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8月(3)線香花火

あけましておめでとうございます。

大変お待たせいたしました。

そして、真冬にも関わらず夏編ですが、

そこはまあご寛恕ください。

後書きにお知らせあり。

 ぽつりぽつりと小さな雨粒がフロントガラスを濡らしていく。

 前が見づらくなったところでワイパーを動かして視界が確保できたと思えば、その数秒後に雨粒は大きく激しくなった。


 焦燥と不安が諦観へと変わる午後五時。

 通り雨ならばまだチャンスはあるかもしれない。しかし、その気配はない。


 軽トラが雨道を水を切って進む。

 平太は何度目かわからなくなったため息を吐く。

 落胆がフロントガラスをわずかに曇らせた。


 柚には事前にラインをしておいた。

 今日の花火は雨天中止になる可能性が高いこと。けれども、柚はそれでもいいと返事をした。

 せっかく美容室も着付けも頼んだのだから、と言った。


 自分とのデートのためにそこまでしてくれているのに、ここで迎えに行ってさっさと帰ることはできなかったし、平太としても花火がダメなら他の何かをと考えている。しかし、そうは言ってもデートなんてほとんど初めてのようなものだ。


 お金を使う遊びなんてできやしない給料だし、飲み屋に行ける年齢でもない。

 かといって浴衣姿の女の子を連れてゲームセンターやボーリングに行くのもダメだろう。


 いよいよ本格的に降り始めた空を見上げれば、今日の花火は一縷の希望なく中止だ。


「ついてねえな、ほんと。ついてねえよ」


 次の交差点を曲がれば夏祭り会場だ。

 本当ならもっと混雑しているはずなのに、驚くほど交通量は少なかった。


 当然だろうと思いながらも、半ばやけくそになって右折すれば、道沿いの看板に「雨天中止」の四文字が躍る。

 ため息を吐きかけて、その看板の向こうに傘を差した女の子が目に入った。


 艶やかな浴衣姿の彼女は、ビニール傘を差して平太を待っていた。

 軽トラで登場なんて、格好がつかねえや――平太は独りごちた。



 ***



 夕刻。

 クリスが帰宅すると、莞爾は納屋の整理をしていた。

 トタンを打つ雨の音色を聞いていると、いつぞやの恥ずかしい思い出が蘇るような気がした。


 あの頃はまだお互いに気持ちを伝えきれず、もやもやとしながらも逸る恋心に浮ついていた。それが楽しくもあり、反面苦しくもあった。

 その時のクリスの煩悶とした感情を、莞爾は慮ることができても理解はできないだろう。けれど、クリスもそれを言い募るつもりはない。


 幸せな家庭、働き者で優しい亭主。二人の新しい家庭。

 それでいいと思える。


 思えば妊娠してから先、故郷のことを考える機会は少なくなった。

 夢に亡霊として現れることもなくなっていた。


 自分が薄情になったのかと思ったが、あれは自らの呵責に苛まれていただけなのだと今ならばわかる。

 戻りようのない故郷に残した戦友たち。

 両親は今頃何をしているだろう。お節介な兄は今頃何を考えているだろう。

 もしかすると良き伴侶を得て新たに家庭を築いているかもしれない。


 友は何をしているだろう。

 魔術バカでちんちくりんだった彼女も今は誰かの妻なのだろうか。


 ふと、初恋の相手を思い出した。

 彼は兄の親友だった。

 まだ目覚めていなかったころの自暴自棄になりがちだった兄を、損得抜きで付き合ってくれた人だった。

 気遣い上手でマメな人だったことを覚えている。


 兄と訓練に励む姿を、幼い頃から遠目に眺めていた。

 思い出なのだろう。色褪せてしまった記憶なのに、気味が悪いほどの瑞々しさがあった。


 彼は自分を助けるために命を落とした。

 あの日、自分の初恋は終わった。

