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ピーマンの肉詰め 〜柚子こしょう風味〜

 穂奈美が帰る直前、一通りクリスのことについて説明があった。


「このまま莞爾くんが(かくま)うってわけにもいかないし、二、三日あとに彼女を引き取りに来るわ。どのみち色々と検査をしないとダメだしね。もちろん、莞爾くんも疫病検査だから」

「あー、なるほど」


 聞こえは悪いが、穂奈美も行政側の人間だ。そのあたりは友人だとしてもきちんと対応するつもりなのだろう。


「いい? もし体の調子がおかしいと思ったらすぐに病院で検査を受けること。それからしばらくは自分の行動をしっかり把握しておいてね。行った場所とか会った人とか、全部メモしておいて。もしものことがあったら、それだけでも後々楽になるから」

「わかったよ。気をつける。つっても、ほとんど畑にいるけどな」


 莞爾は家庭菜園から収穫した野菜を袋に詰めていたが、穂奈美に渡すこともできなくなった。

 病原体がいた場合、感染範囲を広げることになりかねなかった。


「あと、クリスちゃんのことだけど、できるだけこの村から出さないでね」

「わかった。畑についてくるぐらいなら問題ないか?」

「村の中ならそこまで問題はないでしょ。もし何か起きても処理が楽だし」


 処理、ときいて嫌な気分になった。

 記憶に新しいのは宮崎県での口蹄(こうてい)疫だ。

 第一次産業に従事する者として、国の対応がもっと早ければ、と落胆したし、周りの農家や酪農家も似たような思いだった。とはいえ、失敗例があるということは未来に期待できるということでもあった。


 莞爾も元々は会社勤めのサラリーマンなのでそれなりに政治経済は理解できるし、大学時代からそういう勉強をしてきた。今でこそ畑違いの農家などをしているが、存外畑の方が性に合っているようだ。


「てっきり穂奈美は浮かれるだろうと思っていたけど、案外冷静なんだな」


 莞爾が意外そうに言うと、穂奈美は「当然でしょ」とため息を漏らした。


「わたしだってオタクなのは自覚してるわ。でも、それとこれとは別。自分の趣味のために国民に犠牲が及ぶなんて公務員以前に人として最悪よ。まあ、心配し過ぎだとも思うけど、用心しておくに越したことはないわ」

「石橋は叩き割れってか」

「違うわよ、まったく」


 穂奈美は苦い顔をした。


「ところで、クリスさんは?」

「部屋でいじけてる。っていうか、どうして昔の話なんかしたんだよ」


 別に言っても言わなくても変わらないことではあった。けれども、クリスの反応を見るに、彼女にとってはあまりよくないことだったのだろう。


 穂奈美はあからさまなため息をついて苦笑した。


「そういうところ、本当に変わってないわよね。莞爾くんもたまには石橋を叩き割るくらいの行動力があればねえ」

「はあ?」

「莞爾くんは察しが悪いってことよ。クリスちゃんからメルヴィス家の家訓でも聞いてみれば?」


 意地悪く手を振って車に乗り込む。

 国産の高級セダンだ。ど田舎ではまず見かけない。


「明日また連絡するわ」

「……おう。わざわざ悪かったな。こんな遠いところまで」

「別にいいわよ。わたしと莞爾くんの“仲”じゃない」

「ひっかかる言い方はやめてくれよ」

「ふふっ、冗談よ。冗談。今更莞爾くんとよりを戻そうなんて、これっぽっちも考えてないわ。ミジンコどころか一ミクロンも考えてないから」


 今日は女性から嫌味を言われる日なのだろうかと莞爾はため息を隠さなかった。一方の穂奈美はと言えば、まさか今まで未婚で過ごすなどと考えていなかったと(おぼろ)げに考えていた。

