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つかの間の静けさ

大変大変お待たせ致しました。

 ガタガタと揺れる軽トラの狭い車内で、莞爾は助手席でアシストグリップをこれでもかと力強く握りしめていた。


「おまっ、もうっ、ちょっと、道を見てっ、ハンドル、切れよっ!」


 舌を噛まないように言葉は途切れ途切れになってしまう。

 実は運転しているのは免許取り立ての平太だったりする。


「んなこと言ったって、俺ってば一昨日とったばっか――ああっ!」


 不機嫌そうなエンジン音がして、がくがくと車が揺れたかと思うと止まる。静けさが余計に気まずさを感じさせた。


「……おい。何度目だ」

「三度目だよ!」

「お前、よくそんなので免許取れたな!」

「うっせーっ! 二度あることは三度あるだろ!」

「仏の顔も三度までだ!」

「カン兄ちゃんのどこが仏だよ!」

「今まさに成仏寸前だって言ってんだよ……」


 合宿免許も考え物である。

 莞爾は小さくため息をついてシートベルトを外す。


「お前、ちょっと代われ」

「えーっ、まだ全然運転してないじゃん!」

「後ろに機材積んでるんだ。最初から運転させた俺が馬鹿だった」


 そう言われては平太も引き下がるしかない。大人しくシートベルトを外して場所を入れ替わる。

 軽トラは莞爾の運転に変わった途端、先ほどまでの揺れが嘘のように順調に林道を進んでいく。

 確かに揺れは大きいが、尻から叩き上げられるような衝撃ではなくなった。


「何が違うんだろうなあ……」

「経験だな。まあコツはある。基本は轍を辿ればいいけど、ところどころ地面が緩いところはどうしても沈んでるだろ? そういうところは避ける。すると上下の揺れは少なくて済む。まあ、お前はそれ以前に運転が荒い」

「仕方ないだろ?」

「逆だっての。免許取り立てなら普通もっと慎重だ。エンストも、ちゃんと車の構造を理解すればそう起きないはずなんだ。理解してないから乱雑な扱いになる。それから、さっき納屋から出した後も停まったままハンドル切っただろうが。あれやるとタイヤが傷むんだよ。動かしながらハンドル切れ。それか停まる前に切っとけ」


 油圧装置は偉大である。

 莞爾が所有する軽トラも十年以上前に発売されたモデルだがまだまだ現役だ。しかし、教習車しか知らない平太にとって軽トラは難しい車だった。何より取り回しが軽すぎる。


「まあ、そう落ち込むなよ。道も悪けりゃ初めての軽トラだろ? まあ、軽トラはゴーカートみたいなもんだけど……そのうち慣れる」


 実際、教習車は遊びが大きいことが多いので、初心者は教習車以外だとがっくんがっくん車を揺らすことが多い。それくらいならば一ヶ月も乗り回せばすぐに慣れる。

 問題は田舎でどれだけ練習しても、交通量の多い道路では通用しないということだ。


「だいたい道狭すぎじゃね?」

「ここは林道だから余計にな。大谷木町まで出れば広いだろ?」


 区画整理された農道は広すぎて、今度はちっとも練習にならない。


 ようやく目的地である畑にたどり着き、二人は軽トラを降りる。


「しっかし、案外作業着姿似合ってるな」

「だろ?」平太は自慢げに胸を張る。


「うん。もうちょっと肉付きよくなってくればマシだな」

「ひでえっ!」

「痩せすぎだ。もっと食え。そんなんじゃ仕事できねえぞ」

「食っても太らねえっつうの!」


 平太はそう言うが、それは今しか通用しないのである。徐々に、しかし確実に贅肉というものは本人の意思に反してこびりつくものなのだ。


「痩せてたらきついんだよ。これから暖かくなるし、夏は炎天下の中で作業することだってある。ちゃんと太れ。じゃないと死ねる」


 適度な体力維持のためには適度な体重維持である。


 莞爾は荷台からチェーンソーとその他の備品を下ろす。


「で、何すんの?」

「畑の北側の手入れが終わってないから、間伐しとかないと地滑りの元だ」

「地滑り?」


 平太は首を傾げて尋ねる。


「普通木を切ったら余計に土砂崩れとか原因になるんじゃねえの?」


 莞爾はため息をつきかけて、都会の人間の感覚は普通そのくらいかと思い直した。


「これが逆なんだよ。はげ山にするぐらい伐採するなら話は別だけど、ちゃんと木の隙間が空くように間伐しておいてやらないと一本一本が大きく育たない。小さな木が細い根を浅く張り巡らせてるだけだとかえって危ないんだ」

