外そうとするのを軽く首を振って否定する。
そんな状況下でリュークはもう平らげてしまった皿を前に物足りないとペロリと手を舐めていた。
和らいだ雰囲気の、クッキーを追加しむしゃむしゃと音が鳴る中、この一時を会話することになった。
「―――では、つい最近になって従者の宿願を成されたのですね」
「はい。受け入れて下さった時は、心晴れるようでした」
共通の話題となれる主について、各々語りあっていた。
ウル様が見てきた主を知るのは新鮮で、心が浮きだった。
そして反対の感情も同時に抱く。
それを見通したのだろう。ウル様は踏み込んだ言葉を返した。
「それにしては、今、心晴れていないようですね」
「歓談中、気分を下げさせてしまい申し訳ありません」
「構いませんよ。年長者として、貴方のような子が苦しんでいるのを見かねただけですから。だから貴方の胸の内を聞く、お節介をさせて下さい。心中を言葉にするだけで、胸の内が軽くなるのですよ」
純粋に心配していることが伝わってきた。
主やハルノートには絶対に吐露できない想いだが、ウル様ならいいのかもしれない。
内密にしてくれることは、短い付き合いの間で知れていた。
問題はリュークだが、大量に盛られた食べ物に夢中になっているのできっと大丈夫だろう。
そんな気持ちに私はつられ、訥々と話す。
「……私は、主の重みになっているかもしれません」
実際は重みになっている。
だが、口に出すのは恐ろしくて、可能性の呈することになった。
「何もできなかった頃と比べ、私は強くなりました。狼人の身体能力に助けられ、技能や知識を身につけた。……ですが、主の側にいるには足りないのです。主はあまりに遠く、かけ離れた存在でした。私のような急遽二年で取り繕ったようなものでは、長年力を積み上げてきた主には全く足りない」
主にとって、私はまだかつてのように守られる存在だ。
それを魔国へと通じる道、特に狂乱の渓谷で痛感した。
負担が一番少ない陣形や出番で、私は多くの魔法での援護された。
ハルノートやレナのように強力な魔法が、ソダリやナリダのような敵を粉砕する戦技がない。
私はただ軽捷なだけだ。勁捷さはない。
それも幼い体では体力がなく、直ぐに尽きてしまうものだ。
優秀な彼等と比べてしまう。
私は主にしがみついて邪魔するのに対し、彼等は主の力の支えとなっている。
「私は、どうすればいいのでしょうか。主の役に立ちたいというのなら、側を離れた方がいいのでしょうか」
私の嘆きの問いにウル様は暫し沈黙を貫いた。
そして答えが律儀に返される。
「ですが、貴方は側にいたいのですよね」
その言葉に主が去った後のときを、ウル様が語った見知らぬ主を聞き己の未熟さを恨んだ感情を想起した。
「―――はい」
「なら、その想いのままに行動していいのです。それがクレディアの力となれる、貴方の一番の武器なのですから」
「そう、ですか?」
「はい。そもそも振武で役に立とうと囚われていると思います。確かにクレディアは武力を一番に求めています。その涙ぐましい努力を、城勤めの私でも幾度となく目にしました」
貪欲なまでの様だったという。
主に挑みかかる者は次々に薙ぎ倒された。
傷付きながらも、魔王相手に何度も接戦を繰り広げた。
魔法の研鑽を欠かさず、魔法使いと答弁や議論を重ねた。
「ですが、貴方は従者なのです。主の足りぬ点を補い、磨けばいい。何も全てを完璧にこなさなくてもいいのです」
例えば、とウル様はこの魔国のことを話した。
主と同様に圧倒的な武力を持つ魔王は魔物に脅かされる者を庇護、その数が増大していく内に魔国ファラントとなった。
守られる民は今でこそ税を代表に報えたが、始めの頃は魔王がいなければ日々の糧を得ることすら難しかったらしい。
だが、それだからこそ魔王に頼りきりの彼等は何かで報いたかったそうだ。
「当時、それはもうとても悩んだそうですよ。ですが魔王様が空を飛べるハーピーを羨みまして、私の祖先は『それだ!』と閃きました。魔王様をのせ、翔たのです。宙にも魔物がいるので、その際にも魔王様の手を煩わせることになりましたが、興奮した様子で喜んで下さったそうですよ。魔王様は今でもそのことを思い出されると、我々に頼むのです」
「ウル様がなされるのですか?」
「いいえ。当時の幼い魔王様ならともかく、今は外見が悪いと殿方に任せていますよ」
幼い頃から魔王は強かったのか。
益々主に似ていると思いながら、ラナ様は結論を出した。
