第八十二話 拡がる戦禍と甘い囁き
世間はすっかり暖かくなり、外を見渡せば桃色の花が綺麗に咲き誇っている。もう4月だからね。お弁当を持ってお花見とかしたくなっちゃうよ。まぁ、のんびり眺めている時間なんて欠片もないんですけど。なんで朝から晩までこんなに忙しいんだろう。ふーっと溜息を吐いて珈琲に口をつける。頭が覚醒してきた!
「はい、全部の公認届にサインしましたよ。後は適当にあいさつ文をつけて返事を出しておいてください」
「かしこまりました。では、次はこちらをお願いします」
「まーだあるんですか!」
「ええ、隣の部屋に箱積みとなっておりますが」
私の差し出した書類を受け取り、代わりをサッと差し出してくる秘書官のクロムさん。他の秘書官さんたちも一生懸命手を動かしてるし、あの腐敗貴族代表のハルジオさんも汗をたらして頑張っている。うん、この大統領執務室は地獄の職場だよ。ペンを動かす音と紙をめくる音しかしないし。もっと頭がおかしくなりそう。
「大事な案件だけ選別してください」
「次回からは、今回の結果を踏まえ、可能な案件はそういたします。今回は閣下の判断をお願いします。我々秘書官で判断できる範疇ではありませんので」
「うへぇ。でも本当に全然終わらないですよ。こんなことしてたら春の花が散っちゃいますよ?」
「ですが、全て重要な案件です。見落としては大変な損失につながりかねません。丁寧に処理していきましょう」
「はー。ルロイさんもこんなことしてたんです? 毎日優雅に舞踏会とかお茶会とか贅沢三昧してたんじゃないんですか?」
「申し訳ありませんが私は存じません。ですが、閣下にはこの仕事を本日中に処理していただかなければなりません。お願いします」
「じゃあパンがないならケーキ食えとか言ってる人いませんでした? 気になりますよね」
「申し訳ありませんが存じません。ケーキはありませんが、執務しながら食べられる軽食を後ほど運ばせます。こちらをお願いします」
ドンと積まれた書類の山を見やる。これを見れば、さっさとペーパーレス推進しましょうよとか言いたくなるよね。よし、ローゼリアは率先してSDGsを推進しよう。詳しい意味は知らない。無駄をなくそうってことかな?
というか、私は大統領だけど凄く偉い独裁者のはず。なのに、どうしてこんなに忙しいのか。私のイメージだと、独裁者はガハハと笑いながら酒を飲んだり美女を侍らせたり財宝もってウヘヘと涎をたらしてるはずなのに。どこの誰よりも忙しく働いている気がする。ブラックバイトならぬブラックプレジデント! でもやめたらサンドラに粛清されそうなので今更逃げられないよ。ギロチンとか調子に乗って開発した間抜けのせいだと思う。
「あー、これは軍団再編計画書の裁可申請ですか。字の癖が強すぎて死ぬほど読みにくいですね。目が痛いです」
「……失礼します。これはサルトル軍務大臣の直筆ですね。宜しければ私からご説明いたしましょうか」
「できるだけ簡潔にお願いします」
「はい、それではご説明します。まずは――」
クロムさんが丁寧に説明してくれる。あの分厚い書類を要約してくれているので本当に助かるのだけれど、とても長かった。簡単にいうと、各師団を統廃合の上で7つの軍団に再編し、軍制を改革するよというもの。今までは貴族様が好き勝手に口出してたから、師団やら隊が乱立して命令系統も無茶苦茶だったらしい。直近で成立する徴兵制やら総動員についても書いてある。こんな感じにしていこうねという草案。サルトル軍務大臣は老体に鞭打って超頑張ってるね。