「表面だけか、深くまで根を伸ばすかってこと?」

「そういうこと。それに放置してると枯れ木が溜まってあんまり良くない。滅多にないけど落雷から山火事の可能性もあるし」

「ふうーん、山の手入れって結構大変なんだな」


 平太は素直に聞いて、渡された荷物を背負った。

 二人は畑の北側から林の中に入り、緩やかな斜面を登っていく。


「この辺りは比較的手入れがしやすいから、今日はもうちょっと先まで行くぞ」

「おう」


 この山には杉の木が並ぶように生えており、所々に原生林が残っているが大したことはない。昭和の初期までは木を売っていた。


 歩きながら平太が尋ねる。


「ねえねえ、これってさ、丸太一本でいくらになるわけ?」

「ざっくりだけど、太さ三十センチ、長さ十メートルで、だいたい三千円ぐらい? 俺も林業やってないからよく知らないけどさ」

「安すぎじゃね?」

「杉はそんなもんだろ。っていうか、今木材の値段って下落してるからな。檜はもうちょっと高いだろうけど、今は林業だけで食っていけねえからな」


 木材は夏期に価格が下がる傾向にあるが、補助金などの制度が変わり、今ではかなり価格が下落している。

 林業はそもそも祖父が植えた木を孫が伐採するようなスパンで行う事業なので、唐突な変化に対応できない。海外産の安い木材も今では大量に出回っているし、林業だけでは食べていけないのが実情だ。


「林業じゃ食っていけないから担い手が減って、山を手入れする人が減る。残った人も高齢化で作業ができなくて山はそのまま放置される。すると、地滑りなんかが増えたり、洪水になったりして……農業より深刻かもな」

「……カン兄ちゃんはさ、これ切って売らねえの?」

「そこまで手が回らないし、売ったところで採算が合わないからやらない。お前、仕事量が五割増しになる代わりにお小遣いが月五百円増えますって言われたらやるか?」

「やらねえ」

「それと一緒だ。一人でやるには面倒だし、人を増やすには利益が少ない。結局、今みたいに手入れだけしてるのが無難なんだよ」


 手入れだって薪を取るついでのようなものだ。一軒分の薪なので、かえって余っている。

 料理も風呂も全て薪で賄われていた時代は、常日頃から薪を集めていたし、山の中で枯れ枝を山のように拾って帰るのが普通だった。その頃は自然と山の中がすっきりしていたのだ。

 しかし、今ではガスや電気がなんでもやってしまうので薪の需要は極めて低い。


「まあホームセンターでも薪って売ってるけどな」

「売ればいいじゃん」

「あれはたぶん薪用に育てたわけじゃなくて、木材に向かない節が多い奴とかを仕方なく薪として売ってるんだと思うぜ? 建材に加工したあとの端材とか」

「二束三文的な?」

「いや、結構微妙な値段。普段使いにはできない値段だけど、たまにしか使わないなら安いかな。でもあれってちゃんと乾燥させてるかわかんねえから迂闊に使えないんだよなあ……」

「なんでさ。燃えるなら一緒じゃね?」

「煙の量が全然違うんだよ。湿気てると煙が多いし……二、三年雨ざらしにしてから乾燥させた奴は全然煙出ないからな」

「炭にした方が早いんじゃね?」

「炭作るのだって燃料いるんだぞ。蒸し焼きにして炭化させるんだが……今は炭焼き職人もそういないからな」


 山に関わる職は軒並み高齢化や縮小の一途である。

 売ってしまった方が金になるのは確かだが、莞爾としても先祖代々の土地を売り払うつもりは毛頭ない。もし売らないと生活できないとか、公共事業で手放さざるを得ないならば話は別だ。


