5月(末)怪我の功名
大変お待たせいたしました。
平太はコンテナに詰め込まれた小さなタマネギの球を手に取って首を傾げた。
佐伯家の納屋に丁寧に保管されていたものだ。
朝の仕事が終わったので、昼食までの間に納屋を整理していると見つけたのだが、平太には売り物になるタマネギには見えなかった。
大きさは三センチ前後である。
平太は一つ手に取って納屋を出る。
外で溝切機のメンテナンスをしていた莞爾に尋ねる。
「社長、これ奥にいっぱいあったけど、売りもんじゃねえよな?」
「ああ?」
顔を上げた莞爾は平太の手に持ったタマネギを凝視して頷く。
「それは売り物じゃなくて、植えるやつだ」
「タマネギって種じゃねえの?」
「種で育てるのが普通だけどな。今はセット球って言って、小さい球になるまで育てておいて、秋ぐらいに植え付けて初春に収穫するやり方もあるんだぜ」
適当に相槌を打つ平太であった。
「まあ、そのサイズでも食えるけどな。外の皮だけ剥いて、シチューとかカレーとかに使っても美味いし、オリーブオイルとかぶっかけてオーブンで焼いて塩振るだけでも美味い」
「ふーん。でも植えるんだろ?」
「んー、そのつもりではあるんだが……」
今ひとつはっきりしない莞爾である。
原因はこれを作るきっかけであった。
***
一月。
カルソッツもどきを出荷したしばらく後のこと。
莞爾は売り物にならなかった育ちすぎのタマネギを処分しようと思った。
八尾からは来年もやろう、という言質を取っていたが、クリスの魔法を受けたということもあって、そのタマネギから種を取る気はなくなっていた。
代わりに、使用している品種のセット球を、ツテを使って探し求めたものだが、その目処もなんとか立ちそうな頃合いだった。
山手の畑に行った莞爾は引き抜いたはずのタマネギが元気よく根を張っている様子を見て仰天した。
中にはそのまま腐っていたものもあったが、いくつかはしっかり根を張って元気に葉を伸ばしていたのだ。
結局、莞爾は根が張ったものを残し、腐ったものを処分した。
まさか処分するつもりで引き抜いたのに、根を張り、その上「ネギ坊主」まで普通にできるとは思ってもみなかった。
いや、普通に考えれば植物であるから、花を咲かして種を作るのは自然な道理である。
とはいえ、あの状況からできるものか、と思ってしまうのも仕方がない。
もともと、カルソッツ用に使っていたタマネギは交配種ではなく、固定種だ。
実はタマネギの多くは交配種(F1種などと呼ばれる)であり、種を取って栽培しても、同じ品種ができるとは限らない。それに対して固定種は同一の遺伝子なので必ず同じ品種ができる。
ちなみに、本来のタマネギ栽培において、ネギ坊主ができたらむしり取るのが普通だ。ネギ坊主とはタマネギの花のことで、早い段階で採取すれば食べられる。
だが、このネギ坊主を放置すると、今度は球の味が悪くなる。この状態は薹が立った状態だ。
莞爾はネギ坊主にできた種が飛び散る前に刈り取り、丁寧に乾燥させて保管した。
タマネギの種は保存期間が短く、おおよそ二年以上経つと発芽しないと言われていることもあって、莞爾はものは試しと春先に植えてみたわけだ。
***
ものは試し、で本当に子球ができるとは思ってもみなかった莞爾である。
よくよく考えてみれば、できない方がおかしいのだが、問題は成長速度が早すぎることだ。
普通、タマネギは成長が遅い。
一年のうち四分の三を使って栽培するぐらい長い間育てなければならないのだ。
にも関わらず、クリスの魔法を受けたタマネギの種は瞬く間に発芽し、ぐんぐんと芽を伸ばした。
莞爾も慌てて追肥をして、それでも追いつく気がせず、週に一度液肥を使うようにしたところ、コンテナ一杯のセット球ができあがってしまった。
期間だけを見れば、通常の栽培よりも半月以上早い。
記録は残しているので、次に穂奈美と会う機会にサンプルを渡す予定だ。
「試しに食ってみるか?」
平太に尋ねてみる莞爾だった。もちろん平太は頷いた。
莞爾はアルミホイルを取ってきてセット球をいくつかまとめて包む。
そうして刈り取ってから放置しておいた雑草や、庭木を剪定したあとの枝などを簡易型の焼却炉に放り込む。
これは畑に撒く灰などを作るために購入したものだ。
新聞紙を一枚焚きつけに使い、薪を二本いれる。ぐんぐん火力が上がって薪に火がしっかり移ったところで、アルミホイルを放り込んだ。
弱火でゆっくり火を通していると、クリスが家から出てきた。
「二人で何をしているのだ?」
「タマネギ焼いてる」
「なぬ、あの悪魔の実か」
それを聞いて平太が思い浮かべるのは某少年漫画であった。
タマネギを食べても、まさかゴム体質になったり、バラバラになったりはしない。
