第十五話 やっぱりやめた
今日は砲兵科の花形教科、砲撃実習の日だったというのに私は反省部屋で絶賛謹慎中である。ボロい机にお尻が痛くなりそうな椅子。もう初夏だというのにこの寒々しい感じ。鉄格子の向こうには見張り役の監督官が目を光らせている。実に素晴らしい環境である。ここは教官に逆らうなど、学生にあるまじき行為を行なった不良学生をぶち込むための部屋らしい。まぁ、私に言わせると単なる牢獄である。
見つからないように、こっそりと次の飴玉を口に入れる。甘くておいしい。ばれないように食べられる飴玉は、クローネが差し入れてくれた。持つべきものは友達である。ちなみに、サンドラは『勉強しろ』と本を差し入れてくれた。暇つぶしにはなるのでこれも嬉しい。表紙に記されているタイトルは、『偉大なるローゼリアの歴史』。でもこれはダミーで、裏表紙には『王、貴族、市民、そしてカビ』とあった。シーベルさんという市民議員が発行しているそうで、ベルの街でかなりの評判を呼んでいるとか。何だか肩が凝りそうだが、折角なので読み込んでみる。時間だけはたくさんあるのである。
「ふむふむ」
適当に流し読みでどんどんとページを進めていく。この本の主張は、90%以上を占める市民こそが国の主役であり、それを抑圧する体制や、利潤を貪る王や貴族連中を徹底的に批判している。過激な文言が至る所に入ってるし。これは市民にはウケがさぞかし良いだろう。共和制、国民主権というなんだか馴染み深い単語まで飛び出してきた。どの世界でも頭の良い人はいるものである。
「カビ?」
そして、王都ベルの一部に蔓延るカビについて。緑化教徒なる無政府主義者の言う事は決して信じてはならないと強く主張している。教えに染まった忌むべき緑化教徒――無政府主義者共はカビと同じであり、もはや救いようがない。一片の慈悲を掛けずに徹底的に消毒すべきと断じている。緑化教の教えに従えば、死後神の住む楽園に行けるなどというのは妄言に過ぎない。我らローゼリア人は大輪教徒であり、偉大なる大地の神の庇護下にある。死後は母なる大地に帰り、転生の時を待つのみである、と結んでいる。
「なるほど。頭がおかしい人が一杯いそうです」
「黙っていろ! 読書くらいは認めてやるが、発言することは認めていない!」
「はい、ごめんなさい。凄く反省してます」
独り言をつぶやいたらいきなり監督官に怒られた。仕方ないので反省の意を示してから更に本を読み込むことにする。結局言いたいことは、さっさと国王を引き摺り下ろして、市民による市民の為の国を作りましょうということだった。そういうことなので、無政府主義者共は死んでくださいということである。大いに納得する。
で、ここで考えてみる。私は一応貴族出身だと思うが、現在はなんなのだろうかと。もう貴族ではないと思う。名誉姓とやらを取り上げられてしまったから。特に良い思いをした覚えもないので、特に執着もなし。
では市民かというと、それもどうなんだろう。まだ暮らしに困窮した経験はない。士官学校ではまずいけど食事はでるし。軍人になって前線に送られれば、また意識は変わるのかもしれない。王様への恨みつらみも溜まってないけど、貴族の人達に良い思い出はあんまりない。クローネは没落貴族とか言ってたから、もう貴族としての意識はないのかも。むしろ蹴落としてやりたいと笑っていたし。サンドラは全員ぶち殺してやりたいとか考えていそう。聞くのはやめておこう。なんか危ないから。
まぁ、なるようになるかと大きく伸びをする。とりあえずは、生き抜くことが重要である。多分、亡きお父様もそれで喜んでくれるはず。その上で、友達のクローネや、なんだかんだで構ってくれるサンドラに協力していくのも悪くないかもしれない。クローネは偉くなったら家来にしてくれるとか言ってたし。好待遇間違いなし。そのまま頑張って偉くなってほしいと思う。サンドラには清き一票を入れてあげよう。目指すは総理大臣か大統領に違いない。私は秘書にでもなろうかな。
そんなことをぼけーっと妄想していたら、誰かが部屋に入ってきた。
「失礼しますよ」
「……一体どなたですか?」
フードを着た謎の人。表情は見えない。問いかける監督官も怪訝な表情だ。
