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  年末特別短編「英雄の誕生」

バルトロメウス(クリスの兄)の過去のお話です。

本編には99.8%関係ありません。

100%ファンタジー側のお話なのでお嫌いな人は読み飛ばしてください。


(バルトロメウスがすごく主人公属性強い気がする今日この頃)

「バルトロメウス。お前ってやつはへこたれないな」


 親友ミハエルの差し出した手を、バルトロメウスはぎゅっと握って立ち上がった。

 全身は打擲された傷跡で痛々しく、少し動いただけで痛みが走るだろうに、それでも口をへの字にして平気な顔をしている友人が、ミハエルにとって清々しく感じられた。


「傷の手当てはするか?」

「不要だ。己の傷は己の責任なのだ」


 こう言い出したら聞かないバルトロメウスだ。

 長い付き合いのミハエルは彼の性格をよく知っている。


「だが、その怪我で帰ればご両親はともかく、妹のクリスティーナは心配するだろう?」

「むっ……」

「お前のことを大好きな妹にそんなに心配させたいのか?」


 難しい顔で考え込んだバルトロメウスだったが、小さく息をついてミハエルに頼んだ。


「すまぬ。見えるところだけでも治してくれまいか」

「最初からそう言えばいいのだ」


 ミハエルは魔法の使えないバルトロメウスに同情的だった。

 親は王国軍の重鎮でありながら、彼には技術こそあれど魔法が使えない。

 それゆえに、多くの騎士たちの中にあって非常に弱々しいのは確かだった。

 陰口を叩かれるのは毎日のことで、どれだけ腕を磨こうとも、魔法が使えないという一点においてのみ、彼は実力不足と罵られ、親のおかげで騎士になれたのだと揶揄されることも日常茶飯事だった。


 ミハエルはバルトロメウスの顔に手を当てて治癒魔術を行使する。

 内出血のどす黒い跡が熱を帯びて正常な肌色に戻っていく。


「なあ、バルトロメウス」

「なんだ、突然」

「お前はよくやっているよ。だが、お前には騎士が向いてないのかもしれん」

「……向いているか向いていないかは己が決めることだ」

「お前がどれだけ剣の腕前を上げようと、魔力で身体強化もできないのでは力負けする。体力も、筋力も、素早さも、どれをとっても負けてしまうのは、お前もよくわかっているはずだ」


 それでもひたすら訓練に励む理由はなんだ。

 一体何がお前をそこまで突き動かすのだ。

 ミハエルは真剣な眼差しで尋ねた。


 バルトロメウスは治療を受けながら黙って彼の質問を聞いていたが、治療が終わると軽く笑みを作って言った。


「ミハエル。お主は良い奴だ。こんな己を心配して、己が傷つくのを己以上に憐れんでくれる」

「友だ」

「ああ。友だ」


 だからこそ、バルトロメウスはミハエルの肩をつかんで言った。


「友なのだ。己の意地がわからぬわけではあるまい。偉大な父上の影でひたすら剣を振るう己の心がわからぬわけがあるまい。妹に一目晴れ晴れとした姿を見せたいと思う己の志がわからぬわけがあるまい。友よ、心を許す友に、友の思いをわからぬはずがあるまい」