クリスと平太が火を見ている間、莞爾は溝切機のメンテナンスに戻った。
メンテナンスとはいっても大したことはしていない。
きれいに洗ったあとで外装を外し、泥や汚れがあったら取り去り、必要なところには油を差す程度だ。けれども、たったそれだけでも機械の寿命は延びる。
元が中古品なので古いこともあって、莞爾も余計に大事に扱っている。
トラクターや田植え機に比べれば大した金額ではないが、それにしたって使い捨てにできる金額でもない。
「そろそろいいんじゃねえか?」
メンテナンスも終わり、十五分ほどしたところで莞爾はアルミホイルを取り出した。
「これ大丈夫? なんか煙出てるけど……」
「まあ、開けてみるまでのお楽しみってやつだな」
莞爾が軍手をつけてアルミホイルを剥ぐ。
すると中のタマネギは真っ黒焦げだった。
「ほあらっ! だから言ったじゃん!」
「そういうならもっと早く取っておいてくれたらよかっただろ」
やんややんやと騒いでいる中で、クリスは冷静に真っ黒になったタマネギの皮を突っついた。
「むっ、中は大丈夫そうだぞ?」
「え、マジで?」
莞爾と平太はようやく我に返って真っ黒になったタマネギに向き直る。
炭化しているのは外皮だけで、中はじっくり火が通っているようだった。
「こうして剥いてみると、案外良い感じだな」
「結構美味しそうだよね」
「ふむ。塩が欲しいな」
クリスは急いで塩を取ってきて振りかける。
湯気の立つタマネギに塩を振っただけなのに、これはこれでよだれが出てきそうな見栄えだ。
適当な調理法だが、粗野ゆえに味があるというものだ。
「そんじゃ、まあ――」
三者三様に手に取って、口に放り込む。
噛んだ途端に、中の熱が口いっぱいに広がって悶絶する三人であった。
しかし、はふはふと口から湯気を逃がしながら、噛む回数が増えるにつれて、三人の顔には驚きと喜びがにじみ出る。
「――美味い!」
平太が思わず叫んだ。莞爾もクリスもしきりに頷いた。
ほんのりと利いた塩にも負けないほどの甘みは、優しいタマネギの甘さだが、それでいて強烈なパンチがある。実に「野菜を食べている」という印象が強い。
タマネギ特有の辛みは加熱していることもあって感じられないが、それでも普通のタマネギよりも匂いに嫌なところがない。
シンプルゆえに、そのシンプルな味の中に映る強烈な甘みが口の中いっぱいに広がる。
「社長! これ作ろうぜ! これなら絶対に売れるって!」
平太は興奮した様子で訴える。
「オレも昔タマネギ嫌いだったけどさ、これ食ったら絶対好きになるって!」
ひょっとすると、ひょっとするかもしれない。
その確信は莞爾にもあった。
問題は、このタマネギがクリスの魔法によってできあがったものであるということだ。
カルソッツを栽培するために作ったセット球も、莞爾が個人的に作ったものではあったが、そのときにはこんな味はしていなかった。
むしろ別に特徴のない味だったのだ。
それがここまで変わってしまったということは、確実にクリスの魔法との関連性があると見て間違いないはずだ。
もしかすると、魔法の力で遺伝子レベルの特殊変異でもあったのだろうか。
そう考えるのが妥当だが、ひとつ気がかりなことはあった。
「売れるなら作ってもいいけど、これめっちゃ肥料食うんだよ。倍は食うぞ」
肥料は野菜にとって必要不可欠だ。
有機農業であれば化成肥料こそ使わないが、基本的に土に栄養を与えて植物の成長を促進するという考え方は慣行農業と何も変わらない。
そもそも栄養がない土壌では植物は育たないのだから、どのような栽培方法であれ、基本的に肥料(化成肥料か堆肥であるかはさておき)を与えるということはごく普通のやり方だ。
有機農業が慣行農業と決定的に違うのは、肥料を与えるタイミングや代替手段に費やす手間だろう。
「ざっくりだけど、これ売るなら、相場よりずっと高くなるぞ。下手したら倍ぐらいになる」
それは肥料の経費だけではなく、このセット球を作るために投じた手間暇も込みの値段である。
「いいじゃん! これなら社長の言ってたあれ! えっと……ほらっ、あれだ!」
「いや、わかんねえよ」
呆れ顔で返す莞爾だったが、平太の言わんとするところを察して言う。
「ブランド化のことか?」
「そうそう! それだよ! これをうちの会社の目玉にすんだよ! できるって!」
莞爾は答えなかったが、しばらく考え込んでクリスの方を向いた。
クリスは残っていたタマネギを口に放り込んで笑顔で口を動かしていた。
つい笑みが漏れる。
「ははっ、もう考えるのめんどくせえや。今度八尾さんのところにでも持って行くか!」
中々どうして、魔法は役に立たない無用の長物というわけでもなさそうだ。




