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6月(1)お役人

「誠に申し訳ありません」


 木野は目覚めるや否や、開口一番にそう言った。

 てきぱきと布団を畳み、衣服の皺を整えてから居住まいを正す。一連の動きを見ていると、莞爾はいたたまれなくなった。


「えっと、お気になさらず。疲れはとれましたか?」

「それはもう……はい」


 聞けば、木野は穂奈美から要請があって、すぐにその趣旨に沿うように関係各所に根回しを済ませ、下部団体に取り次ぎ、省内の各事業で予算の適応可能なものを探し、それが難しいと知るや上役に相談して、農林部会の幹部議員に渡りをつけ……と、連絡があって三日のうちに全ての計画案を策定して根回しも済ませてしまったらしい。


 代償に彼は睡眠時間を失った。


「毎回そんな風に仕事してるんですか?」

「まさかそんなことはありません。普段はきちんと計画に沿って仕事をしていますので。今回は伊沢さんからの要請で、できるだけ早くということでしたし、クリスティーナさんの件で機密の関係上、急ぐ必要があったというわけでして」


 よくわからないが急ぐ理由があったらしい。


「一応当事者である佐伯さんご夫妻にはご説明をと思いまして、詳しい内容はこちらにまとめておりますが、簡単に口答で説明致します」


 木野が取り出した書類は厚みだけで五センチほど。それにびっしりと書かれているのだから、口答で説明してもらえるのはありがたい。


「まずご説明したいのは、これは伊沢さんからも説明があったかもしれませんが、お二人の自由――とくにクリスティーナさんの自由と身の安全に関して、我々が強制力をもって協力を強いることはまずありません。その点についてはご安心ください。その上で、クリスティーナさんに関係する調査内容につきましては、各分野において多大な影響があるため、今後各省庁で独自に動くのでは効率が悪く、また省庁間での火種になりかねませんので、官房長官より命じられ各省庁から人員を手配して、独自の委員会を新設する運びとなりました。もちろん、これは機密扱いですし、その旨をご了承いただき、ご夫妻にも内密にお願い致します。さて、そういった事情もありますので、今後ご夫妻にとって変化という変化はありませんが、我々としては責任の所在が一本化して、指揮系統がまとまったことで効率的に調査を進めることが可能になりましたので、ご協力の際にはよりわかりやすく、事前に準備がしやすくなるかと思います」


 莞爾は長いな、と率直な感想を内心で抱き、うんうんと頷いた。


「それから、今からご説明することが何より大事なところですが、クリスティーナさんのとくに魔法に関する調査や関連する事業におきましては、こちらから資金提供をさせていただきますので、そのつもりでお願い致します」

「資金提供?」

「今回の新品種に限って言えば、実験栽培農地の取得、資材の確保、借用金、栽培における人件費等々、全てこちらで負担する、ということです」


 ありがたい申し出ではあるが、莞爾は面倒くさいなと正直にため息をついた。


「その代わりに何があるんです?」

「余計なご心配をなくすために具体的に申し上げましょう」


 そう言って木野は数枚の書類を新たに出して莞爾に見せながら説明する。


「こちらに書かれている通りですが、重要な箇所がここですね。まず調査・報告の徹底、つぎに既定検査項目の徹底、つづいて所定の項目に該当するサンプルの提出、最後に継続調査に関する諸規定に準じた計画案の策定。大まかに言えばこの通りですが、漠然としているのでわかりにくいかと思います。二枚目をご覧ください。こちらには先ほどの内容についてさらに具体的に書かれています。実際に佐伯さんにお願いするのは報告書が二種類増えることぐらいです。フォーマットはこちらで用意致しましたので、そちらを使用するようにしてください。今回に限って言えば、実験栽培農地で栽培した品目サンプルとは別に、土壌サンプルなども必要なので、そちらも採取してもらうことになります」


 説明が長い。これが官僚的答弁というやつか、と莞爾は感慨深く頷いた。


「実際、サンプルの採取となると面倒そうですが、そんなに難しいことでもありませんし、計画予定に沿って決まった時期に採取したものを郵送してもらうだけなので、一手間増えるぐらいですね。あまり難しくお考えいただかずとも結構です。それから、査察要員の受け入れがあります」

「査察?」

「はい。機密とはいえ、予算が計画に沿ってきちんと使われているかどうか、また現場でどのような環境が構築されているかなどを調べる人が来ます。とはいえ、簡単に言ってしまうと見学者が時々来るというだけですので、佐伯さんが私物化などの不正を働かない限りご心配には及びません」

