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平成七年の彌縫録  作者: オヒョウ
3/4

震災翌々日の事

 此の日は彼方此方で写真を撮りました。写真が見つかれば、掲示するのですが……。

 其の日の朝、家を出る前に、私は個人的に引いていた自室の電話から自宅の電話に掛け、留守電に今から被災地に行って来る旨を吹き込んだ。

 余震が頻発し、安全を確保出来ない被災地に行って、もし帰れなかった場合の事を思ったからだ。


 防寒対策をし、未開封のタオルセットやミネラルウォーターのペットボトル数本をリュックに入れて、自宅を出た。

 今ならばもっと色々と便利な物を安価で購入出来るのだが。


 昨日お見舞いに訪れた友人の御寺に着いた私は、早速ママチャリを借りて出発した。

 行き先は震災当日に参詣予定であった西宮と宝塚の檀家さん宅である。

 出発早々、方向を間違え10分のロス。

 国道2号線を西へ向かうだけなのに、何故間違ったんだ私。先が思いやられた。


 国道2号線は大渋滞であった。

 自家用車、小型から大型まで様々なトラック、工事用車両。自衛隊の車両も見かけた。

 皆が皆、一刻も早く被災地へ行こうとしており、反対車線へもはみ出す位で、バイクが擦り抜ける余裕もなかった。

 歩道も、リュックを背負い両手に荷物を持った人で溢れていた。

 私の様に自転車に荷物を目一杯積んだ者もおり、渋滞に業を煮やしたミニバイクも走っていたりした。

 何処其処の橋が落ちた、落ちてはいないが通行止めだ、裏道は危ない、など真偽不明の情報があるなか、2号線は大丈夫だと事前情報があった。

 故に恐らくほとんどの人や車やバイクが此の道に集まっていたのだろう。


 左門橋を渡り尼崎市に入ると、崩壊した住宅が目立ち始めた。

 左門殿川を境に、景色が一遍するのに、驚いた。


 只管西へと走り続け、武庫大橋に到る。

 経験された方なら判ると思うが、大きな橋を自転車で進むのはホンマにしんどい。

 常に向かい風が吹き付けるからだ。

 今の私は、普段から自転車を乗り回しているので大丈夫かもしれないが、当時の私は自転車生活をしておらず、久しぶりの自転車移動はとても辛いものだった。


 どうにか渡り終えた武庫大橋の先は、目的地の西宮市だ。

 西宮市に入ると、5階付近がクシャッと潰れたマンションがいくつも建っていた。

 もし今、大きな余震があったらマンションの下敷きになるのかもな、と思いながら走り続けた。

 また迷ってはどうしようもないので、渡り切った所で武庫川に沿って北上し、宝塚市を目指す。

 どこもかしこも潰れているか壊れていた。

 途中で西へ方向を変えて、阪急・仁川駅を目指す。

 山陽新幹線の高架を潜ったが、見事に片側の接合部が折れ、平行線である筈のレールが対角線となっていた。

 新幹線が走っている時間帯ならば、大惨事になっていただろうなぁ、と思った。

 地域の旗艦病院である西宮市立中央病院も被害を受けているのが見てとれたが、機能喪失までは到っておらず、駐車場は救急車と自家用車で溢れており、沢山の人が右往左往していた。


 仁川駅は西宮市と宝塚市の端境にあり、阪神競馬場の最寄り駅である。

 周辺の住宅地は、立派な家が建つ高級住宅地がある場所だ。

 一ヶ月前に訪れた時と比較すれば実に、酷いものだった。


 最初に到着した檀家さんの御宅は、去年建て替えたばかりの立派な邸宅であった。

 私の記憶では二階建てだったのだが、平屋建てになっていた。

 1階部分がペシャンコになっていのだ。

 足腰の悪い御主人と車椅子生活の奥さん、どちらの姿もなかった。

 周辺に人影も無く絶望感に苛まれながら近辺を走り回り、避難所になっている場所を探すと、其処は近所の学校であった。

 受付で檀家さんの名前を告げるが、避難者の名簿に名前は無い。

 仕方なく、連絡票が一杯貼られた壁に、私が安否を気にしている旨を記した用紙を貼り付け、其処を後にした。

 もう一度、檀家さん宅へ行き其処にも貼紙をしようと思い戻ると、通りかかった車が私の傍で止まった。

「誰ですか?」と聞かれたので、天王寺の寺の者だが檀家さんの安否が気になり訪ねたのだと答えると、其の運転手の方は「私は其の夫婦の親戚です。二人は生き埋めになったが無事に救出され、今は別の親戚の家に収容されています」と仰った。