次は軍団長候補についてだ。命令系統を分かりやすくするために、軍団長に任命したら問答無用で元帥昇進だ。馬鹿をやって解任する羽目になったら降格してもらうらしいけど。ちなみに一番上は大元帥の私である。思わずピースしちゃうね。
「ガンツェル少将を軍団長ですか?」
「ええ、確かにそう書いてありますが」
で、第一軍の軍団長はクローネなのは分かっていたが、後はほとんど聞いたことない連中だ。サルトルさんの見込んだ人かな? その割には第七軍にガンツェル少将が推薦されてるし意味が分からない。適当な理由をつけて元帥に昇進させて、軍団長にしてしまえとあるらしい。
推薦理由を尋ねてみると、有能とはいえないが脅しが効いており絶対に死んでも裏切らない。言われた通りに動く努力はするので他よりはマシ、とあった。やはり人材不足は深刻だ。
そして第二軍メリオル元帥、第三軍ピルロ元帥の両名は王党派寄りで信頼できないが、先の王党派殲滅戦で最後まで動かなかったので表立っての罪はない。指揮能力は怪しいが、それなりに経験があり冷静に情勢判断できる頭を持つ、共和国軍将官では極めて稀有な存在と書かれていた。これは採用するしかないね。裏切らないように後できっちり釘をさしておこう。
第四軍アリエス元帥、第五軍ポワソン元帥、第六軍リブラ元帥はサルトルさんの教え子さんなんだって。ということは全員タカ派の頭がおかしい人たち確定なので信頼できそう。サルトルさん曰く、主義思想は立派だが経験が浅く言動も軽い。本当は使いたくないが、現状では他の凡骨よりはマシとのこと。……あまり期待しては駄目らしい。
いずれにせよこんなに名前は覚えられそうにない。他の偉い人はどうやって覚えているのだろう。今度、ルロイさんに聞いてみよう。それにしても、超優秀な元帥とかどっかに落ちてないかな。全員お墓の下かな? ――それはともかくとして。
「では、第一から第六軍団長までは裁可します。ただし、第七軍は補欠候補のカプリコ少将を元帥に昇進させて当ててください。ガンツェル少将は私が見てないとサボるので、特務師団を率いさせて首都の即応部隊とさせます。おもに私の我儘に付き合う部隊ですね。ちなみに昇進はなしです」
「……と、特務師団ですか。構成部隊についてはいかようになさるおつもりで?」
「はい、旧ストラスパール駐屯兵を再編します。あれを全部私の麾下におきますので。難民大隊2千と特務師団3千の二つ、総勢5千人は私が貰います。いざとなったらこれで反革命分子を殲滅します」
難民大隊は練度はいまいちだけど忠誠心だけは抜群。所属兵もアルストロさんが一般人を勧誘して勝手に増員してるからどんどん増えてくよ! そろそろ名前を変えようかと尋ねたらやんわりと断られたので、私が辞めるまではこのままだね。
大統領直轄特務師団は、名前だけは格好良いね! ガンツェルさんに命じて死ぬほど鍛えさせよう。後はアルストロさんを送り込んで士気向上でもさせようか。面倒な人が量産されそうだけど、逃げられるよりは良いし。
「……承知しました。それでは特務師団を新設、首都に閣下の手勢として駐屯させることを、サルトル軍務大臣にお伝えしてよろしいでしょうか」
「ええ、それでお願いします。後は問題ないのでどんどんサインしていきます。それでは始めましょう」
適当に文章を眺めてさらさらとペンを走らせていく。本当なら見ないでサインしたいのだが、うっかりミツバ大統領弾劾申請書が紛れているとも限らない。油断は命とりなので、一応注意しながらサインしていく。目が疲れるけれど仕方がない。私は偉い大統領だからね。偉い人は疲れても頑張るのである。つまり独裁者は偉いし頑張ってるのである。よし、名言録に残すことにしよう。