「どういった人物が来るんです?」

「私だったり、あるいは伊沢さんだったり、場合によっては一度責任者である議員先生が来ることもあるかと。その時はおそらくクリスティーナさんとの面会が目的となります」

「は、はあ……そうですか。ちなみにその議員さんってどちら様ですか?」


 聞くと、有名な二世議員だった。

 莞爾の記憶が正しければ農政に詳しい議員だったはずだ。最近は少し全農と対立気味だった覚えがある。与党内でも改革派なので、党内派閥としては政権寄りなのだろう。実態を考えればそう思えるが、報道を見る限りでは上を批判する若手議員に見えないこともない。


 学歴はそう大したものでもなかった気がするが、それはどうでもいいことの一つでもある。学歴があっても飯の種に騒ぐことしかできないやつもいる。少なくとも些事を大問題だと騒ぎ立てて解決策を提示できない議員よりもずっとマシなのかもしれない。


 もっとも、穂奈美からすれば本物のエリートとはいかなる問題にも妥協可能な具体案を提示できる人間だという。莞爾には官僚の感覚がわからないが、彼女の言葉が正しければ木野はそういった部類の人間なのかもしれない。


「あの先生は結構気さくな方ですよ」

「まあ、それはいいんですが」

「もし来ることになったら、その時はよろしくお願いします。美味しい野菜に目がない方なので」

「は、はあ。議員さんもお疲れなんでしょうね」

「そう、ですね。少なくとも私ら官僚より忙しい先生方はいらっしゃいます」


 国政の闇を見たような気がする莞爾であった。



 ***



 改めて木野をクリスと会わせて挨拶をさせる。

 丁寧な挨拶にクリスも神妙にしていたが、おそらく寝ている間に縛ってしまったのでバレていないかとヒヤヒヤしていたに違いない。


 そうして木野の案内で、莞爾は大谷木町の全農に行く手筈となった。

 町役場のすぐ近くにあり、今回実験栽培農地を手配するにあたって、町が保有する土地を農地としてあてがってくれるそうだ。

 運転は木野だ。彼は新幹線の通る駅の近くでレンタカーを借りて来ていたようだ。


「そんな土地ありましたっけ?」


 道中車内で尋ねると、木野が教えてくれる。


「五年ほど前に三山村と大谷木町の北区の辺りで河川の護岸工事があったのはご存知ですか?」

「ええ、覚えていますよ。というか、あれもう五年も前になるんですね」


 当然莞爾は覚えていたが、家が離れているし、農地も影響を受けなかったので記憶が薄かった。


「その件で、当時は公園を設置する案がありまして、ある町議が発端で話が進んでいたみたいなんです」


 莞爾は話がどうなるかを察しつつ続きを促した。


「でも、選挙でその町議が落選して、土地はすでに地権者から買い取ってはいたんですが、競売の実態がなかったのに随意契約になっているのが発覚して……その契約相手が件の町議の後援者だったわけです」

「そんな気はしましたけどね」

「それだけでも大問題なんですが、競争入札をやり直すよりも前に、そもそも公園を作って維持管理する財源がないということで、話が飛んでしまったんですよ。おそらくそれは後付けの理由で、談合が発覚すると困る町議が他にもいたんでしょう。後援会に同じ業者がいたとか、内々で敵対政党から譲歩を条件に脅されたとか」


 なぜそれに最初から気づかなかったのか、莞爾はとんと理解できなかった。

 そもそもこんなど田舎に公園なんて作っても誰が来るというのか。

 子どももいないし、公共交通機関もない。例えば山奥の自治体ではよく「ホタルの里」などと銘打った公園が数多くあるわけだが、年間利用者がどれほどいるというのか。せいぜい夏場の避暑を目的とした河川公園になるのが関の山だ。

 それ以前に、護岸工事をして「ホタルの里」などという公園を作ろうだなんて、愚かにも程がある。


 そういった公園に限って駐車場がなかったり数台分だったりするのだ。まさか電車とバスを乗り継いで最後には何キロも歩いて来いとでも言うのか。

 おそらくは地元バス会社などに路線を増やしてもらうのだろうが、バス会社からすればたまったもんじゃない。利用者がいない期間はどうするというのか。安易に五月から九月までの限定路線などとできるわけもない。そもそも土日しか人も来ないだろうに。


「よくわかりませんけど、普通公共事業って目的ありきでどんどん進めちゃうものなんじゃないんですか?」

「確かにそういう側面もあります。私も色々と担当に聞いてみたのですが……まあ、今回はうちの委員会の方で有効活用できますし、ちょうどよかったので不問というか、リークしないということで便宜を図ってもらうことを優先しました。情報開示を渋られたので、例の先生にお願いしたら一発でしたよ」