 戦士に恋をすることがどういうことか、騎士の業を知った。

 その悲惨めいた寂しさが思い出を生々しく変えてしまったのだろう。


 異世界に落ち、莞爾と出会い、戸惑い、不安に押し潰され、戦友の亡霊に悩まされた。

 悪いことばかりではなかった。

 騎士のまま、モザンゲートの荒れ地で死んでいれば知らなかったこと、気づかなかったことがたくさんあった。


 大義のために身を擲つ騎士たちが守る銃後の生活は、些細な、目に見えないほど小さな喜びの積み重ねなのだと、戦地で剣を振るうときには思いもしなかった。

 絆された、ということか。そう自問してみてもしっくり来ない。

 莞爾はいい人物だと思う。

 それがエウリーデ王国出身ゆえに思うことなのかどうかはわからないが、少なくとも彼と人生を歩むことに不安は少なかった。

 過保護で不器用な兄とも違うけれど、全く似ていないとも言えない。器用とは言えないし、気遣いが過ぎて肝心な一歩を踏み出せない優柔不断さはむしろ似ているかもしれない。


 ひょっとすると父もそういう性格だったかもしれない。あまり口数の多い人ではなかった。けれども、いつも見守ってくれているという安心感があった。

 果たして莞爾はそんな父親になるだろうか。


 いや、きっと子煩悩な父親になるのだろう。

 なぜだかそれだけは容易に想像がついた。


 幼い我が子の両隣に莞爾と自分がいる。その光景は、未来は、想像するだけで胸が温かくなる。


「あれ? 帰ってたのか?」


 ふと、莞爾がクリスに気づいて顔を上げる。

 クリスは曖昧に微笑んだ。


「声をかけてくれればいいのに」

「いや、なに。あんまり熱心そうに見えたものだからな」


 夕飯の支度をしようと口に出してすぐ、納屋のテーブルの上にそれを見つけた。


「カンジ殿、これは?」

「あー、それね」


 見覚えがある。

 まだ出会って間もない頃だった。

 手持ち花火だ。ビニールに包装された花火だが、包装が破かれていくつかなくなっている。


「懐かしいな。線香花火はあるのか?」

「いや、ちょうどそれを抜いたあとだから」


 首を傾げるクリスに莞爾は笑った。

 ずいぶんお節介な笑みだった。


「デザートバイキング、どうだった?」

「ふむん? まあ美味しかったぞ」

「そりゃよかった」

「ユズがな……」

「うん?」

「あんまり食べたらお腹がぽっこりするからと我慢していた」

「ああ、浴衣だから」

「うむ。見せてもらったが、ずいぶんいい生地だった。柄もよかったな」

「今度買いにいくか?」

「いや、私は……」


 あの寝間着使いしている浴衣がある、と言いかけたところで莞爾が言った。


「恋女房をきれいに着飾らせるのも、亭主の楽しみだろ?」


 莞爾がそういう冗談を言うのが珍しくて、クリスは思わず笑った。


「カンジ殿」

「んー?」

「今日は久しぶりに一緒に風呂に入ろうか」


 柚と同居するようになって一緒に風呂に入ることはなくなっていた。

 今日はしばらく帰って来ないのだから、先に風呂に入るのも悪くない。

 それに、妊娠してからというものの、莞爾には我慢をさせている部分も少なからずあった。

 無理強いをする男でないことは十分承知しているが、智恵から妊娠中こそスキンシップは大事だと聞かされていた。


 少しくらいイチャつくのも悪くない。

 いや、もしかすると柚に当てられたのかもしれない。


「俺はいいけど、その、負担にならないか?」

「むう、私と一緒に入るのは嫌なのか?」


 必死に否定する莞爾が面白くて、クリスは声をあげて笑った。



 ***



 忙しなくワイパーが動く。

 少し濡れてしまった裾が冷えるのだろう。柚は軽く身震いをした。

 平太はクーラーを切る。


「その、残念だったな」

「うん。でも、せっかくやけん浴衣見てもらいたかったっちゃん」

