閑話 天才魔導師の秘密
大変お待たせしております。
久しぶりに異世界でのお話です。
「生来の短気ゆえ、待つのは性に合わぬ」
ええい、とバルトロメウスは気勢をため息で押し流す。
苛立ちが募るのは愛しい妹の無事を案じるがためだ。
「そうは申されましても……これでもボクは他のことそっちのけでやっているんですよ」
「わかっている。わかっているが……」
実験の第一段階は成功裏を収め、かくして第二段階へと進んでしばらく経った。
だが、一向に芳しい成果は上げられないでいる。
エウリーデ王国でも王国史上もっとも優秀な魔導師と称されるルイーゼをもってして、消息を絶ったクリスティーナ・ブリュンヒルデ・フォン・メルヴィスの行方を捜し出すのは困難を極めた。
まず第一段階では、クリスの魔力波形を特定することだったが、血縁者の魔力波形から予想される魔力波形を推定することに成功した。
実際に活用するためには血縁者がどこにいるのかを厳密に把握した上で調査対象から除外せねばならないが、それでも魔力波形をもとにクリスに一番近しい存在が検出されるはずだ。
そうして、今は第二段階。
推定される魔力波形が検知されれば、その方向ないし場所を特定する。この技術自体はすでにルイーゼが確立しており、さらに進んで転移魔法とその技術を結び併用するところまで来ていた。
つまりは特定の人物のもとへ術者を送還するか、あるいはその逆をやってのけようというわけだ。
「何度も説明しましたが、これは未だかつて誰も成功したことがないのですよ。というか、ですね。これは成功してしまったらいくらでも要人の暗殺なんてできてしまいますからね。ボクもきちんと国王陛下に許可をもらってますし、かなり慎重な研究をしているんです。実際にこの研究に関与できているのはボクとバルトロメウス様、それからあと数名の身元がはっきりした助手だけです」
そんな限られた人材と状況の中で、バルトロメウスの急ぎたい気持ちは重々承知しているが、これ以上の進捗を急ぐことは土台無理というわけだ。
王都の王立魔法研究所の一角にて研究は行われているが、国王からの命令で厳重に警備がなされており、ここから資料を持ち出すことはまずできっこない。窓すらなく、外部との連絡を取ることはできない。そういった魔法がないわけではないのだが、それに関しても妨害するための魔法が常時展開されているという念の入りようだ。
「だから、これは禁術なんですよ。確かに便利ですけどね。便利だからこそ、そう易々と市井に流れては困るんです」
「それはもう聞き飽きた」
バルトロメウスはむすっとした顔で項垂れる。
ルイーゼの言いたいことはわかる。
自分は戦うことだけが取り柄の愚か者だが、かといって世の道理がわからぬほどではない――とはいえ、彼の不安は増すばかりだ。
「それに……クリス本人をこちらに召還することは不可能ですよ」
今までの説明で薄々わかってはいたことだが、改めて言われると意気消沈するというものだ。
「クリスを召還するには、莫大な魔力が必要です。理論的にできないことはないですが、計算上は平均的な魔導師の魔力が一万人分ほどあればできますね」
現実的ではない。エウリーデ王国の魔導師でさえ千人ほどだ。
おまけに魔力は定量測定ができるものではなく、便宜上概念として量的に捉えているが、実際には計算通りいかないはずだ。
「魔力波形の研究はかれこれ百年以上続けられてましたからね。魔力波が超長距離まで伝播することはよく知られています。ですが、距離を測ることは無理なんですよ。本人の魔力波の大きさにも拠りますし、天候や土地の影響を受けやすいですからね」
結果として、クリスの大まかな位置さえ把握できれば、あとは迎えにいく人間を彼女の近くに送り込む、という方法が一番無難だった。
クリスをイメージして転移魔法が使えないか、というバルトロメウスの意見もあったが、ルイーゼはそれを否定する。転移魔法の術式は一時的に対象を空間移動させるものであり、特定人物を座標として捉えるには必要な術式が大きく異なり、さらに言えば座標となる人物の情報が精細に必要なのだという。
おまけにその開発を始めたら最低でも数年はかかる、と言われたら諦めるしかない。
つまりは、クリスの大まかな位置を把握し、近辺に転移したのちに魔力波をもとに捜索する、という手法が一番現実的であり、それ以外の方法は確実性があろうとも現実的に無理だった。