 ああ、怒っているのだ。

 ミハエルは目を背けたくなったのを堪えてバルトロメウスの肩を叩いた。


「許せ、我が友バルトロメウス。私が見誤っていた」

「わかればよいのだ」


 それきり、バルトロメウスは何も言わなかった。

 練兵場に茜色の斜陽が差し込んだ。

 もう騎士たちのほとんどが宿舎に帰っているころだろう。

 ミハエルは言った。


「厳しい道だ」


 バルトロメウスは何も答えなかった。

 ミハエルはふっと笑って続けた。


「友よ。ならば私はせめて友の背中を守ろう」


 バルトロメウスは恥ずかしそうに俯いた。



 ***



 冬。

 バルトロメウスは妹のクリスティーナが騎士学校に入ると言い出して驚愕した。


 幼い頃からクリスティーナが騎士に憧れていたのは知っている。しかし、いずれは普通の貴族令嬢としてどこかに嫁ぐものだと思っていたのだ。


 ひとりの女性として、普通の幸せを得て欲しいと思っていただけに、バルトロメウスは両親を問いただすしかなかった。

 しかし、母親は「夫が許可を出したこと」と取り合わず、父親もメルヴィス家当主として「クリスが決めたのだから」と聞かなかった。


 バルトロメウスはクリスティーナに真意を尋ねたが、彼女はバルトロメウスに微笑んで言った。


「私にとっての最上の騎士は兄上なのです」


 その言葉はバルトロメウスの心に重くのしかかった。

 騎士として新人にも負けるような弱い己を最上の騎士とは、何を言うのか。

 己がどれほど不甲斐ない男であるのか。半人前にもなれない男を皮肉っているのか。


 そう思った。

 しかし、クリスティーナはバルトロメウスの瞳をまっすぐ見つめたまま真剣な表情そのものだ。


「兄上。私は兄上のまっすぐな心根こそ騎士たるものの最上の証だと心得ます。守るべきもののために、日夜努力を惜しまぬその姿勢を賞賛こそすれ、見下すものがどうして騎士と言えましょうか」


 バルトロメウスは尋ねた。


「クリスティーナ。お主はひとりの女としての幸福を得たいとは思わないのか?」

「それは父上がお決めになることでしょう」

「それは確かにそうかもしれぬが……」

「では、ふさわしい殿方を兄上がお連れくださるのですか?」

「ば、馬鹿を言うな! なぜ己が妹の婿を探さねばならんのだ!」


 クリスティーナは小さく息を吐いて言った。


「であれば、もう決めたのです。私は兄上のような騎士になると。父上も母上もお許しくださいました。いずれは戦場に立つこともありましょう。兄上には先輩としてご指導いただければと」