「急にお邪魔してしまい、申し訳ありません。あるお方から、これをミツバ嬢に届けるように頼まれましてね」
「生憎そういう訳にはいきません。この学生は謹慎中なのです。用件があるならば、明日以降にお願いしたい」
「いえ、是非とも今が良いのです。そうだ、これは少ないですがほんの気持ちです」
懐から何か布袋を取り出し、監督官に手渡している。結構重そう。ジャラジャラなってるし。あれは多分お金である。いわゆる心配り。黄金色の饅頭。初めて見るシーンに感動し、思わず私は唸る。
「いや、しかしですね」
「お受け取りください。絶対にご迷惑はおかけしません。貴方には、これから暫く用を足しに行っていただきたい。大体10分程度で構いません。その間に終わらせますので」
「…………」
「万が一の場合でも、こちらで貴方を雇い入れますのでご安心を。さらに、後で同じだけのものをお渡ししますよ」
紙を差し出すフードつき。それを読んだ監督官は、驚きで目を大きく見開いている。そんなに素晴らしい就職先をあっせんされたのだろうか。うらやましい。黄金色の饅頭にコネ入社。最高の待遇である。私もあやかりたい。
「…………分かりました。万が一のときは、本当によろしくお願いしますよ」
「ええ、勿論ですとも。ささ、暫くの間、休憩をお楽しみください。“何か”あった場合はこちらで手筈は整えますので、貴方はいつもどおりの仕事をしていただければ結構です」
「…………」
監督官は小さく頷くと、こちらを複雑な表情で眺めてからさっさと立ち去っていってしまった。
「…………」
「さて、と。これで落ち着いて話ができますかね」
フードつきの男が、こちらの鉄格子に近づいてくる。私はそれを腰掛けたまま見上げてみる。フードからは白髪と無精髭が覗いている。痩せた体つきで、その腰にはなんだか怪しげな杖が身につけられている。なんというか、悪魔召喚とかで使われていそうな感じの装飾だ。
「いやはや、魔術が伝統芸術とやらに押しやられてからは汚れ仕事ばかりでして。戦場の花形と呼ばれていた頃が懐かしく思えますよ。要領の良い連中は上手くやってるんですがね。本当に、時代の変化というのは早いもので」
「そうなんですか。大変ですね」
愚痴につきあってあげる。だって暇だから。
「ええ、いわゆる過去の栄光というやつですね。時折思い出してしまうのですよ。……さてさて、早速本題に行きましょうか。貴方、先日食堂である学生に魔術を掛けましたよね。ほら、貴方がある方の足首を押さえたときですよ。勿論、覚えていますよね」
「……? えーっと、魔術なんて私は使えないんですけど。何かの間違いじゃないですか?」
「そのガラス玉のように無機質な目でそう言われると、やけに説得力がありますね。思わず信じてしまいそうです」
「だって本当ですし」
そう言うと、フードつきが大きく溜息をつく。とてもわざとらしいので、嫌な感じである。
「もしかすると、それが真実なのかもしれませんがね。全く新しい魔術、あるいは呪いとやらを無意識に掛けてしまったのか。いずれにせよ、厄介極まりない。貴方が忌み嫌われる理由も分かりますよ。貴方、同じ学生たちからなんていわれてるか知ってます?」
「さぁ、全然知らないです」
「呪い人形、もしくは毒人形ですよ」
「そうなんですか」
「ふふ、貴方がお友達だと思っている、同室の方々も本心ではどう思っているやら。いやいや、これは失言でしたか」
ドクンと鼓動の音がやけに大きく聞こえる。感覚が変な感じになる。なんだか知らないが、無性にイライラする。視界が紫に侵食されていくような。
「それでですね。貴方が魔術らしきものを掛けた哀れな学生のことです。あれ以来、足が動かなくなっていたのですが。何故かその範囲が広くなって、今では下半身不随なんですよ。本人は止まぬ激痛で廃人一歩前。不眠不休で食事もとれないありさま。これでは医者も手の打ちようがない。しかも、徐々に上へと痛みの範囲が進行している。このままだと、近いうちに心臓に到達します。そうなれば間違いなく、死に至るでしょう」
「…………」
