もう遅い
後半にオルガ視点があります。
歓待をさせてもらうという長の言葉通り、晩餐は豪華なものだった。
私の知る丸鶏のローストチキンの何倍もの大きさが出てきたことに驚くことはあったが、食事を狼人の方々と共にすることは賑やかで楽しかった。
ただあれやこれやと勧められ、断ることもできずに飲み食いをした結果、つい食べ過ぎてしまってとても胃が苦しい。
食事の後半にうつらうつらとなるロイを部屋にまで移動させる。
寝ぼけながらにも、ぎゅっと手を握って離れないようにするのには困ったものだった。
なんとかそのかわいらしい拘束から脱出した後は、私は風に当たりたい気分となって屋外に出ると、そこにはラャナンがいた。
「煙草、吸うんだね。知らなかった」
背を壁に預けて煙草を手にする様子は、高い身長も相まって格好良く見えた。
「もしかして、気をつかってた?」
「まあ、あんな小さな子どもの前では吸えないからね」
「隣、行っていい?」
「いいよ。ほら、こっち側に来な。風向き的に煙がいかないからね」
それでも煙草特有の香りがしたが、不思議と不快感はなかった。
多分、その匂いが好きということではないだろう。
ラャナンだから、そんなんだと思う。
私が彼女に抱くのは、頼りになる年上の女性だ。
親しみが持てる当初の印象も、何も変わっていない。
ハルノートの憎まれ口もからからと笑い飛ばす、広い心を持っている。
尊敬でき、素敵な人だと思うまでにそれほど時間はかからなかった。
「ロイと一緒に、もう寝たかと思ったよ」
「夜が深くなる前に眠るほど、そんなに子どもじゃないよ」
「まだ十一だろう? この国の成人は、確か……」
「十三だね。だけど私以外の人でも、今のこの早い時間滞には寝ないよ」
「そうかい? でも、体をゆっくり休める環境があるんだ。もう寝た方がいい。それに、クレディアは狼人の為に回復薬を何個も作ってただろう? 疲れが貯まってるんじゃないかい?」
「けど、もっとラャナンと話したいから……駄目?」
「そんな風に言うのはズルいじゃないか」
ラャナンは煙草の火を消した。
そういう他者を思いやる所が、美点だと思う。
「私がガキだった頃は、もっとヤンチャで生意気だったんだけどねえ。ちょっと、大人びすぎじゃないかい? クレディアが年相応にはしゃいでる所は見たことがない。あ、でも酒飲んだときはまんま子どもだったけど」
「うぅ。またその話を掘り返さないで……。それよりも、ヤンチャだったって本当? 想像できない」
「それはもう、イタズラばっかりしていたよ」
「あ、なら想像できるかも」
私はラャナンからよくからかわれるので、昔もきっと似たようなことをしていたのだろう。
元気よくからかわれた人から追いかけ回されているのを考え、クスッと笑みが漏れる。
「……無理、してないかい?」
「何が?」
「今の年で冒険者Bランクだろう? 頑張り過ぎじゃないかい?」
「まだ足りないぐらいだよ」
「頭が良いんだから、学校に行く道もあったろうに。魔法で有名なソレノシア学園なんか、簡単に入学できるだろう?」
「そんな話もあったよ。けど、今は母に会いたい一心だからね」
「他にも、何かあるんじゃないかい?」
「え?」
「寂しい以外にも、たまに物憂げな顔をしているからね」
「……お母さんは戦争に参加していたから。それで、心配になってただけだよ」
「そうかい?」
「うん」
私を見つめるラャナンの瞳が、嘘だと見抜いているかのようだった。
居た堪れなくてそっと顔をそらす。
彼女は特に追及しなかった。
「なら、行動原理は子ども相応なのかね」
「……別にいいでしょう? それにこうしてラャナンに出会えたからね。旅に出るのも、悪い事じゃないよ」
「おや、可愛いこと言ってくれるじゃないか」
うりゃっ、と頭をごしごしとされてボサボサの髪になった私を、ラャナンは声を上げて笑う。
自分でやったことなのに酷いものだ。
だけれど、私も彼女につられて笑ってしまう。
そこからも話は盛り上がった。
