6月(2)新ゴボウの香り
お待たせしました。
いかに三山ファームヴィレッジが後ろ盾を得て補助されようと、実際に動けるかと言えばそうでもなかった。
というのも、人材リソースは限られており、その限られた人材に計画案に沿った仕事を割り振っているため、今更新しいタマネギを作ると言っても時間的に難しかった。
おまけに半ば放置気味とはいえ、畑以外にも水田を抱えている状況である。
米作りは本分ではないが、かといって作らないわけにもいかない。
いや、作る手間賃を考えたら買った方が安い状況ではあるのだが、慣行農業であるから時間をそこまで取られないのもあって、それならば作った方がいい。
有機栽培で米作りをしようなどと言い出せば、時間が足りない。
今日も今日とて、莞爾は平太を連れて水田にやってきた。
軽トラの荷台には溝切り機が積載されている。
溝切り機とは、その名の通り水田に溝を切る機械である。
水田に溝を作ることで水田の排水性を向上させる。土中にはガスなどが溜まってしまうため、これを抜き、稲の根の活力を上げる。
これはいわゆる「中干し」という作業だ。
水田の立地にもよるが、田植えから大凡一ヶ月弱で行う。
干す、とは言っても表面に亀裂が入り、田靴の跡が残る程度にまで乾かす。
だが、莞爾や嗣郎の畑は石垣を組んだ斜面にあるという立地上、排水性が高く、あまり中干しを強くすると漏水の危険性が高くなる。そのため、表面が乾いてひびが入るか入らないかのギリギリを見極めなければならない。そもそも水田としては浅いので干しすぎは禁物だ。
「あれ、水量減った?」
軽トラから降りるとすぐに平太が気づいた。
田植えをした後よりもずっと水かさが低い。
莞爾は言った。
「植えてすぐのころは根が活着するまで深水管理だけど、活着したら浅水管理だな。今月の頭にも一度田干しはしてるんだけど、今度は中干しだから溝切りするんだ」
と言われても平太はよくわからない。
補足するように莞爾は言った。
「根っこも酸素がないと深く伸びないんだ。でも水があるとガスが溜まって酸素が入ってこないだろ?」
「うん。なんとなくわかる」
「だから、落水してやるとガスが抜けて、酸素も補給できるから根が深く伸びる。水かさってのはつまり水の量がどれくらいかってことだから、水がたくさんあれば水温は上がりにくいし、逆に少なければ水温は上がりやすい」
つまるところ、米作りにとって大事なのは水の管理である。
この水の管理を怠るといもち病などの病気にかかりやすくなるし、稲の成長も遅くなったり、分けつ量にも差が出たりして収穫量が著しく低下する。
「三山村は山間だからな。平地とはまた違うんだ」
「というと?」
「気温も平地に比べて高くないから高温多湿になりにくい反面、日照量がどうしても劣るせいで稲の成長が平地に比べると遅い」
「つまり?」
「お前のじいちゃんの勘任せだ」
身も蓋もない話だが、莞爾は米作りなんて全くわからない。
そもそも野菜農家であるし、米はせいぜい自給用なのである。
彼の父親でさえ米作りの記録は取っていたもののあまり熱心ではなかったようだ。
現実的な問題として本腰を入れてするには余裕がないのである。
正直なところを言えば、規模が小さすぎて買った方が安い年だってあるのだ。
平太は荷台から溝切り機を下ろしながら尋ねる。
「ところでさ、米ってやっぱ産地ブランドがあんじゃん? でも社長は農家の腕も大事だって言うじゃん。まあどっちも大事なんだろうけど、やっぱり米作りに合った土地があるわけだよな」
「そりゃあそうだけど、産地ブランドはまたちょっと事情が違うんだよな」
「どういうこと?」
例えば新潟県魚沼といえば、コシヒカリの名産地として有名だ。
他にも日本全国には米所と呼ばれる名産地がたくさんある。
ではそういった全国各地の米所がなぜ産地として有名になったのかと言えば、それは昔の農家と全農の関係に起因している。
今でこそ様々な銘柄の米があり、農家はそれぞれの販売ルートまで確立するに至った状況だが、昔はそうではなかった。
全農が地域の米農家をまとめ、地域の米として誰が作ったものであろうとひとまとめにしていた時代があった。
