悪い魔女と過去の約束
「……こんにちは」
後ろから投げられた声を受けて、部屋のはしに作られた祭壇にむかってひざをついていた女性は、びくりと身をゆらしました。
振り向いた女性に、声の主がたずねます。
なんの説明もなく、ただひとこと、
「会いたいですか?」
と。
女性はふたたび身をゆらし、まようように視線をゆらしたあとで、声の主を見すえて口を開きました。
ハウラプはピリカの手をつかむと、地面を蹴って飛びました。くるりと世界がゆがんで、気づけばピリカとハウラプはふたり、石造りの廊下に立っていました。
いつのまにか、ハウラプは顔をかくすマントを着ています。
「ここは?」
たずねようとしたピリカのくちびるに指をあて、ハウラプは、話すな、とでも言うように首をふりました。
そのままなにも言わず、すたすたと歩き出します。
どうやらとても広い建物のようで、天井ははるか高く、廊下だと言うのにひとが四人は手を広げて横に並べるほどの道幅がありました。床にはきれいな絨毯が敷かれ、かべぎわには高そうな調度品がかざられています。
迷いなく進んだハウラプは、ひとつの扉に手をかけました。大きくて、手のこんだ装飾がほどこされた、りっぱな扉です。ふつうのひとならば怖じ気づいてしまいそうな扉を、ハウラプはノックもせずにためらいなく開けました。
扉を開いて入りこんだのは、広く豪華な部屋で、なかにはぽつんとひとり、女性が座っていました。三十歳をすこし越えたくらいでしょうか。若くはありませんが、とても美しいひとです。
ぱっと立ち上がった女性が、ピリカを見つめて目をうるませます。
まさか、と言葉を失うピリカの前に出て、ハウラプが口を割りました。
「馬鹿正直に、ひとりで待っていたんですね。万の兵にかこまれても、おかしくないと思っていたのに」
ピリカからハウラプに目を移した女性が、目を細めて言います。
「万の兵のもとから、こどもをさらって見せたと言うあなたを前にして、兵を集めてなんの意味がありますか?それに」
ぱちりとまたたかれた瞳から、ぽろりと涙がこぼれました。
「わたくしはあなたが、悪い魔女ではないのだと、知っておりますから」
「それはどうでしょう?あなたからは、うらまれてもおかしくはないと思っていますけど」
「まさか」
女性がふるふると首をふると、ぽろぽろと涙がこぼれます。
泣き顔に痛みのにじんだ笑みを乗せて、女性は言いました。
「命を救ってくださった方を、どうしてうらめましょうか。あまつさえわたくしは、恩人であるあなたに泥をかぶせてしまっておりますのに」
「もとより泥のなかにいるのが魔女です。それに、わたしがやったのはあくまで正当なとりひきです。すべてはあなたを利用するためであって、あなたのためではありません」
ハウラプが小さなため息を落とします。
「そんなごたく並べなくても、素直に言って良いんですよ?息子を人質にとられたら、さからえませんって」
ちらりとピリカに目をやって、ハウラプが肩をすくめます。
「そんなに泣くほど会いたかったのに、わたしがいるから近づけもしないのでしょう?」
「……その子が、本当に」
「ああ、にせものを連れて来たのかもしれないと、疑っていたんですね」
ハウラプに皮肉めいた口調で言われた女性は、目を見開いて否定しました。
「ちがっ、ちがいます。ただ、ただ……」
「うらまれているのではないかと思うと、こわい?」
女性は力なくうつむきました。むなもとで、華奢な手がきつくにぎりしめられています。
ハウラプがピリカに顔をむけ、腕を引いて自分の前に立たせました。
「お母さんですよ」
耳にささやかれて、ピリカはとまどいながらも女性を、サロルン国王のお妃さまを見つめます。
「ははうえ……?」
たどたどしくピリカがつぶやいた呼び名に、お妃さまがはじかれたように顔をあげます。
「ピリカ……っ」
お妃さまが滝のように涙を流しながら出した声は、上ずってふるえていましたが、たしかにピリカの耳にとどきました。
おそるおそる伸ばされたふるえる手にみちびかれるように、ピリカはお妃さまに近づきます。
「ピリカ……ピリカっ」
小さな手にピリカの身体がふれた瞬間、お妃さまはピリカをぎゅっと抱きよせました。
「ごめんなさい。ごめんなさい……!」
ピリカの頭を抱きかかえて、お妃さまは何度もあやまります。
ピリカはためらいながらおずおずと、お妃さまを抱き返しました。
そんなふたりを見て、ハウラプが言います。
「邪魔者は消えますから、好きに話し合ってください。……半日後にまた来ます」
ハウラプの声で、はっと振り返ったピリカと、ハウラプの視線が合いました。
「再会をよろこぶでも、疑問を投げつけるでも、うらみをぶつけるでも、お好きになさい。これがあなたの問いに対する、わたしの答えです」
静かに告げると、ハウラプはとけるようにふわりと消えました。
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