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予定外の滞在と農家のさらなる受難

お待たせしました。日付変更前に間に合いませんでした。

 検査入院を終えて帰宅したあと、莞爾は変わり果てた畑の様子を見て愕然(がくぜん)とした。


 もう風も涼しく夜は肌寒くなったというのに、雑草は雑草たる由縁を示すかのように意気揚々と枝葉を天に向けて伸ばしていた。


 農家になってから毎日のようにこまめに処理していた雑草も、放置していればこうなるといういい例である。


 おまけに検査入院している間に台風がきたせいで、へし折れていたり根こそぎ倒れている作物が大量にあった。


「お、俺の、俺のキクイモがああああっ! ちくしょうっ!」


 背の高いキクイモはとくに甚大な被害を被っていた。


 支柱は立てていてもこのザマである。二メートルを超える背丈も、倒れていては(みじ)めなものである。山間の三山村でこの調子なのだから、平野部ではもっと風が強かったことだろう。


 せめて入院さえしていなかったら太い支柱に変えていたのに、と思わずにはいられない。せめて茎を途中で切っておけばとも思う。


 幸い、根が残っており収穫が期待できるものは六割――いや、五割はある。全滅を免れただけでも救いがある。



「俺の大根……すげえ。何にも残ってねえ」


 大根に至っては感心するレベルだった。


 種を蒔き、発芽はしている状態だったが、さすがにシートを被せていた。しかし、そのシートも風に飛ばされ、大雨によって根こそぎ大根の新芽が流されていた。全滅である。いっそ清々しいまでにカラッカラの声で笑ってしまう。


 夏野菜を植えている畑は最初から見なかった。処分しても構わないほどには終わりかけだったし、収穫しても美味しく食べるには残り期間が短かったこともあり、焼却処分を莞爾が頼んだのだ。クリスが一番接触した機会の多い畑だったことも原因だ。


 焼却処分でも土地は残る。まだマシだ。これで防疫だからと人体にまで影響が出るような薬剤を散布されたら、数年は作付けを控えたかもしれない。莞爾とて理解はできるが、やりきれない気持ちになっていたはずだ。不幸中の幸いと言うしかない。


 田にも行くが、こちらは想定通りの被害でむしろ安心した。稲が半分ほど倒れているが、まず自家用なのでショックは小さい。


 続いて家に戻って自給用の家庭菜園を見て項垂(うなだ)れた。


 予想はしていたが、なんともはやである。


 台風で野菜は倒れていたり、弱って病気がついていたりするものも多いのに生き生きとしている雑草が恨めしい。


「……お、お前は無事だったんだな。生姜(しょうが)……」


 病気のついた里芋の隣で奇跡的にも元気よく成長している生姜(しょうが)を見て、莞爾は思わず泣きそうになった。


「仕様がないのに、生姜あるじゃん!」


 くだらないことを言って、とりあえず我に返った。



 それもこれもやはり検査入院のせいである。莞爾の怠慢(たいまん)はたぶん三割ぐらい責任があるが、突然のことなので致し方ない。疫病の可能性がある以上は国の方針を受け入れるより他にない。たとえ自分の生活が脅かされることになろうとも、自分の育てた野菜で犠牲者を増やすような真似はしたくない。



――(さかのぼ)ること三週間前。


 間違いなく三週間前。


 一週間前ではなく三週間前。


 莞爾は確かに自衛隊病院に入院した。


 車を降りるや防疫服を着た看護師に隔離された病室に連れて行かれ、血液検査を始めとして様々な検査を受けたのだ。こういう時の検査はかなり細かい。体温や毎日の検尿。血中の白血球の数、日頃の些細(ささい)な変化。ありとあらゆる情報から疫病の可能性を探る。


 莞爾も少し考えが甘かったと反省した。初めて自分が未知の病原体に感染しているかもしれないということが恐ろしく感じられた。現実味がなかったせいもあるだろう。


 それでも、諸々の検査も大掛かりなものは三日で終わり、あとは結果待ちの状態だった。


 ちなみにクリスは初めて見る防疫服の人々に恐怖し、右手と右足が同時に出る始末だった。莞爾が「お医者さんたちだから安心しろ」と言ったおかげで平静を保っていたが、それがなければ逃げ出していたかもしれない。