 木野は害のなさそうな顔をしているが、案外やり手らしい。


「大谷木町に限った話ではありません。地方議会は国会と違って透明化が遅れていますし、地元企業との癒着も起こりやすいですから。それが必ずしも悪とは言い切れないのが難しいところです。地方行政はどうしても税収不足で停滞気味になりがちですから」


 実際、特定の企業で回っているような地方自治体もある。そういった企業に対して自治体が便宜を図るのは、地方の活性化という意味では非常に有意義だ。だが、その一方で全体のバランスが崩れないように注意もしなければならない。


「なんか政治の暗部を見た気分ですよ」


 すると木野は乾いた笑いを浮かべて言った。


「国政に比べたら、地方議会なんて大したことありませんよ。不正して稼いだとしてもせいぜい数千万ですし、人も死にませんからね……」

「あっ、そうですか……」

「伊沢さんの方が私なんかよりもずっと詳しいと思いますよ?」


 莞爾は聞かなかったことにした。

 そうして車を運転すること三十分ほど。

 二人は町役場のすぐ近くにある全農の農機センターに到着した。


 トラクターやコンバインなどが保管される倉庫がいくつかあり、小規模な事務所がひとつある。

 待っていたのは大谷木町、町役場の産業課農業委員会の一人だった。

 挨拶もそこそこに、事務所の一角を借りて「談合」が始まった。なぜ町役場でしないのかというと、まあそういうことである。


 莞爾は聞き役に徹していただけで、ほとんど木野がイニシアチブを取って話を進めていた。何かと渋る場面が多い現地職員だったが、木野があの手この手で説得(まがいの恫喝)を繰り返し、最終的には莞爾にとって損のない内容となった。


 具体的に三山ファームヴィレッジには三反ほどの土地が貸し出される。元々耕作放棄地であるため、先に整備は必要だが、年間に必要な金額を見ればほとんどタダのようなものだ。厳密には、これは国が借り受け、それを三山ファームヴィレッジがまた借りることになる。


 ちなみに書類上では農地ではなくなっていたので、そのせいで三山ファームヴィレッジ起業の際に話に出なかったようだ。が、今ではすでに農地転用され元の状態に戻っていた。


 その他、必要な資材なども肩代わりしてくれるようだ。またトラクターなどの農業用機械も優先して貸し出してもらえるようになった。

 木野が図面を書いたおかげである。三山ファームヴィレッジに損はないが、国としてはいくらかの譲歩があったらしい。それを表には出さないが、木野は莞爾にわずかに匂わせた。


 全ての取引が終わったところで、木野は莞爾を外に連れ出して言う。


「これで手続きは終わりですが、暗くなる前に実際の土地を見ておきませんか?」


 莞爾は了承して車に乗り込んだ。

 木野の運転で向かったのは大谷木町の北区――ほとんど三山村だと言ってもいい場所だ。ここならば自宅も近い。


「ここって確か室見さんの土地だったはずだよな。出ていったんだっけ。あー、こりゃあ使い物になりませんよ」


 雑草が生えているくらいなら刈り取れば済む。しかし、農地は藪になっていて、低木がちらほらと並んでいる。焼き払うにしても森林が近すぎて許可が下りないだろう。となれば、地道に整備するしかない。


「こういうときのための機密費です」


 そう言って木野はどこかに電話をかけ始めた。


「……もしもし。先ほどはどうもありがとうございました。農水省の木野です。ええ、はい。今ちょうど先ほどお話しした土地に来ておりまして。ええ、そうです。はい。それで、このままでは農地として使えませんので、農地として使えるように整備する必要があります。ええ、ええ。こちらで費用は出しますので、シルバー人材センターなりなんなり、手筈を整えてもらってもよろしいでしょうか。ああ、はい。そうです。多少金額が高くなっても構いません。できるだけ早くお願い致します。はい。終わりましたら、ご連絡ください。はい。では、そのようにお願い致します」


 電話を切って木野は莞爾に向き直る。


「手筈は整えました」


 草刈りに機密費を使っていいものか、莞爾は頭を悩ませた。

 それは血税が元だろうに。


「……こんなことに税金使っていいんですか?」

「聞かれるだろうとは思っていましたが、ご心配には及びません。国が資産運用して稼いだお金なので」

「そういう問題なんですか?」

「逆に言えば、それだけ期待をしているということです。今回はタマネギの栽培ですが、実際に他の作物にも転用できるとなれば、それが及ぼす効果は計り知れません」


 木野が熱弁するところによると、大きなところでは収量増加による自給率の向上、はたまた新たな日本産農作物ブランドによる海外での競争力強化など。言われてみれば確かに「金になる」のだ。


