到着
空を赤く染めていた日は沈み、暗闇が訪れた。
疲労と負傷のせいで時間を長く感じながら、とうとう橙色の光が見える。
人工の光だ。
待ち遠しい家がすぐそこだと、重たい足並みが自然と速くなった。
第二の故郷と言える場所だった。
望楼にいる番人が私達に気付き、郭内にその報せを叫ぶ。
そして一人の女性が猛然と飛び出し駆けつけてきた。
ふわりとした風を頬で受け、次に暖かい温もりを一身に感じる。
「ただいま、お母さん」
魔法を使用してまで駆けて抱き締めるのは母のメリンダだ。
心配かけたせいで、ぎゅうぎゅうの刑にされているかのような強さである。
ぽんぽんと肩を軽く叩けば、久しぶりに顔を合わせることになった。
「お帰りなさい、クレア」
満全とした笑みは苦笑しているソダリ達やリュークにも向けた。
私と等しくぎゅうぎゅうの刑に処されているのを、高揚の気持ちは理解できるので遠回しでとめる。
「お母さん、ロイとハルノートが驚いてるから、ちょっと落ち着いて」
「ごめんなさい、感極まっちゃって」
圧倒されている二人に母は穏やかな微笑みを浮かべる。
時既に遅しだが、変わり目は見事なものである。
「初めまして。クレアから話はかねがね聞いているわ。大変だったでしょうに、よくここまで来てくれたわね。―――魔国ファラントへようこそ。歓迎するわ、娘の愛しい仲間たち」
「お、お母さん」
「なあに? 間違っていないでしょう?」
そうだが、的を得てるからこそ恥ずかしいのだ。
私がリュークを抱える余所事で照れ隠しをして、丁度話を切り上げる。
「私以外にも帰りを待っていた人がいるのに、こんなところで引き留めてたら駄目ね」
母は朗らかに村へ迎え入れる。
顔馴染みの方から祝福の言葉をかけられながら、何ヵ月ぶりに安心できる居場所の前まで来る。
これにて、ようやく我が家へ到着だ。
*
朝だ。
旭日で目が覚めた私は、もぞりと身じろぎする存在を起こさないよう体を起こす。
リュークはいつも通りだが、ロイが同じ寝台にいるのだ。
ハルノートはソダリとナリダ、ロイは私という塩梅で各々の住宅へと滞在することになった。
寝台の件は予備がないことへの対処である。
遠慮するロイを布団に入れてその後の記憶が直ぐに途切れていることから、泥のように眠ってしまったのだろう。
気付いたら次の日である。
まだ疲れが残り二度目の眠りに移行したい体に鞭を打って、寝台を脱出する。
日課である魔力操作の鍛練だ。
体内の魔力を隅々まで循環させるのだが、ちくちくとした痛みがする。
「そういえば後回しにしてたんだっけ」
治療は昨日の状態では毒になり得たので、一晩置いたのだ。すっかり忘れていた。
魔力管の損傷にその内部を流れる魔力を使って浸透させ、治癒の魔法を発動させる。
ぐるぐると循環させてももう痛みはない。
「……主?」
「おはよう、ロイ。まだ寝ててもいいんだよ?」
「大丈夫です。早起きの習慣がありますし、リュークの尻尾が頭に直撃して完全に覚醒しました」
「ああ……眠ってるとき尻尾だけよく動くんだよね」
普段は尻尾を自分がいる反対側にして対処していたのだが、今回ロイがいたことで被害が出てしまった。
謝罪で直撃した部分も含めて、全身筋肉痛のロイに魔法をかける。
ついでに自分自身にもして、体調はそこそこに万全となった。
「あら、早いわね」
「うん。ご飯ある?」
「ええ。ご近所さんからお裾分けをもらえたのよ」
居間では母が朝餉の準備をしていた。
報せもなしに帰り又ロイもいることから、食事の準備に負担がかかり心配だったが良かった。
ご近所さんには後でお礼をするとして、久しぶりの母の手料理である。
ロイが「うっ」と小さく呻いた。
人族より優れた嗅覚でやられたのだろう。
失礼だとは思わない。
なぜか赤や黄、緑色の液状で彩るスープはかなり強烈な匂いを発している。
慣れている私はスープを嚥下する。
今日は張り切ってしまったのだろう。
刺激的な味だとお世辞も言えない程、勿論悪い方向の代物ができてしまっていた。
私は見て明らかに判断できるご近所さんからの料理を、ロイに勧めておく。
「滞在させている間、どうか食事という形で報恩させてください」
ロイが青ざめた顔ながらきりりと表情を保っていた。
「気にしなくていいのよ? お客さんに働かせるにはいかないもの」
「いいえ、嫌でなければぜひやらせてください。料理が好きなのです」
「そうねえ、メイド服を来ているぐらいだものね」
押しきったロイにより、滞在中の食の安全を獲得した。
説得内容に嘘はなく得意であるそうで、毎日の食事が楽しみになる。
「クレア」
「なあに、お母さん」
「帰ってきた、ということはそういうことなのよね?」
私は背筋を正し、母の目を見据える。
「うん」
「心の整理はついた?」
「……どうだろう。でも、ソダリから言葉をもらってね」
夢物語を肯定してくれたことを想起する。
想いがあった。
それは熱望で、その為に何をすればいいのかはまだ分かっていない。
だがそれに繋がるような行動指針は決まっている。
「私、暫くしたらもう一度魔国を出発するよ」
過去との精算をつけて顔を上げて前を歩めるよう、ここではできないことを成し遂げに行く。
「……そう。また寂しくなるわ」
「昔とは逆の立場だね」
「ええ。でも私は待つことしかできないから、歯痒いわ」
母は人国へは赴けない。
過去の戦争で魔族の仲間だと顔が知れ渡っているのだ。
「家で帰りを待ってくれるだけで、十分に助けになってるよ。その為にも私は頑張ることができる。……そういえば、お父さんはいつものところ?」
「ええ。ロイとハルノートの案内や村の皆に元気な顔を見せるついでに見に行ってあげて」
すぴすぴと安眠するリュークの回収で自室へ向かっているときだった。
「私は主が綺麗だと思います」
「えっと……ありがとう?」
突如の内容に戸惑う。
反射的に礼で返す私にロイは続けた。
「強さに傲ることない謙虚さ、他者を労り救う優しさ、未来を見据える強さ。全て私の瞳を煌めき照らす美点です。……私は紫紺の色を持つ主の力になりえるでしょうか」
「……もう、なってるよ」
魔国では紫の瞳と髪は好機には見られるものの迫害にはならないので、私は偽りの薄鈍色を本来のものにしていた。
半魔の色にロイは嫌悪を抱かなかった。
やっと本当の主が見れた、と嬉しそうに言ってのけたのである。
それは私に確かな力を与えてくれた。
他にもつい先ほどのことになるが、料理の件もあるではないか。
ロイは沢山の力をくれている。
ただ本人が気付いていないだけだ。なんて勿体ないことだろう。
「私が報いたいぐらいなのにな」
そんなことないと言いたげな表情をしていた。
ロイのふわふわの髪上から頭を撫で、それならと伝える。
「不安なら、これからいっぱい私の力になってくれる? その分綺麗でない不甲斐ないところを見せることになるから、幻滅するかもしれないけど」
「そんなことはありません!」
「ふふ、そうならいいけどね。ロイに見限られないよう頑張るよ」