 一週間が経ち、莞爾はようやく退院できると思った。


 しかし、病原体を調べると言っても症状も発症していないのだから、特定するのは非常に困難だ。菌やウイルスを検出できてもそれだけで膨大な量に及ぶし、特定していくだけで骨が折れるというものだ。


 要するに待ちの姿勢になってしまうのである。クリスの検査結果が出るまではどうもこうもいかなかったのも事実だ。また菌やウイルスは培養しないと発見しにくいということもある。


 そして、最悪なことに、仲買の八尾が倒れた。


 それはちょうど莞爾が入院して七日目のことで、朝に報告を受けて即座に退院が撤回されたわけだ。


 結局、その日のうちに八尾はただの過労と診断されたからよかったものの、この時ばかりは莞爾も生きた心地がしなかった。八尾には申し訳なく思っていたが、おかげでどうでもよくなったのも事実である。


 もっとも莞爾は特別に情報を得ることができただけで、他の患者には一切知らされなかった。当然である。


 そんなこんなで二週間が経ち、今度は検査をしている病院側がもう少しだけと抜かし始めた。実際には国の危機感があったものと思われる。実際、クリスの検査結果が出たものの、何度も繰り返し検査を行って確実性を期していたようだ。


 結局、八尾が倒れなくてもおそらく三週間は必要だったのだろう。莞爾は八尾に再度心の中で謝った。


 はてさて。紆余曲折(うよきょくせつ)——と言って良いかどうかわからないが、かくして莞爾は虜囚(りょしゅう)の身から晴れて自由の身になったのである。


 暇にかまけて筋トレばかりしていたので体力の衰えも感じない。久しぶりに娯楽小説なんぞを読んだりもした。防疫服を着ていない看護師さんが新鮮に見えたくらいだ。


 それほどにある意味有意義で、ある意味無為な時間を過ごした。


 退院後、穂奈美も同時に退院して途中まで連れ添ったが、その際に彼女は「よかったわね」と言った。何のことかと問い質せば「クリスちゃん、正真正銘この世界の人間と変わらないんだって」と返ってきた。


 意味するところはつまり、彼女がホモ・サピエンスという事実である。


 そうなれば色々と妄想が(はかど)るものだ。まさか異世界でも遺伝子までホモ・サピエンスだと確定してしまったからには、別宇宙だとか別の進化過程だとか、そういう可能性が払拭(ふっしょく)されるわけであり、詰まる所……いわゆる平行世界という空想が現実味を帯びてしまったのだ。


 細胞も遺伝子も地球上の人間と限りなく近いと証明され、同時に彼女自身にも同年代の人間と同じ免疫力が備わっていることもわかった。詳しいことは省くが、クリスからの聞き取り調査で、例えば麻疹(はしか)や水疱瘡など、主要な感染病と酷似(こくじ)した病が異世界にあることも発覚した。


 事実、穂奈美は口には出さなかったが、クリスの体内から水痘や帯状疱疹をもたらすヘルペスウイルスが検出された。これは地球上に存在するものと全くの同一であり、クリスが異世界にいた頃に感染・発症していたことを物語っていた。


 つまりはクリスがいた異世界は、魔法——という不可思議な事象を除き、地球とほとんど変わらない平行世界なのだと結論づけられたのである。


 担当した専門家の一部には、魔法が存在するような異世界の病原体が必ずしもこちらの想定する病原体と同じ対策で減滅できるとは考えられない——という意見もあったが、厚生労働省の方が「その場合、地球上で対処できる国家は存在しない」という意外な返答を出して、解放へと進んだのだ。


 そのような結果もあいまって、クリス以外の人物をこれ以上検査入院で隔離するのはかえって問題を大きくしかねないという方向に流れ、退院することになったのだ。


 ただし、検査入院は終わったものの、月に一度の定期通院を義務付けられた。生まれてこの方健康優良児の莞爾には辟易(へきえき)する命令だった。しかし、断ることもできない。