「ここから下りていくと沢に出る。小さいけどな」

「湧き水とか?」

「まあな。量は少ないけど、水田に引くぐらいはある」

「じゃあ水道じゃなくてそこの水使ってんの?」

「いや、生活用水は全部井戸水だな。電気で引っ張り上げてる」


 いくらど田舎でも今どきポンプをギコギコ動かしてまで水を汲み上げてはいない。


「沢の辺りは谷になってて、もう少ししたらゼンマイが取れる。採れたてをアク抜きして食うのもまあまあ食える。乾燥させたやつの方が俺は好きだけど」

「山菜かあ。ゼンマイって高く売れるんだろ?」

「天日干しにするんだが、だいたいキロ一万円は下らないな」


 平太は驚いて尋ねる。


「キロ一万ってすげえじゃん!」

「乾燥させた後の重さだからな。乾燥前と比べたら二割弱の重さになる」


 百キロ採取しても二十キロほど。単価は確かに高いが、手間がかかるのだ。


「でも一日で十キロ集めても二万円ぐらいにはなるってことだろ?」

「そうは言うけどな、山の中歩き回って十キロ集めようって結構な重労働だぞ。場所も狭いから一週間もしたら採り終わるしな。全部集めても二十キロあるかないか、だな」

「全然稼げないじゃん」

「だからゼンマイは売り物にしてねえよ。あっちの方でワラビだな」


 莞爾は南側を指さして言う。

 ずいぶん斜面を登ってきたおかげで、木々の隙間から三山村の集落が見え隠れしていた。


「ゼンマイはジメジメしたところで、ワラビは日当たりがいいところで採れる。覚えとけ」



 そうしてようやく目的地にたどり着く。

 莞爾はチェーンソーを転がらないように下ろし、平太にヘルメットと鉈を渡して指示を出す。

 平太は大人しくヘルメットを被った。


「そこらへんに細い木が生えてるだろ。あと密集してる藪も。全部切ってすかすかにしとけ」

「いいの?」

「むしろ鉈の使い方わかってるか? 振り下ろして自分の脚に切りつけるなよ」

「そんなバカなことするわけねえだろ」

「手鋸もあるからな、鉈で無理ならそっち使えよ」

「わかってるって!」


 半ば憤慨した様子で斜面を進む平太を、莞爾はやれやれと見送った。

 自分もヘルメットを被り、チェーンソーのリコイルスターターを引こうとすると、平太が「うおっ、危ねっ!」という叫び声が聞こえてきてため息を吐いた。


 莞爾は遠くから平太の様子を窺うが、今度は慎重にやっているみたいだ。

 いよいよ自分の仕事に取りかかる。


 杉の木はいくつも高く成長しているが、枝打ちをしていたわけではないので空を枝葉が覆い尽くしている。


 間伐にはいくつかの方法があり、陽光を多く浴びる高い樹木を優勢、陽光量が少なくて低い樹木を劣勢とし、上層と下層に分けている。

 莞爾の場合、下層に分類される低い木を伐採するが、この下層間伐では間伐の本来期待する(木々の成長を促す)効果は低い。しかしながら、莞爾は林業で生計を立てているわけではないので隙間を空けようというぐらいの感覚なわけだ。


 釜の薪に使うだけであり、建材用に育てているわけではないので、莞爾もかなり適当だ。


 チェーンソーのけたたましい音を鳴らし、莞爾は斜面の角度と木を倒す方向を見定める。平太が十分離れていることを確認し、反対側の斜め下方向に受け口となる斜めの切れ込みを入れる。そうして今度は反対側に追い口となる切れ込みを入れる。受け口は幹のだいたい三分の一程度で、追い口は受け口の高さの三分の二ほどの位置で、間に十分の一ほどの〝つる〟を残して入れる。

 こうすることで木は追い口を広げて受け口を潰しながら決まった方向に倒れる。


 場合によっては楔を埋め込んで伐採することもあるが、まだ若く細い木なのでそこまでは必要じゃなかったようだ。


 大きな音を立てて狙った方向に倒れていく。ちょうどこのとき、残しておいた〝つる〟が蝶番の役割を果たしてくれる。

 斜面の真下に倒すと勢い余って木が跳ねたり、そのまま滑り落ちていったりするが、斜め下に無難に倒せばそのようなことはない。しかし、伐採は非常に危険なので、莞爾も大きな木や形の歪な木などは自分で伐採しないようにしている。風が強い日なども行わない。


