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7月(3)若手の負けん気

お待たせ~

 夏場の農作業は身体に塩分を求めさせる。


 甘辛い牛時雨をどんぶり仕立てにした昼食を、柚はもりもりと食べる。

 やはり九州の甘みが強い味付けとは異なるが、今はそれが少し嬉しい。

 醤油が違うからだろうか、と少し思案するが箸は止まらない。


 安い牛肉でも、しっかりと手間をかければ美味しく食べられる。独特の乳臭さがないとまでは言えないが、ショウガの風味がよく、甘辛い味付けが独特の風味をかえってパンチの効いた味にしている。


「美味しいです!」

「むふふっ、それはよかった。いっぱいあるぞ!」

「はい!」


 柚はクリスがどうしてこんなに料理が得意なのか不思議だった。母国の料理ならまだわかる。けれども、こんなに醤油を使いこなす外国人主婦がいるものだろうかと思った。尋ねてみると、伊東家のスミ江から教えを受けたという。

 老婆の熟れた味といえば、確かに通じるものがある。


 もぐもぐとたくさん食べる柚の姿を、莞爾は少し驚いた表情で眺めていた。

 ぱくぱくと次から次に口に入れているのに、それでいて行儀がいい。

 平太も行儀が悪いとまではいかないが、それでも柚は品がある。


「脚崩していいって」


 正座のまま食べている柚に見かねて、莞爾は苦笑を浮かべて言った。すると柚は頷いたもののそのまま食事を続けた。

 最近の若者らしく正座には慣れていないと思っていたのだが、柚は平気な部類らしい。

 少なくとも体重は軽そうだ。華奢な見た目に反して、足腰はしっかりしているようだが、きっと実家の手伝いをしていたからだろう。


 食後のお茶を淹れるのを手伝って、柚は温かいお茶にため息を漏らす。

 夏といえば冷たい麦茶が定番だが、食後はやっぱり煎茶が飲みたくなる。


 三山村が茶産地に近いこともあって、三山村の住民が飲むお茶は近場のお茶だ。柚も実家では地元にほど近い産地のお茶ばかりだった。


 佐伯家のお茶は爽やかなほどよい苦みに口当たりのよい旨みがあって飲みやすい。実は、莞爾は茶葉はお茶屋さんで購入する。


「午後の仕事までちょっと暇があるから少し寝てていいよ」


 そう言って、莞爾は開け放した縁側にごろんと寝転がった。しっかり休憩をとるのも仕事のうちである。休憩をせずに働くのは奴隷と同じだ。それでは仕事の質が落ちるだけで生産性は低下して当然なのだ。


 三山ファームヴィレッジの労働時間は一応規定があるにはあるのだが、基本的に早朝から夕方までぎっしりなので、昼食後は割合ゆったりとすることがよくある。

 夏の正午から午後二時までは特に暑い時間帯なので、この時間帯は専ら休憩時間である。


 忙しいからと暑い中で汗を流しても危険なだけである。

 昨今の気温上昇には看過できない危険性がある。それを「甘え」と言うのはあまりにも無責任が過ぎるというものだ。


 柚は土間に行ってクリスの後片付けを手伝おうとしたが、それも断られてしまう。


「午後も大変なのだ。休むときはしっかり休まないとダメだぞ」

「そうかもしれませんけど……」


 とはいえ、社長夫人を働かせて自分だけ惰眠をむさぼるなんてできるわけがない。そう考えていると、クリスはそれを察したように「ほらほら、早く休むのだ」と促してくる。


「戦場ではつかの間の休息でも寝られるものが最後まで戦えるものだ」

「戦場ってなんか物騒な例えですね……」


 追い出されるように居間に戻ると、すでに莞爾は寝息を立てていた。

 慣れない環境に戸惑いながら、柚は座布団を枕代わりに寝転がった。



 ***



 水ナスの収穫作業は実に傷がつかないように優しく取り扱うのが鉄則だ。

 コンテナいっぱいに集まったところで、孝介は尋ねる。


「そういえば、柚ちゃんってどんな感じなんだい?」


 思わず咳き込みそうになって、平太は急いで取り繕う。


「ど、どんなって……ふ、普通ですよ?」

「ふーん。普通か」

「は、はい」

「かわいいもんねえ」

「んおっほんっ! ごほっ!」

「はっはっはっ!」


 あからさまな反応すぎて、孝介は腹を抱えて笑った。

 平太は抗議する。


「からかわないでくださいよ!」

「いやあ、悪いねえ。なんだか自分の若い頃を見ているみたいで、少し懐かしかったんだよ」


 孝介の由井家も代々農家である。

 基本は果樹栽培を営んできたが、自給用に野菜の栽培も行っている。

 三山村の中では古株の家柄だ。

 かつては佐伯家、伊東家とともに村の重鎮的な役割を担っていたし、三家の仲はかなり良かったものだ。


 それが狂ったのは孝介の父親の代である。

 佐伯家との土地問題があり、相手の弱みにつけ込むようなやり方に息子の孝介も嫌気が差したものだった。


「家を継ぐってのはね、口で言うほど簡単なことじゃないんだ」

「は、はあ……」

「農家に限らず家業ってのはどこも似たようなもんだよ。家を継ぐからって呑気に構えているようなら、それは間違い。どこにも絶対に安泰の家業なんてありゃしない。それはね、代々一生懸命やってきたから残っているだけ」