「俺んち……どうなってんだよ、これ」


 三週間の回想を終えて、莞爾は愛しき我が家の前に(うずくま)る。

 防疫のために家屋を包むように張られたビニールシートがぱたぱたと風に揺れていた。


「……せめて撤去していってくれよ」


 項垂れて、とりあえずタバコに手を伸ばす莞爾であった。

 彼は明日にも撤去が開始されることを知らなかったのである。



***



 莞爾が退院して翌日のこと。


 自衛隊病院に入院しているクリスは隔離された病室から解放されることになった。


 機密上の問題で監視付きの個室ではあったが、防疫服を見ないで済むこともあり、クリスはようやく胸をなでおろすことができた。


 さて。


 莞爾の家で食べた昼食とは比べものにならない食事を終えた頃である。


 穂奈美がお馴染みのスカートスーツで面会にやってきた。

 その時、クリスは貰ったノートとペンで日記をつけていた。もちろん日本語ではなかった。


「久しぶりね、クリスちゃん。調子はどう?」

「ああ、ホナミ殿……」


 一瞬、クリスは泣きそうな顔を浮かべてすぐに笑った。

 莞爾と穂奈美だけがクリスにとっては信用できる人物であったのは間違いない。


「調子も何も、ずっとこの調子なのだ。体が鈍って仕方がない」

「そうね。悪いとは思っているけれど、検査自体はもうすぐ終わるから、それまで我慢してね」

「ホナミ殿が気にすることではない。私も冒険家リカルドのようにはなりたくないのでな」


 穂奈美は首を傾げて尋ね、おとぎ話の内容を聞いてなるほどと手を打った。


「お茶でも淹れましょうか?」

「頼んでもよいだろうか。私はまだ使い方がよくわかっていないのだ」


 穂奈美は困った顔をするクリスに微笑み頷いた。給湯室でお湯をもらって緑茶を淹れた。


「ああ、この匂いは落ち着くな。なんだかホッとする」

「エウリーデ王国のお茶はどんなものなのかしら?」

「茶葉はおそらく似たようなものだと思う。これよりも渋みがあるし、発酵させているので独特の風味がするな。色も赤に近い茶色だ」

「それってもしかして紅茶のことかしら」

「紅茶?」

「ええ。似たようなものがあるわよ。今度持ってくるわね」

「かたじけない」


 くすりと微笑んで、クリスはまたお茶を啜った。相変わらず両手で持つのは取っ手がない湯のみだからだろうか。


「クリスちゃん? それは母国語かしら」


 穂奈美は彼女の書きかけの日記を見つけて尋ねた。見たこともない文字である。アルファベットのようにも見えるし、アラブ文字のようにも見えた。しかし、どこか見覚えというか引っかかりというか、気になって仕方がない。


「いや、母国語ではないのだ。これはシュゼール語という。主に上流階級が使う文献用の言語だ。まあ、言うなれば暗号のようなものだな」

「シュゼール語……上流階級ということは一般の人たちは使えないの?」


 クリスは当然とばかりに頷いた。


「そもそもシュゼール語を使うのは、文献に書かれた内容を教養のない民衆が知ることを防ぐためにあるのだ。文献用の言語ゆえに音が存在しない。とても覚えにくいが、貴族や聖職者はこれが読めるようになって一人前だ」


 異世界は異世界で独自の言語文化があるようだ。穂奈美は後で調べるために日記の一部をスマホで撮影した。


 ベッドの脇に椅子をひいて座り、穂奈美はこれからの予定を話した。昨日まで入院していたというのに、国家公務員も案外ブラックである。


「ひとまず、クリスちゃんが自立するまでの間、わたしがあなたの世話を見ることになったの。莞爾くんのこともあるし、上もクリスちゃんが信用できる人材を当てたかったんだと思うわ」

「ホナミ殿なら安心だな。貴殿は私を奇異な目で見ない」


 看護師には得体の知れない外国人で未知の病原体を持っているかもしれないという恐怖を煽るような情報しか共有されてなかったので、それもまた仕方ないことではあった。


「安心してちょうだい。わたしはクリスちゃんの味方よ。でも、わたしも国側の人間だから、あなたには嫌なことも頼まなきゃいけないの。一応依頼ということにはなるけれど……付き合ってもらえると助かるわ。その分、クリスちゃんの今後については善処するつもり」