「むっ、そ、そうか……」


 未だ納得できていないバルトロメウスだったが、最愛のクリスティーナからそんな風に言われては反論する気も失せてしまった。



 後日。

 宿舎でミハエルにそのことを話すと、彼は盛大に笑った。


 何がおかしいのかと少しムッとして尋ねたバルトロメウスに彼は言う。


「さすがは兄妹だと思っただけだとも。まったく、頑固なところはそっくりだ」

「頑固、己が頑固か?」

「似ていないのは美貌だけだ」

「お主、妹に手を出したらわかっているだろうな?」

「お前の妹でなければ声をかけておったやもしれぬな」

「なんだと!? 己がいるから声をかけぬと申すか!」

「どのみち、我々に恋女房など縁のないことだろうに」


 それはそうだが、とバルトロメウスはよくわからない感情に目を背けた。



 ***



 夏。


 バルトロメウスは西方の国境地帯の砦にミハエルとともに赴任した。


 砦では数十名からなる小隊を連れて国境の哨戒任務を言い渡された。


 任務を数回こなしたところで、あまりに気楽な任務だと呆れてしまった。


「要するに左遷のようなものなのだろう」


 ミハエルは笑って言った。

 左遷でこんな田舎に送られるくらいだ。本当に親のコネはなかったのだろう。

 あるいは父上が修行のために送ったのかともバルトロメウスは考えた。

 だが、どれにしても彼には答えが見つかることではない。


 所詮は騎士といっても下っ端なのだ。


「だが、なにゆえお主までついてきたのだ?」

「そこに友がいるから。それでは不十分か?」

「聞いた己が愚かであった」


 からからと笑うミハエルを横目に、バルトロメウスは砦の外に広がる荒れ地を眺めていた。

 この荒れ地はエウリーデ王国とリュワン帝国との緩衝地帯でもある。

 何もないためにどちらも領土に組み込まない。鉱物資源さえもないのだ。


 だが、だからといって国境線の守りを薄くすることもできない。


 西方国境地帯を抜ければ、エウリーデ王国最大のシャール金鉱山があるのだ。過去にはこの金鉱山を巡って王国と帝国の長い戦いがあった。


 ここ数十年は大きな戦もなくなったが、それでも隙があれば帝国が侵略の手を伸ばしてくるのは目に見えている。

 お互いに国力が拮抗しているがために、おいそれと手を出すことはないだろう。もしも背後の金鉱山を抑えられた場合、エウリーデ王国は多大な損害を被ることとなる。

 そのための前線基地こそ、西方国境地帯の砦なのだ。


「大きな戦いがないとはいえ、小競り合い程度の戦いならば年に数回は起きているのだ。油断は禁物だ」


 ミハエルは気を引き締めて言う。

 哨戒任務中に、帝国の斥候兵と鉢合わせすることはままあった。


 砦は荒野のど真ん中にあるが、ひとつ丘の向こうは一転して岩石地帯となっており、奇岩がいくつも並ぶ場所だ。岩陰から帝国の部隊が顔を出すことが稀にあるのだ。


 国境線の内側であるから、王国側はもちろんこれを撃退し、帝国に抗議する。

 だが、帝国側はそのような部隊は帝国に存在しないと公然と言ってのけ、それら部隊は帝国軍部隊を騙る賊であると憚らない。


 賊が荒野のど真ん中にいるはずがないのだ。

 隠れるところが多い国境地帯とはいえ、春のわずかな時期にしか雨が降らないこともあり、人が生活することは不可能に近い。


 国境線は奇岩地帯を越えたところにあるワジだ。



 ある日のこと。

 バルトロメウスはミハエルとともに少数の兵を連れて哨戒任務の最中だった。


 奇岩地帯を虱潰しに周り、警戒を続けながらも無駄口を叩く。


「そういえば、バルトロメウス。実はこちらに来る前に、王都でお前の妹と会った」

「クリスとか? どこで会った?」

「私の妹も一緒だったがね。鍛冶屋で剣を受け取るところに鉢合わせたのだ」

「ほう。そういえば剣を新調したと言っていたな」

「やはりクリスティーナは美人だな」

「――お主にはやらぬぞ」

「気立てのよいお嬢さんではないか。将来の夫が羨ましい限りだ」

「いくら友とはいえ言って良いことと悪いことがあるとは思わぬか?」


 バルトロメウスはミハエルならば妹を嫁がせてもいいと思った。

 ミハエルほど信用できる男はいない。それは幼い頃からの知り合いだということを差し引いても、彼の性格がきっとクリスティーナを不幸にはしないと思えたからだ。

 彼ほど優しい男をバルトロメウスは他に知らなかった。

 だが、それでもかわいい妹が嫁にいくのは想像すらもしたくない。いや、花嫁姿はいつか見てみたいとは思っているが、少なくともそれは近いうちではないと信じたい。


「まったく、これではクリスティーナも苦労するな」

「なんだ、己に何か言いたいことがあるのか?」

「あっはっはっ! せめて文のやりとりぐらいは許してくれてもよかろう?」

「むっ……文ならば――いや、ならぬ」


 バルトロメウスは長い付き合いだからこそ知っていた。ミハエルが女性の心をくすぐる手紙を書くのが得意だと。