「……お、おう。その、すごい、似合ってる」

「ちゃんと見た?」

「うん」

「本当に?」

「見たよ! 見た! 目に焼き付けた!」


 顔を赤くする平太を見て、柚はカラカラ笑った。

 花火大会が雨天中止になったのは本当に残念だった。けれども、自分の浴衣姿に見とれて言葉を失った平太の顔は、それに匹敵するくらい見物だった。


「これからどうする?」

「どうしようか。花火は中止だけど、せっかくこっちまで来たのにすぐ帰るってのも勿体ないしさ」

「せっかくのデートやしね」

「ま、まあ、な! そうだよな!」


 平太の焦る姿を見るのはどこか面白い。ひょっとしたらかわいいと思っているのかもしれない。

 柚は窓を叩く雨粒を見た。


「それにね、早く帰っても、クリスさんの邪魔になるかなって」

「邪魔? どうして」

「だって、うちお邪魔虫やもん。たまには社長とクリスさんがイチャつく時間がいるやん?」


 平太は難しい顔をする。クリスとイチャつく莞爾が想像できないのだろう。

 あれでいてクリスは莞爾と触れ合うのが好きだと教えてやると、今度は気まずい顔をした。


 夏は日が長い。

 もう六時を過ぎたのに、まだ外は明るかった。

 せめてもっと暗かったら、彼の腕に手を触れるのも怖くなかったのに。

 柚は少し口を尖らせる。


「とりあえず、飯でも食いに行くか? そんな高いところなんて行けないし、予約もしてないけど」

「よかよ。そんな気を遣わんで。うちらまだ十九やん」

「そりゃあそうだけど」


 せめて男としてもっと格好をつけたかったのだろう。

 それは柚にもすぐわかった。けれど、そんなに格好をつけたデートがしたかったら平太の誘いを承諾なんてしなかった。


 不意に平太のスマホが鳴った。


「っと、悪い。ちょっと見てくれる?」

「いいよ」


 莞爾からだ。内容は「ダッシュボード」と短い。

 意味はわからないが、戸惑いながらダッシュボードを開けると、そこには十本ばかりの線香花火が入っていた。


 平太が苦い顔をする。

 柚は笑った。粋な社長だね、と言えば、平太はお節介だと怒った。

 それがまた面白くて、かわいくて、思わず彼の腕に手を乗せた。


「ねえ、花火ができる公園ってどこかあるかな?」

「さあ、どうだろ。っていうか、雨が上がらないことにはどうにも……」

「きっと止むよ。もうすぐ」


 祈りが通じたのか、はたまた偶然か。

 雨は勢いを失いつつあった。スマホで天気予報を見れば、あと一時間ほどで曇りになるようだ。


「ねっ、一緒に線香花火しようよ」

「別にいいけど、そんなんでいいのか?」


 大空に咲く花火じゃなくていいのか、そんなちっぽけな線香花火なんかで。

 平太は少し不満そうだった。

 けれど柚は首を横に振る。


 空に咲く花火もきれいだけれど、隣り合って空を見上げるのもいいけれど。

 肩寄せ合って小さな花火を見つめるのも、きっと素敵なことだから。


「うち、線香花火好きっちゃん」

「そっか。じゃあ、仕方ない。花火ができる場所探そう」


 渋々の態で車を停めてスマホを弄り出す平太の横顔を盗み見て、彼はいつになったら腕に乗せた私の手に気づくのだろうと、少しだけ期待がふくらんだ。

 その時、きっと彼は顔を赤くするに違いない。

 そうしたら私は……。


 いや、それはまだ早い。

 線香花火をしているときに、不意打ちをしたらきっともっと彼は慌てるのだ。

 ほっぺの無精髭ぐらい剃っておけばよかったとか、そんなことを考えて。

本作コミカライズ版単行本第一巻が過ぎし12日、ついに発売されました。

アース・スター様より刊行となります。

第二巻は2/12と、連続刊行です。

ぜひお手にとってご覧ください。

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