 結局、「またね」と短い言葉を投げ捨ててアクセルを踏み込んだ。


 走り去るセダンを見送って、振り返るとクリスが立っていた。


「おおっ!? い、いたのか……」

「むぅ……いたらダメなのか」

「いや、そんなことはないんだが」


 日が沈むのも秋口に入ってとんと早くなった。(あかね)色の西日が彼女の白い肌を照らしている。


「まだ何か怒ってるのか?」

「怒っているというわけではないが……」

「じゃあ、何だ?」

「その……カンジ殿は今は恋人はいるのだろうか」

「はあ?」


 急にモジモジし始めたクリスを見て、どうしたものかと莞爾は首を傾げた。


「いや、その、ほら。あれだ。もし恋人がいるのならば、私のようなものがお世話になっていては迷惑だと思ったのだ」


 モジモジしているかと思えば急に早口で誤魔化すような口調だった。では「迷惑だから出て行け」と言われてどこか行く宛があるのか、などと意地悪なことは聞かないし、聞くつもりもない。


「恋人って、俺にできると思うか?」

「なぜだ。カンジ殿はそもそもいくつなのだ」

「そういえば、言ってなかったか?」

「聞いていないぞ!」

「三十二だ」

「さっ……う、嘘だっ!」


 クリスはどうやら莞爾を二十代後半だと思っていたらしい。言われてみればクリスは少し大人びて見える。きっと日本人は若く見られるとかそういう理屈が働いているのだ。


「そう言われてもなあ。三十二歳ってのは本当だぞ。そもそも俺は農家やってんだ。今時ど田舎の農家に嫁いでくれる女なんてそうそういないって」

「むぅ……この国の女性は色々とおかしいぞ。農民とはいえこれだけの屋敷に住み、魔導バーナーもあれば風呂まである。これほど裕福な農民などエウリーデ王国にはいなかったぞ。衣食住揃っていればそれだけで十分ではないか」

「いや、それはクリスさんのお国柄だろ。あと魔導バーナーじゃなくてガスコンロな」


 とはいえ、彼女の言い分がわからないでもなかった。

 とかく便利な世の中になってしまったし、一部ではスローライフなんて言葉が流行っているが、それでも田舎に嫁ごうと考える女性はとても少ない。


 田舎は交通の便が悪いことや虫が多いことなど、限られたデメリットを除けば都会の生活とほとんど変わらない。それだけ時代は進んでいるのだ。


 上手くやれば都会で会社勤めをするよりも儲けることだってできる。それでも天候任せでギャンブルな要素があることは否めない。


「まあ、なあ。気持ちはわからないでもないんだよ。農家っていえば家族総出で土弄りしてるようなイメージってあるからなあ。でも、こんなど田舎だってコンバインとかトラクタとか入れてるんだぜ? もちろんレンタルだけど」

「コンバイン? トラクタ?」

「そういう機械だよ。軽トラよりもでかいのだってあるぞ。まあ、この辺りじゃ同じぐらいのサイズだけど」


 零細農家には農業用機械は厳しいお値段だ。その分小型機種なども多彩ではあるが、使用頻度を考えると買うよりも都度レンタルした方がいいという結論になってしまう。高級外車が安く見えてくるのだから、不思議なものだ。


 莞爾のような零細農家はとくに手を出せない。


「なんだかんだ言って農家に嫁ぐような殊勝(しゅしょう)な女性は中々いないってことだな。昔、フィリピン人女性を集落の独身農家がこぞって嫁にもらうってこともあったからな。今だって女に(うと)い独身農家がフィリピンパブで引っかかった挙句に遺産相続で揉めるって話があるし」


 実際、本気で農業は人材不足である。

 海外から安く輸入すれば事足りるという意見もあるが、もし海外から輸入できなくなった場合は日本の食料自給率からしてやっていけない。


 しかし、安易に農家を保護して数を増やそうと補助金をばら撒くのも一つの手だが、そんな政策は昨今批判の的だ。しかし、今の状況では国内の消費量を安価に(まかな)うことなどできるわけがない。中々に難しい問題である。


「その、フィリピンパブというのはわからないが、ニホンの農民は大変なのだな。エウリーデ王国では基本的に親が子供の結婚を決めるのだ。親がいなければ後見人が決める。これは絶対だ。本人の意志を尊重するかどうかは家庭によって様々だが……まあ、私もいずれは見も知らぬ殿方と結婚していたのかもしれぬ」