「不幸な諍いがあったとはいえ、ここまでやることはないでしょう。貴方に慈悲の心があるなら、アレを解除していただけませんか。これはお願いです。先日の無礼は、学生に代わりお詫びしますので、許していただきたい」
フードつきが鷹揚に頭を下げる。形式だけというのはその態度と顔を見れば分かる。さてさて私に慈悲の心はあったかな。さっき民主主義の本を読んだことだし、多数決で決めてみようかと思ったがやめる。全会一致で否決されるに違いない。
というわけで私の口が勝手に開く。顔も笑っている気がする。不思議なことである。でももしかすると、私の意志だったのかもしれない。混濁しているから、もう分からない。
「もちろん嫌ですけど」
「ふふ、そう言うと思っていましたよ。なにせ、忌むべき毒人形ですから。――では次は“命令”します。死にたくなければ直ちに解除しろ。あのお方はお前のような屑とは命の価値が違うのです。家督を継承し、いずれは尊きお方の右腕とならねばならない。お前如きが手を出して良い存在ではありません」
「絶対に嫌です。そのままのた打ち回って苦しみぬいてから死んでください」
「強情ですね。実に愚かなこと。――では、これでも答えは同じですか?」
腰から杖、ではなく、短銃を抜き出した。背中側に隠し持っていたようだ。そして私の頭に銃口を突きつける。既に弾込めと魔力充填は済んでいるようだ。古いデザインの割になんだかサイレンサーっぽいのがついてる。こんなところだけ技術は進歩しているらしい。とても素晴らしいことである、と私は思った。
「こうやって目立つように杖を持っていれば、先入観からか銃を持っているとは思われないんですよ。対魔障壁を持つ連中は、うっかり油断してくれます。本当に単純なのですが、中々上手くいきましてね。ま、貴方が対物の障壁発生装置を持っているとは思いませんが」
「やっぱり私を殺すんですか?」
「ええ、そうですよ。貴方に解除する気がないなら、殺すしかありません。そういう依頼ですので。それに、貴方を殺せば解除される可能性はあります。私としては子供を殺すのは忍びないですが、毒人形である貴方なら話は別ですし。心は特に痛みませんね」
「もしかして貴方は暗殺者なんですか? 本物を見たのは初めてです」
こんな状況なのにどうでも良い質問が飛び出てきた。私は好奇心が強いらしい。フードつきも思わず苦笑している。
「このご時勢、私のような流れ者は仕事を選んでいられません。汚れ役だろうがなんでもやりますよ。――それで、答えは変わりましたか?」
「あはは。死んでも嫌です」
「なら死になさい」
カチッという小さな音が鳴り、何かが噴き出していく感覚。身体が床に崩れ落ちる。同時に額に灼熱を感じ、私は意識を失っていく。多分、後ろの壁は脳漿でひどいことになっているだろうなぁと思った。まだ半年しか生きていないのに死ぬんだなぁと私は思った。これには父ギルモアもがっかりだろう。でも仕方ない。どんなに頑張って生き抜こうと思っても、死ぬときは死ぬのである。人生とはそういうもの。私の死はニュースにもならず、死体は多分無銘の墓にでも埋葬されるのだろう。下手すると野晒しかも。腐った後は蛆が湧いて大変だ。でも死んでしまってるからどうでも良いかな。
「あ」
――そういえば、サンドラに本を返すのを忘れていた。それと、まだ飴玉もまだ全部舐めていないし。他にもやることはあったような。確か、ミリアーネ義母さまにお礼をしないといけなかったんだ。どうでもいいからすっかり忘れてた。後はニコレイナス所長にも色々な秘密を教えてもらいたいし。つまり、まだまだ死ねないなと私は思うのである。やること盛りだくさんである。口からごぼごぽと何かが溢れていくけど、気にせず上半身を起こす。下半身は動くかな? でも意識が飛びそうでちょっと危ない。とても眠い。
「ば、馬鹿な。ど、どうしてお前は死――」
ぞわっとした感触が全身を包むと、徐々に意識が薄れていく。紫の視界が黒に染まっていく。最後に見たフードつきの心底驚愕した顔はちょっと面白かった。逃げ腰だったし、それでは暗殺者失格である。そんなことを思いながら、今度こそ私は意識を失った。
それじゃあ、おやすみなさい。おやすみなさい。良い夢を。