で、貰うことにした特務師団とガンツェルさんは私のおもちゃ……じゃなくて武器の一つ。なんだかそろそろ緑化教徒の屑どもが動きそうな気がするので、手勢はちゃんと用意しておかないとね。こそこそと動いてるような嫌な感じがする。なんだかざわざわするし。害虫は潰しても潰してもでてくるからね。本当に腹立たしい限りだけど都度対応していこう。
「――失礼する。サンドラだ」
と、ドアをノックする音がする。秘書官が対応すると、目にすごいくまができているサンドラ議長が颯爽と現れた。前は殺気ギラギラだったのだが、今は執務に追われて流石に顔に疲れが見える。楽しい粛清活動だけじゃなく、議会運営もしなくちゃいけないからね。作業量は私と同じくらいかな。お互い頑張ろうねというやつだ。
「あー、お忙しいサンドラ議長さん。お花見のお誘いですか? 時間なら強引に作りますけど」
「全然違う。プルメニアから、七杖家の連中を引き渡すと連絡があった。処遇をどうするかの相談だ」
「……七杖家の連中。誰でしたっけ」
「この前説明しただろう。プルメニアに亡命した、グリーンローズ家の連中の引き渡し要求の返答だ。情勢が変化してからは向こうでも邪魔だったようだ。返還条件一切なしの二つ返事で受け入れたぞ」
「そうですか」
「カサブランカは現在は返還拒否、クロッカスは完全に無視されて追い返された。分かりやすくていいことだ」
そういえばそんな説明を受けていた気がする。忙しくて耳から抜けていっていたようだ。向こうが受け入れてから考えればいいやと。確か、ピンクローズ家は遠縁のカサブランカ、ホワイトローズ家は頑張ってクロッカスに逃げたんだっけ。まぁ、ほぼほぼ壊滅状態だね。イエローローズとブラックローズがなんとかクローネにくっついて残ってるけど、領地はないし。私をブルーローズと見做せば健在だけど、そんな風に思ってる人間は一人もいないだろう。特に旧貴族の皆さんからは呪い人形だの忌み子だの散々な評判だからね。
ちなみに、チラッと話にでたクロッカスは大帝国だの大帝だの勝手に名乗っているが、ウチとは国交が断絶状態なので呼称は帝国と皇帝に正式にランクダウンである。持ち上げてやる必要もないし、向こうも私を国家主席と見做していないので問題なし。
ローゼリアとの間にはプルメニア領が存在するので、ちょっかいをかけてくるとしたらヘザーランドを介してか、海を使うしかない。敵対関係のままで当面は問題なし。掲げる主義が違うから仲良くなれる要素もないしね。
「で、どうする。グリーンローズ家の当主はレアンドルだ。妻子ありの40代、性格は典型的な上級貴族というやつだ。見逃すと極めて余計な真似をする可能性がある」
「すでに殺す気満々じゃないですか。処刑執行許可証持ってそうですし」
わきに抱えている謎の帳簿に目をやる。巷で噂のサンドラリスト。粛清すべき人物が掲載されていると各社の新聞で恐れられている。上位には確実に私とラファエロさんが入っているので、中は見ない方が良い。私の予想だと一位は私。
「ああ、一応用意はしてある。後はお前のサインで執行できる状態だ」
「やっぱり。で、サンドラの意見は?」
「子供は可哀想とは思うが、一族全員粛清すべきだろう。その方が後腐れがない。厄介な芽は小さいうちでも摘むべきだ」
冷酷無比のサンドラ議長は相変わらずだ。何人の貴族をギロチンに送り込んだのかもう数えきれないね。やると決めたらとことんやるから恐ろしい。でもまぁ、そこまでしなくても今は良い場所ができたのだ。頭のおかしい人たちが用意した頭のおかしい場所。
「うーん、処刑するのはレアンドルさんだけでいいですよ。罪状は交戦中のプルメニアに裏切ったので、国家反逆罪です」