「ふふっ。そう心配しなくてもいい。すでに怖いことはたくさんあった。まさか針で刺されるとは思わなかったぞ。最初はホナミ殿もカンジ殿も嘘つきだと思ったが、終わってみれば大したことはなかった。あれよりもひどいことはしないのであろう?」


 採血の際、クリスは緊張のあまり血管が収縮し、何度もやり直す羽目になった。おかげで両腕とも肘の内側が青あざ状態である。大したことはないというのは、まあ一種の強がりである。


「そうね。あと二、三日で退院はできるわ。その後は都内のホテルに部屋を借りる。しばらくの間、クリスちゃんにはSPがつくから」

「えすぴー?」

「セキュリティポリスって言って、要人警護を主な任務とする人たちよ」

「任務? 衛兵のことか」

「うーん。兵士ってわけじゃないけれど、警察の人たちよ」

「警察……はて」

「治安を守るために働いている人たちのこと。犯罪を取り締まるのがお仕事よ」

「なるほど。憲兵のようなものだな」


 異世界では憲兵が警察権を持っているようだ。言葉だけ聞くと軍靴の音が聞こえると言われそうだ。軍靴どころか彼女自身が騎士——軍人に相当するのだが。


 そもそも憲兵とは軍内部で警察権を持つ兵であるから、彼女の言う憲兵はそれが軍の外にも延長しているのだろう。


「ふふふっ。憲兵か。それはありがたいことだな」

「それはよかったわ。日本ではあまり良いイメージを持たれていないのよね」


 クリスは不思議そうに聞き返した。


「なぜだ。軍規を犯すものを取り締まり、民衆を不埒者(ふらちもの)から守ってくれるのだぞ?」

「うーん。まあ、その辺りは機会があればおいおい日本の歴史と一緒に教えていくわね」

「なにか複雑な事情があるのだな。私には想像もつかないが……憲兵といえば、エウリーデ王国では貴族の中でも血筋に関わらず人柄と成績だけで選ばれた実力者の集団なのだ。私も騎士団に入団した当初に助けてもらったことがある。騎士団の中にも残念ながら女を侮るものがいてな。当時の私はまだ弱かったし、組み伏せられては動けなかった。そこを憲兵が助けてくれたのだ」


 穂奈美はなるほどと内心で感心していた。

 どうやら異世界の憲兵とはかなり誠実な組織であるらしい。


 もっとも日本の警察だって九割九分は誠実に職務を遂行している。わずかな一部を声高に国家権力の犬だとかなんだとか騒ぐ連中がいるだけだ。何万人もいれば警察といえども悪い奴がいたっておかしな話ではない。一概に腐敗組織と呼ぶのは白痴である。


「それで、まあそういう人たちがクリスちゃんを守ってくれるから。安心してちょうだいね」

「心得た。何から何まですまないな」

「気にしないで。それから、退院後の予定なんだけど、しばらくは聞き取り調査に協力してもらうわ。クリスちゃんの祖国であるエウリーデ王国のこととか、あっちの世界での神話やおとぎ話とか、そういうのね。その後は魔法について研究の協力要請が来てるの。たぶん実演してみせたり実験に参加することになると思う」

「ふむ。私は別に構わない。少しは体を動かしたいし、このままでは腐ってしまいそうだ」


「……その、休みをとって国内を案内することもできるわよ?」

「むぅ。それは魅力的な提案だが、今の私では色々と不都合もあるだろうし、それに付き添う貴殿らにも迷惑をかけてしまうだろう?」

「そうね。否定はしないわ」

「ならば別によいのだ。今の私は主君も持たないが、やはり誰かに迷惑をかけるのは好きではないのでな」


 ふと思い浮かぶのは莞爾の顔だった。全てが終わったらまた莞爾に会いたいと思った。


「そう。じゃあ、だいたいの予定が終わったあとのことを聞きましょうか」

「むぅ?」

「クリスちゃん。あなたにはいくつかの選択肢があるわ。前にも言った通り、都内に住居を得て研究に協力しながら自立すること。もしくは——」


 穂奈美はニヤリと笑った。


検査入院についてはかなり適当です。現実味を重要視されている読者の方々、どうかご容赦ください。


16.11/21、修正。

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