「経済活動は富の再配分に近い、と言ってご理解いただけますかね」

「一応経済学部卒ですよ、俺は」


 木野は頷いて言った。


「一部の利益が全体の利益になるまで、時間はかかりますが確実に広がります。末端にばらまいても継続的な利益にならないので全体の成長には繋がりません。国がお金を使うのは、全体の利益向上が見込めるだけの期待があるからですよ」


 とくに日本の農業の将来を考えると、ここで賭け金を出さないのは馬鹿馬鹿しいと木野は言った。システム的な問題も大きいにせよ、国際競争力のある品目がひとつ増えるだけでも、取引される額は数億から数十億にもなる。


「まあ、工業面でクリスティーナさんのお力を活用できた方が、潤う企業は増えますから、そちらの方を優先したいというところがないわけではありませんが。少なくとも私は農水省の人間ですから」

「俺も農家ですよ」


 木野は人好きのする笑みを浮かべて言う。


「実は私の実家は千葉で落花生を作ってるんですよ」


 初めて親近感が湧いた莞爾である。


「大抵のことはマニュアルに書いてありますが……正直なところ、予算的にそのタマネギを接収して実験栽培と研究をするには難しくて。実際のデータさえ取れれば、佐伯さんに委託する方が予算的にも、こちらの都合としても安上がりだったんです。少なくとも農作物に関しては、ですが」

「なんか、まさかそんな事情で、という感じですね」

「こちらの方が土地の値段も安上がりですからね。実際、新たに研究施設がある場所で栽培農地を、となると土地代と人件費が予算を圧迫しますので。その点、佐伯さんに栽培を委託すれば必要なデータもお願いできますし、ノウハウもありますよね。クリスティーナさんもいらっしゃいますから、そこも継続的な効果という点では良い結果に繋がるんじゃないかと」

「そうだといいんですが、まあこればかりはやってみないとわかりませんね」

「そうですね。ただ、栽培経費についてはこちらが負担しても、販売に関する流通コストなどは負担できませんので、それはよろしくお願い致します」


 木野は申し訳なさそうに苦笑した。莞爾としては願ってもない。流通コストだけで済むということは粗利が増えるということだ。文句を言う理由がない。


「そういうことなので、書類上の面倒なすりあわせが増えますが、細かいことはマニュアルに書かれてありますので、そちらを参考にしてください」


 何から何まで至れり尽くせりである。例のタマネギを奪われるよりもずっとよかったのかもしれない。加えて、マニュアルには実験栽培期間も書かれているらしい。期間は五年だそうだ。それを過ぎれば全ての負担は三山ファームヴィレッジに責任が移される。

 が、その頃には軌道に乗っているだろう、というのが莞爾の見立てだ。もしそうでなければタマネギの栽培から撤退するだけだ。


「それ、いつ作ったんですか?」

「要請があった段階で骨子はほとんどできていたんですが、各所の根回しに骨が折れまして……昨日の深夜にようやく印刷できました」


 優秀すぎるのも考え物かもしれない。

 莞爾と木野は車に乗り込んだ。


「そういえば、市内でちょうどいいビジネスホテルなどがあればご紹介いただきたいのですが」

「うちに泊まっていけばいいですよ」


 莞爾は平然と言った。木野は驚いていたが、穂奈美が泊まって馬鹿騒ぎをするという話を思い出したのか軽く笑った。


「お気持ちはありがたいですが、遠慮しておきます。レンタカーも返さなくてはなりませんし。またこちらに来ることもありますので、その時にでも」


 律儀なやつだな、と莞爾は頷いた。代わりに駅前のビジネスホテルを紹介した。

 莞爾を自宅まで送ったところで木野は言う。


「農地関連で何かありましたら、私にご連絡ください。その他のことについては伊沢さんにお願いします」


 木野が帰るのを見送りつつ莞爾は考える。


 わずか三反とは言え、例のタマネギは現状五十キロもない。

 秋に植え付けして冬に種を取り、初春に植え付けて初夏に小さな状態で収穫するとして、一体どれほどの量を確保できるか。

 規模として、三反は現状広すぎる。

 しばらくは売るだけの分がないかもしれない。いや、それ以前に数世代にわたって味が保証できるかどうか未知数だ。


「いくつかのパターンで分けて、クリスにも協力してもらうか?」


 実験栽培ということだから、そういった条件の違いを作った方がいいだろう。

 莞爾はどうなることやらと頭をひねった。


「実験をメインとするなら余剰分が出るのは再来年以降だろうし、となるとうちの会社で利益がでるのはその時からか」


 バックアップがなければ初年度で頓挫していたに違いない。

 改めて新品目の栽培がどれほど難しいことか考え直す羽目になった。

 

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