「罪状は問題ないが、対象がレアンドルだけでは禍根が残る。せめて成人男子は粛清すべきだ」
「名誉姓は没収の上で断絶、残りは全員、義務教育所に送ります。アルストロさんに面倒な連中は任せることにしましょう」
「……またあそこか。義務教育といえば聞こえは良いが、あれは洗脳そのものではないか」
「いろいろやりますけど、麻薬の類は使ってないですよ。それに死ぬよりはいいじゃないですか。貴族主義を徹底的に粉砕して、共和主義を叩き込むにはあれくらいしないと。でも本人たちに選ばせていいですよ。頭がおかしくなる教育所にいくのと、ギロチンでサクッと殺されるのどちらがいいかって。選択権は元七杖家の私からの餞別です。私は優しいですから」
「冗談はお前の存在だけにしておけ」
「国民の母に向かってひどいことを言いますね。サンドラも私をお母さんと呼んでいいですよ」
「その言葉だけで卒倒しそうだ」
サンドラが眼鏡をはずして、眉間を揉み解している。折角の冗談だが面白くなかったらしい。残念。
何かあるたびに一族郎党ぶち殺していったら、共和国から人がいなくなっちゃうからね。命は大事にしないといけないし。
だから頭のおかしいニコ所長とアルストロさんにお願いして、共和国に敵愾心を持たないよう教育する施設を作るように命じたんだよ。ほら、私って心優しい穏健派だからね。それでできたのが『ローゼリア国立義務教育所』。ニコ所長は忙しすぎるので、社畜精神豊かなアルストロさんに後任が見つかるまで兼任してもらいます。
何をするかって? ニコ所長の素敵な道具や器具で24時間いろいろやるんだよ。一か月もする頃には共和主義万歳、共和国万歳、ミツバ様万歳って唱えまくるようになってるよ。でも生きてるだけでハッピーだから。いろいろの後遺症が取れたころには、二度とあそこには戻りたくないって思って、共和国に敵対する気持ちは絶対に芽生えないと思うし。
「まぁ、そんなに心配しなくても、多用はできませんよ。一人あたりのコストがかかりすぎますから。送り込むのは、殺すと面倒な元貴族と反革命分子さんだけです。ニコ所長にアルストロさんも忙しいですし、これ以上の拡張もできません」
「……分かった。確かに、お前の言うことも一理ある。あの忌まわしい施設の役目が早く終えられるように、我らも努力すべきだろう」
忌まわしいとかディスられたし。ギロチン多用しまくってる人に言われたくない。でもギロチン作ったのも私だった。私って忌まわしすぎ?
「じゃあ、サインしますね。はい、どうぞ。それではいよいよお花見に行きますか。たまには浴びるほど飲んで寝そべりたいですよ」
「いや、まだ話は終わっていない。お前、クローネがリーマス・イエローローズと婚約したことを知っていたな? 何故止めなかった。厄介なことになるのは分かっていただろうが」
サンドラが厳しく睨みつけてくる。まだまだお花見は許してくれないらしい。私は冷めきった珈琲を一気飲みしてから、返事をする。
「だって、恋は自由ですから」
「は?」
クロムさんや他の秘書官たちがぷっと吹き出すのを私は見た。ハルジオさんは書類で顔を隠している。折角の名言だから、吹き出してないでメモっておいてほしい。
「いや、恋愛なんて皆好きにやればいいですよ。その方が人生楽しいですよ。多分」
「待て、あれはどうみても政略結婚だろう。七杖家の血を取り込みたいのが見え見えだ」
「でももしかしたら本気の恋愛かもしれませんし」
「絶対にありえない。あの野心家がそんな可愛らしい真似をしてたまるか」
声を荒らげて否定してくるサンドラ。折角なのでサンドラにも許可を出しておこう。大統領に遠慮はいらないよと!
