氷の彫刻
伯爵は死体のある部屋で助けを呼びに行けるような魂胆は持っていない。
だが、私兵がそろそろ階上の護衛が倒姿を発見したころだろう。
間断なく私を探す声が強く鋭くなってきている。
私は魔力が殆どない状態であったので満足に動けなく、物陰に隠れ座り込んでいた。
回復薬は飲んだおかげで徐々に増えつつはあるが、まだまだ時間がかかるだろう。
それまでにはこの場所であっても、居続けるのにはかなりのリスクがある。
闇魔法をかけたとしても、注意深く見れば私の姿は認識されてしまうこともある。
だが私は暫くの間このままでいることを決め、震える体を押さえた。
復讐は果たした。
暗殺者を殺し、伯爵だっていずれ死ぬ。
心の中を占めていた憎悪はなくなっていた。
代わりにその感情に隠れていたものが見えるようになって、私は混乱の最中にいる。
何も心が晴れなかった。
命を奪ってまでした私の行為は自分自身に恐れを抱かせた。
たくさん殺した。
暗殺者の中には好んでやっていなかった者がいたかもしれない。
だが、殺した。
私は心に刻んでいたのではないのか。
初めて真実に人を殺したとき、あの心がざわめくものを大切にしようと。
あれから、まだ半年も経っていない。
私は何を刻んでいたのか。
憎悪が冷めた脳は今さらに様々のことを考え出す。
復讐をすることに何の意味があったのだろうか、ということも。
自分の為だと思っていた。
だが、結果はなんだ。
復讐して良かったなんて、欠片も感じなかった。
本当の私の一番の感情はきっと、悲しかっただけなのだ。
いなくなってしまった彼女に、もっとこれからも旅をして話をして笑いあっていたかった。
それを死なせてしまった自分の怒りも点火して、憎悪で塗りつぶした。
ラャナンがいないことをずっと直視したくなかった。
死人が生き返るような魔法がないことを、そのことに精通していたが為に理解していたから、希望はなく絶望だった。
だから、復讐は八つ当たりだ。
当たり散らすものではなかったものの、自分のせいでもあることに受け止めきれなかった、私の弱さがもたらした。
「……ラャナン」
大丈夫かい、と優しく包み込んでもらいたい。
しっかりしな、と厳しく叱り飛ばして欲しい。
だが、そんな言葉がある訳ない。
あるのは、残された最期の「ごめん」だけだ。
何を指しているのか分からない、謝罪だけだ。
「苦しい、悲しいよ……っ。 なんでいないの? なんで、いなくなっちゃったの?」
なんて無様で、自分勝手で、情けないのだろうか。
そう考える自分がいるが、ただ感傷のままに痛みに涙を溢すことしかできない。
だが、そんなとき物音がした。
その方向をバッと見るが、いたのは防具に包まれた見知らぬ女の人だ。
「何でこんなところに子どもが……」
泣いていた様子もあってか、不自然には思われているものの「ここは危険だから、私と一緒に行きましょう?」と手を伸ばされる。
違う。
これは私が求めている人のではない。
手をはたく。
弱者に見えているだろう私の行動に、女性は困惑していた。
「でも君、安全なところに行かないと。この場所にいてはいけないよ」
「っ嫌! 放して!」
女性を振り払おうとして、魔法を発動する。
だが、強い拒絶が魔力の量を誤らせた。
「……あ」
女性は氷の中で彫像と化していた。
自分のしてしまったことに顔を青ざめるが、騒ぎを聞き付けた者が駆けつけてくる。
「そこのお前、待て!」
闇魔法を纏い逃げるが、一度私の姿を特定されてしまっているので追跡される。
人を呼ばれるので、人数はどんどんと増えていく。
道を塞がれる。別の道を行く。
槍をつき出される。杖でそらす。
魔法で足を狙われる。ローブで受けて威力を弱める。
「……っ!」
このままでは捕まる。
だが、また魔法の威力を誤るかもしれない。
体内の魔力操作が上手くいかない。
ぐるぐる高速で巡り魔力の作製が大幅に上昇し、回復していた魔力が器以上に貯まっている。
過剰な魔力を発散する為にも魔法を放たなければならないが、暴発だけはしてはならない。
構築を始める。
比較的冷静にできた。
後は発動だが、脳裏に先程の凍ってしまった女性を思いだしてしまい魔法が反映されてしまった。
追跡していた者全員が氷に囚われる。
「っごめんなさい!」
これ以上自分が誰かを傷つけない為にも、大勢の人から背を向ける。
誰も私の声は届いていない。
けれどそれを置き去りにして、私は逃げ出した。