「はあ、妹離れをした方がよいと思うのだがな」

「馬鹿を言うな! 己はクリスティーナを心配しておるだけだ!」


 馬を走らせて少し先を行くバルトロメウスだった。


 まったく、兵を置き去りにして何をしているのだ。

 ミハエルは呆れ混じりのため息をついて後ろの兵たちに視線を向ける。


 国境地帯の兵士たちは定期的な小競り合いもあるせいか緊張感を持っているようだ。バルトロメウスよりもよほど気構えのできた顔つきだった。


 ようやくバルトロメウスに追いついたところでミハエルは尋ねた。


「それほどかわいい妹なのだ。何故今日に限って私の任務に付き合ったのだ? 今日は王都から騎士学校の見習いが研修に来る日であろう」

「それがどうしたというのだ」

「私が知らぬと思っているのか? お前の妹もその中にいるのだろう?」

「ななっ、なぜ知っておるのだ!」

「だから、こちらに赴任する前に会ったと言ったではないか。それに妹の文でお前の妹が来る日取りまで知っていたぞ」

「……ふんっ」


 どうしていつも妹のことばかり話す男が、せっかく会える機会に会おうとしないのか。ミハエルにはいまいちわからなかった。

 そもそも今日のバルトロメウスは非番のはずなのだ。今頃砦で休んでいてよいのだ。それをどうしてわざわざ哨戒任務に付き合うのか、皆目見当もつかない。


「己は兄である以上に、騎士であらねばならぬのだ」

「……ふむ。最上の騎士か」

「然り」


 ミハエルは意固地になったままのバルトロメウスの背中を見つめて小さく息を吐く。


「難儀な兄上だな、まったく」

「難儀とはなんだ! 難儀とは!」


 思わず振り返ったバルトロメウスだったが、さらに言葉を続けるよりも先に剣を抜いて一閃した。


「総員、構え!」


 バルトロメウスは飛来した矢を切り落としたのだ。

 驚きながらも瞬時に抜剣して振り向くミハエル。兵士たちもすぐに槍と盾を構えて振り向いた。


 奇岩の影に隠れるようにして少数の斥候兵が身を潜めていた。

 ちょうど逆光になって見えない位置だった。


 次々と矢が飛んでくるが、数は少ない。

 バルトロメウスとミハエルは盾を持った兵士たちの後ろに移動してやり過ごす。

 自分たちは鎧を着ているとはいえ、馬を射られては面白くない。


「敵は三十人といったところか……見くびられたものだな」


 ミハエルが苦い顔をした。こちらの兵力は五十名。

 最初の矢はバルトロメウスを狙ったものだった。恐らくは指揮官を倒せば逃げるとでも思ったのだろう。

 あるいは当て逃げするつもりだったか。


 矢をしのぎ、突撃隊形を組む。

 すると敵は散り散りになって逃げていった。


「追うな! あれは囮だ! どこかに本体がいるはずだ! 分隊長、人員を選出して斥候を出せ」

「了解であります!」


 ミハエルは的確な指示を飛ばして即座に対応する。

 一時間ほどして斥候が戻った。


「北西の巨岩回廊に逃げ込んだか……厄介だな」

「五十人の小規模部隊とはいえ、さすがにあそこは狭すぎるぞ」


 幸いなことに、今はまだ損害が出ていない。

 哨戒任務なのだ。無理をするべきではない。


「総員傾注! これより砦に帰還する!」


 兵士たちはすぐに身支度を整えて立ち上がる。行軍隊列を組み先頭と最後尾にミハエルとバルトロメウスが位置を取った。


 砦までおよそ一刻。

 接敵することもなく砦に帰還した。

 司令官に報告に走るミハエルを見送り、バルトロメウスは兵士たちに休息するように命じた。

 その時だった。


「兄上!」


 後ろから声をかけられて振り返る。

 そこにいるのはすっかり騎士姿が似合うようになったクリスティーナだった。


「クリス!」

「哨戒任務お疲れ様であります!」

「今はもう終わったところだ。そのような口調は兄にはやめてくれ」

「……ふふっ。はい、兄上!」


 なにやら微笑ましいものを見るような視線で周囲から見られていることに気づいて、バルトロメウスは咳払いを一つした。

 彼は砦の城壁の上にクリスティーナを連れて行き、腰を下ろす。彼女も近くに腰を下ろした。


「よく来たな、クリス」

「はい。兄上もご無事で何よりです」

「己がそう簡単に死ぬわけがなかろう」

「はい。父上もあれは死んでも死なぬと申しておりました」


 それはそれで傷つくバルトロメウスであった。

 クリスティーナは一通の手紙を彼に渡した。


「これは?」

「母上からです。父上はどうせ生きて帰ってくるのだから必要ないと」

「はあ。父上は己をなんだと思っておるのだ」

「私もそう思います」

「お主まで……まったく」


 父親からは幼い頃から毎日のように動けなくなるまで剣の稽古をつけられたバルトロメウスである。自分の限界は自分が一番知っている。自分の実力がどの騎士よりも劣ることだって、嫌と言うほど知っている。せいぜい一兵卒を相手にしても負けない程度でしかないとわかっている。