「じゃあサンドラも恋愛してきていいですよ。良い人が見つかったら教えてください。ぜひとも子沢山な家庭を築いて、国に税金を沢山納めてくださいね」
「ふざけるなよ。そんなことより、クローネの動向には本当に注意しろ。マルコ・ブラックローズとヒルード・イエローローズが、ミツバ党保守派などと名乗り、旧七杖家領での政治活動を活発化させている。その裏にいるのがクローネだ」
「ええ、勿論知ってますよ。だって、ミツバ党への入党許可を出したの私ですし」
許可をくれって手紙が来たから二つ返事でサインしてあげたよ。その方が賑やかで楽しそうだしね。断ったところで、勝手にミツバ新党とかを作るだけだろうし。これから起こる党内の主導権争いは実に見物である。どちらが優勢でも私は適当にやるだけなので特に問題ない。ばちばちやりあって良い政治論争を繰り広げて欲しいね。無理だろうけど。
私としては、歴史に名前を深く刻むために、何をしていくかが肝心なのである。今のところはかなり順調だが、まだまだ足りない。よってさっさとカサブランカに攻め入りたいのだけど、軍備が整ってない。ま、動くのは選挙の後だね。ラファエロさんも戦争回避のために必死に駆けずり回ってるから、それまでは待ってあげよう。絶対に攻めるけど。だってそうしないとリリーア上陸作戦が発動されちゃうからね! 私に主導権を渡さないように私は頑張ろう。
と、そんなことを考えていたらサンドラが本気で怒ってる。目の下が黒くて人相が悪くなってるから、迫力がある。流石は『ギロチン議長』の異名をとるだけはある。作ったのは私なのに、なんだかサンドラの悪名の方が有名になってきてる。貧民層からは大人気だが、富裕層からは超嫌われている。クローネとは逆のタイプで面白い。
「何を馬鹿な真似をッ! あいつらが狙っているのは、旧貴族連中の復権だぞッ! クローネは己の権力拡大のために党名を利用するだけだ!」
「それが分かっているなら、サンドラもさっさとミツバ党に入党して革新派の代表になってください。早くしないと、クローネの人望で派閥がずたずたにされちゃいますよ? もう切り崩しが始まってるみたいですし」
「だ、だが、私はッ!」
「第一、クローネの入党を拒否すれば、私支持を表明する面倒な新党ができるだけです。クローネが私の親友ということは広まっていますから、国民は信じますよ。だったら入党を認めた方が監視もしやすいし、色々と作業が捗ります。違いますか?」
「――ッ」
サンドラはこれだけ私に近いのに、まだミツバ党に入ってない。ジェロームさんなどは頑固さに呆れていたが。誰から見てもミツバ派筆頭なのだけど、本人は頑なに否定している。だから、お尻を叩いてあげることにした。欲しいものは手に入れるのである。新党サンドラとかも面白そうだけど、やっぱり傍にいてもらったほうが楽しいし。
ちなみに、クローネの人気は最近右肩上がり。私の親友で戦も強い。しかも外見も格好良いし、演説も上手い。鼻持ちならないイエローローズを己の才覚だけで乗っ取ったと、世間では評判だ。そういう英雄的なお話は国民のウケが良いのだ。
そのクローネが掲げる穏健保守思想については、貧民層からは特に関心を持たれていないが、商人などの富裕層や旧貴族たちからの支持は着々と増えている。支持すれば武力で安全を保障してくれるし、その保証はイエローローズの血が担保してくれる。クローネ率いる保守派はどんどんと勢力を拡大していくだろう。
というわけで、サンドラには選択の余地はない。自分のプライドを守るために一匹狼を気取っていたら、革新派はどんどんと切り崩される。改革を急ぎたいサンドラとしては、保守派に迎合している場合ではない。数を力としてどんどんと旧体制改革を推し進めなければならない。そのためには、偉大なミツバ大統領の最も信頼できる右腕として、革新派の代表に納まるしかない。そうしなければ若き英雄クローネに対抗できない。
「ゆっくり考えても良いですけど、時間はあまりないですよ。ジェロームさんやらサルトルさんじゃあ国民人気は得られません。経験豊富でも若さと勢いがないですから。空気の読めないラファエロさんがしゃしゃりでないうちに、決断するのがおすすめです」
「…………明日、返事を出す。それまで、待ってくれ」
「分かりました。良いお返事をお待ちしてますね。それでは、一緒にお花見を――」
返事をすることなく、さっさとサンドラは出て行ってしまった。全く、忙しないことである。残念ながら、今日のお花見はこのブラック執務室で秘書官の皆さんと一緒に行うことになりそうだ。折角の春だというのに、なんとも世知辛いことである。お前は一年中頭が春だなとか、罵声を浴びせられないだけマシだったかな?