 手を動かしながらも耳を傾ける平太に、孝介はふっと笑みを浮かべて続けた。


「嗣郎さんは優しいからねえ。同じ苦労をさせたくないんだよ、きっと」


 なぜだかそれは平太の胸にすっと入ってきた。

 祖父が優しいのは平太も知っている。

 けれど、孫に接する祖父の姿とは違う何かを、きっと孝介や莞爾は見ているのだと思うと、平太は意味もわからずもやもやした。

 それが自分の未熟さに対する悔しさだとはまだわからない。


 そんな平太の表情を見て、孝介は言葉にはしなかったが、内心では嗣郎が羨ましくなった。

 まだまだ覚えることの多い平太だが、それでも莞爾のもとで厳しく仕事に打ち込み、祖父の優しさの裏側に何かを見つけ出そうとしている姿が心強かった。その若さはもう取り戻せないものだ。


 孝一がかつて村を飛び出したときの顔を思い出す。同時に、自分が彼に言い放った言葉もしっかりと蘇る。嫌なものだと思う。


 自分も子どもだった時代があって、同じように苦悩した過去があるのに、まるでそれを忘れてしまったように、言葉を尽くすことができなかった。ただ厳しさを見せるだけで、その中にある喜びややりがいを教えてこなかった。あるいは十分に伝わっているものだと過信していたのかもしれない。


 息子が銀行マンとして立派になったと知ったときは「よくやった!」と褒めてやりたかったのに、電話口で「頑張れ」の一言も言えなかった。

 目に見えない壁があった。それが息子に対する寂しさの裏返しだとは長い間気づくこともできなかった。

 けれど、最近はその壁も薄くなったような気がする。

 年を取って独善的になったかなと自省することも増えてきたが、それでも悪いことばかりじゃないなあと孝介は毎日が楽しく感じられる。


 農作業をしている孝一の姿を見ていると、幼い頃にいちじくを食べさせたときの笑顔を思い出す。「お父さんの作ったいちじくだ」と口の周りを汚していた幼い姿。その愛らしい姿を自分はどんな顔で眺めていただろう。


 きっと、今の孝一が孫娘の菜摘を見るような表情に違いない。

 あとひと月もすればぼちぼちいちじくの出荷が始まるだろう。久しぶりにいちじくを食べる息子はどんな顔をするのか、今から少し楽しみでもある。

 もっとも、息子より孫娘の方が今はずっとかわいいのだが。


 いずれ菜摘も嫁に行くのだろうか。あるいは婿を取るのだろうか。

 祖父として楽しみではあるが、同時に想像するだけで寂しい気持ちになる。

 きっと孝一はもっと寂しいはずだ。


 もしかすると、その時に自分はすでに雲の上かもしれない。

 こればかりは天運に身を任せるほかない。


 平太に視線を向ける。

 黙々と手を動かして勤しむ様子は好感がもてる。


 文句ばかり言っていた最初のころに比べると、ずっとよくなった。

 何より若いからなんでも吸収する。まるでスポンジみたいだと思った。


 身内と言えば身内であるし、できれば彼の恋を応援してやりたい気持ちはある。

 だが、相手が農家の一人娘では分が悪い。


「まあ、仕方がないね。事故みたいなもんだよ」

「はい? 何がですか?」


 孝介はカラカラと笑った。


「一目惚れは事故みたいなもんだって言ったんだよ」


 平太は必死に否定する。その慌てぶりは孝介を余計に笑わせるだけだった。



 ***



 午後四時過ぎ。

 莞爾は所用で大谷木町の町役場を訪ねて帰宅途中、三山村と大谷木町北区のちょうど間にあるタマネギの新しい畑に立ち寄った。

 土作りでは嗣郎に任せた節があるが、秋口の植え付けには十分間に合う。

 ベースが真砂土であるから、それがどう影響するかが不安だが、まだまだ時間はあるので嗣郎と相談しつつ堆肥をもっと増やしていく予定だ。


 廃棄予定の野菜などもすき込むのがいいかもしれない。

 いざタマネギの栽培が始まったら、前例を考える限り、頻繁な追肥が必要かもしれない。いずれにせよ、地力を高めるのは植え付け前の今しかない。再来年に本格的に流通させることを考慮すると、今年の栽培はまさに試金石だ。


 軽トラに乗り込んで帰宅する。

 納屋に車庫入れして腕時計を見る。急いで由井家の納屋に向かうと水ナスの梱包をしているところだった。


 柚も平太と一緒に作業をしている。

 基本的にはサイズ別に分けて、規定の重さになるようにパックに詰めて包装する。圧迫されないように箱詰めして完了だ。大まかなサイズは一緒だが、計測するとちょっとずつ違う。


