表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
平成七年の彌縫録  作者: オヒョウ
2/4

震災翌日の事

 思い出しながら下書き無しで直接書き込みしていますが、意外と覚えているもんだなぁ。

 末尾に加筆訂正を。(2021.01.18)

 結局、テレビの前で呆然と過した震災当日。

 やった事を思い出せば、テレビで報じられるニュース番組をズッと録画し続けた事くらいか。


 夜が明けて親父と電話をし、天王寺の寺の被害は古いお墓が一基倒れたのみであった、と伝えられた。

 後に知るが、四天王寺をはじめ市内寺院は軒並み、倒れたお墓があったとの事。

 お墓は石を積み上げて建てる物。立て揺れで下から突き上げられれば、案外脆いものだ。


 実は、天王寺の我が寺は危機一髪の状況であった。

 昭和の初めに門前を東西に走る国道が拡張する為に、境内地を大きく削られたのだ。

 其の時に急造した石垣が大分傷んでいたのだ。理由は手抜き工事である。

 何せ、基礎の部分に煉瓦が使われていたりしたのだから。

 また、本堂を除く庫裏・母屋は床下が全面的にシロアリにやられていた。

 前年から始めた工事で、本堂以外の建物を全て取り壊し、石垣の全面改修をし終えた後に発生した震災。

 もし工事をしていなければ石垣が崩れ本堂が傾き、庫裏・母屋は倒壊していたかもしれなかった。


 親父との電話の後、私はバスと京阪電車を乗り継いで、京橋駅へ。

 西淀川に住む友人の安否確認をする為だ。

 こういう時のお見舞いは「お肉」であると思い、京橋で1万円分のお肉を買い、JR環状線・大阪駅から阪神電車に乗り換え、千船駅へ降り立った。

 駅前にある商業施設は、多くの人でごった返していた。

 水を、食料を、必要な物資を、人々が争うようにして買い求めていた。


 駅から徒歩数分の友人の寺へ行く道すがらに幼稚園があるのだが、其処のグラウンドに直径1mほどのステージが出来ていた。

 はて?と首を傾げてよく見れば、其れは土地が隆起していたのだった。

 多分、地下の水道管が持ち上がったのだろう。

 友人の寺に着き、門を潜れば鐘突き堂があり、物置小屋があり、寺の由来を記した太く大きな石碑が建っている……はずなのだが。

 石碑が根元から折れて、物置小屋の屋根を半ば潰していた。

 其れ以外の御堂・本堂・庫裏・母屋には大きな被害は無く、友人は元より兄や御両親もご健在であった。

 お見舞いを渡し話を聞けば、近所の檀家さん宅が倒壊したので、今、本堂と大広間を被災した檀家さん家族2軒に開放しているのだとか。

 友人曰く「何でか知らんけど、いつもと違う部屋で寝ていて助かった。もしいつもの場所に布団敷いて寝ていたら、頭の上にステレオが落ちて来てた処やったわ」

 かすり傷も無く笑う友人が、彼の家族が無事で本当に何よりだった。

 近所には、完全に倒壊したお寺もあったそうだから。


 後に友人から聞いた話だが。

 倒壊した其の御寺さんは貯金を全て使い、檀家さんから寄付を募り、足りない分は借金をして復興なされたのだが、一ヶ月と経たない内に住職の親族の不注意から失火し全焼してしまったとか。


 友人が境内の片づけをするのを手伝いながら、アレコレと話をしている際に、ママチャリを一台借りる約束をした。

 そして日の暮れる前、友人に「明日また宜しく」と別れを告げ、千船駅に戻った私は帰宅しようとしたのだが。

 ふと気が向いて帰宅する前に、阪神電車で行ける所まで行ってみようと思い、梅田とは反対方面へ向かう車両に乗った。

 甲子園のある駅の一つか二つ前の駅までは、運行していたので。

 降りたのは多分、鳴尾駅だったと思う。

 阪神電車を降りて直ぐ目の前に阪神高速道路があったから。

 ニュース映像でも象徴的に取り上げられる、阪神高速道路の倒壊現場の一部が目の前にあった。


 何だコレ? どういう事だ?


 既に昨日の内にニュースで見知っていたのだが、実物を目の前にすると理解が出来ない代物が目の前にあった。

 駅から一緒に出て来た他も人達もポカンとしていた。

 信じられない光景に初めて遭遇すると、目の前の現実が本当に信じられないのだ。

 どれくらい呆然としていたかは判らないが、突然現実に引き戻された。

 倒壊した高速道路を背景にして、二人か三人の若者が笑顔で代わる代わる記念撮影をしていたのだ。Vサインをしながら。


 どんな悲惨な状況であろうと、人はとんでもなくゲスになるのだ。

 私は結構、瞬間湯沸かし器的に怒髪天を突く性質なのだが、この時は意外と冷静だった。

 冷静に、こいつらを死ぬまでぶん殴ってやろうと思った。

 人は、怒り心頭に発する時、心が極限までに冷え込む事もあるのだと其の時初めて知った。

 私以外にも同じ気持ちの人達が其の場にいたようで、雰囲気を察したのか若者達はヘラヘラしなが立ち去っていった。

 「今度あったら埋めるぞ」と誰かが言った、と記憶している。

 「埋めるより沈める方が楽やで」と誰かが言ったのも。

 私は「そん時は喜んで手伝いまっさ」と言ったのも。

 「ワシにも声かけてな」と言った人もいた。

 何とも奇妙な連帯感が生まれた私達は「ほな」と言い合って、三々五々解散した。

 私は一人、駅に戻って帰途についた。


 記念撮影は以ての外だが、記録撮影はしておくべきだな、と思いながら。

 出来るだけ写真を撮り、現地の状況を知らない人達に説明する為にも、後の誰かに伝える為にも写真を撮らねば、と思いながら。


 今でも其の写真は残してある。沢山の報道を録画したビデオテープと共に。

 あれから23年が過ぎ、全てを納めたダンボール箱は無数の蔵書の山に埋もれてしまい、直ぐには出せない状況にあるのが情けない限りだけれど。

 暖かくなったら、友人に手伝ってもらい蔵書を整頓し、整理ではなく整頓だ、あの頃の記録と記憶を掘り起こそう。

 今は寒いからパスするが、夏前には必ず……多分……きっと……恐らく……。


 思い出したので、補足を。

 阪神高速の倒壊現場で、観光バスが宙釣りになっている映像をご存知の方も多いと思うが。

 ウチによく宅配して下さる飛脚マークの配達員さんから聞いた話。

 あの宙吊りバスに、配達員さんの従姉妹さんがバスガイドとして乗っておられたそうな。

 乗客が乗っておらず、運転手とガイドさんだけだったのでギリギリ助かった、と記憶しているのだが。

 もし満員だったら、ブレーキが間に合わず、落下していた可能性が高かったそうで。

 「生きた心地がしなかった、と従姉妹が言うてましたわ」と配達員さん。

 そら、そうやろう!


 訂正をば。

 改めて当時の証言を確認してみれば、バスには運転手二人と女性客三人が乗っていたとの事。

 であれば、従姉妹さんはバスガイドではなく乗客であったのか。

 ……記憶って当てにならぬなぁ。他にも記憶間違いはあるのやも。

 時間があれば、明日も書き込みしよう。

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