◆
深夜の大統領執務室。ブラック職場に残っているのは私とクロムさん、そして先ほどこっそりとやってきたジェローム内務大臣。これからひそひそと内緒話である。あまり外に漏らされたくないことは夜中にお話しすることにしている。その方がそれっぽくて楽しいしね。ちなみに私のお家はこの宮殿で、職場も兼任だから通勤とかはありません。職場がお家って嫌な言葉だね。私は軽快にペンを回しながら報告書を眺めつつ会話をしている。
「閣下。プルメニア帝都に潜ませている密偵から情報提供がありました。皇帝ルドルフへの不満が相当高まっているようで。プルメニア東部のフレジア州で大規模な反乱が起きたようです。州都が制圧され、州知事は殺されたらしいですな」
「へぇ。革命の炎が燃え移りましたか。一応朗報なんですかね」
「そうですなぁ。どちらとも言えるでしょうか。向こうが国内問題にかまけていてくれれば、こちらは過剰に警戒しなくてすみます。一応、講和条約は結んでいますが油断できる相手ではありません」
「破ったら皇帝が死ぬんで、向こうからは来れないですよ」
「そうですか。まぁ、それは良いとしてです。クロッカス帝国が裏で動いてます。反乱分子に大量の資金と武器、更には傭兵を流しているようでして」
「傭兵? クロッカス兵ですか?」
「いえ、ほとんど緑化教徒らしいとのことで。緑化教会はプルメニアを布教の重点地域に変更したようです。麻薬と経典を貧民層にばら撒き始めてます」
「本当に今すぐ全員死ねば良いのに」
ペンを思わず圧し折りそうになったが我慢する。物にあたるのは良くないからね。
「ローゼリア布教も諦めた訳じゃないようですがね。連中、方針を闘争路線から穏健路線に舵を切ってます。今度の選挙、正々堂々立候補してきますよ。資金と武器がないのなら、弁舌でってことですかね」
「は?」
「無所属でミツバ支持を唱えて褒め殺し、軍事費大幅削減やあらゆる税制の廃止など、無茶苦茶な政策を訴えてくるでしょう。勝てないのは想定済みで、馬鹿な有権者を引き込む算段のようです。この前素性を隠して演説してましたね。こちらで潰しますか?」
「…………よぉくわかりました。わたしが、たいしょするので、ええ、だいじょうぶだいじょうぶ。あははは」
沸きあがる怒りで意識が飛びそうになった。口調も棒読みになってしまったし、なんか嗤っちゃった。カビに大勢の前で褒め殺しをされる? 想像しただけでやばいね。多分私が暴走すると思う。関係ない人まで沢山巻き添えにしちゃいそう。
というわけで早速特務師団の出番が来たみたいだ。自由で公平な選挙はどうするのかって? 麻薬と不幸をばら撒く緑化教徒に人権なんてないんだよ。アルストロ君の名言録に記録しておいてもらおう。どうせ緑化教やら緑の偽神を馬鹿にすれば、顔を真っ赤にして怒りだす。カビは馬鹿だからすぐに判別できる。どうしても分からないなら私が直接判別してあげよう。
殺されるのが嫌ならさっさと棄教して、人に迷惑を掛けない人になってくださいという奴だ。優しくて穏健派の私が『棄教したら本当は嫌だけど許すよ』って、怒りを堪えてお触れをだしているんだから素直に従えばいいのである。ローゼリア共和国は信教の自由があるからね。緑化教以外。
「……あー、話は戻りまして。クロッカスは流言飛語でプルメニア国民をこれでもかと煽っているようです。無策無能で敗北を喫し、屈辱的な条件を受け入れ、怨敵ローゼリアに尻尾を振る皇帝ルドルフを許すなと。今こそ革命を起こし、プルメニア人の誇りと主権を市民に取り戻すべし、と。中々派手にやってますよ」
「クロッカスが革命を煽るんですか? まさか皇帝が共和主義に目覚めたわけじゃないですよね。ということは」
「まぁ、ローゼリアと同じで、革命で大混乱に陥ったところを攻め込んで、領土拡大を目指すって奴でしょうなぁ。ウチは閣下が現れましたが、プルメニアはどうなることやら」
ジェロームさんが顎を撫でながら、どうでもよさそうに呟く。クロッカス皇帝は東方から南下政策を仕掛けていたはずだけど、プルメニアが弱体化してるのを見て、西に手を伸ばすことに決めたらしい。どんどん世界情勢が荒れてきたね!
