悪い魔女と甘い毒
少し長めです
やせた女性がこほこほと、ベッドの上でせきこみました。
健やかならばとても美しいであろう顔は、痛ましいほどにやつれ、もとはつやめいていたであろう赤薔薇色のかみも、水気を失ってぱさついています。
蒼白い手も、上等そうな毛布につつまれた身体もやせこけているのに、お腹だけはぽっこりと、存在を主張しています。
「どうか、せめて、こども、だけでも……」
かさついたくちびるからこぼれた言葉は、よわよわしくかすれていました。
その病があらわれたのはつい半年前。知らぬ間に病にかかれば、だんだんと食欲が減り、体力がおとろえ、気づけば床から起き上がれなくなって、よわりきって死にます。
まるで気まぐれのようにひとを襲い、冷徹に殺していくその病を、いつしかひとびとは、“魔女のくちづけ”と呼ぶようになりました。
原因も、治療法もわからないのに、病はしずかに、けれどすばやくその手を広げ、ついには王宮で守られていたはずの、おさない王太子さまと、身重のお妃さまにまで、おそろしい刃をむけました。
病にたおれたお妃さま。
いくら国中の名医を集めても、治療法のわからない病では、どうしようもありません。
このままではお腹の子ごと死んでしまうだろうと、みな口には出さないながら思いはじめていました。
病が“魔女のくちづけ”と呼ばれるようになるのが、さきだったかあとだったかはわかりませんが、この病は魔女のしわざだと、まことしやかにうわさされました。
「魔女さま、わたくしは、どうなっても、かまいません。どうか、こどもと、国民は、殺さないで、ください、ませ……」
みなが寝静まった夜、せきこんで目覚めたお妃さまは、身を起こすことすらつらいほどにやせ細りながらも起き上がり、手を組んで目を閉じると、そう祈りました。
「べつに、わたしが病をばらまいたわけではないんですけれどね」
お妃さま以外はだれもいないはずの部屋からの返事に、ぱっと目を開いたお妃さまはあたりを見回しました。
いつの間に部屋に入って来たのか、マントを着こんだひとが、お妃さまの眠るベッドのはしに座っていました。
「まあ、わたし、と言うよりわたしたちですかね、の落ち度ですし、はかったように都合の良い状況ではありますが」
お妃さまの方は見ないまま皮肉めいた口調で、人影はつぶやきます。
「あなた、は……?」
お妃さまが問いかけると、マントの人影は、くるり、と振り向きました。
夜の闇にまぎれたのか、フードの奥の顔は暗くて見えません。声も、ぼんやりとして年齢がわからない声でした。
「森の魔女、と呼ばれています」
「っ……」
人影の答えに、お妃さまは言葉をなくしました。
「あなたが、魔女、さま?ほんとうに?」
「嘘だとお思いでしたら、それでもかまいませんが」
「どうかっ、どうか、こどもと、民の命、をっ……ごほごほっ」
ぱっと人影、森の魔女に手を伸ばして叫んだお妃さまは、言葉を言い終えずにせきこみました。お妃さまの手をよけるように、魔女はベッドからおりて立ち上がります。
「あなたが命を差し出さなくても、みな、助かりますよ」
魔女の言葉にお妃さまが、はく、とあえぐように息をすいこみました。
「ほ、ほんとう、に、」
「ただし、現時点で病気に感染していないものについては、ですけれど」
希望に染まりかけたお妃さまの目が、たちまちに絶望に彩られました。
「そんな……どうして……」
「どうしてと言われても。魔女も万能ではないと言うことです。病の原因菌を殺すことはできても、病にかかった数千人を生かすことまでは出来ないんですよ。そこまでは、管轄に入っていません」
そもそもことが起こる前に対応するのが、本来の役目ですからね。
今回は本当に大失態ですよ、とため息をつく魔女を、お妃さまは具合が悪いことも忘れて、ぽかんと見上げました。
「管轄……?役目……?」
目の前の魔女の言いぐさはまるで、魔女はなにかしら役目をあたえられていて、それに沿った動きしかできないと言っているようではないか。
首をかしげたお妃さまに、魔女は語ります。
魔女の役目が妖精のいたずらが行きすぎないように、見張ったり止めたりすることであり、森の魔女は主に森周辺にいる妖精たちの相手をしていること。
今回の病も妖精のしわざだったが、担当の魔女が代替わりでばたついており、見逃してしまったために、こんなにひどい被害が広がってしまったこと。
病に対してはすでに手が打たれ、これ以上感染は広がらないが、すでに感染しているものに関しては、なにも手をうてないこと。
そして。