 クリスはそれでも不満はないらしい。くすりと笑って当然のように言った。


「家と家の新しい繋がりが結婚だ。夫婦の間で言えば、日々を無事に過ごせて食事に事欠かないのであれば、そこで子を育て営むのは別に不幸ではあるまいよ。王国のおとぎ話にも面白い話がある」


 クリスが語ったのは駆け落ちした夫婦の物語だった。

 どちらの両親からも大反対され、結婚を誓い合っていた二人は駆け落ちした。故郷から遠く離れた土地で食うや食わずの生活をしていたが、「愛があれば大丈夫だ」と思っていたのに、いつのまにかその日の食事のために夫婦喧嘩をするようになってしまい、挙句早々に離婚してしまう。


「日本には衣食足りて礼節を知るって言葉がある。それに親しき仲にも礼儀ありってな。まあ、未婚の俺が言うのはおかしな話だが」


 しかし、存外結婚とはそんなものである。長く続いている夫婦こそお互いの距離感をきちんと保っているものだ。好いた惚れたといっても所詮は赤の他人なのだから、長く一緒にいれば見たくない粗が見えてくる。


「なるほど。良い言葉だな。ちなみにそのおとぎ話はこう締め括られるのだ。親の言葉は子の二十年に勝る、とな。長生きしている親の方が人を見る目はあるし、相応の人生訓もあるのだから、素直に従っておいた方が損はしない、ということだ」

「まあ、あながち間違いでもないな」


 思い返してみれば、莞爾も親に反抗して失敗した経験はいくつもあった。

 今更親孝行をしたくなっても、すでに両親ともに墓の中である。


 クリスは「しかしなあ」とため息を漏らした。


「カンジ殿に恋人がいない、というのは不思議だ」

「……せっかく有耶無耶(うやむや)にできたと思ったら掘り返すのか」

「当たり前だぞ。いいか。いくら若気の至りとはいえ、結婚もしていないうちから、その、あの、肉体、かん……けい、を結ぶのはだな、とてもふしだらなことなのだぞ!」

「そんなに顔を真っ赤にして言わなくてもいいと思うぞ。今どき結婚するまで処女でしたなんて女いねえよ」


 真理である。突貫工事は他業者に前倒しされているものである。それをとやかく言うようでは男の器量を疑われても仕方ないのである。


「なっ、ななっ、しょっ、処女などと軽々しく言うでない! 全く、カンジ殿は本当にデリカシーがないのだな! 困ったものだ! そんなことだから恋人もできないのだ!」


 処女と口走っただけでここまで言われるのだから、文化の違い、いや、もはや文明の違いとは残酷なものだ。


「まあ、風呂入って晩飯食うか」

「こ、こらっ! 逃げるな!」


 食ってかかるクリスだったが、莞爾は柳に風とばかりに「はいはい」と受け流すのであった。



***



 莞爾が風呂の窯に火を入れて台所に戻ってくると、腕まくりをしたクリスが待っていた。


「カンジ殿。夕飯は何を作るのだ? 今度こそ手伝うぞ!」


 言葉だけ聞けば殊勝なことだが、どうも表情からして食事が楽しみだという印象しか受けない。現金なものである。とはいえ、クリスは「美味しい」と言ってくれるので莞爾もまんざらではなかった。