「介入すべきですかね」
「それは難しい所です。反乱軍は反ローゼリア感情が高く、革命が成就しても敵国が増えるだけ。しかも後ろ盾がクロッカスと緑化教会じゃあ仲良くはできません。かといって帝国に肩入れするのは、共和主義を掲げる我が国としては矛盾が生じます。国民への説明が難しい」
「じゃあ、しばらく様子を見て、帝国が劣勢になったら負けない程度に金と武器を援助しましょう。名目は、正しい共和主義を広めるためとか、そんな感じでいいです。両者疲弊したところを、援助の見返りとして西部の領土をもらいます。クロッカスだけに美味しい所を取らせなければいいだけのことですし」
緑化教徒が傭兵として入り込んでる反乱軍に手を貸す? ありえない。むしろ弾圧したい。でもプルメニア軍をただ助けても面白くない。というとで、こっそりと力を貸してカビを殺してもらおう。
リリーアはクロッカスと同盟しているから、洗脳された緑化教徒が流れ込んでくる。プルメニアが潰れたら次はローゼリアだ。そうなる前にカビは叩かないと。本当にリリーアはろくでもない。さっさと潰したいが、海があるから難しい。念のために上陸作戦を検討しようよ。ちょっと検討するだけ。……いやいや、無理無理。勝ち筋がないし。私の甘言に耳を貸したら駄目だ。
しかし、リリーアは本当にうまいこと緑化教会を使う。教義では無政府主義万歳、神様万歳、麻薬万歳をやらせてるくせに、きっちり教徒の手綱を握ってるし。教会本拠地がどこかとか、全部で何人いるのかとかもさっぱり分からない。どんな話術や交渉術を使ってるのか。舌が何枚あるのかぜひとも見てみたい。
というか積極的に交流してるんだから、クロッカスにも布教が流れ込めばいいのに。それもこれも神のお告げとやらで都合よく誤魔化してるのか。なんとか屑同士で食い合わせられないかなぁ。でもうっかりするとカビが増えるか。あー面倒くさい。やっぱり皆殺しだ。
「向こうが支援を拒否、あるいは領土割譲の約束を反故にされた場合はどうなさいます?」
「攻め込んで分捕ります。カビがはびこるなんて冗談じゃないですから」
「閣下のお考えはとても分かりやすいですが、良いんですかね。先日結んだ講和条約のお約束はどうなさるおつもりで?」
「向こうが破ったら皇帝が死にますけど、私が破っても特になにもないですし。私からは基本的に約束は破りません。でも、一度破られたんだから、こっちも破っておあいこです。その後は、ごめんなさいして笑顔で握手して、また仲直りですね」
「それはとても素晴らしいお考えで。それまでルドルフ皇帝陛下が生きていれば、本当に良いのですがね」
「こちらに亡命してきたら面白いですよね。そのときはルロイさん家の隣に屋敷を建ててあげることにしましょう。きっと喜びますよ」
「高尚すぎて笑えない冗談ですが、ありえない話じゃないのが恐ろしいですな。実現したら是非ともお茶会を開催しましょう。私も参加しますので」
笑えないと口では言いながらニコニコ顔のジェロームさん。そして紅茶を一口飲んだ後、こちらに真剣な表情で声をかけてくる。
「――閣下。サンドラ議長を煽っていただき、ありがとうございました。大分かかりましたが、ようやく入党を決断されたようです。これで、次の選挙では革新派優勢で終わらせることができますよ」
「そうですか。それは良かったですね」
ジェロームさんからサンドラをなんとか入党させてくれとお願いされていたのである。革新派とか一応言ってるけど、現在はかなりふわっとしている。正式な形はまだないし。だから、貧しい国民たちから人気のあるサンドラを代表に据えて、派閥を正式に発足させたかったのだろう。選挙後に区分けはきっちりされるはずだ。