つまり、農家個人の腕前はさほど関係がなく、よってその年の気候と土地の影響だけが味に色濃く反映されていたのだ。そのため、どこ産の米が美味いという考え方が定着した。
もちろん今でもそれは否定できない。
米にせよ、野菜にせよ、やはり作り手の腕もさることながら土地と気候に大きく左右されるものだからだ。
だが、様々な土地に合わせた品種改良が進むにつれて、どの土地であっても農家の腕前次第で良くも悪くもなる状況になり、それと共に、全農の一括的な支配体制から、個々の農家が独自に販売できるようになったことも相俟って、産地ブランドという考え方は昔に比べてその価値の方向性が大きく変わった。
いや、今後の農業の未来に期待を込めて言うならば、すでに産地ブランドはただのガワになったと言ってもいいはずだ。つまり、どこの誰であろうと、その土地に合わせた品種を最適な栽培方法で独自に市場へ出し、その価値に見合った報酬を受け取ることができる時代だ。
今の農業はちょうどそういった過渡期にあるのではないか。
莞爾にはそういう期待があった。
「まあ、現実に厳しいんだけどな」
「なるほどねえ」
「絶対にわかってねえだろ」
「いや、わかったってば」
平太の言葉はいまいち信用できない莞爾である。
***
ずってんころりん。
まさにそんな擬音がよく似合う。
「……調子に乗るからだ」
莞爾は泥だらけになって畦の上で転がっている平太を小突いた。
平太もしゅんとして「すみません」と呟くように言った。
それもこれも莞爾がお手本のように溝切りライダーとなっていたのを、平太がやりたいと言ったのでさせてみたらこのざまだ。
幸い稲を巻き込まずに済んだが、ひとつ間違えていれば最悪の事態だ。
倒れた溝切り機を起こして、莞爾はまた平太にやらせた。今度は彼も落ち着いてはしゃがずにやっているようだ。
エンジン音に紛れて根が切れる音がかすかに聞こえてくる。
「おー、ぷちぷち聞こえる」
溝切りはすでに伸びた稲の根も切ってしまうが、それでもそのあとはもっと根が伸びる。
根は切らない方がよさそうにも思えるが、これをしておかないと根が成長しない。
水田全体を囲むように溝を切り、中心を貫くように十字に溝を切る。全ての溝を繋げてから、水をせき止める板を抜く。溝の切り方は農家によって様々だ。やはり水田が違えば水の抜け方が違うのだから、それも当然である。
「まあ、こんなところだな」
「もう終わりか」
溝切りそのものはそう長くかからない。
狭い水田だからこんなものだ。
「あとは同じ要領で伊東家の方もやろう。お前、全部やっとけよ」
「監督はしてくれよ、社長」
「当たり前だ、バカ」
にしし、と歯を見せているあたり、平太も仕事が楽しくなってきたのかもしれない。
最近は本人も楽しくなってきたのが目に見えて、莞爾も頼もしく感じているようだ。
***
「ひどい土じゃのう……」
「まったくもって」
嗣郎と孝介の年寄り二人組は、新しくタマネギを作付する畑――木野が用意した圃場に来ていた。
トラクターで一気に残渣ごと耕耘し、それから二週間。間で消石灰などを散布したが、土の状態はよろしくない。
そもそも、この圃場は沢の近くということもあり、土砂崩れなどによって真砂土が流れた場所でもある。そのため、腐葉土などは比較的浅く、土はふわふわというよりもざらざらとしている。
「タマネギじゃろう? せめてもっとサラサラしておればのう」
畑の土は団粒構造が良いと言われているが、どんな野菜でもふわふわの土が良いかといえば、決してそうではない。
そして団粒構造それ自体は理想の状態というだけであって、ふわふわの土でしか見られないというわけでもない。
とくにタマネギの場合は畝を低くして作ることもあって、それほど深く耕耘するわけでもない。現に海の近くの平坦地など、砂地の農地でも工夫次第でタマネギを特産品へと変えた例は存在する。
「先に苦土石灰混ぜて、来週もみ殻と堆肥も混ぜ込むかいのう」
ちなみに、消石灰と苦土石灰の違いは、消石灰はカルシウムを主成分とし、酸性状態の土壌を中和するが急激な変化をもたらす。その一方で苦土石灰は消石灰にマグネシウムを補給したもので、同じく酸性状態を中和するものの、消石灰に比べて穏やかな変化をもたらす。