 包装紙には三山ファームヴィレッジのロゴがしっかりと入っている。


 明日の朝一番に八尾のもとに出荷する予定である。

 自然とやる気が湧いた。


「あ、社長。おかえりなさい」


 柚が気づいて会釈する。平太も「お疲れ様でーす」などと声を上げた。

 どうやら二人とも短期間で仲良くなったらしい。

 だが、見る限り平太はどこかよそよそしい。それが面白くも思えて、ちらりと孝介をのぞき見る。すると莞爾の言いたいことがわかっているのか孝介はくすりと笑った。


「薦野さん、仕事には慣れたかな?」


 すると平太がむっとして遮るように言った。


「俺のときと態度違いすぎじゃね?」

「そりゃあお前は身内で、おまけに調子に乗りやすいからそういう態度になるだろ」

「差別じゃね?」

「区別だ」


 二人の様子を見て柚は面白そうに頬を緩めた。


「まだ慣れないことは多いですけど、大丈夫です。平太くんが色々教えてくれますから」

「そっか。それならよかった。おい、平太」

「……なんだよ」


 莞爾はにやりと笑った。


「教えた相手に負けんなよ?」

「うっせ! わかってるっての!」


 莞爾は孝介に監督を任せて別の仕事に向かった。


 嗣郎がいる畑に向かうと、すでに収穫期に入ったピーマンが並んでいる。

 昨日の時点で確認はしていたが、改めて注意深く見てみると、害虫の多さに目がくらむ。

 定期的に少量の農薬散布を行っていたはずだが、例年以上に量を減らしたのが原因かもしれない。


 一応はカメムシやアブラムシへの対策として、反射性の高いビニールマルチを施している。確かにカメムシやアブラムシはついていないが、タバコガがついている。


 すでに散布した薬剤はタバコガにも有効なものだが、それでも効いていないということは、おそらく耐薬性の高いオオタバコガだろう。

 オオタバコガはナス科に嗜好性のあるタバコガに比べると全般的に虫害をもたらす厄介者だ。


 数は少なくても幼虫は食べ歩く性質なので甚大な被害をもたらす。

 梅雨明け以降、寡雨傾向にあり、蒸し暑さに反して雨が少ないこともあって発生する条件が整っていたのだろう。


 元々は西日本での被害が多かった害虫だが、近年はその限りではない。

 とくに梅雨明けから発生が多くなることもあって、家庭菜園を楽しむ人から農家まで、忌み嫌われる害虫だ。


 タバコガのすごいのは、一年のうちに何度も世代交代をするところにある。

 冬は土中で幼虫が越冬し、春に出てくる。

 梅雨が明けたころに産卵し、夏の間に成虫となったものが産卵して、秋頃に幼虫の被害が最盛期を迎える。


 夏から秋にかけてはもっとも注意すべき害虫のひとつでもある。

 具体的な対策としては農薬もあるが、見つけたら即殺虫である。


 数が増えれば増えるほど、次世代の産卵数が多くなるので、少ないうちに殺すしかない。

 おまけに大きくなると薬に対して耐性が強くなるので、やはり殺すのが一番となる。


 こうして慣行農業でも害虫の被害が出ることを知っているからこそ、莞爾は有機栽培には手を出せないと痛感する。

 やってやれないことはないだろうとは思うが、天候不順や虫害などに対して徹底的に環境を整える必要があり、そのための諸経費とかかる労働コストを考えれば、とてもじゃないが踏み出せない。


「でかいのは先に殺して、ちっちゃいのは殺虫剤でも撒こう。きりがないじゃろ」

「ですねえ……」


 出荷直前のものは避けて、植え付け時期の遅いまだ出荷まで時間のかかるものに対して農薬を散布することに決まった。

 慣行農業とはいえ、できるだけ殺虫剤や消毒液などの使用は控えたいところである。もっとも、莞爾にとってはそれが危険であるからという理由ではない。

 危険であればそもそも使っていない。


 しかし、よくよく考えてみると、これらの被害に対して迅速に対応できないのは、単純な話――人手が足りていない証拠でもある。

 かといって人手を増やそうにも出せる給料は多くないし、求人を出したところで応募はあるかないかわかったものじゃない。


 社員個々人にそのしわ寄せとしての過剰労働があるのは、農家としては普通かもしれないが、莞爾としてはどうにか健全化したいところだ。


「もっと効率よく回さないと。とりあえず仕事の割り振りから考え直さないといけないかもしれませんね。なんていうか、社長としてちょっと情けない気分ですよ」


 殺虫剤散布の準備をしながら自問するように尋ねると、嗣郎は短く答えた。


「糧になっておるわい」


 その言葉の意味に気づいたのは、仕事が終わっても平太がメモ帳に今日怒られたことをびっしりと書いているのを見たからだ。


「……俺も、負けてられねえよな」


 萎みかけたやる気がまた沸々と湧いてきた。

一目惚れは事故。

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[良い点] たまたま見つけて、4日ほどで一気読みしました。 再開を楽しみにしております。 [気になる点] 【ヤモリの扱いについて(「12月(3)上」)】 ツバメと並び、「縁起のいい生き物」と感じてい…
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