「一応試作品はできましたけど、バルトロメウス様も先週の実験を見られていたからおわかりでしょう?」
現段階の試作魔導具では、非常に強い魔力波形しか検知できない。
実験ではルイーゼの魔力波形をサンプルに使ったが、彼女が意図的に魔力の流出量を変えることでわかったのだ。
今は意識的に漏れた魔力にしか反応しないのだ。
「詰まるところ、クリスが意図的に魔法を使わなければ反応しない、ということなのだろう?」
「それもありますし、いくら超長距離まで伝播するとはいっても、状況によっては減衰するのですよ」
要するに、今のままでは難しい。わかっていたことだが、それが机上の空論からはっきりと現実になっただけのことだった。
「まあ、検知さえできれば、距離の概算はなんとかなりますよ。同じ魔導具を作って二カ所から方向を検知できれば、あとは対象までの距離が角度と二点間の距離とで計算できますし」
ただし、現状の予算ではそんな余裕もない。これでもかなりの予算を割いてもらっているのだ。これ以上は中身が禁術を対象としているだけあって、あまり期待はできなかった。
「現状では予算を上げてくれだなんて言えませんしね」
「世知辛いものだな……」
敵を倒せばいいだけの自分とは住む世界が違うのだ、とバルトロメウスは嘆息した。
説明するルイーゼも渋い顔だった。
「ボクも今は我慢するときだと思ってるんです。けど、本当にこのままの理屈で進めてもいいものかどうか悩んでいるんですよ」
そもそもクリスがどうしてあの戦場から忽然と姿を消せるのかがわからないのだ。
転移魔法を使ったということであれば、スクロールは巨大な魔力反応によって消失しているはずだ。
だからこそ、彼女の痕跡がない――転移魔法を使ったはずだ、という構図が成り立った。
しかし、だ。
一般論として、ゴブリンやオークに襲われたという可能性は否定できない。
実際に、騎士団も動いて、モザンゲート砦周辺の魔物は掃討したが、それらしい痕跡は見つかっていない。
せいぜい、クリスの乗っていた軍馬や盾が見つかった程度だ。その軍馬が食われていたことからも、魔物に追われていたことがわかる。おそらくは傷ついた軍馬を囮にして自らの足で逃げたのだろう。
となれば、重たい盾を手放したのも納得ができる。
「やはり、ボクも現地に行く必要がありそうですね」
「どこにだ?」
「決まっているじゃないですか。モザンゲート砦ですよ」
バルトロメウスは目を見開いて驚いた。
ルイーゼは所謂箱入り娘で、外に出ない代わりに部屋で魔法の研究ばかりしていたのだ。おかげで一風変わった人間になってしまった、と彼女を語る際には必ず言われる噂であった。
宮廷魔導師になってからは比較的出歩くことが多くなったが、それでも立場もあって基本的には護衛がいる。
そんな彼女が辺境のモザンゲート砦まで行く、と言い出したのだ。
バルトロメウスが驚かないわけもない。
「ボクの顔になにか付いてますか?」
あまり凝視したせいか、ルイーゼは怪訝な顔で彼を見返した。
そうしてふっと笑って言った。
「なあに、ちょっと早めの新婚旅行ですよ!」
「聞いたことがないぞ……」
「知らないんですか? 去年ご成婚されたリョルマン・サッキャーモット伯爵がされたんですよ。新婚夫婦の二人だけで旅行に行くんです!」
「貴族の夫婦が二人でとは、危険であろうに」
「サッキャーモット伯爵だから大丈夫だったのでは?」
バルトロメウスは件の人物を思い出して、確かにと頷いた。
かの御仁は王国でも剣の達人として有名だった。
癖の強い人物で、いつも寝癖頭で飄々としており、かと思えば死の商人と呼ばれるほど武器の商売を領内で推奨している人物だった。
「だが、お主が行くとなれば、護衛のものが足りぬであろう」
「何を仰っているのですか? 新婚旅行だと言ったじゃないですか!」
ルイーゼは頬を膨らませて憤る。その様子があまりにも子どもじみていて、バルトロメウスは少し笑いそうになった。
「つまり、己にも付いてこい、と?」
「違いますよ! ボクとバルトロメウス様の二人で行くんですよ!」
「それは……」
なんというか、大胆だ。
「嫁入り前であろうに」
「問題ありませんよ。両親はバルトロメウス様との婚約を喜んでくれていますし、メルヴィス卿も早く孫の顔が見たいと仰っていたではありませんか!」
頭が痛いバルトロメウスである。
父親が自分の婚約を機に、少し明るさを取り戻したのは嬉しい事実だが、さりとてクリスが戻ってきたわけでもなく、父親もまたクリスが行方知れずになったことを気に病んでいるのだ。
