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椅子取りゲーム

諸事情あってかなり間が空いてしまいました。

読者の皆様には大変長らくお待ちいただき、申し訳ありません。


新章開始です。

『そんな報告受けた覚えないんだけど?』


 電話の向こうで穂奈美が苛立ち紛れに聞き返した。


 六月初旬。

 もうそろそろ梅雨時で、今は見上げた空も青いがすぐにどんよりと曇ってしまうと思えば憂鬱な気分になった。


 莞爾は穂奈美の文句に適当な相槌を打ちながら聞き流し、煙草に火をつけて問う。


「――俺が聞きたいのは、いいか悪いか、そのどちらかだ」


 聞こえてくるのは嘆きか呆れか、一際心細いため息だった。

 穂奈美は少しの沈黙を挟んで言った。


『いいか悪いかで言えば、いいわよ』


 声色に含みがあるような気がして黙っていると、彼女はさらに続けた。


『もともと魔法が植物に与える影響も実験したんだけど、これといった結果は得られてなかったのよ。まあ、クリスちゃんが言うには魔法には目的がしっかりしてないと効果が出にくいことがあるらしくて、そのせいだろうってことには落ち着いたんだけどね。いくつか変化があったのもあるけど、せいぜい成長する速度がちょっと早くなったとか、実の大きさが一回り大きくなったとか、その程度。偶然の範疇を超えてないわね』


 とはいえ、それで一応の結果とするぐらいのエビデンスは揃っているようだ。

 莞爾は先ほどとは違って真剣な相槌を打って答える。


「じゃあ、こっちで商品化することの弊害は?」

『弊害とまで言わなくてもいいじゃないの。まあ、そっちからしたらそうなんでしょうけど』


 ひどい言い草だと穂奈美はまた文句を言った。

 けれども莞爾は先を促す。

 二度目のため息はきっと呆れのせいだ。


『難しいことや面倒なことはすっ飛ばして言うけど、サンプルが欲しいわね。食べて異常があったわけじゃないんでしょう?』

「普通に美味しい玉ねぎだったな」


 数日前にも食べたが何の異常もない。毒性があればなんらかの違和感があるだろう。

 穂奈美は莞爾の話を聞いてそれならと承諾した。


『実験的に栽培するってことで、よろしく頼めるかしら』

「実験的?」

『ひとまずはこちらから要請があってしたという建前ね。成果物はサンプルと経過観察さえあればまあいいかな』

「またなんで?」

『見た目は変わらないんでしょ? で、莞爾くんからしても突然変異じゃないかってことよね?』


 穂奈美は新品種登録ができるんじゃないか、と莞爾に尋ねたが、彼は「できない」とはっきり答えた。


「現状、ただの突然変異だと仮定して、この先も安定的に同じように育つかとか、どういう部分で他の品種と違うかとか、結構面倒くさいんだよ。はっきりと違いがあれば、認められやすいんだけどな。少なくとも今は味が違うだけって話だから、商品名が変わることはあっても、品種名までは変えられない。特定産地限定の品種じゃないから、その辺りはやりやすいけどな」

『ああ、農水省の管轄だったかしらね。ほんとお役所の仕事って手続きと審査ばっかり厳重なんだから』

「お前が言うな、お前が」


 何か書類をぱらぱらめくる音が聞こえ、その後に穂奈美が言った。


『一応策定案みたいなのもあるんだけど、やたら小難しく書いてあるから要点だけ言うと……やっぱり面倒だから木野さんに回していいかしら?』

「木野さんって農水省の?」

『そうそう。一応プロジェクトの総括的主任は私なんだけど、蛇の道は蛇って言うじゃない?』


 国家官僚の仕事を蛇の道とは、中にいる人間が言うのだから笑うべきかどうか迷うところだ。


『結局私たちがしてる仕事って法律の範疇でできることをやって、決められた予算に従って今年はこれを進めようとか、ここまではできるけど来年の予算次第だから根回ししてとか、その筋に詳しい議員先生にイニシアチブを取ってもらってとか、まあ結局集めた税金の使い道を作って、必要な手続きをしているのよね』

「いきなり何を言ってんだ、お前は」


 突拍子もない話だな、と莞爾はため息をついた。けれども穂奈美は言う。


『そんな仕事だから、膨大すぎるわけ。この仕事はあっちの委員会で、でも財源はこっちの予算でとか、新しい法案が可決されたせいで急遽委員会を立ち上げたけど、実際は網羅する法律が多すぎて右往左往とか、まあよくあるわけ。国会が絡むともっと大変みたいだけど』

「それで?」

『つーまーり、各省庁にプロフェッショナルがいるんだから、そっちに任せようって言い訳』

「前置きの長い言い訳だな」

『適材適所って言ってくれる?』


 穂奈美は仕事柄よく接する代議士のことは表に出さなかった。仕事の愚痴は公務員として節度を持って口をつぐむぐらいの矜恃はあるのだろう。


『クリスちゃんのこともね、一応私が主任にはなってるから上から……まあ、わかりやすく言うとトップから色々聞かれることもあるわ。機密扱いだから表には出ないけど』


 クリスの魔法の影響が大きく観測できたのは、今のところ機械的な分野の方が大きく、農業分野では芳しくない。また、医療に関しても興味深い所見が数多くあり、とくに魔力による体力回復というわかりやすい結果は注目されているようだ。

 詰まるところ、大きなところでは経産省や農水省に厚生省が興味を示し、小さなところで言えば経団連も一枚噛ませろと言ってくるだろう――とそういう面倒な結論だった。どこも小さくなんてない。