病をばらまいたのとはべつな妖精が、今度は毒の雨を降らせようとしていること。
「そんな……これ以上、民が、苦しま、なければ、ならないと、言う、のですか?」
身体がつらいのでしょう。息つぎを何度もはさみながら問うたお妃さまを、横になっていて良いですよとベッドに寝かせて、魔女はふたたびベッドに腰かけました。
「……そちらならば、防ぐ方法があります」
「防ぐ、方法?」
「いけにえを出せば、毒を降らせるのはやめると」
わたくしが、と起き上がりかけたお妃さまを手で制し、魔女は首をふりました。
「あなたではだめです。妖精は、誰が欲しいか指名していますから」
お妃さまが、きびしい顔になります。
「誰、ですか?」
魔女は、お妃さまをゆびさしました。
「その子です」
「その子……?」
だれかほかにいたかしら、と目線で部屋を見渡したお妃さまに、魔女は無慈悲に告げました。
「あなたの、お腹の子です」
お妃さまは、瞳がこぼれ落ちてしまいそうなほど目を見開き、言葉を失いました。
衝撃のあまり言葉も出せないお妃さまへ、魔女はたんたんと語りかけました。
「とりひきをしましょう、お妃さま」
このひとはなにを言っているのかしら。
見開いた目に涙すらためはじめたお妃さまが、魔女を見上げます。
「あなたの病にきく薬を差し上げます。あなたが、のぞむだけ。そんな身体で流産なさってもこまりますから、あなたとお腹のお子、それに、王太子については、健康な身体にして差し上げましょう。かわりにわたしは、生まれて来るあなたの子を、さらいます」
「病の、感染者には、手を、うてないと」
「管轄内に入ればいくらでも手をうてます。あなたが、その子とひきかえの条件として、感染者を救うことを望めば良いのです」
魔女の言葉はまるで、甘い毒のようでした。
「いけにえと言っても、殺されるわけではありません。乳母もひとり付けて良いそうですから、ただ、妖精の遊び相手にされるだけです」
甘い甘い毒が、お妃さまの耳に流し込まれました。
「このままなにもしなければ、お腹のお子は生まれもせずに死ぬでしょう。病気の患者はだれひとり助からず、空からは毒の雨が降る」
「ですが、この子には、なんの、罪も、ありません」
「生まれることもできずに死ぬよりは、たとえいけにえとしてでも生きられた方が良いでしょう?だれも、死ななくてすむのですよ?」
わが子の幸せと、わが子も含む多くのひとの命。
捨てたくないふたつを天秤に乗せられて、お妃さまは、
「……わかり、ました」
一国の、王妃としての立場を取りました。滅私奉公、それこそが、王族として上に立つものの義務なのです。
その上で、お妃さまは魔女に願いました。
「この、子が、生まれ、たら、あなたに、差し、出し、ましょう。その、かわり、あなたは、いま、わたしと、同じ病、に、苦しむ、者、すべてを、救って、ください」
それから、とお妃さまは続けます。
「幼き、子を、いけにえと、する、罪は、わたくし、だけが、背負えば、良い、もの。どうか、王や、民には、この、とりひきの、ことが、伝わら、ない、ように、して、ください」
「では、ひとびとからこの病と、この病についての記憶を消しましょう。そして、わたしはこのことに関して口を閉ざします。わたしがかってに、王子をさらったことにすれば良いでしょう」
「それは、ですが、それでは、あなたが、」
それではあなたが悪者になってしまう。
そう言おうとしたお妃さまの顔に、魔女が手をかぶせました。視界をうばわれたお妃さまの耳に、魔女の声が届きます。
「わたしのことなど、気にしなくて良いんです。わたしはこの病を消し、このとりひきについてあなた以外のひとに言いません。かわりにあなたは、お腹の子が生まれたら、わたしに差し出す。これで良いですね?」
顔に触れた魔女の手は、少女のように華奢ですべらかでした。
「良いですね?」
「……はい」
答えをうながされて、お妃さまは押し出すように答えました。
「確かに、約束ですよ?」
「約束、します」
そう答えたとたん、病の苦しさがうそのように消えました。
魔女の手が離れて行くのに合わせて起き上がってみれば、やせ細っていたはずの身体すらもとにもどっています。さらりと流れ落ちたかみはつやめいて、月明かりに輝いていました。
はっとして、ベッドを抜け出します。
転びそうなほどのはやあしでむかった王太子の部屋では、おさないわが子が健やかな寝息を立てていました。
とつぜんやって来たお妃さまに、ひかえていた侍女がおどろいた顔をします。
「王妃殿下?お加減はよろしいのですか?」