 素直になれない三十二歳、独身、農家。結婚願望は”まだ”ない。


 莞爾は穂奈美に渡すはずだった野菜の入ったビニール袋の中身を確認して頷いた。


「よし。ピーマンの肉詰めを作ろう」


 納屋にある冷凍庫から牛挽肉を、軒先から干しっ放しの玉ねぎを取って台所に戻る。台所は土間なのでいちいち靴を脱がなくて便利だ。ちなみに土間は勝手口にあたる。


「クリスさんや、玉ねぎを切ったことはあるかね?」

「おかしな口調になっているぞ?」

「気にすんな。で、どうなんだ?」


 しばらく玉ねぎを手にとって眺めていたクリスは断言した。


「ないっ!」

「清々しいな。よし、皮を剥いてみじん切りにするんだ。やり方は教える。まずは皮を剥け」

「わかったぞ! 任せておけ!」


 数分後、炊飯器のスイッチを押し、さらにピーマンの処理も終え、牛挽肉の解凍も済ませた莞爾はクリスの様子を見て愕然とした。


「か、カンジ殿……いったいどこまで皮を剥けばいいのだ?」

「ベタだなぁ……」


 しかし、玉ねぎを知らないクリスに任せた莞爾に責任がある。


 彼は自ら玉ねぎを手にとって実演した。


「いいか。玉ねぎはこうして剥くと早い」


 包丁で上下を小さく切り落とし、白い部分を残して皮を剥く。それから芯の部分を包丁の角でくり抜いた。


「こんなところだな。今日はひと玉で十分だ。まあ、機会があれば次は頼む。よし、みじん切りだ」

「よし、次こそ任せておけ! みじん切りならば問題はないぞ!」


 数分後。クリスは悶え苦しんでいた。


「目がぁ、目がああああ!」

「ベタだなぁ……」

「こ、こやつは危険だ! 私の知らない魔法を使っているぞ!」

「さすがに野菜は魔法使えないと思うぞ。常識的に考えて」


 結局、これも莞爾がかわって手早く終わらせた。


「すまない。どうやら私に玉ねぎは難易度が高かったようだ」

「いや、そんな泣きながら言われてもなあ」


 クリスは手伝うのを諦めた。


「……なあ、クリスさんや」

「なんだ?」

「暇なら風呂にでも入ってきたらどうだ? もう沸いてるだろ。窯の火は落としとくから」

「むぅ……仕方ないな」


 後ろでじっと見られていてはやりにくくて仕方ない。

 莞爾は裏手に回って窯の火を消して、また台所に戻った。


「よーし、じゃあやっていきますかねえ」


 みじん切りにした玉ねぎをお馴染みのアルミパンで炒めていく。

 それを若干放置しながら、レンジで解凍した牛挽肉に塩胡椒をして先に練り、そこに秘伝の柚子こしょうを投入する。


 知り合いの農家から貰った十年ものの柚子こしょうである。角がとれてまろやかな味わいがする。色味は()せているが、味は申し分ない。


 炒めた玉ねぎは粗熱を冷ましておき、その間にオクラのガクを剥き取り湯通しする。輪切りに細かく刻み、ボウルに入れてポン酢をさっとひと回しして鰹節を入れる。副菜はこんなものだろう。


 冷めた玉ねぎを牛挽肉に混ぜ、よく練ってから縦に半分にしたピーマンに詰める。肉の露出した部分には小麦粉をまぶしておく。


 綺麗に洗ったアルミパンに再度油を引いて熱し、肉の方から焼き目をつける。焼き目がついたら弱火にしてしばらく焼き、裏返して蓋を被せて蒸し焼きにする。


 焼き上がったものを皿に移し、その脇には水に晒した玉ねぎのサラダを盛る。


 アルミパンは洗わずにそのまま醤油と酒、砂糖少々に生姜のすりおろし少々を入れて煮立たせ、味を確認してから片栗粉でとろみをつけてソースにする。


 盛り付けたピーマンの肉詰めにかけて完成だ。


「……案外早く終わったな」


 まだ米も炊けていないし、クリスはまだ風呂に入っている。


「っと、味噌汁温めるの忘れてたわ」


 朝の余りである味噌汁を温め直し、勝手口の外でタバコをふかしてしばらく待っていると、クリスが屋内から呼んでいるのが聞こえた。


「上がったか。ちょうどよかった。少し一服してたところだ」


 台所に戻ると、濡れ髪の水気をタオルでぱたぱたと拭っているクリスがいた。相変わらず下着をつけずに浴衣を着ているのは目に毒だ。


 突起物は何かと危険なのである。とくに目に刺さると失明の危険もあるので注意が必要だ。


 いいかげん下着も買ってやらないといけないと思ったが、それにしても数日後には穂奈美が彼女を引き取りに来る。それまでは目の保養——もとい無駄な出費をする必要もないと結論づけた。なんのことはない。今回ばかりは下心の方が勝っただけの話である。