 だからこそ、彼らの信頼と期待に少しだけ荷が重く感じられてしかめ面を作った。


「兄上は殺しても死なぬと思うのです」

「いきなり何を言うか。己でも死ぬときは死ぬ。いや、弱いからこそ死ぬときは一瞬であろう」

「常人とはとても思えませんが」

「多少傷の治りが早い程度だ。魔法を使えるわけでもない」


 バルトロメウスは自分の手のひらを見つめてため息をついた。

 ダメだ。こんな姿を妹に見せたくなかったから任務に出向いたというのに。


 バルトロメウスは努めて笑顔を作ろうとした。だが、クリスティーナの後ろにミハエルの姿を見つけて憮然とした。


「やあ、クリスティーナ」

「ミハエル様!」


 振り向いたクリスティーナはミハエルに敬礼をしてみせたが、彼は軽く笑ってみせる。


「聞いてくれ。お前の兄上と来たら、妹に寄りつく男が許せぬ、文のやりとりも絶対に嫌だと言って聞かぬのだ」

「兄上……」

「ミハエル!」


 焦ったようにミハエルに詰め寄るバルトロメウスだったが、クリスティーナはそんな二人を見て笑い出してしまう。

 首を傾げる二人だったがクリスティーナは言った。


「いえ、相変わらず仲が良くて、少し羨ましいと思ってしまいました」

「ルイーゼのことかい?」

「はい。今頃は王都の魔法学校で机にかじりついていることかと」


 ミハエルは王都にいる妹のことを思い出してふっと笑った。


「ルイーゼも友達が少なくてね」

「うちの兄上もなのです」

「それはお互い困った兄妹を持ったということだろうね」

「はい。兄上ときたら家に帰る度にミハエル様のことをお話しになって――」

「クリス!」


 二人にからかわれて顔を赤くするバルトロメウスだった。

 だが、楽しそうに笑う二人の顔を見ていると、どこか寂しくも感じられた。


「ああ、そうだ。クリスティーナ。今度お前に文を出そうと思っていたのだが、バルトロメウスからダメだと言われてしまってね」

「まあ、ミハエル様が私に、ですか?」

「うむ。だが、この石頭が首を縦に振ってくれぬのだ」

「兄上?」


 バルトロメウスは恨めしい顔でミハエルを睨んだ。


「ミハエル。貴様、クリスを使うとはズルいぞ」

「ズルい? ミハエル様、何かお企みを?」

「あっはっはっ! いや、なあに。ただバルトロメウスをからかっていただけさ」


 盛大なため息を吐くバルトロメウスだった。

 だが、少しホッとした。ミハエルから文を出したいと言われてもとくに女らしい反応も見せないクリスティーナを見て、どこか安堵していた。


 しかし、談笑している二人は美男美女で、雰囲気も悪くない。やはり寂しく感じるのは兄だからなのだろうか。

 バルトロメウスからすれば、ミハエルは信頼のできる男だ。妹を嫁がせてもいいと思うくらいには。

 ただし、そう思う一方でクリスティーナが他人の妻となるのが考えられない。別に妹を異性として見ているわけではないが、彼女が赤子のころから知っているのだ。

 かつては自分が守ると誓った妹なのだ。おいそれと他の男に、ではどうぞと言えるものでもない。



 ***



 その夜のことだった。


 バルトロメウスは奇妙な感覚に目を覚ました。

 風が騒いでいるような、不思議な感覚だった。

 強風が吹いているわけでもない。ましてや兵舎の中だ。風が吹いているわけがない。

 だが、確かに感じたのだ。


 気のせいかと思い、二度寝を決め込もうとしたときだった。


「敵襲!」


 盛大に打ち鳴らされる鐘の音。

 兵士たちの叫び声。どこからか剣戟の交わる音も聞こえた。


 バルトロメウスは飛び上がる。数名の騎士が寝ているが、誰もが飛び起きた。

 その中にミハエルもいた。


 鎧を着ている暇はない。

 音の気配からしておそらく砦の内部に敵がいると見て間違いないだろう。

 彼らは使い慣れた剣を手に兵舎を飛び出した。



「ミハエル! 司令官を見つけ出せ!」


 バルトロメウスが叫ぶとミハエルは「そのつもりだ!」と叫んで闇に消えた。

 砦の中は夜ということもあって真っ暗闇だ。月明かりもない。今日は新月だった。


「松明を持て! 各自一人になるな! まとまって対処しろ!」


 バルトロメウスは兵たちに指示を出しながら砦の中を突き進む。

 敵は闇に紛れるように黒い衣服を着ていた。


「こざかしい!」


 闇夜に紛れて忍び込むにしては数が多い。バルトロメウスは近くの敵を切り倒して周囲を見渡した。