「え?あ、ええ。この子は、大事ありませんか?」
「はい。お休みになられてしばらくは熱が高いようでいらっしゃいましたが、いまはもう落ち着かれて」
おふたりがご一緒にお風邪を召されたときは、みな、心配いたしましたが、ご回復なさって良かったです。
侍女の言葉でお妃さまは、そう言うことになったのだ、と気づきます。
「……そうですね。大事にならなくて、良かった」
「はい。ですが、このように夜起きておいででは、また、お体を悪くなさいます。どうか、王太子殿下のことはわたくしにまかせて、お休みになってくださいませ」
「ええ。ありがとうございます。お休みなさい」
お妃さまが部屋にもどると、闇にとけこむようにひっそりと、魔女が待っていました。
「わたしは、約束を守りました。口を閉ざすと言う約束も守りましょう。ですから、あなたも必ず、約束を守ってくださいね」
「……わかりました」
「お子が無事に生まれることを、願っています」
魔女はそれだけ告げると、こんどは本当に闇にとけました。
お妃さまはしずかにベッドに入り、ふくらんだお腹をそっとなでます。
「あなたを守れない悪い母で、ごめんなさい」
つぶやいた声はだれにも聞かれず、夜の闇に消えました。
あれだけ世の中をさわがせたなぞの病は、あとかたもなく、消え去っていました。
だれひとりとして、そんな病があったことすら、覚えていないのです。
こんなことが、できるなら。
お妃さまは、思います。
生まれた子をさらって、みなの記憶から消してしまうことも、できるのではないだろうか。
魔女がこの子を受け取りに来たときに、たずねてみようかしら。
お妃さまはそう考えましたが、その機会は来ませんでした。なぜなら魔女は、多くのひとの目の前で、王子とその乳母をさらって行ったからです。
みなが魔女をせめるなか、お妃さまは何度も、そうではないのだ、と言いたくなりました。かのじょはなにも悪くなくて、それどころか、みなの危機を救ってくれたのだ、と。
しかしそれを言えば、せっかく魔女が記憶を消してくれたことがむだになります。
国のためにわが子を差し出し、恩人に罪を着せた。
罪悪感がお妃さまのこころを痛めますが、だれに吐き出すこともできません。
みなが魔女をせめる声を聞くのがつらく、お妃さまはしだいにふさぎこみ、部屋に閉じこもるようになりました。
そんなとき、魔女がふたたび、お妃さまの前に姿をあらわします。
また、なにか問題が起きたのか。
そう案じたお妃さまに、魔女は、約束を守ってます、と言いました。それから、王子は元気です、と。
約束を果たしていることの報告をよそおって、わが子のぶじを伝えに来てくれたのだろう。お妃さまは、そう思いました。
立ち去ろうとする魔女を呼びとめて、胸にさげていたロザリオを魔女に差し出します。
「これを、あの子に」
「?」
フードで顔は見えないながらも首をかしげたらしい魔女の手を取って、お妃さまはロザリオを持たせました。
「生きるのには、お金がいるでしょう。これを売れば、少しは助けになるはずです」
「生活は、問題ないですよ?」
「せめてこれくらいは……不自由は、させたくありません」
魔女はロザリオを見下ろします。
「良いものですね」
「わたくしの母が、くれたものです」
「売って良いのですか?」
「わたくしのかってで、国税は使えませんから」
「……わたしがねこばばするとは?」
「思いません」
そうですか、とつぶやいて、魔女はロザリオをしまいました。
「妖精の遊び相手にされることは防げませんが、それ以外では不自由させないよう、気を配りましょう」
それだけ言うと魔女は、今度こそ去りました。
「ありがとうございます」
もう姿も見えない魔女に、お妃さまはふかく頭を下げました。
それからも何度か、魔女はお妃さまのもとを訪れ、お妃さまはそのたびに、魔女に高価な品を手渡しました。
そんなある日、やって来た魔女はお妃さまに問いかけました。たったひとこと、会いたいですか、と。
即座に会いたいと答えたお妃さまに、魔女は時間と曜日を告げ、その時間は自分部屋の周りからほかのひとを遠ざけ、ひとりで部屋にいるようにと言いつけました。
一度の待ちぼうけのあと、魔女は少年を連れてお妃さまのもとを訪れました。
十六年ぶりに会ったわが子は大きく成長しており、
「ははうえ……?」
たどたどしくつぶやいた少年を、お妃さまは泣きながらだきしめました。
つたないお話をお読みいただきありがとうございます
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