「ん? 一服? 茶でも飲んでいたのか?」

「いや、煙草だが?」

「煙草? カンジ殿はパイプを嗜むのか?」

「まあ、似たようなもんか」


 異世界にも煙草文化があるようだ。


 ちょうど炊飯器が炊き上がりを告げる。クリスは突然の通知音に驚いたようだ。


「な、何の音だ、これは!?」

「米が炊けた合図だよ」


 炊飯器を指差して言うと、クリスは感心したように炊飯器を眺めていた。


「まったく、カガクというものは凄いな」


 莞爾は苦笑しながら炊き立てのご飯をしゃもじで切るように軽く混ぜ、茶碗によそった。


「コメの炊けた匂いはいいな。鼻腔が(くすぐ)られる」

「ふむ。まんざらでもねえな」


 炊き立ての米が放つ悪魔的な匂いに屈服しないものなどいないのである。


「運ぶの手伝ってくれ」

「うむ。了解した」


 お盆にご飯と味噌汁を載せて渡すと、クリスは足元に注意しながらそれを居間に運んでいった。

 莞爾は肉詰めと副菜をお盆に載せ「これも必要かな」とナイフとフォークも一緒に持っていった。もちろん自分の箸も忘れていない。


 農家にだってナイフとフォークぐらいある。


「おお……これはまた美味しそうだな」


 食卓に並べた料理を見て、クリスは喉を鳴らした。ついでに腹の虫まで鳴った。存外クリスはよく食べる。美味しそうにもりもり食べるので莞爾は少し嬉しかったりする。


 一人のときはこんなに夕食に手間をかけないのだから、誰かと一緒に飯を食うのも悪くないと思った。


「じゃあ、いただきます」

「いただきます、だ」


 クリスはナイフとフォークを器用に操ってピーマンの肉詰めを一口大にして口に運んだ。


 そして目を見開いた。


「んーっ、ん? んんっ?」

「いや、なんで疑問形なんだよ」


 味噌汁を啜って苦笑しながら尋ねると、咀嚼(そしゃく)嚥下(えんげ)した後でクリスは言う。


「美味しい。美味しいが、なにかピリッとしたぞ。それに柑橘系の爽やかな風味もする。うむ。これは……ふふっ。間違いない」


 莞爾が昼間にそう言っていたのを思い出して真似をしてみると、なんだかしっくりきた。


 クリスは急いでもう一口食べて、美味しそうに顔を綻ばせた。一体午前中の暗い顔はどこに行ったのか見当もつかない。


 莞爾は少しばかり呆れたが、それでも彼女が元気になってくれたようで一安心だった。


「これは……どろどろしているな」

「オクラって野菜だ。美味いぞ」


 オクラは大して手間をかけなくても美味い。真理である。

 そのままグリルでも美味いし、出汁で煮ても美味い。刻んで三杯酢でも美味けりゃ、とろろみたいにご飯にかけても三杯イケる。やっぱり間違いないのである。


 そこに鰹節まで入っていれば、もはや無敵艦隊である。


「……これは味は好きだ」

「は?」

「美味しいが、慣れない」


 クリスは急に真顔になった。どうやら味は気に入ったが、オクラ特有のネバネバした食感は初めてだったらしい。仕方がない。かつて無敵艦隊と言われながらスペインもアルマダ海戦で負けたんだから、オクラがクリスに気に入られなかったとしても仕方ない。

 正直、莞爾としては「客の分際で何言ってんだ、こいつ」と思わないでもなかったが、そこは農家としてプライドがあった。


「クリスさんや。オクラは美容にもいいんだぞ」

「なにっ!? そうなのか!?」

「そうだとも」


 当てずっぽうである。けれども、野菜を食べて健康になれば美容にも通じるのであながち嘘でもないという暴論である。

 すっかり莞爾の言い分を信じたクリスは喜んでオクラを食べた。案外単純なものである。けれども味は好きなようなので、食べるのが嫌というわけではないらしい。


 かくして今日の夕食はまだ続く。


 莞爾はもりもりと食べるクリスをちらりと見て、「お袋もこんな気持ちだったのかねえ」と年甲斐もなく笑った。

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