 涙が出た。

 御無事で良かった、宜しくお伝え下さいと伝えた私は、次の御宅へと向かった。


 自転車を借りた友人から、西宮に住む知り合いを訪ねて欲しいと言われていたからだ。

 住所と道路地図を頼りに探すと、近所であった。

 其処の家は大丈夫のようであった。

 お母さんが出て来られ、訪ねた理由を告げると「息子は大阪へ出勤していますので」と言われた。

 友人に託された少年ジャンプとペットボトルを渡すと、何とも曖昧な表情で御礼を言われた。


 次の檀家さん宅も、去年建て替えされたばかりの家。

 少し高台に建つ家の土台のコンクリート擁壁に亀裂はあるものの、家自体はほとんど被害を受けてないようだった。

 周辺の住宅は潰れたり壊れたりしていたが、檀家さん宅のある一角は何故か無事な家ばかりであった。

 呼び鈴を鳴らすと、檀家さんの奥さんが出て来られた。

 怪我も無い様でご無事であった。

 私の父よりも年上の奥さんが泣きながら抱きついて来られ、私も泣きながら受け止めた。

 一頻り泣いて落ち着いた後、お話を伺う。

 怖かった怖かった、そればかり口にされた。

 数年前にご主人を亡くされ、三男坊の息子さんと二人暮らしなのだが、心細くて仕方ないと仰った。

 1時間くらい話を伺い、水を渡し、また来月お参りに来るからと言って、次の御宅へと向かう。


 競馬場の近くにある檀家さん宅は、古い古い木造住宅である。

 毎年、正月とお盆のみ寄せて戴くのだが、上がる度に畳はたわみ、重たい瓦で屋根も斜めになっている御家だ。

 近所に息子夫婦が御住まいだが、普段は90歳のお爺ちゃんと90前のお婆ちゃんの二人暮らしをされている。

 一軒目の事を思い出し、絶対に潰れている、御無事ではないだろう、そう覚悟して訪ねた。

 無事であった。

 瓦一枚落ちた様子も見えない。

 細い道一本挟んだ向かいの家は完全に潰れているのに。

「おっさん、こんなトコまでどないしました?」

 ヒョロヒョロと出て来られた小柄なお爺ちゃんは、不思議そうな顔で言われた。

 膝の力が抜けて倒れそうになった。

 心配だから来たと言うと「お向かいはあきまへんでしたけど、ウチは大丈夫ですわ」とお爺ちゃんは歯のない口を大きくしてフワフワと笑われた。

 奥さんもご無事だと聞き安堵した私は暫く立ち話をして、リュックにあったペットボトルを全て渡し、其の場を離れた。


 此処まで来たのだからと、私はもう少し周辺を見て廻って帰る事にする。

 道すがら、神戸女学院の屋根が波打ったように壊れているのを見た。

 夙川沿いに南下すると、人ひとりが渡れる幅の橋が全て落ちていた。記憶では互い違いに斜めに落ちていた。

 川縁には多くの人が途方に暮れて座り込んでいた。

 道端で、開封後に水を詰め直したと思われるペットボトルが、一本五百円で売られているのも見かけた。


 今度は2号線を東に向かって走る。

 車道は相変わらずの大渋滞、歩道も疲れきった人々で一杯だった。

 向かい風で体力を奪われながら武庫大橋を渡る。

 さんざん走り回ってヘトヘトであった。

 道端の街灯に<千船病院まで後2km>という看板だけが心の拠り所であった。

 1kmくらい走ったと思うのだが、看板の表示は<後2km>のままだった。

 看板を無視して其のまま走り続け、漸く友人の御寺へ到着。

 友人に報告をし、礼を言って別れ、阪神電車に乗って自宅への帰途に着く。

 電車から見える風景が、非日常からあっという間に日常へと変わる。

 当時は、酷く悪い映画でも見せられた気分だった。

 なろう風に言うならば、酷い異世界に飛ばされてから現実へと帰還した感じ、だろうか。


 あれから23年。

 最初に訪ねた檀家さんご夫妻も、友人の知り合いも、泣いて抱き合った檀家さんの奥さんも、フワフワと笑ったお爺ちゃんも御夫婦も、全て浄土へと旅立たれた。

 あれだけ被害を受けた街も新しい町並みに生まれ変わった。

 込み合った住宅地の細い路地が広く拡張されたりもした。

 されど空き地になっている所も、未だに散見する。

 震災が発生するまでは家が建っていて、家族の日常が普段通りに営まれていた筈の場所だ。


 お参りで、被災地となった場所へ行く度に、何とも言えぬ不思議な気分にいつもなる。

 此の気分を、私は此れからもずっと持ち続けるのだろうな、多分。

 次か、其の次で終了です。

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