「つまり私が言いたいことは、今できることを還せばいいのです。少しのことでも、クレディアならばとても喜び、助かっていると思いますよ。それに未熟だと思うならば、尚の事クレディアの側にいるべきです。その方が磨くべき力を見つけ、高められます。貴方はまだ幼いのですから、これから如何様に成長できますしね」
大人というのは、なんて頼れる者だろうか。
今は無理だろうとも、ラナ様のように立派な大人になった頃には主の役に立てるようになるだろうか。
いや、なってみせるのだ。
私は主の側にいたい。力になりたいのだから。
「ウル様、ありがとうございます。私は主の側で、頑張ってみようと思います」
「心が晴れたようで良かったです。……紅茶が冷めてしまいましたね。入れ直します」
「ウル様が入れなさったのですか? その、もし宜しければ近くで勉強させてもらえませんか。美味しく入れられるその秘訣を拝見したいのです」
「はい。構いませんよ。どうぞ、こちらにいらして下さい」
教授し終わった後は、和気藹々と再び歓談する。
だが、その最中にリュークが首をもたげたと思うと、扉の方へ向かい器用に開け飛び去った。
その様子はあまりに焦っているように見えた。
「追いかけます! 貴方は……」
「私も行きます!」
「なら急ぎましょう。ここには隙あらば、体の器官を狙う危険人物がいますので」
「そんな者がこの城に!?」
「はい。医者としての腕は優秀なので雇用されていますが、研究者としては最低最悪な行いをするのです。決してはぐれないよう、ついてきてくださいね」
「は、はい!」
ごく最近に似たような危機があった気がするが、リュークが謁見の間に入り込もうとしているのを見て、思考がぶっ飛んだ。
魔法の発動にまで至っている。
衛兵が「なんだなんだ、遊んで欲しいのかッ!」と楽しそうに交戦しているのが幸いか。
「リューク、駄目です! クレディアから待っているよう、言われたでしょう!」
「ガウー、ウッ!」
言葉をかけても止まらないリュークを、私とラナ様が加わってどうにか押さえ込む。
口を塞いでも無詠唱であるから、魔法が発動して何度も抜けだされ格闘となる。
だが、それは長引くことにはならなかった。
暫くし、リュークは急に意欲をなくしたのだ。
「どうしてこのようなことをしたのですか? いくらクレディアに会いたいとはいえ、乱暴すぎます」
「……ガゥ」
扉から離れた位置で懇々とリュークが説教されている間、私は交戦で荒れた場の始末はどうなるのか、そして突然の行動について考える。
主の家に滞在中、謁見を待つ時間ぐらいの懸け離れはあったが、そのときは平気でいたのだ。
立ち塞がれたとしても寂しいからといって、今回のように攻撃的な手段はとるとは考えにくい。
だから心当たりの、主がいる謁見の間に視線を向ける。
主とリュークは契約によって、離れていても感情を共有すると聞いたことがあった。
「主、」
不安となるが、今の私は無事を祈るしかできない。
だから、主が謁見の間から姿を現したときは、心底安心した。
リュークが第一に主の元に飛び付き、私も続こうとする。
だが、主の背後に偉丈夫がおり、動きを止めることになった。
「なんだ、この惨状は」
「魔王様! これは―――」
顔色悪くウル様が説明するが、明るい表情になったからお咎めなしになったのだろうか。
その答えは魔王がリュークの頭を撫で、構わんという聞き取れた言葉から明らかとなった。
魔王は修繕の指示を出し、とある女性を引き連れてその場を後にする。
そこでようやく私は主の元へ向かえた。
魔王がいる内はそれほどまでに、本能が危険だと発しておりできなかった。
……私は精神さえも弱い。
ラナ様によって決意したことに、速くも挫折を味わうことになった。
それでも側にいたい、と静々と主に手が届く距離まで近づく。
「ロイ」
名前を呼ばれただけで、歓喜に心が震えた。
それだけで魔王に対する恐れが薄れていく。
これならば次に魔王とまみえることがあっても、同じことには陥らないだろう。
私は見上げる形となり、主に応える。
そして、嘱望する言葉を貰ったのだ。
「私は魔王様に与することにした。それでも、ロイは私に仕えてくれる?」
揺れる瞳が感情を表していた。
私はその意味することに舞い上がり、即答する。
「はい! どこであろうとも、何があろうとも側仕えます。私は主の従者ですから!」