 素人判断でやって事故になっては本末転倒だ。特に枝を残したままであれば周りの木と絡み合って予期せぬ方向に倒れることもあるから注意が必要だった。


 莞爾も本職ではないので難しいことはしないし、領分を超えるようなことは絶対にしない。おかげで残された木はどれもそれなりの大きさだ。


 ちなみに、樹木は外側に向かって年輪を刻むので、大木ともなればより古い内側から朽ちていく。屋久杉などが空洞になって枯れるのもこれが原因だ。


「おー、チェーンソーってすげえな」


 チェーンソーでうるさくて聞こえなかったが、莞爾は平太が視界に入って大声で怒鳴る。


「そっちにいるな! 上に来い、上に!」


 莞爾は先に言っておくべきだったと後悔しつつ、寄ってきた平太に注意点をいくつも伝える。


「狙い通りに倒れるとは限らないから、離れているか、斜面の上にいろ」


 平太は真面目な顔で言う莞爾にこくこくと何度も頷いて、二本目の木が倒れる様子を眺めていた。



 ***



 持ち運びできるように、ぶつ切りに切り分けた木片を軽トラに積み込む。

 建材に使うわけではないので、かなり乱暴に扱っている。具体的に言えば、斜面を転がして畑の近くまで持っていき、あとは担いで荷台にごろごろと載せるだけだ。


 今日は五本ほど間伐し、藪になっていた低木をいくつか伐採した。


 平太は早くも息を荒くしているが、以前のように疲れてはいない。まだまだ体力の配分に慣れていないだけのようだ。


「ふうっ、これで最後っと!」


 ごとんっと音を立てて平太が最後の木片を荷台に積み込んだところで、莞爾は走行中に荷が崩れないようにロープを張る。全部は載せきることができなかったので半分ほど畑の隅に放置することになった。


「これ全部燃やすってことだよな?」

「そうだな。あんまり杉は薪には向いてないんだけど、まあ仕方がない」


 杉は広葉樹に比べて比重が低く、火持ちが悪い上に脂が多い。しかし、燃えやすく灰の量も少ない上に何より安価だ。きちんと乾燥させてしまえば煙の量もそこまで気にならない。