このままではいけないと思ってか「ほら、もう寝る時間だ」と部屋に追いやろうラャナンに、「まだ大丈夫だよ」と文句を言うやり取りにすら、私には暖かな大切な時間に思えた。
*
水がざばざばと流れ落ちる音がし、その後には男の止まることのない咳とひゅうひゅうと過呼吸が起きた。
それを何回も繰り返したところで、その男の腹へと打撃が下る。
かなりの強打で、胃に貯まった水が逆流して口から溢れ落ちた。
「何か言う気になったか」
きっと見下ろす自分の目は、水のように冷たいものだろう。
寒さのせいで震えが止まらないテイマーの男に、腹の下辺りを蹴ってやるとさらに水を吐いた。
「……あの子ども、には……見せられ、ない……姿だな」
「まだ余裕があるのか」
もう一度水責めをする為服の襟を掴むが、これ以上は死ぬと思ったのか立ちあっていた仲間が止めた。
「大事な情報源だ。お前の気持ちも分かるが……」
俺を見る目は哀れんでいた。
ぐっと心の中から込み上げてきそうになる言葉をおさえる。
本当に俺の気持ちが分かる奴は、壊滅した故郷の村の生き残りの者だけだろう。
同族であっても一度体験してみなければ、村の皆が死んで心が荒ぶるこの想いは共感できるはずがない。
「見張りは俺がやるから、今日はもう終われ。あいつらも心配してる」
「……ヒックとホズか」
「オルガ、もう休め。この村に着いてから、ほとんど動いてばっかだっただろう」
「また明日すればいい。それにこんな短時間で口を割らすほど、相手は柔な奴じゃなさそうだ」
俺のことを心配して言っているのだろうが、それは駄目だ。
「そんな悠長にしていたら、遅すぎる」
逃がした敵は今頃はティナンテルに到着し、再編成しているころだろう。
直属であろう部下を撃退したのだ。
伯爵のプライドは俺達を許しはしない。
情報を吐かせなければ。
伯爵の思案は俺達を奴隷のような扱いとして使いたいだけの下らないことだろうが、それ以外の相手の戦力やシャラード神教の奴等との関係性などは得ておきたい。
同族にこれ以上被害が及ばない為にも、時間というものは重要なのだ。
今は警備を増やし、荷物はまとめるにとどまっているが、迎え撃つのか逃げるにしても、情報は速く手に入れた方がいい。
「……は、はは。はははははははは!」
突然、テイマーの男が笑い出した。
狂ってしまったのかと誰もがそう思ったのが、俯いていた顔をあげて見えることになった目は、怪しく光っているものの正気ではあった。
「そうだ、遅すぎる。明日なんてもっとだ」
「おい、どういうことだ」
「あの魔法使いは私がこうなるのを見越していたのだな。いや、故意にしたとも考えられるか。だが奴の言う通り、これを使う羽目になるとはな」
「てめえ、それをどこからっ!」
縛られていた縄はいつの間に床に散らばっており、テイマーの男の手に魔石が握られていた。
小さなものだが濃縮された魔力が込められており、魔石には魔方陣が煌めきながら浮かんでいる。
「貴様らはお粗末すぎる。私はだてにあの伯爵の部下をやっている訳ではない」
余裕を持って話すテイマーに肉薄して壁に叩きつける。
魔石を持つ腕を捻りあげ、取り上げようとする前に自分自身で魔石を握りしめ、バラバラに砕けた。
「既に指示は出してある。そして、その媒介となるものは壊した。後は流れに身を任せるだけだ」
「言え! 何をした!」
「私の手にも終えないものを、この地に向かうようにしただけだ。後はあの魔法使いを筆頭に、勝手に何かするだろう。私の部下がいるから、少量ながらも魔物はいると思うぞ? また同じ惨劇が起こるかもしれないな。まあ今回も全滅はないだろうから、安心しろ。伯爵が狼人に執着しているからな」
怒りが理性を上回り、余計なことまで饒舌に話すテイマーの顔面をぶん殴る。
脳にまで衝撃がいったのか物言わなくなり、ずるずると背中を引きずって落ちていった。
見届けるまでもなく、脅威に向かって走り出す。
奥まった場所に位置するこの部屋でも、戦闘音や叫び声が聞こえていた。