なにしろジェロームさんの後ろ盾はサンドラ議長だし。しかも率先して旧貴族をがんがん粛清していたから、保守派のクローネが台頭するとまずいのである。復讐でうっかりギロチンに送られてしまうかもしれない。よって、ジェロームさんは色々と根回ししていたというわけ。策謀家だけど苦労人だね。
「一つ、提案したいことがあります」
「なんですか?」
「クローネ元帥とヒルード、リーマス両名の首都への召還です。第一軍はリーベック州に駐屯させたままでです。結婚式をこちらであげさせる、もしくは直接祝いたいなどと適当な名目で呼びつけましょう」
「それで?」
「逮捕します。後は適当な罪状をプレゼントして即座に粛清します。彼女の一派がこれから更に拡大し、厄介な政敵になるのは目に見えています。今、ここで叩き潰すべきです。第一軍団は反乱を起こすかもしれませんが、クローネ元帥がいなければ問題ありません。英雄がいなければ閣下のお力で簡単に切り崩せる」
「あはは。ジェローム内務大臣は本当に見る目があります。でも、そんなことをしたら使える人間がさらに減っちゃいますよ」
「今使える人間よりも、将来の脅威を摘むべきです。私のような人間が言うのもなんですが、彼女は人に仕えられるような性質ではありません。ええ、私には分かるんですよ。彼女は使う側の人間だ」
流石は機を見るに敏なジェローム内務大臣。良く人間が見えている。サンドラも分かっているかもしれない。ここで、クローネたちを殺すという手もあるけども。なんとなく放っておいた方がもっと面白くなるような気もする。でも、取り返しがつかなくなる気もする。うーん、どうしようかな。まぁ、逮捕が失敗したら即座に内乱なのは確定、成功しても混乱だね。それはそれで楽しそうだけど、友達はいなくなるよね。
「…………」
「これは、決して嫉妬からの讒言ではありませんよ。リーベック州に、クロッカス商船の往来が増えています。誰が何を運んでいるのか、警戒が厳しく掴めません。……あの位置に、彼女を野放しで置いておくのは危険すぎる。兵も勝手に旧七杖家地帯から引き抜いているようです。恐らく、現時点で5万以上を独自に動かせます」
「色々と考えてくれて本当にありがとう。ジェロームさんの忠告はしっかりと頭に入れておきます。でも、今は駄目です。共和国初の選挙前ですしね。失敗したら、大混乱になっちゃいます。そんなことで歴史に名前を残したくないですし」
反乱の脅威に恐れをなした臆病者のミツバ大統領は、讒言に乗って親友で忠臣のクローネ元帥を粛清してしまいました。精鋭の第一軍はかたき討ちのために反乱を起こし、共和国最初の選挙は滅茶苦茶になってしまいました。なーんて後世に残ったら嫌だし。きっと皆好き勝手に書くし。むしろ反乱されて迎え撃つ方が楽しいよね。返り討ちにしても、討ち取られても華があるね! 口に出したらサンドラあたりに激怒されるので言わないでおこうね。
「……分かりました。内偵は続けてもよろしいでしょうか?」
「それは宜しくお願いします。ええ、クローネはそのうち動くでしょうね。残念ですけど、仕方がないです」
私がそうつぶやくと、ジェロームさんは首を横に振り、無言で退出していった。まさに権謀術数蠢く世界ってやつだね。どの国も大変だ。『だから、さっさと全力でリリーアに攻めればいいんだよ、そうすればずっと友達のままでいられるじゃない。だって、全部終わるんだから。お望みの華も盛大に咲くよ?』と、私がにこやかに笑った気がした。確かに、その通りである。本当に、甘い言葉を囁くのが上手である。
執務につかれてぐでーとしているミツバをイメージして書きました。偉くなると忙しくなります。
Xの稼働を今更始めております。生存確認、本人確認、更新報告とか挿絵追加報告もこちらで行えたらと思います。どうぞよろしくお願いします。
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