 なんとか戦えているようだが、敵がどこから湧き出ているのかまったくわからない。


「敵が多い。どこからだ?」


 奇襲を打たれたこともあり、味方の兵士たちの亡骸がいくつも転がっている。

 バルトロメウスは返り血を浴びながら奮戦した。


「侵入経路を見つけ出せ! どこかに穴があるはずだ!」


 司令官の大声が聞こえた。

 だが、今はそれどころではない。

 何より敵が多すぎる。


「バルトロメウス!」

「ミハエル!」

「敵が沸いてくる方に穴があるはずだ!」

「そんなことはわかっている! 突っ切るぞ! 援護してくれ!」

「任せろ!」


 バルトロメウスは敵の塊の中に自ら飛び込んでいく。

 魔法が使えなくても技量だけならば騎士団の中でも上位の腕前は伊達ではない。

 雑兵如きに遅れを取ることもない。


 それでも敵の数が多すぎる。


「やむを得ん! バルトロメウス! 右に避けよ!」


 咄嗟に避けたところ、後ろから火炎が襲ってきた。

 みるみるうちに敵兵が焼き殺されていく。

 建物にも焼き移ったが、せいぜい木製の扉ぐらいだ。

 いっそ明るくなって敵が見えやすくなった。


「よくやったぞ、ミハエル!」

「礼はクリスティーナとの文通の権利でどうだ!? それとあと一発だけしか打てんぞ!」

「はっはっは! 一発あれば十分だ! あと、文通は許さん!」


 バルトロメウスとミハエルは敵兵を切り倒しながら駆け抜ける。

 後ろに抜ける敵兵など無視してさらに進む。そしてようやく敵兵が出てくる穴にたどり着いた。


「信じられん。まさか穴を掘ってここまで?」

「話している暇はない! ミハエル! 穴の中の敵どもを焼き殺せ!」


 ミハエルの魔法が穴の中に向かって放たれる。


 斬り殺した敵の亡骸をどんどん穴に落とした。

 その間にも敵兵が襲いかかってくるが、バルトロメウスとミハエルの二人は息を合わせた動きで敵兵を翻弄した。


 ミハエルが笛を吹く。穴は塞いだという合図だ。


「残党処理だ!」

「クリスを探す! すまぬ!」

「なっ、おい! バルトロメウス! チッ、バカ者! 一人で行くな!」


 走り出したバルトロメウスの後をミハエルも追う。


「クリス! どこだ! クリス!」


 穴を塞いでも、未だに敵兵が砦の中に大勢いた。

 むしろ味方の劣勢が目立つ。

 だが、数の上では負けていない。これ以上敵が増えないことを思えば、まだ余裕はある。


「バルトロメウス! 上だ! 上を見ろ!」

「クリス!」


 城壁上の通路に、敵兵に追い詰められている見習い騎士数名を見つけた。その中にクリスもいた。


 見習い騎士たちは剣を抜いて構えてはいるが、切っ先が震えていることからも怯えているのは明白だった。


 階段を駆け上がる。

 敵兵が振り返った。

 何かを投げたのはバルトロメウスにもわかった。

 だが、暗闇の中では何を投げたのかまでは見分けられなかった。


 それがナイフだと気づいたのは、自分の太股にナイフが突き刺さった瞬間だった。


「ぐああああっ!」

「バルトロメウス!」

「か、構うな! 行け!」


 転倒したバルトロメウスはミハエルを先に行かせようと叫んだ。

 ミハエルはぐっと奥歯を噛みしめて前を向く。

 すでに敵兵がこちらへ向かってきていた。


 すぐに交戦を始めるミハエルだったが、明らかに今までの雑兵とは違う。

 手練れとまではいかないが、数人がかりでミハエルを相手にしている。

 ミハエルも魔力さえ尽きていなければすぐに打開できたはずだが、今は気力で立っているような状況だ。


 バルトロメウスは歯を食いしばって太股に刺さったナイフを抜いた。


 激痛が走る。血が溢れる。だが、それどころではない。


「守る! 己が守るのだ!」


 剣を拾い、立ち上がろうとしたところでふっと力が抜けた。


「なっ……」


 身体が痺れて思うように動かない。

 どんどん力が抜けていく。それほどの出血ではない。


「毒、か……」


 両膝をついて呆然とミハエルの後ろ姿を見つめた。

 聞こえてくるのは悲鳴と金属のぶつかり合う音。血しぶきが地面を打つ音。


「兄上っ! あにうえええええっ!!」


 なりふり構わずに、クリスティーナが敵を無視してこちらに走ってくるのが見えた。


 ――いけない。戻れ、クリス!