 それらからすれば三山ファームヴィレッジなんて吹けば飛ぶような存在に違いない。


『でも、日本国籍を与えた以上、国はクリスちゃんの基本的人権は守る。今はひとまず集めたデータの解析が終わっていないから、そういうこともあってちょっと間隙ができたって状況よ。来年ぐらいになればクリスちゃんに協力を仰ぐことが増えると思うけど、少なくともクリスちゃんの意向を無視することはないから、そこだけは安心していいわね』

「前から言ってるけど、そんなもんなのか? むしろこんなに自由にさせてもらっていいのかって時々思うんだが」

『逆に聞くけど、人権って国が担保してるだけよ? 個人の自由や権利なんてものはね、大義名分さえあれば簡単に奪えるのよ。秩序と平和のおかげ。まあ、きれい事で維持はできないから、表に出ない部分もあるわよ。でもね、それを拡大するわけにはいかないのよ。そんなことが許されていたら、今頃クリスちゃんは莞爾くんの傍にいられない。まあ、協力的になってもらうために現状を構築したという見方もできるけど』


 穂奈美は大きなため息をついてみせる。莞爾には大きなことはわからないが、現状クリスとの新婚生活を楽しんでいる手前、そういうものかと納得した。


 ただ、穂奈美が暗に伝えようとしていることはわかる。

 クリスという人間が持つ経済的価値がどれほどのものか、ということだ。

 役に立つか立たないかは現状はっきりとはしていないが、何が産まれるかわからない金の卵であることだけは確かだ。少なくとも最先端研究に一石を投じることはできるだろう。


 穂奈美がクリスの関わる案件を総括的に取り仕切ることができる地位にいるのは、莞爾としても渡りに船だ。

 各省庁での椅子取りゲームに振り回されるのは御免被りたいところ。加えて言えば、穂奈美というパイプがあり、クリスを早期に国の保護下に入れることができたのは幸いだった。


 しがらみは増えたが、クリスの安全は確保できたのだから。



 ***



 そんな電話があって三日後。

 早くも農水省の木野が訪ねて来た。


 一応事前にアポはあったものの、フットワークが軽すぎるのも考え物だ。

 けれども、応対した莞爾はすぐに考えを改めた。


「農水省の木野です。外務省の伊沢さんからの要請で来ました。佐伯莞爾さんのお宅で間違いないでしょうか? どうぞよろしくお願いします。それで件の突然変異したタマネギの実験栽培農地について……ああ、クリスティーナさんでしたら、また後で構いません。時間も惜しいので先に用件をお伝えしたいのですが、よろしいですか?」


 よく口が回る男――そんな印象だった。

 しかし、よく見ればスーツ姿のこの男は痩せぎすで、淡々としている割に笑顔で、まるで人工知能のような受け答えも相まって……とどのつまり非常に疲れているように見えた。


「木野さん」

「はい。なんでしょうか。あっ、何かおわかりにならない点があればこちらの書類に全てまとめて来ましたので――」

「ちょっと仮眠を取りましょう。座敷に布団敷くので」


 木野は驚いたような顔をして両手で顔をぺたぺたと触った。


「あの、疲れて見えます?」

「両目充血してますよ? 痩せすぎだし、下手したら薬キメてるように見えるんで、ちょっと寝ましょう。心配せずとも伊沢なんかうちに泊まって馬鹿騒ぎしていくぐらいには旧知の仲なんで……ね?」


 午前八時。朝の仕事を終えて朝食を食べたあとだ。

 クリスは後片付けをするなりスミ江のもとに行ったのでいない。


「そういうわけには――」

「いいから、寝てください。こっちが安心できないですから。一度頭すっきりさせて、それからにしましょう。二時間ぐらいで起こしますよ。俺もちょっと仕事があるんで。待たせるのも悪いですし」


 嘘の理由を並べ立てて木野を座敷に引っ張り上げ、背広を脱がせて無理矢理寝かせる。

 木野は「え、あの」とか「いや、でも」とか、そればかり言っていたが、莞爾がまれに見る押しの強さで寝かせると一分と経たずに眠ってしまった。


 まるで意識を手放すように寝るものだから、さすがに言い出した莞爾も不安になった。


「国家公務員大丈夫か、おい」


 泥のように眠る木野を見て、莞爾は呆れたため息を漏らした。


 そのまま放置して仕事に行くと、お昼前頃になってクリスが畑に飛んでやってきた。


「カンジ殿! うちに不審者がいるぞ! ふてぶてしくも布団を敷いてぐーすかと寝ていたのだ!」

「いや、それ今日来るって言ってた客だからな。あんまり疲れてたから寝かせただけ」

「そっ、そうなのか!? それならそうと言ってくれ! びっくりしたぞ! てっきり図々しい泥棒かと思ってふん縛ってしまったではないか!」

「――はあっ!?」


 さすがは異世界人。侵入者に容赦がない。

 だが、一応客人である。まだクリスが帰らないだろうと思って伝え忘れた莞爾も同罪である。


 クリスを連れて急いで家に戻る。

 木野は布団の上に横たわっていたが浴衣の帯で拘束されていた。


「木野さん! 申し訳ない! クリスが馬鹿なことを――」


 聞こえてくるのは寝息である。縛られているのに幸せそうに寝ている。


「……えっと、クリス?」

「寝ているからちょうどいいかと思って……」


 どうやらふん縛っても起きなかったらしい。木野は相当疲労をため込んでいたようだ。

 莞爾は黙って拘束を解いてまた布団に丁寧に寝かせた。


「ふん縛ったことは黙っていような」

「そうだな……」


 残念そうな寝顔だった。ちょっとそっちの気があるのかもしれないと、莞爾は不謹慎なことを思った。


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