娘を思う気持ちと、貴族としての立ち振る舞いとの間で葛藤がないわけではないだろう。何よりもバルトロメウス自身がそれは実感しているところでもある。
「ルイーゼ。お主の両親には感謝している。クリスが見つかるまでは待ってくれ、という己のわがままを聞き入れてくれた」
「そんなの当然じゃないですか。ボクだって親友がどこにいったかもわからないのに自分だけ幸せになるだなんてできませんよ」
「ははっ……お主は妹を慕ってくれているのだな」
バルトロメウスはルイーゼの頭を撫でた。さらさらとした髪の手触りが心地よい。
少しだけ頬を赤くしたルイーゼが、どことなくかわいらしく感じられるのは、子どもっぽいあどけなさか、それとも絆されてしまったからなのか。
そればかりは恋を知らぬバルトロメウスにはわからないことだった。
「しかし、どうしてまた。新婚旅行とやらは抜きにしても、なぜわざわざ?」
「いけば何かわかると思いませんか?」
「己ではなく、ルイーゼならば見つけられるとでも?」
「違いますよ! バルトロメウス様とボクだから、何かがわかるかもしれないと言ってるんですよ!」
首を傾げるバルトロメウスだったが、ルイーゼはため息をついて説明した。
「バルトロメウス様。ご自身の魔力についてお忘れではありませんか?」
「自ら魔力を生み出せぬ欠陥品、とよく言われたものだが」
「そうではなく、実際は違うでしょう」
うむ、とバルトロメウスは頷いた。
ずっと若い頃はよく馬鹿にされたものだった。
魔力を生み出せぬ半端ものだと。
王国騎士であれば、少なくとも一つぐらいは魔法を使える程度の魔力があって然るべきだ。しかしながら、バルトロメウスは魔法を使うどころか、魔力がなかったのだ。
にもかかわらず、今では王国の英雄と称えられるほどの騎士となった。
馬鹿にしていたものたちに仕返しをしようとは思わない。なぜなら、彼らに馬鹿にされたからこそ、力に頼らない剣の技量を磨くことができたのだから。
「バルトロメウス様。あなたほど精霊に愛されたものはおりませんよ。精霊たちの莫大な魔力をその身に宿すことができるのは、あなただけではありませんか」
バルトロメウスは魔力がない。だが、精霊から愛された男だ。
いかような精霊でさえも、バルトロメウスを前にして隷属されないものはいない。
「悲しい力ぞ」
自分が精霊に愛されている、と思ったことはない。
何より、精霊たちは自分が倒す敵の命を啜る。餌を求めて群がってくるだけなのだ。
「そんなことはありませんよ。敵を倒し、後ろにある王国を守る騎士にとってうってつけの力ではありませんか」
「そう言われたのは初めてだな」
バルトロメウスは苦笑する。
そんな風に言われたのは本当に初めてだった。
「バルトロメウス様とボクなら、きっとクリスの手がかりを見つけられると思うのですよ」
「精霊を頼って、ということか」
話の繋がりがようやくわかった。だが、それは少々難しいことにも思える。
「しかし、精霊は漠然とした気分しか伝えてこぬであろう?」
「ふふふーん、それは勘違いというものですとも」
ルイーゼはぴょこんと椅子から飛び降りて、仁王立ちする。
「ボクが幼いころにどうして外に出なかったか、ご存知ないでしょう?」
「シュトラウス卿の愛娘だから、ではないのか?」
「違いますよ! ボクの両親はとっても優しいんですよ! そんな理由で箱入り娘になんかしませんからね! まったくもう!」
なるほど。噂はあくまで噂であったらしい。
「とにかく、行けばわかりますよ! もう婚約もしたんですから、ボクの秘密だって打ち明けないと不公平じゃないですか」
「ふむ……だがまあ、別に秘密は秘密のままでもよいと思うのだが」
ええっ! とルイーゼが仰け反った。
「ボクのこと知りたいと思わないんですか!? 夫なのに? 主人ですよ!?」
「夫だからこそ、あまり妻の秘密には触れない方がよかろうと思ったのだが」
「浮気しちゃいますよ!?」
「……お主が、か?」
怪訝な様子で見つめられると、ルイーゼは顔を真っ赤にした。
「いえ、その……ボクはバルトロメウス様にぞっこんですよ?」
「ならば、そのような心配は不要ではないか」
一人だけ澄ました顔をしているのがなんだか憎い。
「もうっ! バルトロメウス様! もうもうっ!」
「なんなのだ、いきなり……」
ぽてぽて、と胸を両手で叩かれて、バルトロメウスは苦笑した。