なお、これとは別に有機石灰というのもある。
有機石灰とは牡蠣殻やホタテ殻、卵殻などの動物由来の石灰である。中和の速度も緩やかで、散布後速やかに植え付けすることができる(が、ちょっと割高)。
孝介が尋ねる。
「どうしてもみ殻を?」
「腐葉土よりも使いやすいじゃろ?」
腐葉土は水はけをよくするし、適度な水分を保持するので土壌の乾燥を防ぐこともできるのだが、もみ殻もこの点は同様だ。
もみ殻はその名の通り、脱穀したあとの皮だ。ケイ素を多く含み分解速度は遅く、おおよそ三年ほどかけて分解される。なんといっても特徴的なのは通気性と保肥力の高さである。
また水分を蓄えにくいと言われることもあるが、決してそんなことはない。
適度な通気性と養分を蓄えるもみ殻は長い目で見た場合、土壌改善に効果的なのである。
なお、もみ殻燻炭の場合はカリウム補給の肥料として有用である。
俗に草木灰と呼ばれるものの一種だが、白い灰は高温燃焼したものでカルシウムの割合が高い。作る際には低温でじっくりと焼いて黒く作るとカリウムが残りやすい。
老人二人は軽トラに乗り込んで坂道を登っていく。
ふと嗣郎が尋ねた。
「孝一はどうしたんじゃ?」
「ギックリ腰で」
孝介はけらけらと笑った。
普段事務作業の合間に軽い農作業ならしているが、やはり慣れない作業はするべきではなかったらしい。
肥料の袋を抱えた拍子に腰をやってしまった。
「持ち方がなってないからでしょうや」
重たい荷物を持つには、まず腰を落として足の力で持ち上げるのがセオリーだ。決して上半身の力で持ち上げようとしてはならない。腰に負担がかかりすぎる。
持ち上げたあとも、へそより上で持つようにすると重心が高くなって持ちやすい。
そういったコツは仕事の中で自然と覚えていくものだが、如何せん四十を過ぎてようやく農業の世界にやってきた孝一であるから、平太よりもずっと動きが鈍い。もはや農家育ちのアドバンテージは失われたようなものだ。
その点、嗣郎や孝介は年老いても足腰はしっかりとしている。
嗣郎にはいきなり倒れるという前科があるので決して一人で仕事をすることは今のところないが、本人も無理をしないように気をつけているようだ。
伊東家の納屋に戻って軽トラを降りると、ちょうどクリスがタッパーを持って家から出てくるところだった。
「クリスちゃんはいい嫁御になったのう」
しみじみと言う嗣郎であった。
クリスは孝介を見るやタッパーを一つ差し出して言った。
「スミエ殿に教えてもらって作ったからお裾分けなのだ」
蓋を開けると、中には新ゴボウの煮付けが入っていた。
ああ、もうそんな季節か。孝介はふと顔を和らげる。
「ゴボウは美味しい。土の香りがして、シャキッとしていて、味も深くて……ふふっ」
こうしてはいられない、早く家に帰って夕餉の支度をしなくては――にこやかに挨拶をして走り去るクリスの背中を見送っていると嗣郎が言った。
「愛されておるのう……」
「まったくもって」
いつぞやの妻もこんな風に笑みを浮かべていたことがあっただろうか。
ふとそんな思いが去来して、嗣郎と孝介は顔を見合わせた。
しかし、互いの心中が容易に想像できて、年寄りには似つかわしくない曖昧な笑みを浮かべた。
「我らが社長は幸せ者ですな」
「いや、まったく」
ふと嗣郎が言った。
「早く子どもの顔が見たいのう」
すると孝介が釘を刺した。
「プレッシャーをかけるのはダメでしょう」
「わかっとるわい」
孝介には嗣郎の気持ちがよくわかった。
彼にとって莞爾は甥っ子であるし、まるで息子のように思っているのだ。その子どもとなればきっと孫のようにかわいいに違いない。
「まだ式も挙げてないんでしょう?」
「籍は入れておるから、問題ないじゃろうて」
そういえば式の日取りは八月の下旬だったと思い出す。
早く二人の晴れ姿が見たいと思う老爺二人だった。
最近、タマネギ苗の植え替えしました(´・ω・`)
(鶏糞の使い方がいまいちわからない今日この頃……)