「さっきも聞いたけど炭にはしねえの?」

「炭ぐらいに長持ちさせる理由もないんだよ。せいぜい風呂釜沸かすぐらいだし」

「途中にあった竹は?」


 平太は林道沿いにある竹林のことを思い出して言う。

 しかし、莞爾は首を横に振った。


「竹もすぐ燃えるけど、節を割ってからじゃないと破裂して危ないぞ」

「なるほど。膨張してどかーんだ」


 竹も今は竹細工などの加工品の需要が薄く、竹林の管理は難しい状況だ。


 二人は軽トラに乗り込んで林道を下っていく。すぐに莞爾の家にたどり着いて、今度は荷台の上から荷物を下ろしていく。

 納屋の隣にはトタン板を張っただけの屋根があり、莞爾と平太はそこに薪を積む。

 ざっと終わったところで莞爾は言った。


「お疲れさん。っていうか、これは別に会社の仕事じゃないんだけど」

「まあ暇だったし、慣れてないからさ」


 平太は暇を見つけては色々と出歩いたり、莞爾について回ったりして仕事を覚えようとしている。今回も仕事ではなかったが、彼なりに得るところはあったようだ。


 時刻はちょうど十六時を過ぎた辺りだった。


「田舎だと遊ぶ場所もねえだろ?」

「まあね。でも案外楽しいよ。少なくとも今は」


 そんな言葉を交わしながら莞爾は平太を縁側に連れて行く。


「おーい、クリス」


 開け放した縁側から声をかけると、しばらくして障子が開いてクリスが顔を出した。


「ああ、おかえりカンジ殿。それにヘイタも。お疲れ様」


 むふふと笑うクリスに平太は頭をかいて照れていた。


 すぐにクリスは隠れてしまったが、今度は麦茶をもって戻ってきた。一仕事終えたあとに飲む冷たい麦茶は格別だった。


「あー、生き返るー」


 平太はグラスを首筋に当ててその冷たさに喜んでいた。


「慣れぬと疲れるであろう?」


 クリスが尋ねると、平太は胸を叩いて強がった。


「これぐらい平気っすよ!」

「明日絶対筋肉痛だろ」

「うぐっ……ちょっとずつ慣れるってば」


 莞爾の言葉に平太は取り繕うように笑った。


「嗣郎さんにしごかれてるんだろ?」


 莞爾が尋ねると、平太は肩を竦めて言う。


「別に、しごかれてるって感じじゃないよ。じいちゃんは結構丁寧に教えてくれるし、なんていうか教えるの上手いんだよね」


 嗣郎の隠れた才能だった。というか、若手農家に指導をする機会もあったのでそれのせいだろう。

 莞爾はうんうんと何度か頷いて言った。


「今月はまだ準備段階だけど、来月頭からはちょっと忙しくなるからな」

「おっけー」


 平太は軽い調子で頷く。莞爾も莞爾でその忙しさが実際にどうなるかは未知数だ。

 現状では専ら孝一任せになっており、概ねの事業計画についてはゴーサインを出している立場ではあるのだが、それでいいものかどうか彼自身少し悩ましい。

 とはいえ、餅は餅屋という。

 金勘定で孝一に敵うわけもないし、莞爾自身は畑で作業をしている方が気楽だった。嗣郎と孝介のバックアップもあって起業から初出荷までの道程はかなり細部を詰めている。


 農業であるがゆえに、経理上の面倒は一般商業に比べてそこまで複雑ではないものの、農業独自の面倒くささがあるのもまた事実だ。

 その辺りについてまでは孝一も手が回らない現状だが、孝一の妻である智恵が事務仕事を請け負ってくれたし、簿記に精通していたのは幸いだ。

 農業簿記は普通の簿記とまた違うが、今は会計ソフトも農業簿記用のものがあるので、智恵は生来の勤勉さで学んでいる真っ最中だ。


 例えば工場を建てるとすれば、その建築費用や設備導入費は減価償却されて、耐用年数の稼働期間を参考にして経費に計上される。

 農業ではこの工場が農地に相当し、ビニールハウスや耕耘機などが減価償却の対象となる。しかしながら、農地はあくまでも土地であり、これを所有することはつまり固定資産税の増加となるため、法人としては借用した方が都合がよい。


 莞爾たちの場合は、農地はあくまでも個人資産であり、会社はその土地を個人から借用することになる。


「来週には特注の梱包材が届くから、とりあえず出荷予定の分はまとめて会社名義にする。まあお前がするのはだいたい単純作業だな。本当は資金繰り考えてもうちょっと早い時期から起業しておくべきだったけど……まあ仕方がないし」


 現在の作付状況に鑑みると、安堵していられる状況ではない。

 毎月とまでは言えないが、せめて季節ごとにまとまった収入を得たいところだ。規模の小さな農地が点在しているが、包括的に事業計画を立てることができるので、個人でやっていたときよりも収入が上がることがある程度期待できる。

 とはいえ、しばらくは純利益が上がらないことは決定事項だ。


「まあ、合間でどうにか植え付けまで行きたいよな。時期的な問題もあるし、かなり忙しくなるだろうけど」


 今後の事業計画ではビニールハウスの導入も考えている。問題はビニールハウスを建てることができる規模の農地がわずかしかないことだ。狭い段々畑が大半なので、どうしたって規格が合わないのだ。


「俺一人ならワラビも足しになったんだけど、会社でってなると大した額にならねえし、どのみち植え付けしない農家なんて収入ゼロだしな」


 莞爾は苦笑して煙を吐く。平太は莞爾の話をほとんど理解していなかったが、それもまた仕方がない。彼はまだ農家の仕事にまともに携わっていない。


 ふと、思い出したようにクリスが言う。


「ヘイタ、夕飯はこちらで食べていくか?」

「えっ、マジすか!?」


 まさかクリスの手料理が食べられるのかと喜びかけた平太だったが、すぐに頭をかいて首を横に振った。


「ばあちゃんが飯作ってくれてるし、遠慮しておきます」


 なぜかクリスには敬語の平太だった。まだ慣れていないのも多分にあるのだろう。


「じじばばの食う飯は物足りねえだろ?」


 莞爾はにやにや顔をゆがめていうが、あながち間違いでもなかった。とくに嗣郎が倒れてからというものの、食事はかなり薄味になったし、ただでさえ野菜中心だった生活がほとんどベジタリアンになってしまっている。


「それはまだそこまでじゃねえよ。ばあちゃんの飯美味いし」

「まあもう少しすれば肉が食いたいって泣き出すだろうな」

「そんときは肉食わせてくれよ」


 莞爾は笑って了承した。


「まだ十代だもんな。食っても食っても足りねえだろ」


 最近のスミ江の悩みはこのままでは新米が出るまでに米が足りないかもしれないという不安である。高校を卒業したばかりの平太はとにかくよく食べる。

 おまけに嗣郎もスミ江もなんだかんだ言って孫がかわいいので何かと食べさせるのが好きだった。


「納屋の冷凍庫に肉なら大量に入ってるから、肉が食いたくなったら言えよ。いつでもバーベキュー大会できるぞ」

「おっ、やりぃっ!」


 平太は歯を見せて喜んだ。

 彼は足取り軽く帰ったが、クリスは少し残念そうにしていた。


「少し多く用意しすぎてしまったから、ちょうどいいと思ったのだが――」


 クリスは生姜焼き用に用意した漬け置きの豚ロース二キロを見ながらどうしようと頭を悩ませていた。

 莞爾はまだ知らない。

 その日の夕飯が豚肉の生姜焼きで埋め尽くされることを。

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― 新着の感想 ―
[一言] 話が2017年なので仕方がないがコロナの影響でキャンプブームで焚き火に使う薪がかなり不足しているのか高騰している。薪に丁度よい枯れ木が山林に放置されているし木も倒したままでも放置、もったいな…
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