 バルトロメウスは朦朧とし始めた意識をどうにか保ちながら手を伸ばす。


「クリスティーナ!」


 クリスティーナの背後から襲いかかる敵を、ミハエルはその身を挺して庇い、押し合いになりながらも強引に城壁の下へと突き落とした。


 だが、その瞬間。

 ミハエルは後ろから剣を突き刺された。


「がはっ!」


 自身の腹から突き出た剣を見下ろして、ミハエルは絶望に顔を歪めた。

 だが、それも一瞬のこと。素手でその剣を掴み、後ろの敵を見ずに剣を振るった。


 しかし、空を切る。敵は即座に剣を手放していた。


 倒れ込むミハエル。

 クリスティーナは自分を庇ったミハエルの前で腰を抜かして失禁していた。

 初めての戦闘、初めての敵、初めての死――クリスティーナはまだそれを乗り越えられるほど強くなかったのだ。


「あっ、あっ、あにうえっ……たすけっ……ひっ!」


 剣を振り上げる敵。

 見習い騎士たちは自分たちを守るので精一杯でクリスティーナを救い出すことなどできない。



 愛しい妹が殺される。

 バルトロメウスは絶望した。


 それもこれも、たった一人の妹を守ることすらできぬ己が悪いのだ。

 魔法も使えないくせに、魔力も掴めぬくせに、軍人の家系であるからと、偉大な父親の跡を継ぐのだと、騎士になった。

 こんな結末が訪れるとは予想だにしなかった。

 もしも自分が早々に騎士を諦めて違う道を進んでいたならば、クリスティーナもこんな戦場に出ることはなかったはずだ。

 もしも自分が騎士を辞めていれば、ミハエルは自分を守ることができたはずだ。


 全てはバルトロメウス――己の責任だ。


 そんな絶望の淵にあって、バルトロメウスは奥歯を噛みしめた。

 痛みはない。朦朧とする意識が覚醒を始める。

 痺れた身体は未だに自分の身体ではないように動かない。


 ――己は兄なのだ! 兄は妹を守るために先に生まれてきたのだ!

 ――己は騎士なのだ! 騎士は弱きを助け、友誼に応えるものなのだ!

 ――己は漢なのだ! 自らの信ずる道をただ突き進むのみ!

 ――例えそれが、己の命を賭したことであろうとも!


 バルトロメウスは立ち上がる。

 覚醒した意識はやはりどこかおかしいのだろう。

 まるで時が止まったかのように周囲は静寂だ。

 闇夜を幾多の綺羅星がときめくかの如く、バルトロメウスに〝力〟の使い方を差し示してくれる。


「己の妹に触れるなあああああああっ!」


 身体中を不思議な力が満たしていく。痺れていた感覚が戻ってくる。

 次の瞬間には意のままに飛び出した。

 どう身体を動かせばよいのかわからずとも、勝手に動いてくれる。

 父親に稽古をつけられたバルトロメウスは、考えずとも身体が勝手に動いた。


 バルトロメウスが振り抜いた剣は、クリスティーナに斬りかかった敵兵の頭を撥ね飛ばしていた。

 流れるように身体を回転させて、もう一人の敵を上下に両断する。

 こぼれる内臓などものともせず、バルトロメウスは敵の上半身だけを蹴り飛ばして他の敵兵にぶつけた。


「あ、あ……あに、うえ?」

「怖い思いをさせてしまったな。すまない」


 バルトロメウスはクリスティーナを抱き締めようとしたが、返り血を浴びていることを気にして二の足を踏んだ。


「兄上……ミハエル様が」


 バルトロメウスは倒れたままのミハエルのそばで膝をついた。


「……下手を、打った」


 ミハエルはまだ生きていた。

 だが、この傷ではもう長くない。仮にもここが戦場でなかったならば、治癒術師を付きっきりにしてなんとか一命を取り留めることができたかもしれない。

 今この場においてはしかし、ミハエルの傷は見捨てられる傷に相違なかった。


「妹を助けてくれて、恩に着る」


 バルトロメウスはミハエルの手をとってぎゅっと握った。

 ミハエルは痛みすらももう感じていないのか、弱々しく笑ってみせた。


「友、よ……私は、新たな王国の、英雄のた……んじょうを、見られて……うれ、しい……ぞ」


 お互いにいつ死ぬかわからない身だった。いずれどちらかがこうなるだろうことはずっと前からわかっていた。

 だからこそ、バルトロメウスは感情を乱さずに彼の最期の言葉を聞いていた。


「お前が……めざ、めるのが……遅すぎ、る……のだ」

「すまぬ」


 ミハエルは血を吐きながらも訴えた。

 思い出すのは幼い頃からともに騎士を志した鍛錬の日々。夢を語り合った兵舎での夜。苦労を分かち合った汗のにおい。互いの背中を託した熱い思い。

 伝えなければならぬ。最期にどうしても、ともに戦えた誉れを誇らねばならぬ。


「バルトロメウス! わがどもにじでおうごくさいじょうのぎじっ! わだじのほごりだっ! だだがえっ! おばえがげんにいぎっ! げんにじぬっ! そのどぎまでっ! わだじは!」


