悪夢の再来
私は貴族を襲った罪人ではあるが、迅速にかつ契約のこともあり変わったこともなく国境を越えた。
足を踏み入れたのは獣人の国である。
獣人は、人族にとっての異種族の中で都合のいいものとされ、過去に多くの者が奴隷にされてきた。
それは今なお、続けられている。
数ある国が奴隷制度の撤廃しているが、継続する国はまだ一部残っているからだ。
なので、人族に擬態している私は不遇な扱いとなるのではないかと思っていた。
だがそんなことはなく、獣人はとても友好的に接してくれた。
どうやらリュークとの関係性が、親身とさせたらしい。
魔物である龍とはいえ、己の種族外とでも親密となる者に悪い奴はいない、という考え方を多くの者がもっているからだそうだ。
とはいえ、人族を嫌う者は少ないながらもいるので、殆どはフードを被って過ごす。
「この国なら、ロイ達は上手くやっていけそうだね」
「ガウ!」
狼人の移民先として、最高な国。
国土も豊かであり、国王は民のことを第一に思い良き政策を行っている。
きっと、そこは獣人にとって安住の地と言えるだろう。
獣人の国を後にし、二つ目となる国に渡る。
そこはシャラード神教を崇める、レセムル聖国の隣国だ。
なので私は在中する間は終始、不安と緊張を抱くことになった。
結果を言えば、それは杞憂だった。
だが、それは当時の私が知らされたとしても、安心することはなかっただろう。
郷国となるヘンリッタ王国と違い、シャラード神教の布教は制限されていないのだ。
信仰している者は多く、教会はいくつも建てられている。
テナイルのように、私の特徴をもつ者を探しているかもしれない。
張り詰めた状態から気を抜いて過ごすことなど、私には無理な話だった。
そんな訳なので、眠れない夜が何日も続いた。
もう何年も見ることはなかった悪夢を、私は呼び起こしてしまっていたから。
耳をふさいでもなお聴こえてくる、愉悦の混ざる不気味な笑い声。
そして罵る内容の言葉は傷を抉るどころか、致命傷となりえるものだ。
「死ね、死ね、死ね。ぎゃはははは! 敗者になって、いい気味だなあ!」
かつて、この男に勝ってみせると私は心に決めた。
だからこそ何年もの間は悪夢は見ることはなかったが、数々の暴力を受けるがままでいる私は男の言う敗者に違いない。
抵抗する気力がなかった。
私を痛めつける夢の登場人物が毎回変わって苛烈さが変わったとしても、悪夢に打ち勝たんとする心意義がない。
その一番の原因は、ラャナンの存在だ。
私が今までに殺してきた人物が登場人物なので、彼女もその中にいた。
だが、攻撃に加えることはなく、ただ暴力がふるわれる様を遠めに見ている。
だから、抵抗なく受け入れなければならないのだ。
ラャナンが私の報いを望むのならば、例え首を締められてでさえも堪えなければならない。
「簡単に壊れるような、脆いもんだったが……なあ、幸せだったか?」
この男は一人でに動くような人形だ。
私の反応など待たずに、思い思いに語っていく。
「そうだよなあ。過去の必死こいてたときとは違って、あんなに楽しそうにしてたもんなあ。だからこそ、俺は今こんなにも愉快で爽快だッ! 忘れんじゃねえぞ、色隠してたって半魔だってことをなあ! それと復讐心もか? 半魔はそろいもそろって、煮えたぎった心をもってるぜ」
「貴方のような者がいるものですから、私どもが手を下さねばならないのですね。半分尊き人族の血が混ざっているなど、嘘のようです。本当は、魔族だけの血ではないのですか?」
「っ!」
母と私は繋がっている。
父親似な私なので明らかに見て分かるものでないが、顔のパーツの一部一部や魔法の属性だって受け継いでいる。
だが、口にはできない。
ラャナンがいる。
私がどのように罪を償っていくかをじっと見ている。
蹴られ、罵られ、踏み潰され、馬鹿にされる。
そうして限界が近づけば、悪夢にうなされる私をリュークが起こすを繰り返していた。
「ガウ」
そんなに自分のことを責めなくていいんじゃない? の言葉は受け入れられなかった。
リュークがいくら心配し何度も言おうと、それだけはできない。
私は背負っていかなくてはならないのだ。
奪った人の命を、ラャナンの命をずっと、死ぬまで。
そして、悪夢を見ることは必ずしも良からぬことではないのだ。
投げ付けられる言葉の痛みを貰うと同時に、ラャナンへと贖罪したような気になっている。
私の弱さだ。
だが、理解していても悪夢を見る。
そうして彼女の許しを、救いを待つのだ。
水面に映るのはやつれ、クマのある憔悴しきった顔。
それをフードを深く被ることで見えなくし、魔力操作と共に毎日の日課となってきた魔石の形が浮き彫りとなっている魔道具を手にした。
握りしめ、過剰なぐらいに魔力を注ぎ込む。
「今日も駄目……」
熱くなった魔道具から手を放す。
対となる片棒からは何も応答はない。
「……お母さん」
憂いの溜め息に紛れて出た呟きは、溶けて混じって消えていった。