 親友の言葉に、バルトロメウスは奥歯を噛みしめて頷いた。


「ミハエル。お主という友を得たことは、己の生涯にとって一番の宝であった」


 バルトロメウスとミハエルは見つめ合ったままふっと笑った。


「……さらば、だ。友、よ。一足先に……天界にて……ま……つ」


 事切れたミハエルの瞳を閉じて、バルトロメウスはすっくと立ち上がった。

 もうここに彼の魂はない。立ち止まることは許されない。


「――クリス」

「……はい」

「行かねばならぬ」


 その決意ともとれぬ一言に、クリスティーナは剣をとって頷いた。

 手は震えているが、心は固まった。


「ミハエルこそ、真の騎士であった。この惨状を前にして臆するならば剣を捨てよ。しかし、未だ騎士の志を完遂せんと覚悟するならば、己の後ろについて参れ」

「はいっ! 兄上!」


 残党はまだ残っている。

 バルトロメウスは友の亡骸を一瞥して駆け出した。


 彼は戦った。

 友の誇りと名誉にかけて、敵を血祭りにあげた。

 全身を敵の返り血で真っ赤に染めて、怯える敵兵を次々と屠った。


 誰一人として逃すことはなく、彼は狂気に染まって見える眼差しをギラつかせて敵兵の首を落としていった。


 明朝。

 砦の中は血だまりの池ができるほどの惨状で、どうにか戦った兵士たちも夜を徹しての戦闘で疲労困憊だった。


 死体を集める兵士たちの中から、見張りに立っていた兵士が走ってくる。

 何事かと司令官が尋ねるよりも先に、砦には敵の軍勢が進軍する太鼓の音が聞こえてきた。


「全てはこのための布石だったというわけだ」


 すぐに撤退の準備を始めさせる司令官だったが、バルトロメウスは一人城壁から飛び降りる。


「バルトロメウス! 生き急ぐな!」

「司令官殿! しんがりは己が引き受けた!」

「兄上っ! お戻りください!」


 クリスティーナも必死でバルトロメウスを引き留めた。

 敵の数はおおよそ千は下らない。

 今砦に押し寄せてきたら、この状態ではひとたまりもない。


 バルトロメウスは笑っていた。


「己は戦う。己の後ろには愛するものたちが、守るべき弱きものたちがいる。そして、クリス。妹を守るのは兄の役目なのだ」


 司令官は最期の手向けとばかりに自らの業物をバルトロメウスに投げ渡した。


「忝い」

「死ぬな、バルトロメウス」


 クリスティーナは泣きそうな顔でバルトロメウスを見つめていた。

 だが、彼を見送る人々の気持ちなど気にも留めず、彼は敵に向かって歩き出す。


 鞘から引き抜いた剣は司令官が持つにふさわしい品だ。


「精霊よ。力を貸せ。己には守るものがある。殺した敵の魂ならば好きなだけ食べてしまえ」


 身体中を力が満たしていく。

 まるで天地と一体化するような不思議な感覚だ。

 溢れる万能感に酔いそうになった。

 だが、バルトロメウスは剣を掲げて開幕の口上を叫んだ。


「我が名はバルトロメウス・フランツ・フォン・メルヴィス! エウリーデ王国が騎士! 祖国に仇なす敵を討ち滅ぼす者なり!!」


 それは、バルトロメウスの英雄譚が始まった最初の戦いであった。

 しかし、バルトロメウスは忘れないだろう。

 ともに戦った名もなき兵士たちを。

 ともに戦った誇り高き戦友を。


 その胸に誓った騎士の誇りを。

今年最後の投稿となります。

読者の皆様にはこの一年、拙作をご愛読くださり誠にありがとうございます。

それでは皆様。

よいお年をお迎えください。

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